12
ゆっくりと身を起こす。体を見下ろすと、寝間着のような柔らかい素材の服を着せられているだけでなく、身体中に包帯が巻いてあった。下着をチェックしてみると自分のものではなかった。
鈍い痛みは微かに残っているが、擦り傷や打撲はほぼ完治しているようだ。お腹も声高に空腹を主張してくる。
しかし、混乱は治らない。
誰が、一体何のために、こんな醜い怪物なんかを助けたのか。
無意識に顔を触っていた。そこにも包帯があった。当然だろう、こんな顔、誰も見たくないに決まっている。
今度は部屋の中を見回す。狭い部屋だった。今いるベッドと窓が一つ、それから小さな机と椅子、その傍らに同じサイズの収納棚があるだけの、素朴な部屋。机の上には注ぎ口がついた瓶とコップがあり、瓶の中は透明な液体で満たされていた。
立ち上がろうとして、足に痛みが走った。
そういえば、左の太ももにナイフを刺されたのだった。
教育係に痛めつけられ、せめて違う場所で死にたいと思って、何とか移動して、そこで、大男に出会ったのだ。
足を気にしながら窓から外を眺める。
二つの太陽に、小綺麗な庭と、鬱蒼とした森が見渡せる。どうやらこの部屋は一階にあるのではないらしい。
あの大男は、何者なのだろうか。こんな森の中におそらく二階建て以上の建物を持ち、更には、さっき出ていったショタは、城で会った王子と似たような身なりをしていた。あれが息子か何かだとすると、もしかして貴族なのか。
正直、大男の姿は、はっきりとは思い出せない。どんな服装だったかとか、どんな表情をしていたかとかは覚えていない。印象に残っているのは、穏やかな夕日のような色の目だけだ。
「…どうでもいいか」
大男が実は悪い奴で私を身売りしようと企んでいようが、本当に親切な人で善意百パーセントで助けたのだろうが、もうどうでもいいことだ。
幸いなことに窓は開く。
「…痛いかな」
身を乗り出して下を覗くと、割と高さがあるように思える。それでも下手をしたら目的は達成できないかもしれない。
だがやるしかない。
「……」
この体勢のまま、足に力を込めて飛び降りる。たったそれだけだ。
それだけなのに。
どうしても力が入らなかった。
窓から後ずさり、へなへなと床に座り込む。
もう希望はないのに、一つしかない価値すら失った私には、この未知の世界を生きる術などないのに。
それでも生にしがみつくというのか。
「だって…折角助けてもらったんだから」
言い訳を口に出す。
折角治療してもらったんだから、ここで私が死んだら、助けてくれた人の労力が無駄になる。
ご立派な理由付けだった。ただ怖かっただけなのに。
「…お礼言わなきゃ」
壁に手をついて立ち、部屋を出ようと扉に向き直る。
そこに大男がいた。
「ひっ!」
失礼にもびくりと体を震わせ悲鳴を上げる。
大男は無言だった。無言で私を見ていた。
自分が立った状態で対面してみると、その大きさが際立った。身長は二メートルを超えているかもしれない。着ているのはショタとはまるで違い、薄汚れた茶色の作業服だった。
でも、短く切り揃えられた深緑色の髪の毛には清潔感があって、オレンジ色の目には温かみがあった。
「あ、ああ…助けてくれて、ありがとう、ございました」
大男は何も言わない。近づいても来ない。
「ち、違うんです、今のは、別に、ただ外が見たかっただけで、本当に、感謝してて」
何を言っても、取り繕おうとしている風にしか聞こえない。
「わ、私は、神崎…天使。アンジェっていいます。あ、あなたは?」
大男は、何も、答えない。
が、歩み寄ってきた。
そろそろと、見間違いでなく本当に少しずつ、大男は近寄ってきた。
そして、手を突き出した。
「…これは」
紙片を渡された。文字が書いてある。
「…えっと」
読めなかった。
何らかの規則性を持った文字列なのは分かる。だが、読めなかった。日本語でも英語でもない。
もしかして、私の言葉も通じていないのだろうか。だから何も言わないのか。
しかし、さっきのショタの言葉は確かに理解できたのだが…。
「ハリー!何で先に行く!まずは奥様とスタンリーが診察するって言っただろ!君が行ってどうするってんだ、ええ!?」
間違いない、ちゃんと聞き取れる。
大股でずかずかと入ってきたのは、私と同年代の青年だった。
「なんて不用心なんだ、君は!君は自分が襲われることなんてないって思っているのかもしれないが、そいつが敵意を持っていたらどうする!?君は聞いたんだろう、嫌いって!それが確かならそいつは僕らの敵だ、今すぐお引き取り願う相手だ!それなのに君は、勝手に、単独行動をして!お人好しめ、恩知らずにも優しくするって言うのか!」
青年は話し終わる気配がない。
「だいたい、フレディが悪いんだ!あの悪戯小僧!この部屋には近づかないって約束したのに結局入っていたんじゃないか!今朝だってそうだ。リオが僕のために作ってくれたスコーンをつまみ食いどころか全部食べやがった!ああムカムカしてきたぞ、説教してやらないと気が済まない!フレディ!フレディー!呼んだって来ないじゃないか、あの悪餓鬼!」
地団駄を踏んで青年は、私の方を向いた。
「何だ、何を見ている!僕に言いたいことでもあるのか!?だったらはっきり口に出して言えよ!怪しいな、喋れるくせに沈黙を守る奴ってのは大抵何か秘密を抱えているもんさ!それが良い事柄なら全くもって問題はない、サプライズパーティーとかね!でも君のはそんな様子じゃないな。何を隠している!言うんだ!」
大男は何も言わない。
青年は答える暇も与えず喋り続けている。
私は奇妙な二人に囲まれ、困惑するばかりだった。