魔王 隣国のシロリア王国に潜伏中
シロリア王国
王専属科学者ダニールの研究室はひと月程前とはうって変わって広く増築され、助手の数も10倍以上増えた。
ダニールは人工魔法兵の開発論文を発表し、それがシロリア王の目にとまった。
ダニールは再び王専属科学者の花方研究員として返り咲いた。
フラスコや怪しい記号の書かれた紙が散乱する研究室では、多くの研究員助手が切磋琢磨していた。その中、一人のろのろともたつくヘタレな研究員助手がいた。
ヘタレな研究員助手トーマスを演じている魔王である。
「トーマス、この成分経過レポートにまとめといて。」
フラスコには緑色の液体がバーナーで煮詰められている。
「はぃ。」
魔王はわざと、しおらしく頷いた。雑用を押しつけられる。最早お馴染みの光景となっていた。
「とろいトーマスに任せていたら三日掛かるんじゃないかぁ?」
ハハハハハと周りの研究員助手達が笑う。
笑いの種にもされている。
魔王としてはそういう役になりきっているのだから一向に構わない。
グツグツグツグツ
フラスコ内の溶液が熱されていく。
魔王は周りに分からないようにそっとバーナーの火を弱めた。
フラスコ内の溶液は緑から青色に変わっていく。
変わったら再びバーナーの火を元に戻した。
そして研究室のダニールの元へ向かい恐る恐る尋ねる。
「あ、あああああの、色変わっちゃったんですけど!?」
「は? なんの?」
「どどどどどうしたら!?」
まるですっかりパニックに陥ったかのように振る舞う。
「分かった、分かったから落ち着きなさいトーマス。どのフラスコ?」
「あ、あっちです。」
フラスコの溶液を見たダニールは目を細めた。
「これは、、、。トーマス、どうしてこんな色になったんだ?」
「わ、わかりません。」
「ふーむ。」
ダニールは特に叱りもせずフラスコを見つめ続ける。
その後ろであたふたする魔王。
このように魔王はさりげなく研究に役立つヒントをダニールに与えているのだ。あるときは間違った材料と見せかけて実は役立つ材料を入れたり、あるときは書き間違えた魔法陣のふりして実は新しい魔法が使えるきっかけを閃かせたり。
このように意外と役立つ研究員助手なため、更にはダニールの家での洗濯物も担当したりしているのでヘタレで失敗が滅茶苦茶多くてもギリギリ辞めさせられないのだ。
全ては魔王自身の計画のための演技に過ぎない。
その為に謗られても雑用を押し付けられても魔王としては我慢できる。
だけど、魔王には1つだけどうしても我慢ならないことがあった。
「トーマス、陛下がお呼びだぞ。」
研究室に入って来たのは青い制服に身を包んだ近衛兵の一人であった。呼ばれた魔王は、顔をひきつらせた。
近衛に連れられ馬車に乗り込み王宮へと向かう。
「お前も大変だよなぁ。ま、頑張れ。」
近衛は笑顔で魔王を励ました。因みにこいつがいつも迎えに来る。
「は、はい。」
あえて震えた声で答えた。
ダニールの研究室と王城は近い。
すぐに馬車の窓から高い城壁に囲まれたお城が見えてきた。
目も覚めるようなピンク色のお城だ。丸い玉ねぎをのせたような屋根の塔がいくつも見える。
シロリア王の城だ。
実は元々この城は青色だった。だが、この今のシロリア王の代となった途端ピンク色に塗り替えられたのだ。
恐ろしいのはその事に異議を唱える国民が、誰一人としていなかったことだ。代々青色を王族の色としてきたシロリアにとってその象徴たる青い王城をピンク色に塗り替える事は、どう考えても反発を生む筈だった。
だが、それが無い。
つまり、言いたいけど言えないのだ。今の王が怖すぎて。
王族の権威が絶大なのは元からだが、それ以上に諜報員の活躍が目まぐるしく、少しの反逆の意思も目敏く見つけられてしまうのだ。
城壁の門が開き馬車が通っていく。
緑の広い葉だけが広がる広大な庭園。
5月のため、丸い蕾でさえも付いていない玉紫陽花の葉である。玉紫陽花はこのシロリア王国の紋章にも使われている花だ。
7月位になるとまん丸な蕾を付け、パカッと開くと幾つも集まった花束の様な青紫色の花が出てくる。
