第2話 災難の始まり
いよいよ主人公が波乱の日常へと足を踏み入れます。
――4月。第一火曜日。――
「いってきまーす」
昨日と同じように僕は恵と学校へ向かった。
何人もの生徒が同じ格好をして、同じ方向へとむかってゆく。
その途中、恵は僕の腕に抱きつきながら聞いてきた。
「ねえ、お兄ちゃん?」
「なんだ?」
恵が楽しそうにする一方、僕は周りの視線が気になって仕方がなかった。
「あのさ、今日のお昼ご飯の時間、ヒマ?」
「は?」
「お兄ちゃんがヒマなら、一緒にご飯食べようかなって思ったの」
何かめんどくさい事を聞いてきたな。
僕は基本一人で食べている。なぜなら友達がいないからだ。
「別に一緒に食べなくてもいいだろ?」
「いいじゃん!麻里もそうしたいって言ってたよ!」
「麻里?」
聞いたことない名前だな。友達か誰かなのか?
「あたしの友達。すっごい可愛い子だよ?」
そうは言われても、別に可愛かろうがなんだろうが僕には関係ない。
「同じおかずの弁当を一緒に食べる必要ないと思うんだけど…………」
「ダメなの?」
恵は世間で言うところの上目づかいでこちらを見てきた。周りから見れば絶対可愛いと思われるような仕草だったが、僕はそんなのどうでもいい。
「まあいいか。気が向いたらそうしてやるよ。だからまた今度。な?」
そういって僕は恵の頭を撫でた。
すると恵はふくれっ面をして、何だか満足しない様子で学校へと向かっていった。
僕は教室に入った。
そこにはいつもと変わらない風景が広がっている…………はずだった。
しかしなぜか、正面の窓ガラスが一枚割れていて、床には野球ボールが転がっていた。
そんなことあんのかよ。と一瞬思った。アニメかドラマのワンシーンか?
ガラスの破片は内側に飛び散っていて、大部分の生徒はそこに距離を取ってそれぞれのやりたいことをしていた。
まあ、正しい判断だろう。割れたガラスを触って怪我したら大変だからな。
こんなアニメみたいな展開は現実に起こりそうにもないのだが、どうやらそれは目の前で証明済みのようだ。
しばらくして朝学活が始まり、先生の話があった。それによると、案の定野球部の誰かさんが、練習中に割ってしまったらしい。放課後に学校専属の修理業者が来るそうだ。
「なんか、面倒くさい事になったな」
そう言って自分の席に着いた。
僕としてはそんなことどうでもよかったのだが、ガラスに空いた穴から春の風が我先にと入って来ようとするため、口笛のような音がしたりプリントが吹っ飛んだりといい事がなかった。
その後、先生が慣れた手つきでガムテープを貼った。これで一応穴はふさがった。
朝学活が終わった後、僕は江須羽に約束の本を渡すことにした。
「江須羽、これ、昨日の」
ぼーっと座っている彼女を見下ろしながら本を差し出す。
しかし彼女はその約束を忘れていたかのように「あっ!」となって立ち上がった。
「えっと、持ってきてくれたの?ありがと~」
約束したんだから当然のことだ。でもお前、忘れてたよな?自分で言ったくせに。
それなのにも関わらず、彼女はなんともない素振りで本を読み始めた。
思わずため息。
これだから女の子ってのは…………。
――同日。6時間目終了後。――
1日が終わった。
なんだかんだいって今日は一日が終わるのが早かった気がする。気付かないうちに居眠りでもしていたのだろうか。
帰りの学活が終わって昇降口を出ると、そこに業者の車が来ていて、ガラスが入れてあるであろう大きめのケースと、作業道具を持って一人で学校の中へ入って行った。
修理を一人でやるのか大変だな。まあ何かしらの機械を使うんだろうけど。
日本の製品の安全性は世界に誇れる。国産の製品はどれも評価が高く、いろんな製品においてシェアを伸ばしつつある。窓についても例外ではなく、頑丈かつきれいに作られていて、たとえ割れたとしても、人に危害が及ばないようになっている。
それに加えて、業者の人が手作業できちんとやるとすれば、もう完璧といっても過言ではない。この学校専属の業者なら、ここに長く務めているはず。当然学校からの信頼も厚く、高い技術力を持っていると思う。
まあ直してくれるのならなんでもいっか。
それ以上は考える必要がないと思ったので、校門へと向かうことにした。
校庭では今日も野球部が練習をしていた。
また今日も割ったりするなよ?
そう思いつつも家に向かった。
――4月。第一水曜日。――
朝の八時十分ごろ。
僕と恵は家を出て、学校へと向かった。
いつも通りの他愛もない会話をして、周りの人に変な目で見られ、恵が腕から離れると安堵の気持ちに包まれる。
そして教室に入るとまた同じ窓ガラスが割れていて、床には野球ボールが転がっている。
「またかよ!」
何でまた割ったんだ?しかも、よりによって同じ窓を。これは偶然か?それとも意図的に?
