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花と綺羅玻璃  作者: 雪山ユウグレ
第8話 宣誓
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 リクィルの漏れ出している箇所を見付けて結晶化することで漏出を止めるところまではうまくいった。しかしどうやらそれだけでは終わらないらしい。アズリの隣で作業の一部始終を見ていたシェリロが視線をアズリの手元に向けたまま口を開く。

「アズリ先生」

「うん、分かってる。囲まれてる……よね」

 漏れ出していたリクィルが全て結晶となったことを確認した辺りから、アズリたちのいる建物の周りの路地にいくつかの剣呑な気配が生まれていた。息を殺しながらも激しく憤っている、そんな気配だ。気分のいいものではない。

「分かるんですね」

「意外だった?」

 はい、とシェリロはなんでもないように頷く。アズリは一度うーんと唸ってから「まあいいんだけどね」とシェリロの遠慮のない反応を頭から追い出す。今はそこにこだわっている場合ではない。

「ええと、不意打ちならもう失敗しているから。用があるなら話をしよう」

 そう周りに向けて言い放ち、アズリはしがみついていた壁から飛び降りる。ほとんど音を立てることなく黄色い煉瓦の道に降り立ったその隣に、同じようにバルコニーから飛び降りたシェリロがふわりと着地した。彼女がすでに剣を構えているのを見てアズリはそっと彼女の手に触れる。なるべく物騒なことにはしたくないのだ。

「黙っているならこっちから質問するよ。リクィル輸送管を壊したのは君たち?」

 アズリが問いかけて、返事はない。二人を取り囲む気配にも変化がないということは敢えて問うまでもなかったということなのだろう。ならば、とアズリは次の疑問を口に出す。

「なんで? たまたま何かをぶつけて壊したの。それともわざと」

 ぴゅっ、と高く短い音がした。アズリがわずかに首を動かし、その背後でまた別の音を立てながら何かが煉瓦道に落ちる。シェリロが拾い上げたそれは短い矢だった。

「わざとです、って意味でいいのかな。これは」

「矢毒が塗ってありますね。先生、かすっていませんか」

「大丈夫。でも……ええー……普通、毒矢なんて人に向かって撃たない……」

「撃ちますよ、塞都では」

 シェリロがさらりとそう言って、矢を布に包んでしまい込む。なるほど、証拠の品ということか。慣れているということが嫌になるほど分かる仕草にアズリは我慢できずに大きく息を吐いた。駄目だよ、と吐息に紛れさせた言葉は誰の耳をも素通りしていく。ゆるりと吹く風が夕色を乱し、そこへさらに煉瓦道を踏むざらついた音が混じる。見れば、辺りの煉瓦壁に紛れる砂色のフードつきの衣装を頭からすっぽりと被った一団がアズリとシェリロをすっかり取り囲んでいた。これなら遠目に見ればそこに誰かいるとは気付けないのだろう。

 やっと姿を現した相手のうち、手に小型の機械弓を持った者をリーダー格と見なしてアズリは声をかける。

「あのさ」

 それと同時にシェリロが駆けた。彼女の姿と携えた剣の軌跡が一体となって、一枚ひらりと宙を舞った砂色のフードを近くの煉瓦壁へと縫い止める。よく見ればフードには機械弓が巻き取られるように包まれており、シェリロが剣を引くと同時にそれは煉瓦壁を離れて彼女の足元に落ちる。シェリロはフードごと拾い上げた凶器を片手でアズリに投げ渡した。

「すごいね……」

 曲芸じみたことを難なくやってのける少女剣士に対して何と言っていいのか分からないままアズリはやはり片手で受け取った凶器入りのフードをどうしたものかと持て余す。しかしそれも束の間、砂色のフードの一団がめいめいに簡素な造りの剣を取り出したのを見て思わず「うわあ」と呆れた声を出してしまった。シェリロの技を見てもまだ向かってこようというのか、彼らは。