昨日雨が降ったから葉に水滴がついており、雲の間から覗いた昼の光に照らされて虹色に光っている。
馬車が城の前で停まり、衛兵と共にピンク色の城の中に通された。
外のビカビカなピンク色の外壁とはうって変わって、内装は殆ど白一色。ドーム状の天井も、細かな彫刻の彫られた柱も、ツルツルのタイル張りの床も、敷かれている絨毯でさえ、純白で統一されている。
ここで魔王には黒い布が渡された。
目隠しをしろ、という意味だ。王の部屋は近衛クラスでなければ知ることは許されない。
魔王は目隠しを付けたまま衛兵に手を引かれ、そのまま階段を延々と登り続け、いりくんだ廊下を渡り続け、再び階段を上がったり下がったりしながら漸く王の待つ部屋へと到着した。
例え目隠しをしなくても城内は白一色で、どこもかしこも似たような作りな為、近衛兵に案内されなければ辿り着くことは出来ないだろう。
「さぁ、着いたから取るぞ。」
目隠しがとられた。
目の前に白い両開きの扉が現れる。
「そんじゃあ、今日も頑張ってこい。」
ぽんっと背中を叩かれ、もし今トーマスという役を演じていなかったらこいつを灰にして土に返して飛び出して帰宅できたら、と魔王は思いつつも目の前の扉をノックした。
ガチャリ
ノックの返事どころか扉は勝手に開けられ、中からシロリア王国現国王アレクセー3世が満面の笑みで出迎えて来た。魔王は鳥肌がたった。
「待っていたよ。トーマス君。入って入って!」
魔王は王の部屋に入る。震える振りを忘れずに。
王の部屋も相変わらず白で統一されているが、調度品はどれも人の2倍はある大きさで、バカでかいのに部屋が広いから違和感も窮屈感も無い。
目の前の人物、アレクセー王は若くして何故か国王の座についた男だ。ショッキングピンク色の珍しい髪色を持ち、緑色の方眼鏡を掛けている。色白で、黙っていれば大人しい美青年にしか見えない。
黙っていればね。一生黙ってくれれば良いのよ、と内心魔王は毒づく。
アレクセー王は元々先王の4男であったが何故か上の兄3人が、長男は狩りの途中で落馬死、次男は病死、三男も病死。因みに先王も病死。
最後に残った彼が王位を継いだ。
どう考えても死因が気持ち悪いのよねぇ。普通落馬なんてするかしら? 護衛もいるのに。あと病死多すぎ。毒殺とかじゃないかしら。伏せるために病死ってことにしてるんでしょうよ。
王族の肖像画では、シロリアの王族の髪の色は代々サファイアの様な美しい青色をしていた。だが、このアレクセー王の髪の色はどピンク。
ここからは魔王の予測でしかないが、髪色で間違いなくアレクセー王は肩身の狭い思いをしてきただろう。
王族の色を受け継いでいないことで兄弟や父親から不遇な扱いを受けたかもしれない。
そんな彼が、兄弟父親を亡き者にしようと考えても不思議ではない。現にこの城の色を、まるで青色に何か恨みでもあるかのように塗りつぶしている。
部屋の中央にはピンク色のマットが敷かれていた。
アレクセー王は横の白い棚から一足の靴を取り出す。
「今日はこれで宜しく。」
差し出されたのは黄色いハイヒール。ヒールにはレースアップ用に長い紐が付いていた。
「え?、、、あ、あの。」
何時もの底がぺたんこな靴は? と魔王は聞こうとしたが、
「履いて。君のために用意したんだから。ほら、早く。履かないと消すよ?」
消すよって、あんた本当に怖いわー。今までやらされていたやつらに流石に同情するわ。
アレクセー王がこの役を任すのは目にとまった様々な職種の者達。あるときはメイド、あるときは庭師、あるときは皿洗いの少年。
彼らに共通するのは大抵ビクビクして弱々しい者達ばかりだ。
仕方なく魔王はハイヒールを履く。レースアップ用の紐を足首の上辺りまで結んだところでアレクセー王は首を傾けた。
「あれ? トーマス君、女装癖でもある?」
「え!? あ、いや、その。な、何の事でしょうか?」
「いや、普通にヒールの紐結べているから。」
しまった! 普段からハイヒール好きだから履き慣れてつい癖が!
