iの日々
わたしは、お兄ちゃんがだいすきです。お兄ちゃんもいつも、わたしのことがだいすきだって言ってくれます。わたしを見るとき、お兄ちゃんはにこにこわらってくれます。そんなお顔を見ると、わたしもうれしいです。
わたしとお兄ちゃんは、いつも二人いっしょです。
お兄ちゃんは、わたしをだいじにしてくれます。わたしも、お兄ちゃんがだいじです。だから、お兄ちゃんとずっといっしょにいられるように、がんばります。
だから、ずっとわたしのそばにいてね。お兄ちゃん。
お月さまがお空でひかっています。
明るいお月さまを見ながら、わたしは、ずっとお兄ちゃんといっしょにいられますように、とおねがいしました。
妹は僕の全てだ。愛している。妹がいることこそがこの世界の価値であり、妹がいない世界なんて豆腐の入っていない豆腐の味噌汁のようなものだ。たとえ何を投げ打ったとしても妹さえいれば何も問題はない。
全ての物は妹を引き立てる舞台装置であり、全ての音は妹の舞台を飾るBGMだ。
妹は僕の全てであり、僕もまた、妹の全てなのだから。
無気力で無軌道で無関心な僕が、たった一つ本気で守りたいと思っている、世界で唯一の存在。
純粋無垢な僕の天使。君がそのままでいてくれるように、君が幸せであれるように、そんな君を傍で見つめ続けられるように、僕は僕にできる全てのことをしてみせる。
だからもう一度、僕に微笑んでくれ、皧。
君が笑ってくれたなら、今度こそ僕たちは永遠だ。
月明かりが差し込んでいる。
その光を見上げて、僕はよく知りもしない祈りの言葉を、妹のために呟いた――。
木枯らしも吹こうという季節。肌寒いこの時期、もしかしたら寝るのも楽じゃないかも。
「もう寝たかなー?」
静かに声をかけながら部屋のドアを開けると、妹の健やかな寝息が聞こえてくる。うん、よかったよかった。妹の安らいだ顔はぼくの心的栄養源だ。
そっと近付いて、起こさないように乱れた掛け布団を直し、そしてまた起こさないようにそっとドアを閉めてからリビングへの階段を上がる。あ、そろそろ電球が切れそうだな。
さぁ、これから何しようかな。
いつものことだけど、ぼくは妹――皧が眠った瞬間から、自分が何をすべきか見失うことがある。ちょっと前に流行った歌じゃないけど、リアルにぼくの二十四時間(一部除く)は彼女のものと言っても過言じゃない。それがぼくの幸せだ。
……さて。
そんな兄妹愛自慢を誰にともなくしている間にしたいことができた。明日の朝食でも作るとしようか。献立は……、そう、今回はシチューにしよう。
皧がそのかわいらしいマシュマロほっぺをパンパンにしておいしそうに食べてくれる姿を思い浮かべながら、ぼくは食材を調理する。肉だけは切るのが大変だったけど、これを食べて、皧には元気に一日を始めて貰わなくちゃ。
その為には栄養満点、愛情たっぷりのご飯を、ね。
鍋に苦労して切った肉と食べやすい大きさに切った野菜を詰め込んで、小麦粉を馴染ませてからぐつぐつと煮る。皧は牛乳苦手だから豆乳で代用して、と。とろみが付いたら味を調えて……完成だな。
明日も早いので、ぼくも寝ることにした。
明日は皧にとって、今日よりもっといい日になりますように。布団の上で毎日恒例の祈りを捧げてから、ぼくは満ち足りた気分で眠った。
「お兄ちゃん、いってらっしゃい」
「行ってきます。すぐに帰ってくるからね」
昼過ぎまでたっぷり遊んでから夕方、ぼくは出かけることになった。悲しいけれど、皧とは少しの間お別れだ。皧も少し寂しげな顔でぼくを見ている。
ぼくだってずっと一緒にいたいけど、さすがに食べ物が底を尽きてしまえば買いに行かないわけにはいかない。わかってくれ、皧。涙を飲んで外に出る。
「お兄ちゃん」
皧がドアの所までトテトテ走ってきて声をかけて来る。その走り方もかわいいなぁ……♪
「どうした?」
ニマニマしながら立ち止まると、皧は眩しそうに目を細めながらぼくを見上げている。だから、日光を遮れる位置にぼくは移動する。すると皧は、「ありがとう」と言ってから
「すぐかえってきてね」
と、泣きそうな表情と心細げな声で言った。
ズキュゥゥゥゥン!!!