「なんで逃げないんだよ。逃げればいいのに」

「逃がしたら駄目ですよ。それにこういう人たちは逃げません」

 どういうこと? とアズリは視線でシェリロに問う。シェリロは軽く溜め息をついてからアズリの疑問に答える。

「まず、逃げても無駄だからです。リクィルやヤイバシラに関わる犯罪者を見逃すなんてこと、塞舎では絶対に許しません」

 そして、とシェリロは周りを取り囲む者たちに軽く視線を巡らせながら付け加える。

「逃げても無駄だと知っているから、こういう人たちは必ず強力に武装しています。目撃者を絶対に生かして帰さないために」

「あ、そうなるんだ……」

 また物騒な話を知ってしまった、とアズリは現実から目をそらすかのように視線を空へ向ける。それを隙と思ったのだろうか。一団が動いた。アズリはその動きを視界の端に捉えながら緩く身体を旋回させる。降り注ぐかのような斬撃をいなし、塞舎環境課職員の身分を示すケープに風を孕ませる。次の瞬間、砂色の一団は弾かれたように吹き飛んだ。アズリははあーと大きく溜め息をつく。

 どうしたものだろうか。そう考えているアズリの手には先程シェリロから受け取った包み以外に何もないが、わずかにこぼれた結晶の欠片が地面に散らばっている。砂色の一団はまだ誰も起き上がれず、せいぜいが寝言のようなうめき声を洩らす程度だ。シェリロがじっと黙ってアズリを見つめている。その視線が何より痛い。

「……見た?」

「一瞬だけ」

「……そう」

 寂寥感のようなものがアズリの胸の内にある。なぜなのかはアズリ自身にもよく分からない。逃げない相手なら捕らえなければならず、捕らえるには動きを止める必要があった。相手が複数なので一息にやらなければ無駄に長引くおそれがあった。そうなればアズリやシェリロが怪我をする可能性が高くなると考えた。それは嫌だと思ったからこうするより他になかったのだ。

「シェリロはさ、人を殴った後に虚しくなったことってない?」

 聞いても無駄だろうか。そう考えながらも口に出したアズリに、シェリロは少しだけ遠くを見る目をしただけだった。そこへばさ、ばさ、と何か大きなものがはばたく音が届く。見上げると二対の大きな翼を持つ獅子らしき影が夕刻の空から今まさに舞い降りようとしているところだった。

「えっ、ええと?」

 素直に驚きと疑問を顔と声に出したアズリに対してシェリロが「騎獣ですよ」とごくあっさりした調子で教えてくれる。

「きじゅう?」

「騎士の乗り物です。あの双翼獅子(マルキリオ)は……」

 黄金色に近い茶色の毛並みを持った獅子がアズリとシェリロの目の前に舞い降りる。塞舎の紋章が縫い取られた赤く長いマントを翻しながら、獅子に乗っていた騎士が地面に足を下ろした。マントと同じ色をした軽兜の下、見覚えのあるルビー色の視線がアズリたちを捉える。アズリが何か言うより早くシェリロが「セインさん」と騎士の名を呼ぶ。

「知り合い?」

 驚きを顔に出しながら尋ねたアズリにシェリロは「はい」とこちらも怪訝そうな表情で応じる。気付いたアズリが今日の昼間にセインと会ったことを説明しようと口を開きかけたところで当のセインがふたりの名前を呼んだ。

「アズリスタル、犯罪者の捕縛における迅速な対応に感謝する。シェリー、塞都の治安維持への協力に感謝する」

 やっぱりいい声をしているなあ、とアズリは相当に場違いな感想を抱く。事務的な口調で話しているにも関わらずそれは耳に心地よく、かえって感情が窺えないからこそ音楽的な響きを持っているように感じられた。人の声にしては完璧すぎる、とでもいえばいいのか。

「アズリスタル」

 その完璧な声がわずかに歪んで、アズリは自分が報告を求められていることにようやく気付く。

「あ、ええと。リクィルの漏れは応急処置しておいたし、僕たちがここに着いたときにいた犯人は全員そこにいるよ」

 アズリの指差した建物。その高い位置にある壁が淡い赤紫色の結晶に固められている様子を見て、セインは少しだけ目を細めて頷いた。橙と赤紫の光を映す横顔は屋内庭園にいたときより穏やかで、なおかつ凜々しくもある。ふと視線を横に向けるとシェリロが同じ色の光に染め上げられていた。それを見たアズリの胸、左肋骨の内側にじんと響くような何かが生まれる。痛みとも痺れともつかないそれはすぐには消えることなく長く余韻を引いて留まった。

