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花と綺羅玻璃  作者: 雪山ユウグレ
第4話 歓迎会
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2

「ところで、メルたちとはどうだい。うまくやれているかな」

 鶏卵と玉葱を炒めたつけあわせの料理をつまみながらサクラがそんなことを切り出した。彼にとっては身内のことで、アズリにとっては上司から内々に任された時間外業務に関する内容である。あまり他の職員がいる場でする話ではないだろうが、今は宴もたけなわで2人の会話を気にする者もいない。

「うまくやれているかはちょっと分からないですけど、みんな優しいし、今のところ怪我をするようなこともないし、楽しくやらせてもらっています」

「それなら何よりだ。実はメルからも話は聞いているんだ。あいつはアズリスタルさんのことを随分気に入っているようだぞ」

「えっ……そうなんですか」

 本気で驚いたアズリが目を丸くすると、サクラはそれが可笑しかったのかくつくつと声を殺して肩を震わせる。

「意外、だったかい?」

「意外っていうか……僕が剣塾に行くようになってまだそんなに経ってないですよ。気に入るも何も」

「時間の長さは関係ないさ。一目惚れ、という言葉だってあるだろう?」

「ひとっ、ごほっ」

 飲み込もうとしていた水が気管に入った。それを見たサクラがさらに笑って、アズリは少々恨めしい気分で上司の横顔を見やる。果たしてこの年若い上司は、彼の妹がアズリにどう接しているか、その本当のところを知っているのだろうか。

 実のところをいえばアズリも気に入られていないとは思っていない。少なくとも職場内でのそれよりはまともな人間関係を築けているのではないかと考えている。ただしその関係性は監督と塾生、あるいは新人職員と上司の妹というどちらともいえない、とにかく何だか妙なものであるのだった。

「まあ……僕が何かメルキスの気に障るようなことをして迷惑をかけているようなことがなければ、それでいいです」

 水で薄めた甘い果実酒を一口含み、それを飲み下してからアズリはそれだけをサクラに告げる。謙虚だね、とサクラは自分のコップの中身を飲み干した。


   *   *   *


 アズリの力が見たい、とメルキスが突然言い出したのは数日前のことだった。それまで2人の目の前で激しく木剣をぶつけあっていたシェリロとエリークスもいつの間にやら興味津々という様子でアズリの反応を待っている。アズリはというと、当然というべきか何というべきか否と答えた。

「前にもちらっと言ったと思うけど、僕は剣術なんて全然できないよ。力を見るも何も」

「剣で勝負しようって言ってるわけじゃないよ。メルはアズちゃん先生が戦うとこを見たいの」

「ええー……」

 彼女たちが怪我をしないよう見守るのがアズリの役割だというのにそのアズリがたとえ剣を使わないとしても戦うのはまずいのではないだろうか。そう伝えてはみたもののメルキスは引き下がらない。

「だってさだってさ、先生いっつもメルたちを守ったり壁を守ったりしてるだけじゃつまんなくない?」

「つまらなくないよ、それが仕事だし」

「壁守るのがー?」

「それは君たちが道場の壁に穴を開けそうになるから」

 道場の壁は塞舎内の他の場所と違って木の板でできている。それがどうしてなのかアズリはここに通うようになってすぐに分かった。何しろ彼女たちの鍛錬は激しい。剣の一撃が壁をしたたかに打つこともあれば、勢い余って飛ばされた身体が壁に激突することもしばしばだ。もし道場の壁が他と同じ煉瓦でできていたとしたら、剣で削れたそれを直すのは簡単なことではない。そして何より丈夫な煉瓦の壁に身体をぶつければよくて打ち身、悪ければ骨を折りかねない。だから道場の壁は修繕しやすく適度に脆い木で造られているのだった。そうはいってもできることなら壁に穴を開けずに済ませたいのが監督という立場にあるアズリの本音である。結果としてアズリはいつも柔らかく砕けやすい結晶の防壁を展開することで壁や少女たち自身を守ることになるのだ。

 しかしメルキスはそれが気に入らないらしい。

「サクラ兄様がわざわざ連れてきたからすっごく強い人なんだろうなって期待してたのにさー」

「サクラさんはそういう紹介の仕方してなかったでしょ」

「秘めたる力とかがあるって思っていたのにさー」

「ないない」

「……ほんとにぃ?」

 ちろり、と一瞬だけ剣呑な光を宿した赤色の瞳がアズリの視界から消える。左の肩越しに風。アズリは自然な身体の動きで右に跳び、着地の瞬間に床を蹴って方向転換。右腕を大きく振ってそこにきらめく結晶の盾を出現させる。読みは違わず、次の瞬間にはそこにメルキスの木剣が叩き込まれていた。

「不意打ち禁止!」

 泣きそうな声で叫ぶアズリの周りに砕けた結晶の欠片が降り、一撃を防がれたメルキスは左手で木剣を弄びながら「むーん」と口先を尖らせて不満そうに唸る。

「弱くは、なさそうなんだけどなーあ」

 サクラのものより深く濃い色をしたその目はまるでガーネットだ。アズリがまき散らした結晶が夕刻の光を無秩序に反射させ、それがメルキスの目にもきらきらとした輝きを映している。シェリロが友人の肩に手を置き、今日はこれくらいにしておいたらと笑いながら声をかけた。エリークスはいつの間にか姿を消している。