………まあいい。僕には関係のないことだ。
そうやって自分の席に座ろうとしたのだが、何やらクラスの様子がおかしい。
いつものにぎやかさが全くなく、何か恐ろしいものを見ているかのようだ。
それに皆が同じ方向を向いている。不思議に思って僕はそれをたどって皆が見つめる先、つまりは校庭を見た。
そこには巨大な魔法陣が描かれていた。
「……何だこれは?」
あまりの唐突な出来事に、数秒思考が止まった。しばらくして、現実が追いついてきた。
何故こんなものが校庭にあるんだ?
「………魔術か?」
魔術、それはファンタジーなんかで良く出てくる空想上の力。呪文、儀式などといったもので、何らかの変化を生みだすものだ。魔法陣もそれを生み出すための要素の一つで有名だ。昔からあると信じられているが、科学的に証明できないし、存在するなんて思っていなかった。
校庭にあった魔法陣は木の棒で地面に線を描いたようなもので、軽く見積もってもざっと半径20メートルはあるだろう。
何故魔法陣が校庭に?
何故同じ窓が割られているのか?
窓が割れているのと校庭の魔法陣は何か関係があるのか…………?
これは偶然なのか?
よくわからない気持ちのまま僕は自分の席に着いた。
そしてクラスは大騒ぎとなった。
探偵を気取って推理を始めるものや、この学校に呪いが掛かったなど大声を出す者もいる。先生が皆を落ちつけようと頑張ったため、何とか騒ぎは収まった。
「誰かのいたずらの可能性がありますので、知っている人はいませんか?」
「先生!野球部じゃないんですか?」
早速質問が出る。
「えーっと、野球部ではありません。割ったという報告がなく、昨日6時ごろ用務員さんが見回りをしたときには割れていなかったそうです。」
「夜に誰かが忍び込んで、割ったということですか?」
「監視カメラには、特に不審な人物が映っていませんでした。その他特にありませんが………」
その後いろんな質問が出て、あれこれ話しているうちにチャイムが鳴った。
結局、割った人の見当もつかず朝学活が終わった。そのあと皆がそれぞれを疑いの目で見るようになったのは言うまでもない。
割れた窓は、昨日と同じようにガムテープでふさいで授業を開始した。
学校側は、この事件を重度のいたずらとして片づけるつもりのようだ。個人的に調べてみたかった魔法陣も消されてしまった。あったらあったで野次馬が出てくるだけなんだろうけど。
――同日。昼休み開始直後。――
昼食の時間になったので僕は食堂へ向かった。
この学校は基本的に弁当持参である。だけど自由に食堂を使ってもいいようになっている。僕もいつもは弁当なのだが、朝が忙しかったため、今日は恵の分の弁当しか作っていない。
みんなが教室にいるため、一人で食堂に向かった。同じクラスにも行く奴は数人いるけど話すのは苦手だからな………。
今日のメニューは人気がないのかあまり人がいない。いつもはにぎやかなのだが今日は何だかひっそりしている。
特に気にせずカウンターの人に食券を渡し、出てきたオムライスをテーブルに運んだ。大人数が座れるように横に長くつくられたテーブルだが、僕以外誰もそこで食べようとしていなかった。
椅子に座った時、カウンターの方に江須羽が見えた。
あいつもか。友達と来たのかな?と思いつつもオムライスに視線を戻し、昼食を食べようとした時だった。
「手押も来てたんだ。偶然だね」
江須羽が目の前にいた。
お前さっきまで向こうにいたはずだろ?どうやってここまで来た?僕の見間違いか?