「いや、その~。」
「あ、大丈夫大丈夫。私はそういうのに偏見は無いから。」
「そ、そうなんですか。」
まさか魔王であることより女装癖がある事の方がバレるとは思わなかったわ。
アレクセー王はピンク色のマットに寝っ転がった。
「今日はヒールの爪先で踏んでくれ。」
魔王はここに来て始めてこの役を押し付けられた事を思い出した。
あれは、始めてアレクセー王に謁見したとき。
ダニールと共に王城に上がったとき、他の研究員助手に混じって、魔王は弱々しいトーマスらしく常に後ろの方で顔を伏せてブルブルと震えていた。
すると、
「君! そこのもじゃもじゃヘアーの君! 素晴らしいね!」
いきなりアレクセー王は椅子から立ち上がり魔王に近づく。
魔王は一応演技として後退りしたが、ガシッと肩を捕まれた。
「ひぃっ!?」
ひきつる魔王をよそに嬉しそうなアレクセー王。
「こういう小動物的なのが良いんだのなぁ。」
次の日魔王一人王城に呼ばれ、扉を開けたらアレクセー王がピンク色のマットの上でうつ伏せで待機していた。
マットの側には琥珀色のエナメル靴が置かれている。
「これを履いて私の頭を踏みなさい。」
「え、、、?」
言われたことは分かるが、理解が追い付かなかった魔王がガチガチに固まっていると、
「君、まさか、王命に逆らうの?」
と言われたので慌てて靴に足を伸ばした。
履きはしたものの踏めとはどう言うことなのか、と迷っていると、アレクセー王はいきなり魔王の足首を捕み、自身の頭に靴を導いた。
ゾゾゾゾゾっと魔王の背筋にムカデが歩くような悪寒が這い上がってくる。
ぽんっと置かされたあと、アレクセー王は呟いた。
「も少し強く。」
仕方がないので、魔王は細心の注意を払い体重を掛けてみる。
「そうそう。そこでキープ」
この体勢で!?正直きついわ。
更には時折、
「気持ちいい。」
なんて下からくぐもった声が聞こえるものだから魔王は心の中で気持ち悪いをひたすら連呼していた。
思い出にすこし浸ってしまったわね。浸っても現実逃避にならない思い出に浸ってしまった。
少し躊躇し震えつつも魔王はアレクセー王の頭にそっとヒールの爪先を乗せた。
「もっと強く!」
アレクセー王が叫ぶ。
き、気持ち悪!!!
魔王は下から鳥肌が上がってくる気持ちを堪えた。
ここでやめたら処刑されかねない。
仕方なく魔王は体重をかけていく。
「ああ、いい。そこそこ。その強さでキープ。ああ、いいね。」
やっぱり気持ち悪い。
更にはこっちを見上げてくる。
「いいね。その顔。怯えている顔が最高だ。キャサリンの次に良い位だよ。」
やっぱりキャサリン王妃にもやらせてたのね。気持ち悪い。
アレクセー王の妃であるキャサリン王妃は既に亡くなっている。この変態アレクセー王にも子供はいる。王子が9人もいるのだ。
噂ではアレクセー王は随分とキャサリン王妃から怖がられていたらしい。それを解消させるためにキャサリン王妃に自らを踏ませたらしい。
てか、そもそもそういう行動自体が王妃を怖がらせていたんじゃないの?
とも思う魔王であった。
「でもやっぱりキャサリンの怯えた雛のような態度で踏まされてブルブルと震えている感じは出せないよなぁ。」
そうそう。無理だからいい加減この気色悪い趣味に人を巻き込むのはお止めなさい、とつっこみたいところだが耐える。
踏まれて嬉しがるMなのか、弱者にいつ死刑にされるか分からない恐怖を味わせるSなのか。多分後者ではないかと魔王は思う。
ふと、アレクセー王を踏みつつ魔王はアレクセー王の頭の横の白い首に目が行った。
このアレクセー王の細い首をハイヒールの踵で一気に踏みつけたら、殺せるんじゃないか、と。
こいつのせいで今もヒガリやダラハットの国民はシロリア王国で奴隷とされている。
白いうなじが目の前に晒されている。ハイヒールの踵は鋭い。あと少し足をずらせば、、、。
「イタタタタタ。」
アレクセー王の声が下から聞こえて魔王はハッと我に帰った。
「も、申し訳ございません!!!」
慌てて足を退ける。
「ああ、退けないで。もう一回。」
魔王はアレクセー王の希望の強さでアレクセー王の頭を踏んだ。
魔王は雑念を頭から追い出す。
落ち着きなさい、あたし。今こいつを殺してもこいつの出来の良い息子達が9人もいる。根本的な解決にならない。
成功させなければならない。生き残った彼らの為にも。
今は、まだ、、、。