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 ヘレンの実の息子、フレディの面倒をみることになった。いわゆる家庭教師みたいなものだろうか。

 従業員達の反応は、実に不安を煽るものだった。


「提案しといて何だけど、ごめん…投げ出しても誰も君を責めないからね」と、逃げ道を用意してくれるリオ。


「あの悪戯小僧の教育を!?君は正気なのか?それともああいう年代の少年が好みなのか?」と恐れ慄くクリス。


「ふん…せいぜい頑張るんだな」と意外にも応援してくれたスタンリー。


「何か困ったことがあったら力になる」と親切に書いてくれたハリー。


 とりあえず、覚悟はしておこうと思う。




 仕事が決まったことで、私の方は未だ痛む左足のリハビリに取り組んでいる。何せ相手は育ち盛りの子供だ。その遊び相手も務めるということは、走り回る可能性が高いということだ。

 そんなわけで最近はスタンリーと一緒に過ごす時間が長い。彼は相変わらず不機嫌な顔をしていたが、私の記憶について何か言ってくることはなかったので、ほっとした。


 今日は、通常のスピードで歩けるよう、ストレッチのようなことを部屋の中でしている。少し前から一人で歩けるようにはなっているが、速度の面からいえば万全にはやや遠い。

 しかし今まではトイレやお風呂にも付き添いがいたことを考えれば大きな進歩である。余談だが、この屋敷の浴場は城と比べると当然小規模だったが、それでも私の家のより広かった。


「……」


 スタンリーは、机に手をついてアキレス腱を伸ばす私の動きを注意深く観察している。その表情は固い。これがデフォルトだと分かっていても少々緊張する。

 彼は効率を重視している、というか早く終わらせて自分の部屋に帰りたい、というオーラを撒き散らしている。そのため無駄なことを嫌う。

 このせいでいつも会話はないのだが、今日は違った。


「お前さん。左手の甲に痣があるのか?」

「…あえ?」


 出し抜けに尋ねられ、変な声が漏れる。左手の、甲?

 私の体に痣があったのはもっと前の話だ。城の兵士達に裁判中フルボッコにされ、顔以外は痣だらけになったし、教育係にボコられ腹と首には濃い痕が浮かんだ。

 だが療養のおかげですっかりそれは完治している。当時から今に残っている怪我は教育係に刺された左足と、ただれた顔。それだけだ。


 スタンリーは何の話をしているのだろうか。念のため手の甲や掌、手首を凝視してみても、痣なんてどこにもない。


「ないですよ」

「そうか。なら良い」


 素っ気ない返事だった。

 釈然としないままにその日の運動は終わった。スタンリーは帰った。

 ベッドに腰掛け、水差しからコップに注ぎ足して飲む。


 ふと、頭に過ぎる言葉。


『我らは皆、左手の甲に刺青をしている』


 それを言ったのは、誰だった?

 瞬間、背中に寒気が走った。


『同胞は聖女と知れば亡き者にしようとするだろう』


 まさか。そんなわけない。

 だってスタンリーは私の治療を担当してくれたのだ。もし彼があの男と同じ目的を持っているなら、治療なんかせず見殺しにしているはず。

 他の従業員にバレたくないのだとしたら?

 いやそもそも、彼の左手にも刺青なんてない。

 教育係のように何らかの方法で隠蔽しているとしたら?

 まさか。


 頭を振って疑念を追い払う。


 疑心暗鬼になるのはやめろ。少なくとも、スタンリーは私に良くしてくれている。口数は少ないしぶっきらぼうだが、今もこうして私の足を治すべく協力してくれている。

 こんな醜い化け物に接してくれているのだ。

 疑うなんて失礼だ。




 しばらく部屋の中で悶々としていると、片方の日はすっかり沈んでいた。

 そろそろ皆食事を済ませただろう。一階のダイニングに向かい夕食を取りに行くことにする。


 従業員と屋敷の主人一家は共に食事はせず、主人、ヘレン、フレディの給仕が終わってから、従業員一同揃って食べる、というスタイルになっている。

 基本的にフレディや屋敷の主人に振る舞われるのは従業員のものより豪華らしいが、今は主人がいないのでフレディも皆と同じ時間に同じものを食べている。

 といってもそんなに変わるわけではなく、多少手が込んでいるだけのようだが。


 私はまだその席についたことはない。皆と一緒に食べるのは気が引けて、皿に取り分けてもらったものを自室に持って帰っている。

 たまにリオやヘレンが食後のお茶を飲んでいるが、今日は台所でリオが明日の仕込みをしているだけだった。


「やあ、アン。はい、これ」

「ありがとうございます」


 私に気づいたリオが笑顔でパンやら温野菜やらが乗ったトレイを渡してくれる。この世界、というか地域ではやはり小麦が主流のようだ。米の姿はちっとも見かけない。私は別に白米至上主義なわけでもないので気にしていない。


 リオは料理中はきちんと長髪を束ねている。白いうなじがあらわになっているため、男にとっては目の毒だろう。


「たまにはアンも一緒に食べればいいのに」

「私も働き始めたらご一緒しますよ。皆が仕事終わりの中一人だけ何もしてないのに食べるの、気後れしますし」


 これは少しだけ本音でほとんどは建前だ。食べる時には顔の包帯を剥がさなきゃいけない。それを見られるのが嫌なだけだ。

 下半分だけ取れば比較的マシなのでは、とも考えて実行してみたが、どうもうまく巻けなかった。


 見る方も気持ち悪くなるし見られる方も辛い。だったら自分の部屋で一人で食べるのが両者にとっての最善なのだ。


 働いたら一緒に食べるとは言っているが、リップサービスだ。たとえ家庭教師を始めても、ぼっち飯は継続する。


「そっかぁ…じゃあその時を楽しみにしてるからね!」


 今のうちから言い訳を考えておこう。

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