はい、うちの妹は世界で一番、いや、もし他の星にも何かがいるなら、そいつらも含めた宇宙で一番かわいいです! 思わず抱きしめてしまう。ぼくにももらい泣き!
「大丈夫だよ、皧。お兄ちゃんはすぐに帰ってくるからね」
皧が頷いて部屋に戻って行くのを見届けてから、ぼくは玄関の鍵をかけて自転車に飛び乗る。免許を取っていれば車で行けて早く帰れるんだろうけど、教習所に行かなきゃいけないのがなぁ。その間(最短でも一時間半程度)皧を一人にしてしまうのが頂けない!
まぁ、要は早く帰ればいいわけだ。というわけで、ぼくはペダルを回して近くの青果店に急ぐのだった。
ペダルを回す冬の帰り道。
日が短いこともあって、まだそう遅い時間でもないのにもう夜みたいに暗い。皧が出て来ていたら寒い寒いと苦しませてしまうに違いなかったので、やっぱり留守番させておいて正解だったなと実感。皧は寒がりだからなぁ。
信号に捕まってしまったので、ぼくは電話をかけることにした。
『……ぁい、きよせです』
おや? ちょっとおねむだったかな。声が眠そうだ。
「皧、お兄ちゃんだけど。何もない? 平気?」
『もう。さっきもいった。だいじょうぶだよ』
「電話は? インターホンは? 窓から覗いてるやつとかいなかった?」
『うーん、わかんない。だっておへやにいるから……』
「あ、そっか。なら大丈夫だね。つまんなくない?」
『うん、へいき! こないだお兄ちゃんがくれた本よんでるから。えっとね、……』
青に変わった信号に従って自転車を走らせながら、皧の話を聞く。留守番中に退屈しないようにと渡した本を夢中で読んでいたらしい。ぼくが小学生くらいのときに読んでいた本だから一応内容は知っているけど、それでも皧の口から楽しそうに語り聞かせてもらえるというのは何だか嬉しいものがある。それにしても皧はお利口さんだな、ぼくが渡したその本にはふりがな付いてなかったはずだけど。
帰ったらまたいっぱい遊ぼうね、と言って電話を切って帰り道を急ぐ。
途中で、皧くらいの女の子がお母さんと二人で並んで歩いているのを見かけた。
お母さん、ね……。
まぁ、いいけど。
う~ん……、冬の風はしんどいけど、たまには皧も一緒にでかけてみるのも悪くないかも。そうしたら、もしかしたら皧の曇りのない目でぼくには気付きもしないような発見をたくさんしてみせてくれるかも知れない。
それじゃあ善は急げってことで明日どうだろう。うん、それがいい! クリスマスイルミネーションを見に行くのもいいかも? 帰ったら調べてみるか。
と、また信号だ。赤信号ばっかりだな。
「もしもし、皧?」
『ん、お兄ちゃん?』
「皧、すぐにそうやって言っちゃいけないよ? 悪い人がお兄ちゃんのフリをしてるかも知れないんだから」
『あ、そうだった。でもお兄ちゃん、たとえばわるい人ってどんな人?』
「う~ん……」
最近皧はその手の、いわゆる『なるべく耳に入れたくない系』のことに興味を持っているらしい。というか、何にでも興味を示すというか……。つぶらな瞳をキラキラさせて色んなことを聞いてきてくれるのは微笑ましくていいんだけど、たまにこう、答えづらい質問も来るのがなぁ……。
「そうだな、まず皧はかわいいからさ。皧のことを自分のものにしちゃいたい、いけないおじさんとかがいるんだよね。それと泥棒とかお金がほしいって言って皧のことを誘拐しちゃう人だっているんだ」
『う~ん、よくわかんない。でもあぶないんだよね』
「そうだよ。だから皧は、なるべく電話とかしない方がいいかも知れないね。頭のおかしいやつだったら家に入られるかも」
『ひとごろしとか?』
あどけない声でとんでもない単語が飛び出す。意味わかってるのかな。でも、確かに正しい。正しいというか警戒しておくべき相手ではある。
「そう、人殺しとかもいるかも知れないからね」
『ふ~ん、わかった。じゃあ、お兄ちゃんのでんわにだけ出る』
「うん、そうしてくれ」
そこまで言ったところで信号が青に変わったので、ぼくは自転車をまた走らせる。角の所にあるケーキ屋がクリスマスセールという事でサンタガールを立たせているスクランブル交差点を通り過ぎてしばらく行くと、また赤信号だ。こうも信号待ちが続くと、何らかの作為を感じてしまうのはいけないだろうか。
たまたま隣に地域の掲示板が出ていたので、暇潰しとして見ることにする。長いんだよなぁ、ここの赤信号。
……なになに、へぇ~、行方不明か。この二、三年の間に十人以上がこの近辺で突然いなくなっているらしい。その中には皧とよく似た顔をした女の子もいたりして、少し心配になってくる。
は、早く戻らないと!
