二重(ダブル)スパイのスチュワート
トマトとミーテが牢屋に入っていた頃。
エマリカ王国の臨国、シロリア王国。
青い屋根が殆どであるシロリア王国にて異色の色を放つ、どぎついピンク色の王城。
だが、派手な外壁と違い、城の内壁は白で統一されている。
その城の奥。入り組む迷路の様な内装を抜けた先の奥まった部屋に外壁と同じ、いや、よりどぎついショッキングピンク色の髪をした美青年が、長い足を組んで白い椅子に座っていた。。
青が王族の色であるこのシロリアにて、反対派を無かったことにして、城を青から今の色に塗り替えさせた国王。
現シロリア王国国王、アレクセー三世は、手紙と添えられたプラチナでできた板を白い丸テーブルに広げて眺めていた。
おもむろに板をつまみ上げ、緑色の片眼鏡を通してじっくりと眺める。
「なるほどね。通りでエマリカ王国の結界が丈夫なわけだ。ま、これでいつでもあの結界を破れるわけだが、彼は今、元気? 」
部屋の隅に控えている黒服の密偵にアレクセー王は訊ねた。
「それを寄越したスチュワートですが、どうも自ら面倒事を引き起こしたようでして。」
「彼の悪い癖が出てしまったかな? 探求し始めると止まらない性格だったよね。」
「おっしゃる通りでございます。エマリカ学園の研究所に侵入し、国を覆う結界の秘密を暴いたものの、目撃者の目を欺くために未完成な禍法の術式を使い1人男爵家のジャック・オーランを唆して暴走させました。派手なやり方でしたが撹乱には成功したのでまだ良いかと思われます。
ですが、その後なぜかミーテという少女を探求し始め、ついには裁判所に彼女を連行させ、より深く追及するつもりだと報告があがってきました。」
「えー、困るなー。余計なことされてしまったら。」
「ですが。」
「分かってる。 」
アレクセー王は軽く手をあげて制した。
「此方からはあの結界のせいで、何も送れない。彼方から受けとる事しか出来ない、だろう? 」
「はい。誠に私共の力不足で申し訳ありません。」
「こうして結界を破る手立ては見つかったことだし。別に構わないよ。」
アレクセー王の片眼鏡がキラリと反射する。
「彼は魔力の才能があったから、密偵として育て上げた迄で元は奴隷だったからね。後は君が煮るなり焼くなり好きにすればいいさ。」
つまり用無しになったか殺せという意味だ。
「かしこまりました。それから奴隷を媒介とした人工魔法兵の件ですが 、直ぐにでも出陣可能なほどに整いました。」
「よし。いい感じだね。」
アレクセー王はまるで上手くパンが焼けたかのように穏やかな笑みを浮かべた。
一方此方はエマリカ王国とシロリア王国の国境の上空はるか雲の上。
空色に擬態した魔王の飛行船の中。
魔王の自室で、オレンジ色のタートルネックを着ている魔王は、蜜柑を剥いていた。
「手塩を一粒もかけていないのによく育ったものよねぇ。」
用意させた赤い漆塗りの丸テーブルの上で、蜜柑を剥きながら魔王は呟く。飛行船の畑にある蜜柑の木が熟したので収穫したのだ。
「左様ですね。ゲーンダー君、今はスチュワートと名乗っているのでしたっけ? 」
共に蜜柑の皮を剥いていた石蛭が魔王に答える。2人は蜜柑の皮を剥いては編み籠に入れるを繰り返していた。蜜柑の中身は広めのお皿に積んでいく。
「上手くミーテを裁判所まで持っていきましたよね。」
「上手くって、、、。スチュワート、あの子、結構強引だったわよ。でも、お陰であのガキを裁判所の地下牢まで誘導できたから良しとするわ。」
「後は彼がエマリカ王国の結界の外まで彼女を引っ張り出してこれたら完璧ですね。」
「あの子は私が吸魔鬼に変えたんだから、命令は確実に遂行するわ。」
スッと魔王は目を閉じた。
魔王が変えた吸魔鬼の視界と魔王の目は、魔力を使用することでリンクする。
「えーっと、あの子は、裁判所で言及する内容を確認しているわね。」
そして、魔王はそっと目を開けた。
「魔法に関して変態のマーリン学長から離せている。今がチャンスよ。学園の中だと直ぐあの男は気付くだろうし。」
「あの、飛魔王様。マーリン学長がトラウマになっていませんか? 」
