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自分の本当の父親が誰かなんて、考えたことはなかった。
幼い頃、私を散々お姫様扱いしてくれる細面の優しい男の人がいた。その人は物心ついた時には側にいて、一週間に二回の頻度でどこかへ行ってしまうけど、母の代わりに私の世話をしてくれたから、その人が父親なのだと幼心に信じて疑わなかった。
けれど、その人はある日突然、来なくなった。
その日を境に、家にはたくさんの男の人が順番に来るようになった。
母は私の世話を彼らに任せた。
彼らの中には、親切な人もいたけど、乱暴な人もいた。
それが嫌で、自然と自分のことは自分でするようになった。
小学校の時、私は、誰かに優しくされるのは普通のことだと思っていた。
優しくされるだけでなく、ちやほやされるのも、当然だと信じていた。父親だと思っていた人が、そうだったからだ。
私の外見は母に似ている。大抵の男の子は私の顔を見て、優しくしてくれた。
女の子はそれが気に食わなかった。クラスも学年も関係なく団結して、私を責め立てた。
その頃はまだ良かった。家にはあの男の人がいて、酷いことを言われたと訴えると、優しく慰めてくれた。
だけど、その人はいなくなった。
それでも一人で耐え忍んでやっとのことで中学校に上がったら、攻撃は激化した。
単純に人数が増えただけでなく、内容がより悪質に、陰湿になった。
その頃には自分の態度が問題なのだと気付いていたから、なるべく地味に過ごすようにしていたけど、そんなの関係ないとばかりに男子は私に絡んできた。それに、中学校には小学校にいた人達のほとんどが進学しているのだ。噂が流れて入学当初から腫れ物扱いで、味方は一人もできなかった。
男子は私につきまとう。女子は私をつまはじきにする。先生は私を厄介者だと避けるか、見当違いのことをして事態を悪化させるか、の二通りだった。
それに該当しない男子や女子もいたけど、彼らは遠くから静観しているだけで、味方ではなかった。
どんどんきつくなって、不登校になった。
でも、中学校を卒業しない訳にはいかなかった。
当時家に来ていた男の人のうちの一人が引きこもる私を見て、中学をやめて自分と一緒になればいい、と言ったのだ。
ぞっとした。
学校に行くのは辛かったけど、その提案が現実になるよりはマシだった。
私は何とか中学校を卒業した。
私は、馬鹿な願望を抱いていた。
高校なら、誰も私のことを知らないところなら、私も普通の学校生活を送れるかもしれない。
勉強はできなかったから偏差値の低い場所しか選べなかったけど、その中でも最も遠い高校に目星を付け、無事合格した。
一人暮らししてみようか、とも考えたけど、あの人がいつか家に帰ってくるかもしれない、と思ったらそれはできなかった。
母は私の面倒をみることはなかったけど、お金は出してくれた。
そのお金で、普通の学生なら鼻で笑うような友達の作り方を書いた本を買い漁った。
高校に行ったら、何をしたいか。まず友達を作ろう。放課後に一緒に遊んだり休みに遠出をしたりするような友達を。それと、部活に入る。皆で力を合わせて何かを成し遂げるような、練習はきつくても楽しい部活に。
それから、それから…。
夢は際限なく膨らんでいった。
今思えば、本当に馬鹿だった。子供みたいにうかれて、はしゃいで…。
そして、突き落とされた。
入学式の日。私は雑誌で読んだ、悪目立ちしない程度のオシャレをして、意気揚々と電車で学校に向かった。
痴漢されたりもしたけれど、その日だけは私は気にしなかった。
もう、惨めな自分とはおさらばなのだと張り切っていた。
学校について、入学式をして、クラスの教室に入る。
そこで、予定通り自己紹介の流れになったから、精一杯考えてきた至って無難な紹介をした。悪目立ちだけは本当に、したくなかった。ただでさえ名前が異質だったから。
それを終えて安心した気持ちで先生の挨拶を聞く。今日の日程はこれで終わりだ。
大切なのはこの後。後ろでも隣でもいい、近くの席の女子に「部活決めた?」と話しかける。「まだ」なら「一緒に見学しない?」、「決めた」なら「見学しにいってもいい?」。これで完璧だ。
先生の話が終わった。帰りの号令がかかる。
高まる鼓動に深呼吸しつつ、立ち上がる。そうして振り返ろうとして、
「ねえ、神崎さん?だよね?」
男子に話しかけられた。
「クラスグル作りたいからさ、LAIN教えてくんない?」
煩わしく思うより先に、胸が高鳴った。クラスのグループを作って、皆で会話をする。憧れてすらいた。
だから「いいよ」と快諾し、スマホを出した。
それが、間違いだった。
「あっじゃあ俺とも交換してよ!」「はあ?てめえ横入りすんな」「うるせえ邪魔だどけ」「おっ祭りか?」「どうせクラスグル作ったら申請できんだから黙ってろよ」「澄ました顔してんなよ抜け駆けクソ野郎」「つーかお前率先してグル作るタイプじゃねえだろ隠キャ」「あ?うぜえんだよ隠キャ死ね」「レスバで草」「喧嘩すんなよお前らどっか行け。こいつらほっとこうぜ神崎」「ざけんなてめえが消えろや」「は?殺すぞ」
一瞬で壁ができた。
その向こうで、女子が白けた顔をして教室を出ていくのが見えた。
「あ、ま…!」
待って、という言葉は出る前にしぼんでしまった。
私はまた、一人になった。
女子高生は、中学生とは段違いでえげつなかった。
私は引きこもって、ネットの世界に入り浸った。そこでなら容姿も性別も関係ない、平等でいられた。
母は相変わらず無関心だった。私に目を付けていた男の人はその時にはもういなくなっていた。
私を阻むものはなかった。
毎日毎日、将来のことも考えず自堕落な生活を送る。楽だった。
だけど、昔に戻りたいとも、思った。小学校の前、幼稚園時代。あの優しい人が家にいるだけじゃなく、男も女も一緒に無邪気に遊んでいた頃に。
それが駄目なら、せめて、小学生の頃に。
「あ、起きた!」
そう、周りは皆、このくらいの男の子で、純粋で…。
「……」
「わはは!びっくりしてやんの!にーげろー!」
目を開いた私をはやし立て、生意気そうなショタは逃げ出していった。