さっき冗談で言ったようなことが現実になってしまったりしたら、えらいことだっ! 後悔してもしきれない!
よく知りもしないやつが何人行方不明になっていようと、そんなことよりも皧と離れている現状がぼくには問題だ。信号が青に変わったのと同時に、必死にペダルを回す。もし皧に何かあったりしたら、ぼくはもう生きてはいけない! 皧、お願いだから無事でいてくれ!!
この角を曲がって曲がって曲がって曲がって直進して曲がる直進曲がる曲がる曲がる……道のり長すぎる!
いつも通っている道のはずなのに、どうにもぼくと皧を引き離そうとしているように感じてしまうのはぼくの被害妄想? ぼくはただ、皧が家にいてくれることだけを願ってペダルを回した。
というわけでその数分後、息も絶え絶えに帰宅したぼくを、今日も何事もなく留守番をしてくれていた皧がいつものエンジェルスマイルで出迎えてくれた。
「おかえり!」
「……ただいま!」
満面の笑顔が嬉しくて、思わず抱きしめる。勢い余って抱きしめたままぐるぐる回る。皧も楽しそうだ。きゃっきゃ笑ってる。もうかわいいな~! 鼻と鼻をくっ付けると柔らかい。ふにふにしてる。
でも、ぼくの体力がないのか、皧が大きくなったのか、すぐに息切れしてしまってぐるぐる終了。ぜぇぜぇ、はぁはぁ。
「お兄ちゃんげんきなーい!」
「いやぁごめんごめん。ちょっと疲れちゃって」
「もやしー」
君だってぼくと同じ環境で育ってんだけどねぇ……。ていうか、よくもやしとか知ってるね。まぁいいや。色んな言葉を使う姿は何となく見てて微笑ましいから。
いやぁ、何もなくてよかった。皧のためなら、いくらだって取り越し苦労していいからね。
安心しながら買ってきた野菜や飲み物を台所にしまって、一息ついてから風呂の準備をする。
「お風呂沸いたら入る?」
「うん」
「じゃあそれまでお兄ちゃんとお話でもしようか」
「いいよー」
「わーい!」
本当は皧の方が読んでいた本の話をしたくてたまらなそうだったけど、きっとぼくが察していることを悟られてしまうと拗ねて話なんてできなくなりそうだから、あくまでもぼくが嬉しくてたまらない風で。というか楽しそうな皧の姿が普通に嬉しいから演技じゃなくて本気だ。
「じゃあね、さっきよんでた本のおはなしするね? ……」
それから風呂が湧くまでの三十分弱、皧は嬉々として留守番中に読んでいた小説の感想を話し続けた。少し難しいと思うしそれなりにハードな場面もある話だったけど、皧は問題なく読めたらしい。う~ん、それもそれで気になる。もう少し教育的配慮をしてから本を選ぶべきかも知れないな。あ、これ検閲に入る?