いいや、それはない。江須羽のような女子はほかに見間違えるはずがない。
しかも偶然とか言っておきながら、まるで最初から知っていたかのような顔をしている。こういうのよくありそうなんだが………。
何と言おうか迷っていると、すごく嬉しそうな顔で言ってきた。
「そうだ!一緒に食べない?」
「お前、友達とは来てないのか?そいつらと食べればいいと思うんだけど」
「え?私一人だよ?」
当たり前。といった顔をしている。
「そうか。ならなんでもない」
彼女は僕の前に座った。まだいいよなんていってないんだが……。
何か面倒な事になりそうだったので僕は隣の席に食事ごと移った。
「あっ!ちょっと何で逃げるの?」
同じようにして江須羽がついてくる。それを見た僕はさらに隣に移った。
「僕は一人で食べたいんだ。だからついてくるな」
「え~。いいじゃん一緒でも」
江須羽も隣へ移る。
それを見て僕はさらに隣へと移った。
すると江須羽はまた隣へ移った。
僕は隣へ。
江須羽も隣へ。
その繰り返しがテーブルの端まで続いた。幸い人がいないテーブルだったので邪魔になることはなかったが、何人かがこちらを変な目で見てきた。
「ねえ、何で逃げるの?」
「言っただろう?僕は一人がいいんだ。教室の騒音から逃れて静かに食事がしたいんだよ」
……まあ正確にはお前からも逃れて、あの魔法陣についてじっくり考えたかったんだけどな。
「だからって私からまで逃げる必要ないじゃん」
「なんか厄介事になりそうだからだ。特にお前とかな」
江須羽はむすっとした顔で言う。
「なんでそうなるの?意味わかんない!」
「昨日のお前が言った言葉が原因だ。自業自得じゃないか」
「冗談よ!本気にするわけないじゃん!」
そうは言われても、女の子の冗談はどこまでがそう言えるのかよくわからんからな…………。
「あーもう!面倒くさいな!」
この言い合いは長く続きそうだったので、すばやく作戦を立てるとすぐ実行に移った。
「この電車は~当駅にて折り返し運転を行いま~す」
そう言って僕は今来た道を戻り始めた。
当然ながら江須羽付いてくるわけで。
「待ちなさいよ!」
今度は僕の動きを予測し始めた。先周りに近い感じで僕の前の席に座ろうとしてくる。
しかしそんなものを繰り返すために僕は折り返し運転をしたわけではない。
つまり、横に移動するだけではないということ。
このテーブルは横に長く、平行にいくつか置かれている。それを利用した。
テーブルの真ん中あたりに差し掛かったのを見計らって立ち上がると、そのまま回れ右をして隣のテーブルに移った。
「あっ!ずるい!」
「よし!作戦成功!」
横に長いテーブルの真ん中から向こう側のテーブルに移動するのには時間がかかる。けれど、乗り越えるわけにはいかない。
さすがにここまでしたら諦めるだろう。そう思って静かな食事を始めようとしたのだが、
「つ~かまえた!さあ一緒に食べよう」
「おわっ!」
いつの間にか前の席に移動していた。何でそんなに移動が速いんだよ!
もう僕は逃げることを諦めた。これ以上やっても効果がないだろう。僕は頭を抱えた。
しょうがない、ここで食べるか。
精神的にもだいぶヘトヘトになった。一方彼女はとても楽しそうに食べている。なぜだ?
気になったので聞いてみた。
「なあ、何でそんなに楽しそうなんだ?あんな追いかけっこしたあとなのに」
帰ってくる言葉が意外だった。
「だって手押と一緒に食べれるんだもん♪」
「それ、どういう意味だ?」
何気なしに聞いたつもりだった。
すると江須羽の動きが止まった、と思ったら急に顔が赤くなっていく。
「ふぁっ?え、ええっと」
彼女の動きがだいぶ変になってきた。
「で、何でなの?」
もう一度聞くと、もう完全にパニック状態になってしまい、何をしたいんだかわからなくなってきたように見えた。
「べっ、別になんでもいいでしょ!わっ私はただ手押と食べたかっただけなの!」
大声で叫ばれた。食堂のマナーはまもりましょうね。
というかそれ理由になってないぞ。
「だから何でなのかを聞いているんだが………」
「だ、だから、さっき言ったでしょ!そのまんまなの!」
「はぁ~」
なんか会話にならんくなってきたな。
「僕と食べたい理由はなんでな…………」
「もう、うるさいっ!馬鹿っ」
「なっ………!」
こいつこんな奴だったっけ?熱くなると雰囲気が変わるな。