「なっているわよ!! 未だに夜思い出すわ。研究所での、あの男の舐めるような視線が本当に気持ち悪かった! 」
「ガラス越しでしたでしょう。」
「それでも気持ち悪いものは気持ち悪いのよ。」
「そういえば、ここ最近紐付きのヒール靴を履いてらっしゃいませんが。」
「石蛭、何よさっきから。あたしのトラウマばかり抉ってない? 」
「矢張トラウマになっていらっしゃったのですね。」
「そりゃなるわよ。シロリア王があんな踏まれて喜ぶ変態だったなんて。お陰でヒール履く度に思い出すのよ! 」
魔王はぶるりと肩を震わした。
「はぁ、ですからこの石蛭めが代わりに行くと申しましたのに。」
「それが出来ないって何度も言わせんじゃないわよ。」
「すみません。そうでしたね。」
二人は無言になった。
蜜柑を剥く音だけが響く。
お互い其々7個の蜜柑を剥き終わった時、魔王は蜜柑の皮の入った籠を持ち上げた。
「もうすぐ、何もかも終わるわ。どちらに転んでも成功する。」
「はい。飛魔王様。」
魔王は自室を出て風呂場へと向かった。
大理石の岩風呂に着くと、お湯の中に蜜柑の皮の入った編み籠を突っ込む。
「これで、あたしのお肌はぴちぴちね。」
蜜柑のエキスが染み出していく。
魔王は静かに蜜柑風呂を眺めた。
更に此方は裁判直前のスチュワート。
彼は物思いに沈んでいた。
本当にこれで良いのだろうか。
元々シロリア王国の奴隷であったスチュワート。
シロリア王国のとある貴族の領地内で、幼い頃からひたすら馬小屋の掃除や畑で鍬を振り上げ続ける作業等をしていた。
背後からの監視する視線と、いつ彼らが腰の鞭を振り上げるかに怯えながら暮らす日々。
だがそんな生活の中でも、同じく奴隷であった自らの父親からこっそり教えられていた。
「ゲーンダー、私達にはかつてダラハットという国があったんだ。今はもう無いけど。それでも私達はダラハットの国民だ。シロリアの奴隷じゃない。今は力がないからこの身分に甘んじてはいるが、それでもダラハットの民としての誇りを忘れてはいけない。」
父親はダラハットについてあらゆる事を語ってくれた。とても大きな川があること。壁は土で作ること。結婚式には緑色の独特の文字が描かれた衣装を身に纏うこと。女性は髪を切らないこと。幾何学模様の作り方、染め出し方等々。
そんな、芯の強く、賢い父親が死んだのはスチュワートが10才の頃だった。過労死だった。
その頃にはスチュワートは貴族の屋敷内を掃除する際、書庫に何度も忍び込み続けていたので、書庫の本を全て暗記していた。
更に、掃除ついでに屋敷の構成、畑の構造、生えている木の一本一本の配置まで頭に入れていた。
スチュワートは父が死んだその日、一人で脱走した。
貴族の子息の玩具の硝子玉を盗み、それを削ってレンズを作り、馬小屋から取った藁を元にして、太陽光を集めて絨毯に火を付けた。
放火で騒いだ時を見計らい、あらかじめ馬小屋から掘っていた横穴を通り外に出た。棄てられていたカーテンで作った焦げ茶色の服を頭から羽織り、夜の町をひた走っる。
行く場所は国境。国境を出る馬車に引っ付いて出国しようと考えていた。
だが10才の子供の脚力はたかが知れている。しかも、日々の長期労働で直ぐにバテてしまった。
休もうと、路地裏に潜り込むと、なんとそこにシロリア王国の兵士が一人立っていた。
「ぐっ!」
慌てて路地裏から出ようとしたら、大勢の兵士の鎧のガチャガチャとした音が聞こえてくる。
仕方なしにスチュワートは目の前の一人を殺すために削り出した尖った木材を幾つか向けた。
本当はもっと固いものを手に入れたかったがなんせ鉄や石は重い。
兵士からくぐもった、小馬鹿にしたような笑いが漏れた。
だがスチュワートには、勝てる算段が無いわけでは無かった。兵士の鎧は関節部分に隙間がある。そうでないと鎧を動かすことは出来ない。
10才である背の低いスチュワートは、兵士の両足の関節を狙った。
走り出すスタート姿勢はまるでがむしゃらに突っ込むかのように見せかける。だが、兵士の目前で素早く身を低くした。
その時、兵士は薬指を下に向けた。
「ベカワイ。」
ゴンッ!!