そうそう、このときに「明日どこかお出かけしようか」と誘ってみたら、これでもかという笑顔で「する!」と言ってくれた。そんな笑顔で返事されたら、誘ってよかったってものだ。
そして今、皧は一人で入浴中。ついこの間までは頭も体も一人じゃ洗えなかったのに。やっぱり人間日々進歩するんだと実感しながら明日持って行く弁当の準備をする。好物の玉子焼きを忘れずに、と。あとは適当に彩り重視で物を詰めていく。
うん、完璧。
明日が楽しみだ。
天気予報で調べておいたから予想外ではなかったけれど、今日はすっきりした晴れ。冬の時期にしては暖かい。
「でんしゃ!」
プラットホームの端で、皧が嬉しそうな声を上げている。滅多に家の外に出ることがないから、こういう交通機関とも縁遠い生活になってるんだよなー。ぼくは学生時代に痴漢と間違われた苦い思い出があるからあんまり電車は好きじゃないんだけど、皧が笑顔を見せてくれるならそれでいい。
『ホームと電車の間には大きく隙間が空いております……』
毎度お馴染みのアナウンスが流れて、皧は素直にもちゃんと足下を確認してから恐る恐る社内に乗り込んだ。ぼくもそんなかわいい動作を見届けた後で乗り込む。
休日の昼ということもあって、なかなかの混み具合。
窓の外を流れていく景色を物珍しげに見つめている皧。あ、窓ガラスに指紋がべったり。まぁいいか。
で、そんな皧を見つめているうちに目的の白濱駅に着く。今日はここから数分歩いた所にある白濱公民館近くの公園でクリスマスイルミネーションを見よう。広い公園なので、ピクニックもできる。
「ひろいえきだね!」
皧がそうやって目を輝かせているのはこの白濱駅がぼくらの地元駅に比べて本当に広いのもあるだろうけど、きっと出かけること自体が皧にとって数少ない楽しみだからだろう。なかなか一緒に出かけられないからなぁ。
駅の土産売り場でテレビによく紹介されるエクレアを皧にねだられて買う。決して安くはなかったけど、まぁおいしかったし。ほっぺにクリームつけた皧もかわいいから、いいか。うふふー。
駅前通りにはのんびりした平和な空気が流れている。学生時代使っていた駅にも似た、はっきり言って珍しくも何ともないこの雰囲気を、でも皧はどこか楽しんでいるようだった。昨日ここに出かけることに決まってから、ストリートビューでこの辺りを見ていたみたいだけど、やっぱりそうやって画面で見るのと生で見るのとでは違うってことか。
「あとどのくらい?」
「もうちょっとだよ」
しかし、目新しいものが多かった駅前通りを過ぎると、もう自宅周辺と大差ない景色になり、さすがに飽き始めているのか、もう何度目かになるやりとりをする。「もうちょっとだよ」と答えると素直に歩いてくれるけど、やっぱりつまんないかな。
そんなぼくらの隣では、法師も走るという暦の表記を思わせる慌ただしさで乗用車やらトラックやらが通り過ぎて行く。皧はトラックが大きな音を立ててぼくらの脇を通る度にびくついている。本人は気付かれていないつもりみたいだけど、そういうところも何だか愛らしい。
「皧、トラック凄い音だね。びっくりした?」
「してないよ。ちっちゃい子みたいだよ、お兄ちゃん」
ほぉ……、言ってくれるね。
皧も皧なりに多少ませてきているのか、最近ぼくの前で弱い面を見せたがらなくなってきた。それどころかこの間なんて、停電になったときにぼくにぎゅっとしがみつきながら、『こわくないようにいっしょにいてあげる』なんていう見え見えの強がりを言ってのけたのである。ちょっと前までは何をするにもぼくが一緒じゃなきゃ泣いてしまう子だったんだけどなぁ……。大きくなったよね、皧。
だから、こんな風に幼い面を見せてくれると、何だかぼくの知っている皧が戻って来たような感じで頬が緩んでしまう。やっぱり皧は大きくなっても皧なんだな、とか。ぼくの視線に気付いたらしい皧が、「こわくないからね」と必死にぼくの「誤解」を解こうとしてくる。そういう姿がかわいくてますますにやけてくるのを堪えるのが大変な件について。
でも、その間にも皧のまだまだ攻撃は続く。
「もうちょっと?」
「うん、もうちょっとだよ」
「もうちょっとなの?」
「うん。あと少しだよ」
「まだー?」
「もうちょっとで着くよ」
「ねー、あとどれくらいで、」
「もう少しだよ」
「もー着いたー?」
「…………」
ちょっと反応しないでみる。何なら皧が見えなくなった体でちょっと返してみようか。どんな反応するかな。
「あれ、皧? 皧どこ行った?」
「え?」
お、驚いてる驚いてる。
「どこ行っちゃったのかな~。え、まさか攫われた!? 皧! おい、皧!」
「……、お兄ちゃん?」
ちょっと焦ってきてる。ちょっとかわいそうだけど、そんな皧がかなりかわいいから、ついついぼくも調子に乗る。
「まだこの辺りにいるかも知れないから、探しに行ってみy、」
むぐむぐ。息がむぐぐぅ。
目だけ何とか振り返ってみると、視界の端で皧がぼくの口を塞いでいた。たぶんどうにかして自分に気付かせようとしたんだろうけど、慣れないことをしているせいか手のひらでぼくの口を、そして指でぼくの鼻を塞いでしまっている。やばい、このままじゃ気が付くどころか気を失ってしまう!