理由は全く聞けそうにないが、僕と食べたいのは何故だ?あの魔法陣の話でもしたかったのだろうか?みんなには言えないが、実は推理小説が好きで、自分なりに考えた推理を聞いてほしかったとか?そんなわけないよな。
そして気付いた。
冷静になって周りをよく見てみると、皆がこちらを向いていろんな表情をしている。
どうやら今までの事は全て生中継でみんなが見ていたようだ。それぞれがひそひそと話している内容は聞かなくても大体わかった。
何でこうなるんだ………。
さらに時計を見ると、もう昼食の時間終了まで一分もない。なんだかんだでかなり時間を使ってしまったようだ。
「おい江須羽。お前ご飯早く食べないと………」
しかし彼女はもう食べ終わっていた。さっきの恥ずかしさあまりにやけ食いでもしたのだろうか。
「………食べるの早いな………」
「誰かさんが遅いだけでしょ?」
そう言って彼女は食器を返却しに立ち上がった。
全くもってその通りだ。僕があんな逃げまくるなんてことをしなければ間に合ったんだろうな。
自業自得だ………。
仕方なく僕は急いで食べ終えると、食器を返却して教室に戻った。
――同日。6時間目終了後。――
帰りの学活が終わり、帰る支度をしていると江須羽が本を返してきた。
「手押!これありがとう。結構おもしろかったよ」
食堂での出来事が一瞬浮かんだが、江須羽がそれについて何も言ってこないので普通に返事することにした。
「だろう?この小説は一番のお気に入りなんだ」
この小説は本当に面白い。共感してくれる人がいて僕は嬉しかった。
とここで彼女が言うであろうセリフを予想したのだが、それが見事に的中した。
「二巻もある?あったら貸してほしいんだけど……」
予想通りの展開に頭の中でため息をついた。
「…………まあ…いいよ。じゃ明日な」
それを聞いた江須羽の顔がぱーっと明るくなる。
「いいの!?やった!」
そう言って、嬉しそうな顔をしながら彼女は自分の席に戻った。
貸しても貸さなくてもよかったが、この際いろんな意味で貸しを作っておくことにする。
帰りの支度が終わった。さあ帰ろう。
僕は早いとこ家に帰りたかったが、教室を出ようとしたところで止められた。
「待って!下まで一緒にいかない?」
江須羽が走ってくる。一緒に帰る必要なんてないだろうに。
僕はため息をつきつつ、階段を下りはじめた。江須羽が隣に並び、僕が貸した小説の話をしてきた。その本がだいぶ面白かったようで、夢中で話をしている。
わかるよその気持ち。そういう本を読んだ事を誰かに言いたくなるよね。面白かったりしたところか夢中で話したくなるし。特に同じ本を読んだ人になんかなおさらだ。
本当に夢中になっているのか、彼女は足元に注意をしていなかった。
なんか危なっかしい感じだな。そのうち転ぶんじゃないか?と思っていたのだが、
「わあっ!」
予想通り彼女は、足を踏み外した。
「おおっと。大丈夫か?」
しかし事前に予測済みだったので、なんとか支えることができた。
「気をつけろよ。階段でよそ見は危ないからな」
「……うん……ごめん……」
彼女は顔を真っ赤にして下を向いてしまった。あんなことがあったら誰だって恥ずかしいだろう。
「まあそんなこと気にしないでさ、早く行こう」
下駄箱に着いて上履きを脱いだ。扉が勝手に開いて外履きが出てくる。それに履き替え終わり、昇降口を出ると業者の車がとまっていた。
中から重そうな荷物とケースを取り出して、一人で学校に入って行った。今日も仕事を頼まれたんだろう。2日目ご苦労様です。
というより車のカギを閉めていないようだが、大丈夫なのか?まあ、わざわざ学校まできて車を盗んだりする人はいないか。それに今の防犯システムは完璧だしな。
だけど、窓を割ったやつはそれすらもくぐりぬけてきたということになる。
「防犯システムか………」
校庭で野球部が練習しているのを見て、僕は足を止めた。
「犯人、誰なんだろうな」
「何の?」
江須羽はキョトンとした顔でこちらを見た。
「あれだよ。今朝の魔法陣の」
「ああ、あれね。わかんない。でも先生たちが何とかしてくれるでしょ」
「………そうだな」
日が傾き、少しずつ暗くなってゆく西の空はオレンジ色に染まり、明日の天気を告げていた。その下を掛け声とともに野球部が駆けていく。
大戦前も同じように夕焼けを見れたのかな?
