表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花と綺羅玻璃  作者: 雪山ユウグレ
第3話 剣と花々
5/16

1

 メルと呼ばれた少女がぴょんと弾む足取りで近付いてくる。

「珍しいね、サクラ兄様がこっち来るって!」

「ああ。……アズリスタルさん」

 サクラに呼ばれてアズリは白い髪の少女から視線を外す。改めて見るとサクラと彼と向き合うピンク色の髪をした少女は目元の雰囲気やその髪の色がよく似ていた。色白の肌も同じだ。違うのは髪を覆っているのが白地に紫色の刺繍が施されたバンダナであるか黄色っぽい革製の帽子であるかということくらいだろうか。

「紹介するよ。俺の妹で、メルキスという。塞舎(さいしゃ)の学徒なんだ」

 学徒ということは、塞舎内教育課管轄の学問所に所属する生徒ということなのだろう。覚えたての組織図を頭の中で引っ張り出しながらアズリはひとりで頷く。それからすぐに挨拶をしなければと気付いて口を開いた。

「あっ……え、ええと。アズリスタル=リーバスです。今日付けでサクラ課長の環境課に配属になりました」

「見れば分かるよ?」

 アズリの着ているフード付きケープを指差してメルキスは笑う。それもそうだ。塞舎の役人に支給される制服は課によってその形が違う。役割に合った服装を提供されているのだ。だからこのフード付きケープを着ているだけでその人間は環境課の職員であると分かるのである。指摘されたことに恥ずかしさを覚えて赤くなるアズリの横でサクラが「こら」と妹をたしなめた。

「そういう言い方は失礼だろ」

「そう? メルだったら気にしないけどなー」

「みんながメルと同じように感じるわけじゃないんだぞ。それにアズリスタルさんは今日が初仕事で緊張しているだろうし、疲れてもいるんだ。少しは気を遣いなさい」

「むー」

 メルキスは口を尖らせ、あまり納得していないようだ。やれやれと溜め息をつくサクラはやがて気を取り直した様子でもうひとりの少女を呼び寄せる。

「シェリロ。お前もこっちに来てくれ」

「はい?」

 白色の短い髪がふわりと揺れる。ずっとヤイバシラを見つめていた少女が振り返ると、彼女の髪を飾っているピンク色をした花飾りがさらりと音を立てた。大きなクリソプレーズの瞳がぱちりと瞬いて、それを縁取る長い睫毛がきらきらと光る。どっ、とアズリの胸から一際大きな音が聞こえた気がした。

「こんにちは。シェリロ=ヴァルストールといいます。メルと同じく塞舎の学問所に通っています」

 そういって少女、シェリロはアズリに向かって丁寧にお辞儀をした。

「あ、はい。こんにちは」

 つられて頭を下げたアズリの中にふと疑問が生まれる。先程一目見た瞬間にアズリは彼女とは初対面でないと気付いていた。しかし果たして彼女は本当にあの日出会った少女なのだろうか。役人登用試験の前日、サクラに引率されて街を軽く見て回ったあの日。アズリが憧れ続けていた結晶樹「ヤイバシラ」を目の前で見たあの日。そしてそのヤイバシラが皆の見ている前で突然崩れかけた、その日。

 アズリは受験希望者の集団から少し離れてヤイバシラを見ていた。そんなアズリと同じようにひとり佇んでヤイバシラを見上げている白い髪の少女がいた。ヤイバシラが崩れかけてその破片が降り注ぐ中、アズリは咄嗟に彼女を庇った。その淡い青緑色、まるでクリソプレーズの石のような大きく煌めく目が印象的だったのだ。

 あれから数日、今アズリに挨拶をした少女はアズリの記憶の中にある彼女に違いない。しかし彼女の方はまるでアズリに初めて会ったような顔をして澄ましている。そのことがアズリを急に不安にさせる。あの日以来色が変わってしまったままの左目がきゅう、と収縮するような感覚があった。

「あの、君……」

「サクラさん、今日は何のご用ですか?」

 アズリが話し掛けようとしたのを遮るようなタイミングでシェリロはサクラへと尋ねる。サクラはああ、と頷いてからまずアズリに今しがたメルキスとシェリロが出てきた別棟の部屋がどういう場所なのかを話してくれた。

 サクラが説明したところによると、ここは塞舎の学徒のために開かれた剣の塾なのだという。学問所の最高責任者である教育課長ピリコ=ソーズラッシュの直轄でありながら塞舎の組織とは離れた私塾という位置付けになっており、学問所の講義がない時間には所属する学徒が自由に剣の訓練をすることができるらしい。ということはつまりメルキスもシェリロもここで剣の鍛錬に励んでいるというわけだ。こんな若い女の子が、と思ってしまうのはアズリが塞都(さいと)に不慣れな田舎者だからなのだろうか。

「メル、今日はもう終わりなのか?」

「ううん、まっさかー。ちょっと休憩しよっかー、って出てきたとこ」

「ピリコ先生はいらっしゃらないのか」

「あ、なんか緊急招集かかったから今日は来られないって。朝のうちに連絡来てたよ」

「え、そうなのか? そうか……」

 サクラは少しだけ表情を険しくしたが、すぐに元の穏やかな顔つきに戻ってメルキスへと向き直る。

「だったらなおさら、お前たちの訓練を見守る人間が必要だな」

「見守る?」

「ああ、そうだ。先生がいないとお前たちはすぐに無茶をするだろう」

 ええー、とメルキスからいかにも不満らしい声が上がる。シェリロは何か心当たりでもあるのか少し苦笑気味の表情を見せ、そしてサクラはどういうわけかそこでアズリへと向き直った。