たまらず皧の手のひらを叩いてギブアップ。やれやれ、ぼくというやつはどうあがいてもこの妹には敵わないらしい。ぼくが気付いたと思ったときのエンジェルスマイルだけでよしとしよう。実質ぼくの方が戦利品を手に入れたようなものだ。
そんな風にぼくは和みながら、皧はまだ少し疲れたアピールをしながら、更に数分歩いたところで急にぼくらの左側が深い緑になった。住宅街の中にいきなり現れる、白濱グリーンラビリンスの入口。一応有名らしい人が付けた恥ずかしい名前のここが、今日のぼくらの目的地である。
「グリーンラビリンス! ついたね!」
訂正。皧が嬉しそうに呼ぶ時点でこの名前は福音だ。
白濱グリーンラビリンス。ここは全体としてごく普通の自然公園だ。住宅街のど真ん中にあるものをそう呼ぶのはアリなのかと思わなくもないけど、県で認められていれば大丈夫らしいので、まぁアリなのだろう。入口からしばらくは手軽に森林浴気分を味わえるエリアで、そこから奥に行くと様々な植物を見ることのできる広場に辿り着くのだ。家では珍しいくらいはしゃぎ回る皧を追いかけているうちにその森林浴エリアはあっさり通り過ぎてしまったけど。
「わー、おっきぃ! お兄ちゃんほら、おっきぃ木が並んでる!」
皧が興奮して指差しているのは、まるで空に届きそうなくらい高く伸びたプラタナスの並木道だ。
「すごーい、お空にくっついちゃいそう!」
……皧がぼくと同じレベルの発想力なのか、ぼくが皧レベルの発想なのか。せっかくこういう名前の場所だし、この謎も迷宮に入ってもらおう。この並木道はプラタナスもさることながら、道を彩る敷石もいい雰囲気を醸し出しているのだ。木々の間に置かれたベンチもいい感じで、まるで外国の絵画にでも迷い込んだみたいな錯覚があった。
グリーンラビリンスには、広場を起点にその敷地内をぐるりと一周するように道ができている。ぼくらはプラタナスの並木道から通り始めたから、上空から見て半時計回りに公園を歩くことになった。日本庭園風のスペースは皧の興味を引かなかったらしく、素通りすることになってしまった。家に帰ったら写真で楽しむとしよう。
「皧、五時半にはさっきの広場に戻ろうね。キラキラに間に合わなくなっちゃうから」
「うん! キラキラって、すごいキラキラかな」
どうかな、皧の目の輝きには敵わないかも知れないな。そう言いたくなるくらい皧が楽しみにしている「キラキラ」とは、今日この公園で行われるメインイベントのことである。
正式名称は忘れてしまったけど、広場からほど近い所にある通称ナチュラルピラミッド――公園の管理事務所――の壁で行われるプロジェクション・マッピングとクリスマスイルミネーションのイベントを見たくてぼくらは今日遠出したのである。このイベント、わりと多くの人の期待を背負っているらしい。現にさっきプラタナスの道に入る前、広場にはそのイベントに向けて、まだ数時間の猶予があるにも拘らず場所取りを始めている家族連れが多かった。
「あのおじさん、すごかったよね」
皧が言っているおじさん(たぶんぼくと同じくらいの年に見えるけど)は、昼食もその場所で済ませていた。ビニールシートをがっつり敷いている姿に驚くと同時にそんな長丁場なのかと少し焦ったりもしたけど、皧はまぁ、大丈夫だろう。
それから数時間。寒桜とか薔薇園とか温室とかを回っているうちに、ぼくが念のために作っておいた弁当は食べきられてしまい、夕食の準備までしていた「おじさん」の姿が何度かよぎった。でも、皧が玉子焼きをおいしそうに食べていたから結果オーライだ! 個人的にはパピルスを植物の状態で見られたのが感動的だったなぁ。
冬は日が傾くのが早い。辺りはもう真っ暗だ。
「あれ、もうちょっとでキラキラはじまっちゃうよ?」