そんなことを考えながらも再び足を進めた。
何の会話もなく歩いていると、すでに校門まで来ていた。
江須羽とは帰る方向が逆なので、ここで別れることにした。
「じゃあな江須羽。また明日」
「うん、じゃあね手押」
何だかとても面倒くさい事に巻き込まれそうな気がしたが、気にせず家に向かった。
「ただいま~」
「おかえり~」
家に着くと恵が夕飯の支度をしながらテレビを見ていた。
テレビではたった今アニメが終わって、夕方のニュースをやっていた。
「えー続いてのニュースです。あの《新しい時代の創造》がまた新たな技術を発表しました。この研究は今、世界中の科学者から注目を集めています」
テレビの映像が切り替わる。
「カドコニウムと呼ばれるその金属は、《新しい時代の創造》に所属している日本人、門戸明人さんによってつくられました。この金属は特殊な性質を持っており、離れた位置に一つずつ置き、双方に電流を流すと二つの相対位置が固定されるというものです。リニア中央新幹線に使われている超電導と似ていますが全く違っていて、磁力を発生させず、また二つの金属間にどんな距離があっても相対位置が固定されます。この研究の応用によって、新たな飛行技術が開発できると専門家の間では期待されています。では次のニュースです。財務省が今年度の…」
「へぇ~すごいな」
「お兄ちゃんこういうの興味あるよね。大人になったら《新しい時代の創造》にでも入ってみたら?」
「入ってみたいけど、無理だな」
最先端の技術を次々につくりだす科学技術結社《新しい時代の創造》。僕は科学にはある程度興味はあるけれど、そこに入るためには、どれだけ勉強しなければならないのか想像もつかない。
それにあの第三次世界大戦を止めたのだ。普通の人間が入れるわけがない。
遠い夢に憧れつつも僕はリビングを出て階段を上り、自分の部屋に入った。
いつも通りベッドに寝っ転がりたかったが、ふと魔法陣の事が気になったので、調べてみることにした。椅子に座り、机に置いてある小さな箱型のパソコンの電源をつけると、小さな機械から画面が立体映像のように空中に映し出される。
「魔法陣」と言うだけで、様々なウィンドウが周りに展開されてゆく。
とりあえず一番上にあった有名な百科事典に入ってみた。そこにはこうかかれている。
魔法陣、それは架空の魔術において床に描く模様や文字で構成された図または、それによって区切られる空間のこと。術者の魔力を増幅させたり封じたり、魔力の調節弁の働きをする。
それぞれ形が異なる。基本的には円や星、魔法文字などを組み合わせて描かれている。
「ふうん」
僕は画面をスクロールさせた。文字が一気に上に動いていく。
魔術は宗教などから派生したものが多い。それ以外の魔術も存在しているとされている。
第三次世界大戦においてロシアが台風を使って魔法陣を組み立てたとされるが、ロシアはこのことに関して情報を公開しておらず、目撃証言でしかないため事実とは言い切れない。
しかし、アメリカの近代西洋魔術結社《太陽の恵み》に所属しているシェイナ・オーレミルが打ち消しの魔法を使ったという証言から、実在する可能性が高い。
そのあとは長い説明が続いていたので、別のサイトに行ってみた。
するとそこには、いろんな魔法陣の画像があった。
火を生み出す魔法陣、水を生み出す魔法陣、雷を生み出す魔法陣…………
実際に使われたとされる魔法陣、マンガに出てくる魔法陣、素人が描いた魔法陣………
校庭にあったものと似ているのがいくつかあったが、すぐ消されてしまったために覚えていない。とりあえず何枚かの画像を保存した。あとでじっくり見ることにしよう。
その後もいろいろと調べ物をしたが、手掛かりは見つけられなかった。
「魔術なんて本当に存在するわけないよな」
その時の僕はそう思っていた。
――4月。第一木曜日。――
しかし次の日も教室の窓は昨日と同じ状態になっていた。窓は割れ、床には野球ボールがある。そして校庭には魔法陣が。
さすがに学校側も本気になったようで、校門付近にパトカーが止まっていた。警察官二人が魔法陣の近くで何やら話をしている。
クラスも昨日以上の大騒ぎとなっていた。
事件か…………。
個人的にはあまり興味がないのだが、周りがうるさくて本を読む気になれなかった。仕方がないので僕は、自称探偵グループの話に耳を傾けた。
「俺は、この学校に恨みを持ってる魔術師がやったんだと思う」
「ならどうして恨みなんか持つのか説明できるのか?」
「………………」
そいつは黙ってしまった。
「だろ?だからさ、野球部の連中だって」
「あの中に魔術師がいるってのか?」
「う~ん、違うのかなぁ?」
みんなが少し考えだした。
「って言うかまず、誰にも見つからずにあんなでっかい魔法陣描くの無理じゃね?」
「それこそ魔術を使ったか、あるいは複数犯か、じゃない?」
「でもさ、魔術を発動するためにつくる魔法陣を魔術でつくるんじゃ矛盾が生まれないか?」
全員が唸る。
と、その時、集まっていた中の一人が言った。
「あのさ、俺、魔術についてなら少し知識があるぜ」
集まっていたグループの皆が彼を見た。
「本当か?流畠、なら是非聞かせてほしい」
「いいぞ。じゃあまず魔術とは何なのか、そこからだな」
彼は机に軽く腰掛けると、ゆっくりと語りだした。
