24
下っ端から子分へ一日でスピード出世を果たした私だったが、フレディを勉強させるという目的は依然、果たせないでいた。
親方という名のショタは私と話をしてくれるようにはなったが、ちょっとでも「お勉強しません?」という文句を察すると「お前!子分のくせに生意気だぞ」と殴り合いの喧嘩に発展させようとしてくる。
大抵その前にハリーが止めてくれるが、奴に私の言うことを聞こうとする意思は全く見受けられない。
でも屋敷中を駆け回っていた頃から比べると大きく進歩しているので、しばらくは庭で駆け回っていてもいいかな、なんて甘えた考えが生まれてくる。
良くない傾向だ。
だから同盟相手であるハリーに相談することにした。私一人では彼の詳細な意見を読み取れないため、お昼を終え暇そうにしていたリオに手伝ってもらった。件のフレディは今頃どこかで久しぶりの一人時間を満喫しているだろう。
しかしハリーも万能というわけではなく、リオもフレディが食べ物以外では何を好んでいるのか一切知らなかったため、建設的な案は得られなかった。
ただ、心に残った言葉はある。
「フレディはスチュワートが死んでから寂しそうになった」
スチュワートとは、クリスの前任の執事で、フレディの教育係も務めていた老人らしい。フレディは四六時中彼と一緒にいて、スチュワートもフレディをそれはそれは可愛がっていたそうだ。
しかし彼が寿命を全うしてからフレディは今までみたく構ってもらえなくなり、怒られるようなことばかり繰り返すようになったのだとか。
ハリーと同盟を結んだのも、その辺りということだった。
スチュワートが往生したのはリオが来る前のため、ハリーの過去話を聞いて彼女は「フレディがそんなタマかなあ」と首を捻っていたが、私はちょっと納得してしまった。
今まで当たり前にいた人が突然いなくなって、その穴を埋めようと、他の人の気を引こうと馬鹿をやる。でも、その人は応えてくれない。
寂しいだろう。
いなくなった人の代わりになってくれなくても良い。ただ、相手をしてほしいだけ。
返事をくれるだけで良いのに。
ただ、いってらっしゃい、おかえりって、言ってくれるだけでも救われるのに。
いようがいまいが、全く気にしてくれない。
何をしても、笑ってくれることも、叱ってくれることもない。
花にたかる羽虫を見るのと同じ目で、こちらを―――
「アン?どうしたの、ぼーっとして」
「えっ?あ、いや、何でもないです」
危ない危ない。トリップしていた。
迂闊に回想に入ると、余計なものまで掘り起こしてしまう。危険だ。
私は顔を引き締め、会議に参加してくれたリオと過去を語ってくれたハリーに礼を述べた。
「アン、話がある」
今からでもフレディを探して相手をするか、何か別のことをするか、迷って廊下をふらふらしていた私に、突然ひょっこり現れたクリスは大真面目な顔でそう言ってきた。
やばい。
これ知ってるぞ。真っ当な学生なら校舎裏に連れていかれて甘酸っぱい思いをするやつだ。
ドギマギする私に、クリスは彼らしく何の躊躇いもなく告げてきた。
「君、ハリーのことをどう思う?」
「…ハリーさん?」
流れ変わったな。
いや私が勝手に妄想していただけだけれども。
「良い人だと思いますよ。私のことも気にかけてくれて、親方の件でもハリーさんの協力がなかったらうまくいってませんでしたし…」
「親方?」
「フレディのことです」
「あいつ、自分のことそう呼ばせているのか…」
調子に乗っているな、と呟いて、クリスは「いやいやフレディの話は今はいいんだ」と首を振った。
「君が言うように、ハリーは良い男だ。気は優しくて力持ち。お人好しだから頼みごとをすると大抵は引き受けてくれるし、滅多に怒らない。人の悪口を言うこともない。かといって軟弱というわけでもない。駄目だと思えばきちんと相手を止める。それで相手を切り捨てることもなく、困っている人間は見捨てられない、男の僕から見ても良い男だ。多少無口で表情に乏しいのは玉に瑕だが、それは接していくうちに慣れるだろう」
何だ、何の話だ。結論は何なんだ。
物凄くべたぼめしてハリーをアピールしてくる。
ひょっとしてクリスはハリーのことが好きなのか?近頃ハリーと一緒にいる私に嫉妬して「あんたなんかに渡さないんだから!」とでも宣戦布告してくるのか?
そんなまさか。
それにしても話の表面だけなぞると、ハリーが桃から生まれた太郎君な男に思えてくる。お供は一体誰だ。同盟相手のフレディは犬か?いや、奴はどっちかっていうと猿っぽい。余計に知恵が回るところとか。
くだらないことを考える私にクリスは続けて問いかける。
「で、どうだ?」
「何がですか?」
「好きか?」
急に端的。
「好きですよ、当然」
「当然?当然とは何だ」
「私を助けてくれたこの屋敷の皆さんには好感があって当然じゃないですか」
今の私に好かれても何の利益もないが。
クリスは何故か煮え切らない表情で首を捻り、「前に恋人がいたら大問題だがな…しかし恋人があんな目に遭ったのに助けにこない奴なんて拒絶してしまえば…」などとぶつぶつ言いながらフェードアウトしていった。
結局何だったのだろうか。
…恋人か。
小さい頃は憧れていたこともあったかもしれない。
あの人を本当の父親だと信じていた時代。
将来はお父さんみたいな人と結婚するんだーなんて一回くらい言っていたかもしれない。
父親のような優しい人と結ばれて、お姫様みたいにちやほやされて、可愛い子供を産んで、夫と二人で一生懸命に育てて、ぐずる子供の相手をしてあげて、いつも成長を見守って、反抗されたりしても愛し続けて、笑顔の絶えない家庭を築いて、幸せな生活を送る。
実に幼稚でくだらない幻想だ。
反吐が出る。