「アズリスタルさん。君にお願いしたいのは、この子たちの監督なんだ」

「はい?」

 そういえば用があるからと連れてこられたのだった。遅ればせながらここまで来た理由を思い出したアズリだったが、それでもなおサクラから告げられた言葉の意味を理解できずに困惑する。

 ここが塞舎の学徒が通うことのできる剣塾であることは分かった。普段は教育課長がいるが、忙しい身であるために今日のように留守にすることもある。そのような場合に塾生を見守る役割の者が必要だ、というところまでは納得できる。しかしそこでどうしてアズリにお鉢が回ってくることになるのだろうか。

 監督といってもアズリに剣の心得などあるはずもない。里での喧嘩は素手での殴り合いが主で、それもせいぜい子どもが取っ組み合う程度のものだった。あれは平和といえる環境だったのだろうな、と街でひったくりに遭ったばかりのアズリはしみじみ実感してしまう。

 それよりも監督の話だった。

「あの、課長」

「サクラでいいよ。何かな」

「サクラさん……僕に剣塾の監督はできません」

 うん? とサクラは首を傾げる。それはこちらがしたい仕草だ。

「僕は剣を持ったこともありませんし、見ての通り小柄で特に運動が得意というわけでもないです。僕には無理です」

「ああ、言い方がよくなかったかな。アズリスタルさん、俺は君に剣の先生になってくれと言っているわけじゃないんだ。あくまで彼女たちに危険がないように、ときに歯止め役としてそこにいてほしいということをお願いしている」

「歯止め役……ですか」

「君ならできるだろう?」

 何故。彼がアズリの何を見てそう判断したのか、アズリには皆目見当がつかない。しかしサクラはそれ以上の話は必要ないとばかりに「それじゃあアズリスタルさん、後はお願いするよ。みんなが帰ったら適当に帰ってくれて構わないから。時間外の申請は明日僕のところに直接来てくれ」と言いたいことだけを言ってさっさと渡り廊下を戻って元来た扉の向こうへと消えてしまう。

「サクラ兄様、行っちゃうの早すぎー」

 アズリとは異なるだろう思惑をもってメルキスが言う。込められた意味が違うことは分かりきっているがアズリは彼女の言葉に深く同意した。シェリロが不思議な微笑を浮かべながら「ひとまず道場を見ますか?」とアズリに声を掛ける。ここまで来てしまった以上そうしないわけにもいくまい。アズリは頷いて、シェリロの案内のもと別棟の扉を開けた。

 剣塾の道場はそこそこの広さをもつ部屋だった。環境課の待機室より間違いなく広い。天井も高く造られており、ここでなら派手に剣を振っても隣りの生徒に当たる心配は少ないだろう。壁は扉周りが漆喰で塗り固められている他は木の板が剥き出しになっている。煉瓦造りの建物が多いこの街で木の壁は珍しい。

 さて、道場内をぐるりと見回してはみたもののメルキスたち以外に塾生の姿もなく、監督として一体何をどうすればいいのかアズリにはまったく勝手が分からない。そこでメルキスたちにこれからどうしたいか尋ねてみた。

「じゃ、メルたちが自習のときにいつもやってることやるよ。それでいいでしょ」

「いつもやってることって」

「何事も実践が大事ー! ってことで模擬戦だよっ!」

 メルキスが輝くほどの笑顔で宣言したその背後でシェリロが壁の棚から2振りの木剣を取り出している。アズリの背を冷たい汗が伝う。今から目の前で2人の少女が木剣を打ち付けあうのだと考えるとぞっとした。

「い、いつもそんなことしてるの」

「アズちゃん先生、号令よろしくー!」

「アズちゃん先生って何!? ご、号令?」

「始め! って言って!」

「え、は、始め!」

 完全にメルキスの言いなりになって号令をかけると、次の瞬間にはもう木剣同士がぶつかる硬い音が道場に響いていた。だあん、と激しく床を蹴ってメルキスがシェリロの脇を通り抜けようとする。しかしシェリロはメルキスの目の前に木剣を出していた。すぐさまメルキスが自分の木剣でシェリロの剣を払う。シェリロはそれを予想していたのだろう。払われた剣をそのままぐるりと一周させてメルキスの背中をしたたかに打った。

「うっ」

 メルキスが小さく声を漏らすが2人とも動きを止める気配はない。体勢を立て直したメルキスが木剣を振り上げ、追撃しようとしたシェリロの足を止める。シェリロは木剣を一度自分の身体へ引き寄せ、それから改めて上段に構えてメルキスへと駆ける。シェリロの空いた胴に剣を突き入れようとしたメルキスの動きが不意に止まり。

「にゃっ」

 奇妙な声を上げてメルキスが後方へ飛びすさった。代わりに一体どこから現れたのか黒い影のような姿がひとつ、シェリロとメルキスの間に現れる。影は少しの音も立てずに床を走り、手にした剣でシェリロを攻め立てた。シェリロは突然の乱入者にも顔色を変えることなく木剣で攻撃をいなし、すぐさま反撃に転じる。

 何が起こっているのか、アズリにはもう分からない。シェリロにしろメルキスにしろ身体の動きが普通の少女のそれではない。鍛えている、と言ってしまうことは簡単だがそれにしても規格外だ。少なくともアズリの常識の中で護身術として身につける剣術の範囲からは大きく逸脱していて、つまるところ彼女たちは異様なほどに強すぎるのだった。

「先生!」

 びん、と道場の空気を震わせてメルキスの声が響く。アズリはすぐに己の失敗に気付いた。異様なほどに強い少女たちの模擬戦を同じ室内で見ているときに決してしてはならないこと、それは戦いから目を離すことだ。シェリロの木剣が黒い影を突き、避けきれなかった影が衝撃で弾き飛ばされる。アズリに見えたのはそれだけだった。

執筆日2017/09/21

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