「そもそも魔術ってのは、異能の力なんかじゃないんだ。アニメなんかだと、腕を振ったり何かを叫ぶだけで不思議な現象が起こるけど、本来は自分の目的を果たすための『儀式』なんだよ」
「儀式?」
皆が首をかしげた。
「そう、『儀式』さ。古くから伝わるいろんな魔術や、ファンタジーなんかに出てくるものも全てだ。例えば怪我を治す魔術だな。あれはみんなも知っているだろう?」
「うん、よく童話なんかに出てくるやつだよな」
「そう、傷ついた人を、魔女が不思議な力を使って元に戻す、とかいうやつだ。いろんな童話やファンタジーに出てくる有名なやつだが、それらってのは大体、薬草を使ったり何か呪文を唱えたりするだろ?他にも道具を使ったり、人の持つ魔力を借りたりと、パターンは様々だ。だけど、それらには必ず、何かをするために何かをする、といった関係がある」
「つまり、さっき言った『儀式』って言うのはこのことなのか?」
「そうだ。何かの目的のために何かをする、これが儀式なんだ」
「へぇ~なるほど」
「そして、そうやって繰り返していくうちに、人々はある程度の法則性を見つけ出すようになっていったんだ。まあ、出来ないものも多数あったが、いくつかの魔術はその有用性が確立されると、たくさん使われるようになっていった。昔では不思議な現象、と捉えられていた魔術は、現在科学の力でメカニズムが解明されてきているが、ある程度の法則があることを数学的には『式』と言うだろう?魔術の式、これを短縮すると……」
「術式と言うようになるのか」
「そうだ。儀式だってある決まった動きをとるから『式』が入っている。決まった動きをとれば、魔術は発動する。アニメとかによくある『魔力』ってのも実際には関係ないから、誰にだって魔術は使えるんだ。」
「じゃあ、俺もそのやり方を知れば魔術が使えるようになるのか?」
「そうかもしれないな。とにかく、そうやって見つけ出していくうちに、火を出す魔術や水を出す魔術も見つかっていったんだ。昔の記録にある魔術はこのことなんだろうな。こうして魔術は体系を整えて言ったわけだ。だけど人間は作業を繰り返していくうちに、手順を簡略化していったんだ。そうして、できるだけ効率的かつ単純になっていった。でもそうすると、中には元々の動作とはかけ離れた存在になったものが出てきた。それが、アニメなんかでよく出てくる魔術だ」
突然、その中の一人が聞いた。
「あのさ、魔術ってのは科学と反対の世界だとかよく言うけど、法則性と手順の簡略化という概念は科学と魔術に共通しているんだな。なんか不思議だ」
「お前、面白いところに気がついたな。確かに双方に共通している部分は決して少なくない。むしろ多いくらいだ。まあ、対になる世界なんだから、根っこの部分では変わんないのかもな。そう考えると、いろんな謎が深まる」
「なあ、一つ気になったんだが、魔術が宗教と近い存在で語られるのって何故なんだ?」
魔術に詳しいやつが指を鳴らした。
「いい質問だ。さっき言った通り、魔術は『儀式』だ。でも宗教にも儀式は存在する。例えば、神に祈りをささげる儀式。キリスト教とかがそのあたりだな。他にも古代文明の生贄をささげる儀式。言っていけばきりがないが、こういった儀式も全て目的のための『魔術』と考えられる。だってそうだろう?もし神に「今年は豊作でありますように」ってお祈りして、本当に豊作になったら、もうそれは立派な儀式だ」
そう言い終わると、彼は立ち上がって校庭を見た。
「魔術は使う際に簡略化されすぎているが、本来はもっとたくさんの下準備から始める必要がある。例えば使うための薬草を摘んでくるとか術者の気持ちを落ち着かせるとか。で、その中に、大規模かつ本格的な魔術を行使するために、『儀式場』を作る必要があるものがある。どんなに簡単な魔術でも、それは儀式なのだから、必ず必要なんだ。そのうちの一つがあの、魔法陣って呼ばれるものさ」
「でも朝来るとき見たんだけどあの魔法陣、途切れている部分があったんだよね」
全員が校庭に注目する。自分もつられてそちらを見た。確かに何か所か途切れている部分がある。
「儀式場が完成してないのなら魔術は使えない。つまりあれは魔術を発動できない状態ってことか?」
「もし本当に魔術が存在するのなら、だけどな」
彼は答えた。
「それともう一つ、監視カメラに犯人が映っていないってことが気になる」
すると別の生徒が聞いた。
「え?でもそれって犯人がこの学校の先生か生徒だってことだよな」
「そういう可能性もある。だけど、そいつがもし監視カメラの位置を全て知っていたのならどうだ?それと、学校に恨みを持つような人間と言えば?」
「あっ!それってつまり」
「そう、前にこの学校にいた。つまりは卒業生か先生、ってことじゃないかな?」
なるほど。凄い推理だ。
「恨みを持っている。ということは、何らかの形で仕返しがしたくなるんだ。だから見つからないように忍び込んで、いたずらをした」
「じゃあまとめてみるぞ。この学校に何らかの恨みを持った卒業生が複数人いた。そいつらは、校内にある防犯システムの場所を知っていて、それをすり抜けて校庭に入った。ってことでいいんだな?」
と、ここでチャイムが鳴った。
「まだ不明な点がいくつかある。昼休みまでにそれぞれの推理結果を出しておいて、あとでじっくり考えよう。不明な点は二つ。恨みの原因は何なのかと、どうやって魔法陣を描いたかだ」
そういって彼らは自分の席に座った。推理は完全ではないが、中々いいんじゃないか?