「先生、強いんだよね?」

 散らかした結晶をほうきで掃いていたアズリに向かってメルキスは最後にそう尋ねた。彼女たちが帰るために開けた道場の扉からは塞舎本棟へと続く渡り廊下が見える。そこに淡く赤紫色をした光が差し込んでいるように思えるのは錯覚ではないのだろう。シェリロはすでに部屋を出て、渡り廊下から光の方角を眺めている。

「……多分ね」

 メルキスがアズリにどんな答えを期待しているのか、アズリには分からなかった。ただその真剣なガーネットの瞳に対してできるだけ真摯に答えなければならないと感じた。そっか、と呟いたメルキスはすぐに視線をアズリから外すと、踵を返して扉の方へ駆けていく。

「じゃあねー先生。また明日ー!」

 振り向きもせずに片手で別れの挨拶をする彼女をアズリはほうきとちりとりを手に見送っていた。


   *   *   *


 あの日、メルキスはどうしてアズリに戦いを挑んできたのだろう。アズリはまだ彼女たちのことを何も知らない。いつもふと気付けばヤイバシラを見つめているシェリロが何を考えてそうしているのかも、毎日いつの間にか現れていつの間にか姿を消しているエリークスが何者であるのかも。出会って間もないからというのは確かに理由にならないのだろう。

 物思いに沈んでいたアズリの横顔に向かってサクラが妹より淡く甘い色合いの目を少しだけ細める。それから彼は「でも、大丈夫そうでよかった」と静かに言った。アズリは顔を上げてサクラを見る。サクラはやはり静かな調子のままで続ける。

「少し心配していたんだ。君をピリコ先生の剣塾監督に推薦したことで、君に迷惑がかかっていないかと」

「迷惑」

「俺が君を依怙贔屓しているんじゃないかと、そう思われないか心配だったんだよ」

 けれど皆の様子を見るとそれはないみたいだ。サクラはそう言ってそっと周りの部下たちを窺うような目をしてみせる。ほんのりと朱く染まった目元はよくよく見るとひとつも笑みを浮かべていない。穏やかな口調で、笑う素振りを織り交ぜながら、このサクラという男は少しばかりぞっとするほど冷静に他人を見ているのだった。それに気付いてアズリは小さく息を呑む。

 気付かない方がいいことに気付いてしまったような気がした。しかし同時にそれはアズリが気付くべきことでもあるように感じられた。本当はきっと、知ろうとしない限り気付かないことだったのだろうに。

「サクラさん、あの」

「じゃあ俺はそろそろ上がろうかな。実はこの後他の部署の人と会う約束をしているんだ」

 アズリが声を掛けようとした矢先にサクラはするりと席を立つ。そしてそのまま振り返ることもなく確かな足取りで食堂から出ていってしまった。上司がいなくなっても宴の賑わいは変わらない。ただ少しばかり皆の話す声が大きくなったような気がする。ああ、とアズリはこっそり溜め息をついた。

「僕はどうしてこう、鈍いのかな……」

 呟き、コップに残っていた液体を2回に分けて空にする。甘い赤色の液体はサクラの目の色に少し似ていた。アズリは目を閉じ、眉間に寄せたしわを自分の指先でもみほぐす。周りに溶け込めない自分にも、それでサクラに気を遣わせてしまっていた自分に対しても腹が立っていた。それが分かっていてなお踏み込めずにいることに対しても。

 皿の上の食べ物もあらかた誰かの胃袋に収まった頃、アズリはそろそろ大丈夫だろうとこの場から離れることにした。誰かに何かを言われたら明日も仕事があるからと言おう。

 そう決めてアズリが席を立ち、あまり目立たないように気を付けながら食堂の外に出て一度ふうと息をついたときだった。

「アズリスタルさん」

 アズリと同じくほとんど素面のノイラが追ってきて、彼にしては珍しくほんの少しだけ焦った様子でアズリの肩を掴む。

「え、何」

「あの、夜も遅いですからひとりで帰るのはやめた方がいいですよ。おれも今日は塞舎に泊まるつもりですし」

「……夜ひとりで帰ったら強盗に襲われるとか、そういうこと?」

「はい」

 よくあることなんです、とノイラは特別嫌そうでもない普通の表情で言う。それが少しだけアズリの癇に障った。

「よくあっていいことじゃないよね、それ」

 酒精のせいもあったのかもしれない。口先を尖らせて言ったアズリにノイラは「それでもよくあることなんです」とさらに警告を発する。アズリを心配して言ってくれているのであればありがたいが、新人とはいえ塞都の環境や治安を守る役人の職にあって夜道の強盗を「よくあること」で片付けてしまうその感覚はアズリには理解できない。できることであればずっと理解せずにいたい。

「分かった、気を付けるよ」

 ありがとうノイラ。早口で告げてアズリはノイラの手を振りほどく。ノイラは一瞬だけ顔をしかめ、しかしそれ以上何も言うことはなかった。

執筆日2017/11/03

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