13
青年は口を閉ざそうとする片鱗さえも見せない。
クリーム色のきっちり整えられた髪と、薄い青紫色の丸い瞳を持つ青年だった。
体格は大男と比較すると、当然だが小柄だった。身長は私より少し高いくらいではないだろうか。
しかしその口から出てくる文章量は常軌を逸している。大柄で何も言わない大男とは対照的だった。
「何も言う気はないのか!僕とは話したくもないのか!」
その言葉に慌てて口を挟む。
「助けてくれて、ありがとうございました。本当に、感謝しています。本当です」
「礼を言えるのはいいぞ、ちょっと好感度が上がったぞ。その調子でどんどん吐くんだ。君は何者だ?一体何故、何があって森に倒れていた?場合によっては」
ちょんちょん、と青年の肩を大男が叩いた。いつの間にかその手には別の紙切れが握られていて、青年はそれに目を通して「質問は奥様の担当、その通りだな!じゃあ僕達はひとまず退散しよう」と叫び、声をかける隙もなく二人で部屋を出ていってしまった。
名前も説明も聞けず、呆然と立ち尽くしていると、また新たな訪問者があった。
「ああ、良かった。ずっと意識が戻らなくて心配していたのよ」
今度は女の人だった。メイド服を着た、二十代後半くらいの温和そうな銀髪の女性。その後ろには中年の不機嫌そうな白衣の男の人が救急箱のようなものを抱えて付いてきている。こっちは白髪混じりの紫色の髪だ。
「初めまして。私はヘレンといいます。貴女は?」
「あ、アンジェ…です」
「アンジェ、自分が何をしていたのかは分かる?」
流されるようにベッドに座らされ、私は正面に座った彼女から質問をされる。答えなきゃ、と自然に思わせられるとても澄んだ優しい声だった。
「私は…覚えていません」
だが、私は嘘をついた。
ここにいる私は、容姿が良かった頃の私とは違う。もし、彼女が私の、何もしない聖女の噂を聞いていたら?そのせいで、殺されかけたのだと知っていたら?
私がその聖女と同一人物だとバレたら、軽蔑され、迫害されるかもしれない。昔ならともかく、もう私には価値がない。何をしても許されるなんてことはないし、好き勝手はできないのだ。
私は死ねなかった。死ぬのが怖かった。だから、もう死ぬ訳にはいかなかった。
「そう…貴女はね、ボロボロになって森に倒れていたのよ。それをハリー…うちの庭師が見つけて、担いで来たの。傷を治療したのは、スタンリー、こちらの人よ」
中年の男性、スタンリーが紹介を受けて軽く礼をする。青みがかった灰色の細い目は実に不愉快そうだった。不審者を置いておきたくないのだろう。
「これが終わったら傷を診る。用意を」
低く簡潔に告げられたそれに、理解するのに時間を要しながらも、どうにか頷く。この人も不本意だろうに私の治療に反対する様子も見せないのは、彼女の言い付けだからだろうか。一目見ただけでも分かる、ヘレンは特別な人間だ。上に立つというより皆を支えて導くタイプの、支配者。メイド服を着ているのが実に不可解だ。
ヘレンが私を観察しながらゆっくりと言い聞かせる。
「記憶がないのなら、説明をするわね。この国の名はフィネイ、女神教の総本山です。この地はノーウォルドといって、気候は寒冷だから、薄着しちゃ駄目よ。ここはノーウォルドの外れにある森の中で、私はこの家の主人の妻をやっているの」
「…地主なんですか?」
「違うわ。主人の父はここの領主だけど…私達には、あまり関わりないことね」
ヘレンは何故か痛みを堪えるような笑顔を浮かべた。
「そんなことより。貴女、記憶がないのなら、行く宛てもないのでしょう?」
うちに来なさい、とでも言われるのだろうか。
「うちで働いてみない?人手はいくらあっても困らないもの。貴女のこと心配だしね」
見事に命中した。
ヘレンは急かそうともせず、優しい表情で私の返事を待っている。
しかし、どうするべきか。正直、この申し出は涙が出るほどありがたい。怪我を治療してくれた上に、住処まで。この顔の私を相手にそんな提案をしてくれるヘレンは間違いなくお人好しだ。だからこそ迷う。
「…私、何もできません」
私は役立たずだ。今までは容姿のおかげで何とか誤魔化せてきた。でも今私に残っている利点は、若い女というだけ。頭も良くなければ運動神経も良くない。特に得意とすることもなく、持っているのはどこで役立つのか分からない無駄な知識くらいだ。それも、聞きかじりだから真偽も曖昧な。
「そんなの、気にすることないわ。誰だって最初からできる人なんていないんだから。何事も、ちょっとずつ覚えていけばいいのよ」
当たり前のようにそう言ったヘレンの目には、ただただ優しい色だけが浮かんでいた。
なだめるように私の肩に優しく手を置く。
しばらくの沈黙の後、私はゆっくり頭を下げて、よろしくお願いします、とか細い声で頼んだ。