しかし凄いな。あいつよくあんなこと知ってるなんて。どこでそんな知識を手に入れるんだか。
そして今日の授業は普通にやるらしい。ただ、校庭の魔法陣のおかげで体育の授業が無くなった。いや~ありがたい。
窓は相変わらずのガムテープだ。もっとほかにないのか?
しかし今の技術をもってしても見つからないとは…………監視カメラの位置を知っているってことなのか?それとも……………
――同日。昼休み開始約10分後。――
昼休みに校庭に出て魔法陣をよく見てみることにした。
こっそりと教室から抜け出してきたため、誰かに見つからなければいいのだが…………。
僕は教室からの視線に警戒しつつ、魔法陣に近づいて行った。
「想像以上だな、これ…………」
実際に近くで見ると、結構大きい。あまりの迫力に僕は少しの間言葉を失った。そして、教室から見たとおり消えている部分があった。
しかしそれがあまりにも不自然だった。まるで切り取られたかのように魔法陣の一部が消えていた。ブラシか何かで消したとかじゃなくて、最初から描かれていないかのように帯状に消されている。それも複数箇所。消されている部分の太さは様々だった。
「なんで消す必要があったんだ?」
魔法陣は簡単に描かれていたが、それでもこの大きさでしかも正確な円で描かれている。これを一人でやったとはとても考えにくい。複雑な魔法陣は書くだけで一苦労だ。やはり複数犯ということなのか?それにどうやって完全な円を描いた?巨大なコンパスで描いたんじゃあるまいし、一人が屋上に行って無線機かなんかで指示を出しながら描いたのか?でも校舎に入るときには必ず監視カメラに映るだろうし、時間もかかる。だれにも見つからないってのはおかしい。
と、そこでひらめいた。
「魔法陣の中心に杭を打って、それにロープを縛って一周すれば簡単に円が描けるぞ!」
これだ!と思って魔法陣の中心にいってみた。しかし、どこにも杭を打ったような跡はなく、そこだけ地面が柔らかくなってたりもしなかった。
「やっぱり違うか……」
僕は軽く魔法陣を見渡し、何か他に無いものかといろいろ模索した。すると、この即席コンパス方式を使った方法において矛盾が生まれた。
「魔法陣の内側に足跡がない……………?」
そう、足跡が一つもなかったのだ。
僕が歩いた跡はあった。しかしそれ以外はない。授業中にずっと見ていたが、警官や先生も入ってはいなかった。
一人でやるにしても二人でやるにしても足跡はつくはずだ。たとえ消したとしてもその跡が残るだろう。風で消えてしまうということは、この数時間の間では起こり得ないだろう。
となると、犯人は作業を全て空中でやったことになる。なら何だ?ヘリか?でもそれを使ったとは考えにくい。夕方うす暗くなるとはいえヘリなら肉眼でも見える。飛んでいる音もある。今はほとんど音のしないヘリもあるにはあるが、これのためにわざわざそんなものまで出すとは思えない。たとえそれだけの資金があったとしたら、もっと別な方法をとるだろう。
それと教室の窓はなぜ割れていた?単純ないたずらならわかるが、校庭の魔法陣と何か関係があるのか?ただ割るだけなら校庭の魔法陣を描く必要はない。それに二日目である今日でさえ犯人の正体がはっきりしていない。
もしかして業者の人か?でもそれじゃあ校庭の魔法陣との関係を説明できない。さっき思いついた上から無線機方式もこれなら監視カメラが不審者をとらえなかったと納得がいくが、校庭に足跡がないのだから絶対にちがう。それに窓は内側に割れているのだ。教室の中から投げたら破片は外に飛ぶし、窓から身を乗り出して外から割るにしても、頑丈な窓を野球ボールで割るのは至難の業だ。しかも道具を使って割ったとしたら音で誰か気付くはず。
ならやはり魔術的な力でやったのだろうか。あるとは信じがたいがそれしかないのかもしれない。あのサイトにはあると書かれていたし。
でも矛盾がある。
魔術は古来より何らかの儀式場を必要とすると彼は言っていた。魔法陣などの儀式場が必要なんだとか。
しかし校庭の魔法陣を描くためには、魔術のような不思議な力を使う以外説明ができない。
魔法陣は魔術を発動するための儀式場、しかしそれをつくるためには魔術の力が必要。だがそれは魔法陣によって発動されそれを…………
きりがない。このままじゃあぐるぐる回るだけだ。
いったん視点を変えてみよう。
魔術を発動するためには魔法陣が必要だけどそれは魔術が必要…………………なら学校の外に魔法陣をつくればこのサイクルを脱出できる。それなら納得がいくぞ。
「そうだ。それだ!」
魔法陣をつくるために魔術を使う。それは学校の外にあり、それを使って魔術を発動した。辻褄が合った。