大丈夫なの、という目でぼくを見つめてくる皧。まぁ、心配しなくてももう広場のすぐ近くで、たぶん三分あれば着くと思うんだけどね。
「皧、キラキラ楽しみ?」
「うん!」
公園を回っている間にぼくからイベントに関する情報をバンバン吸収していたおかげで(皧の質問攻めはわかっていたのでぼくもそれなりに予習しておいたのだ)、皧の期待は既に飽和状態だ。ひょっとしたら実物以上のものを想像しているかも知れないけど、まぁ企画者よ。プロならこの地球上最後の天使=ぼくのかわいい妹を満足させてみたまえよ。ぼくはイベント開始までこの天使の顔を眺めていましょうかね……♪
そして始まったイベント。名前は改めて言われていたけど、司会のお姉さんのマイクが音割れしすぎてよく聞こえなかった。オープニングセレモニーでは幼児に人気のキャラクターたちが特設ステージ上を練り歩いていて、皧も目をキラキラさせていた。ふむ、かわいい。そんな皧に釣られてぼくもニヤニヤしながらステージ上でじゃんけんをしている火星人とイチゴを混ぜたようなデザインの着ぐるみたちを見る。
数分で終わったセレモニーの後、多分野で活躍しているクリエイター集団が製作・監修したというイベントが始まる。まず登場したのはナチュラルピラミッドの壁で戯れる童話の登場人物たち。その楽しそうな様子に皧もすっかり釘付けだ。ぼくも、実際に設置されている窓が開いてその中から狼がニュルニュル出てくる映像には度肝を抜かれた。一瞬映像だってわからなかったよ……。
途中でいたずら者の時計ウサギが時間を止めて登場人物たちの帽子をどこか(といっても見ているぼくらにはわかるようになっっている)に隠してしまうところから話は帽子探しに変わる。全然関係ない所を探す彼らに「そこの草のとこだよー」と叫ぶ幼児の声が耳にビンビンだ。見つけかけてはまた隠されて、を繰り返した挙句、赤ずきん祖母が時計ウサギの時計を取り上げて、全員の帽子が回収されて大団円というよくわからない内容だったけど、皧は楽しそうに見ていた。皧が楽しいならそれが一番だ。セリフはなかったけど、お姉さんの若干マイク割れした実況のおかげでわかりやすかったし。
……はぁ、「たーいへん! ウサギがみんなの帽子を隠しちゃったよぉ~!」という甲高い声の実況がまだ耳に残って離れない。ぼく、ロリ声とかあんまり興味ないんだよなぁ……。
イベントも終わったし、帰るか。
そう思うのはもちろんぼくだけではなく、イベントが終わった直後から一気に人が引き始め、ぼくらもソレに続く形で帰路に就くことになった。ていうか、途中で弁当が必要になるような長さじゃなかった。よかった。そこら辺にも安心しながら、ぼくらは公園を後にした。
アルカイック期のギリシャ彫刻を思わせる笑顔をした小太りの園長に見送られながら公園を出てしばらく歩く。園内はイルミネーションとかで明るかったけど、外に出てしまえば十数メートル間隔の街路灯だけなのでけっこう暗い。でも、心なしかぼくの手を握る皧のふにふにお手てに力が入ってるみたいでちょっと幸せだなぁうへへ。すべすべお手て超癒し~!
「皧、帰りにお菓子買ってこうか」
「うん!」
うふふー、いいお返事だ!
ということでぼくらは、もはや駅構内で見かけないことがないくらいになり始めているコンビニに入って、愛想笑いが上手だけどどこか愛想のない店員さんのレジで皧の好きなチョコ菓子をいくつか買って帰った。
帰りの電車の中は、ぼくらと同じようにどこかに行った帰りだったのか疲れた空気が漂っていて、皧もそんな空気の中でうとうとしていた。で、ぼくがその寝顔を写真に収めたのは言うまでもない。かわいかったよ、皧! シャッター音を消すのは違法とか言うけど、それどこの管理社会?