「後は私が引き受ける。ご苦労だった」

 美しい声が冷徹な言葉を紡いでこれ以上は関わるなと暗に告げる。分かった、と答えてアズリは手の中の包みを、フードにくるまれた凶器をセインへと投げる。

「それも預けるから。彼らの持ち物。毒矢に気をつけて」

「ああ」

 セインの返事を聞き取って、あとはもういいだろうと俯く。シェリロが一度アズリに視線を向け、すぐにそれをセインへと戻した。セインは慣れた様子でフードの一団に捕縛・運搬用の魔法をかけ、翼の獅子にまたがり空へと駆け上がりながらふと気付いた様子で口を開く。

「そちらも気をつけて帰りなさい、シェリー」

 そうして翼の獅子を駆る騎士セインはまるで狩りの獲物を運ぶかのようにリクィル輸送管破壊の犯人と思しき一団をぶら下げて塞舎の方角へと飛び去っていった。実際、あの手の魔法は狩りでもよく用いられる。それにしてもそれを人間相手に容赦なく使うのは塞都ならではなのではないだろうか。アズリはそう考えずにいられない。さらにもうひとつ、アズリには気になることがあった。

「……シェリー?」

 二度。二度聞いたのだから間違いない。セインは確かにシェリロをそう呼んだ。愛称だろうということは見当がつく。しかしアズリはセイン以外の誰かがシェリロをそう呼ぶのを聞いたことがない。胸の奥がもう一度痛む。それが何を意味しているのか分からないアズリではないが、今はそれすらも虚しい。


 この街は。ここに暮らす人々は。

 ひとをひとと思っているのか、いないのか。


 急に風が冷たくなった。いいや違う、とアズリは小さく身震いしながら気付く。昨日の今日だ、さすがに過敏にもなる。この場にアズリたちだけになるのを待っていたのだろう。

「シェリロ、ひとりで帰ってくれるかな。大丈夫?」

 アズリが言うとシェリロはわずかに眉を持ち上げる。驚きとも怒りともつかない、ひょっとすると歓喜かもしれない不思議な表情だ。ただ見開かれたクリソプレーズの瞳が爛々と輝いているのを綺麗だと思う。

「アズリ先生こそ、おひとりで大丈夫ですか?」

 シェリロの唇が緩く弧を描いてそんなことを言う。君が焚きつけたくせに、とはアズリも敢えて口には出さない。代わりに少しだけ眉尻を下げて笑ってみせる。

「分からないけど、ひとつだけ約束するよ」

「約束ですか」

 シェリロが目を細めている。アズリを試すように、確かめるように、その言葉によってはその手に携えた剣で貫いてやろうとでもいうかのように。怖いな、とアズリは胸の内だけで呟いた。そして今のアズリに言えるただひとつの答えを口にする。

「今度は逃げない」

 シェリロの剣は動かない。代わりにその輝く瞳がふうわりと笑みを湛えた。虚を突かれてついまじまじとそれを見たアズリに対してシェリロは「分かりました」と喜色を隠さない声で告げる。さらにふふっと楽しそうな笑い声まで漏らす彼女の感覚がアズリにはさっぱり理解できない。どう考えてみても笑っていられる状況ではないし、アズリとしてはできることなら今度もやっぱり逃げ出したいのが本音なのだが。シェリロはアズリに何か恨みでもあるのだろうか。

「じゃあ、また明日」

 色々と観念したアズリはそう言ってひらりと手を振った。シェリロは笑みを浮かべたまま何も言わずに身を翻す。毛先を紅に染めた白い髪が跳ねるように揺れて、クリソプレーズの瞳がアズリに背を向ける。シェリロの姿が街並みの向こうに消えるまでアズリはそこにじっと立ち尽くしていた。

執筆日2019/09/11

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