〜かっこいい大人になるための物語〜
「社会人になったら、会社のために貢献して、いい家庭を築き、いいパパになるのが夢です。」
こうしてこの会社に入社してから、もう一年が過ぎた。
「おい西田。ちょっと来い。」
山本課長から呼び出し。今日3度目だ。次は何について怒られるんだろう。書類提出が遅れたことか。頼まれた仕事の出来が悪かったことか。何にせよ、いいことではないことは確かだ。
「お前、今朝言ったことができてないだろ。何で言われたこともできないんだ。あれっぽっちの書類作るだけなのに。仕事へのやる気があるのか。そんなんだったら仕事を辞めてしまえ。」
課長め。言わせておけば。おれだって言われたことをしっかりやりたいんだ。でもそんなに全ての仕事を要領よくできるわけがない。初めてのことばかりで、分からないものは分からない。
「分からないなら分からないってちゃんと言えって何回言ったら分かるんだ。報告、連絡、相談。これは基本だって何回も言っているだろう。」
分からないことは聞けだって?都合いい時だけそう言っておいて、いざ分からない時に質問しても結局「自分で考えろ!」の一言で終わりじゃないか。そう言われ続けた結果質問しなくなってしまったおれが悪いのかもしれないけど、質問しにくい雰囲気を作っているのはお前だろ。そんなことを頭に浮かべながら、ぐっと唾を飲み込み、歯を食いしばり我慢した。
新卒2年目のおれは、仕事も慣れてきて、スマートにスーツを着こなし、かっこいい営業マンになっている。そんな夢理想を描いていた。
しかし実際は、毎日上司に怒鳴られ、仕事を辞めたいと心のなかで叫び、でも辞める勇気もなく、仕事をダラダラとこなす毎日をすごしている。
こんな毎日があと40年近くも続くのかと思うとゾッとしさえするが、そんな先を考えるよりも今を生きることに必死で、心に余裕がなくなっている。
今日も山積みにされた仕事を裁くことに必死であっという間に時間が過ぎてしまった。ふと時計を見たらもう20時を回っていた。まだ仕事は残ってるけど、こんな所にずっといたら気が滅入ってしまう。家に帰ってから仕事するか。
「はぁ〜今日も疲れた〜。何で課長にあんな風に言われなきゃならないんだよ。相手が何を求めているか考えて仕事しろって言うけど、人に言う前に部下がどう思って仕事してるのか考えてみろよな。」
家に着くや否や、誰もいない部屋に向かって叫んでしまう。最近独り言も増えた。
会社を出る頃は家でしっかり仕事しようと意気込んで出てきても、家に帰るとソファに寝そべり、仕事へのやる気はすっかりなくなってしまう。この家に帰ると何もしたくなくなる現象に何か名前をつけたいくらいだ。
おれは、家に帰ると決まってSNSを見る。ご飯を食べるより先に、だ。SNSを見て自分の仲間を探すのだ。
#仕事辞めたい #死にたい
ハッシュタグを検索したら、ほとんどは冗談で投稿している人が多かった。
「早く休みにならないかな〜#仕事辞めたい」
「もう毎日辛いけど、がんばろ!#仕事辞めたい」
「宝くじ当てたら、南の島でのんびりカフェでもして暮らすんだ。 #仕事辞めたい」
仕事辞めたい、と投稿する人たちは、みんな色んな思いがあるんだろうけど、これだけの人が仕事辞めたいと思いながら働いてるんだ。みんな思ってることなんだし、おれも我慢して頑張るしかないか。
毎回そう自分に言い聞かせてSNSを閉じるのだが、今日は違った。1つだけ、みんなと違った投稿があったからだ。
「仕事が辛いなら、やめればいい。死にたいなら、小さく死ねばいい。そんな人たちを待ってます。土日だけでも来てみてください。#仕事辞めたい #死にたい」
なんだこれ。どっかの歌詞のパクリじゃないか。胡散臭い。と思いながらも、つい、返信してしまった。
「いつどこに行けばいいですか。」その一言だけ。
どんな返信が来るのかと楽しみに待っていたが、夜遅くになっても返事は来なかった。夕飯も食べずソファでそのまま寝ていて、気づけば朝になっていた。
シャワーを浴びて、歯を磨き、スーツに着替えて会社に向かう頃には、昨日の夜SNSに投稿したことなど、すっかり忘れてしまっていた。
しかし、おれが出社途中の電車の中で、SNSの主は返事をしてくれていた。
「あなたが本当に必要になった時、また連絡くれれば場所をお伝えしますよ。」
これはおれの、かっこいい大人になるための物語である。