電車から降りて、暗くなった街中を二人で歩く。また行きたいねーという皧のかわいらしい声を傍らに、ぼくはこうして外出できている幸せを噛みしめている。
見上げてみれば、そんなぼくの気分を更に盛り上げてくれるかのように星が綺麗だ。皧は星座にも興味があるようで、時々空を見ては「あっ、オリオンざ!」と指差したりしている。生きているのか死んでいるのかわからない光。それが皧をこんなにも笑顔にしているのなら、それだけでこの夜空には価値がある。
「今度、あったかい恰好してお星さま見に行く?」
「いく!」
「よーし」
街灯に照らされた曇りのない笑顔は、出不精で寒がりのぼくにちょっとした努力を決意させるのに十分だった。頑張ろう、主に防寒面。
隣で皧が笑っている。
今はそれでいい。
家に着くと、早速帰りに買ったお菓子を食べることにした。
何の気なしに点けたテレビではローカルニュースが放送されていて、行方不明になって今日で一年になる、藍田 沙弥とかいう女性の顔が映し出されていた。
何か彼女がどういう人だったかとか交友関係とか友人のコメントとか恋人の話とか情報提供の呼びかけとか、まぁまぁ対岸の小火みたいな内容のことが次々と流れている。と、いつものようにぼーっとテレビ画面を眺めていた皧が口を開いた。
「この人、お兄ちゃんにそっくりだね」
「そう?」
「うん、にてるよ?」
……そんなに似てるかな。だってそもそも性別が違うのに。でも、まぁ皧がそういうんだったら案外ぼくとこの人は似ているのかも知れない。
むむむ、そう思うと何だか無関心ではいられなくなる程度にはぼくもお人よしらしい。そして、その頃にはもうニュースは別の話題に変わってしまっていたので、間も悪いようだ。別に直したいとは思わないけど。
「そうだ、お兄ちゃん。今日お兄ちゃんがごはんつくってるときね、テレビで何でもおねがいごとをかなえてくれる黒い洋服のおじさんのお話やってたよ? おねがいかなえてもらった人もいっぱいいるんだって!」
「へぇ~。たとえばどんなお願い?」
……ちょっと考え事をしてると、もう皧の話題は別のところに移っていた。でも、新しい話題について目をキラキラさせている皧がやっぱりかわいいから、そのキラッキラな目にしゃぶりつきたいのを抑えながらも、ぼくたちは新しい話題に入って、さっきの行方不明者なんてとっくに忘却の彼方なのだった。
その後はというと、皧の歯を磨いて部屋に送ってから、少し話したり勉強を見たりして、皧が眠たげになったところでぼくは部屋を出るという、まぁいつも通りといえばいつも通りの流れになった。
「おやすみ、皧」
「うん、おやすみ」
やっぱりぼくの妹は世界で一番かわいい♪ 少しにやけながらぼくは皧の寝室を出て、鍵をかける。
自室に戻って、ベッドスタンドを点けてぼーっとする。今日は何だか、ぼくも疲れた。
今日という日を、皧は楽しむことができただろうか。
明日は今日よりもっと楽しい日になるといいね、皧。
皧がぼくの傍にいて笑ってくれている、そのことがぼくの幸せであり、この世界の存在意義なのだから。
世界の誰よりも、ぼくは君を愛している。
初めまして、遊月奈喩多と申します!
梅雨が明けるのか明けないのか、よくわからない地域在住の文章好きです。
ここで本編の補足的なあとがきを書いてしまうと今後それに甘えてしまいそうなので、あえて関係ないことを書くつもりでいろいろ考えていたのですが、それを意識し過ぎて頭が真っ白になっています(笑)。なので1つだけ本編に関係のあることを。
ジャンルはあくまで作品全体を考慮したジャンルです。「何だこの話、ホラー要素皆無じゃあないか!」と思った方、ご安心ください(思った方がいらっしゃれば)!
私にも主人公と同じように溺愛している兄弟がいるのですが(私の場合は弟です)、この主人公が私自身をモデルにしているというわけではもちろんありません。我が家はほどよい距離感を保っています。
閑話休題。
この兄妹がどうなっていくのか、見守ってくだされば幸いです。
ではではっ!