鈍い音が響いた。
突如として出現した岩の壁が兵士の足下を守ったのだ。
盛大に頭を打ったスチュワートはふらふらとしつつも果敢に立ち上がった。
「なんで、なんで兵士が魔法を使えているんだ? 」
たかだか町の見回り兵士に希少な魔法を使える兵士を置く筈がない。
兵士はスチュワートの目の前で顔を覆う兜を取った。
スチュワートは息を呑んだ。
月明かりの下でも分かる珍しい漆黒の髪と瞳。
瞳の上のアイラインはターコイズブルーで、その上のアイシャドウは水色。
どう見ても兵士と思えない。
男はスチュワートを上から下まで眺めて言った。
「あらぁ、あんたさては脱走した奴隷よね。肌の色からしてダラハット出身でしょ。そういえば、火災があったけど、あんたがやったんでしょうね。別にあたしはあんたに危害を加えたりしないわよ。
それと、始めましてになるわね。あたしは魔王。」
いきなりオカマ口調で話始めた。
「は? 」
「こんなところで立ち話もなんだから一先ずあたしについてきなさい。」
だが、そう言われてこんな訳の分からない者についていく程スチュワートは愚かではない。
背を向けた魔王の横を通りすぎようとした。
「ちょっと待ちなさいよ。」
素早く魔王はスチュワートの手首を掴んだ。
「離せ。 オカマ王! 」
「オカマ王? あたしは魔王よ! あーもー、分かったわ。ここで話すわ。このまま国境まで行っても無駄よ。新制度で設置された魔力波形装置で一発よ。」
「ま、魔力波形装置? 」
「体内に流れる魔力波形を測定する装置よ。最近シロリアで開発されたの。人は魔法を使える使えないに関わらず、生きる為の魔力は保持しているものよ。馬車か何かで逃げようって魂胆でしょうけど、人数分以上の波形が見えたらわかっちゃうでしょうよ。今年から導入されたんだから、あんたは知らないでしょうけど。」
「そ、そんな。」
スチュワートの抵抗する力が無くなり、魔王も手を離した。
魔王は腰に手を当ててスチュワートと正面から対峙した。
「はぁ、あんた、名前は?」
「、、、、、、」
「あたしは魔王よ。あたしと組めばダラハットを復活させてあげる。」
「魔王って、あのエマリカ王国で有名になったあの魔王か? 」
「そうよ。」
「証拠は? 」
「証拠? 例えば? 」
「今この国を亡ぼせる? 」
「無理。それが出来たらとっくの昔にやってるわよ。あんた、あたしを過大評価しすぎよ。」
「じゃあ、どうやって取り戻すんだ? ダラハットは滅んだだろう? 」
「それはね。」
魔王はプランを話した。
プランを聞き終わったスチュワートは成る程と頷いた。
「だから、俺の前に現れたわけか。その鍵となる二重スパイを俺にやって欲しいってことか? 」
魔王はクククッと笑った。
「あたしの見込んだ通りね。あんたは頭が頗る良いわ。さあ、どうする? 」
魔王は吸魔鬼になれる契約書とペンを差し出した。
無言でスチュワートはサインした。
魔王は契約書を見つめる。
「あんたの名前、ゲーンダーって言うのね。誰が付けてくれたの? 」
「父さんだ。」
「良い名前ね。春や秋に咲く黄金色の花。ダラハットの国の花でしょう。」
「ああ、俺は1度も実物を見たことは無いがな。」
魔王は赤い注射器を取り出した。
「それが人間なら誰でも持つ生きる為の魔力の凝縮体か。なぁ、それ誰の血なんだ? 」
「あたしが今来ている鎧の持ち主の血よ。」
魔王はスチュワートの腕に注射器を注した。
その後、スチュワートは兵士の前でわざと魔法を使い捕まえられた後に、丁度、魔法を使える密偵を作りたがっていた男に売られ、現在に至った。
裁判所での言及内容を確認しつつ、魔王のプランを思い出しつつ、自らの過去に思いを馳せるという離れ業をしていたゲーンダー改めスチュワートは、何も知らないミーテを魔王に引き渡す事を迷っていた。
ミーテの事を調べるほどにその迷いは強くなる。
彼女は憎きシロリア王国の王でも貴族でもなんでもない。イスス共和国で酪農や農業をしていた一般的で純朴な民だったのだ。
だが、どちらにしろ彼女を巻き込まざるおえない。魔王のプランに彼女の膨大な魔力は不可欠なのだ。それに、最近ではマーリン学長の指導のもと研究所で爆発的な魔法を乱発している。幾ら彼女の魔力が膨大でもあまり減らされては困る。
スチュワートは証言内容のプリントを置き、窓を開けて空をみた。
「魔王の飛行船はあの辺か? 」
丁度蜜柑風呂に入りつつスチュワートの視界と自分の視界をリンクさせていた魔王は、はぁーっと息を吐いた。
「合ってるわよ、スチュワート。その辺よ。」