そうすれば誰にも見つからずに作業ができる。
それと同時にもう一つの可能性も浮かんだ。今まで勝手に決め付けて話を進めてきたが、必ずしもそうとは限らないことだってある。
つまり、
「魔術を使うのに、魔法陣がいらないっていうのか…………?」
古くから伝わる魔術的な儀式では、魔法陣などの『儀式場』をつくることがほとんどであるといろんな記録に残っているらしい。しかしそれはほとんどの場合であって、残りの可能性を考えれば決してゼロとは言い切れない。儀式という複雑なものではなく、単純な物体の操作なら魔法陣がいらないのかもしれないし、もともと魔法陣なんて使わなくたって魔術を発動できるのかもしれない。ましてや簡略化されているのならなおさらだ。
となると、今挙げた方法のうちどちらにしたって犯人は見つからない。監視カメラだってそういう不思議な力には対処できない。わが国が誇る防犯システムも簡単にすり抜けることができる。
例えば空を飛ぶとか。
「冗談だろ!」
この事件でもし本当に犯人が魔術師だった場合、永遠に迷宮入りすることになる。たとえ見つかったとしてもずっと後になるだろうし、魔術なんて使ったという証明はできるはずもない。
しかしほかにも説明できていないことはほかにもある。
たかが教室の窓を割るために、この巨大な魔法陣をつくる理由が見当たらないのだ。
いたずらをするためにやったという可能性はあるが、魔術を使って魔法陣を描ける力があるのなら最初から魔法陣なんてつくらなくていい。それに魔法陣の一部を消すだけじゃなくて全部消せるはずだ。一部だけってのは何か意味があるのか?
魔術が勝手に発動しないようにして、魔法陣を残す必要があった、とか?
学校の動揺を誘うためか?それならあり得る話だ。
何かしらの事件を起こして学校の信頼を失わせ、恨みを晴らしたいとか?
だとすると犯人はこれが目的か?恨みのある先生に重い責任を負わせてやめさせたりしたいのか?
結局いろいろ考えても、これだ!という方法が見つからない。
考えれば考えるほど犯人の目的から遠ざかってゆくような気がした。
ここで名探偵ならきっといい考えを見つけるだろう。だが僕はそのような人間ではない。
「はぁ~……」
まあ所詮はその程度ってことだ。凡人が介入することでもない。僕は校舎へと足を向けようとした。
そこで少し引っかかった。
「……あれ?この魔法陣、どっかで見たことあるような…………」
「お~い!そこのキミ!」
警官2人がこちらに向かって走ってくる。どうやら見つかってしまったらしい。
「ここにいちゃだめだろう?これは遊びじゃないんだ」
「早く戻りなさい。ここは危険かもしれないからね」
そうやって注意してくる警官の口の周りにケチャップがついている。食事中だったんだろうけど非常にみっともない。これでも治安を守るお巡りさんなのか?
まあそんなことはどうでもいい。これ以上何か言われるのもいやなので、素直に返事をした。
「すみません、戻ります」
僕は校舎に向かう途中だったその足を再び動かした。
桜の木から花びら舞い落ちる中、3―3の教室の窓を見上げた。窓の割れたところにガムテープが張ってあって情けない。
「さて、教室の連中も話し合いを終わらせたかな?」
事件には、必ずと言っていいほど伏線が用意されている。
それは最後の最後ではっきりするものだ。だから、手掛かりはまだあるのかもしれない。
さあ果たして、それは何なのか。そして真相は何なのか。
その答えはすぐにわかるだろう。
――同日。6時間目終了後。――
帰りの学活が終わった後、探偵ごっこのリーダーらしき人物が教卓の前に出てきた。たしか名前は流畠洋助だったかな?
自信満々な顔をした流畠は、皆に向かって言った。
「事件の真相がわかりました」
皆の視線が彼に向く。
「何人かで話し合った結果です。よく聞いてください」
彼は校庭を指でさした。
「まずあの魔法陣は魔術を発動するためのものではありません」
早速、なんで?というこえがあがる。
「魔法陣、というのは、主に魔術の発動に欠かせない儀式場です。魔術を行使する際はあれを作り、エネルギーを増幅させたりといろいろな使い方をします。詳しい説明は割愛しますが、あの大きな魔法陣は真実を隠すための工作にすぎません。もし本当に魔術師が関わっているのなら、あんな一部だけを消したりはしません。あれは魔術師がやったように見せかけ、自分たちがやった。と思われないように、架空の魔術師をつくりだしたのです」
クラスにどよめきが起こる。
「犯人は監視カメラに映っていなかった。魔術師でないから、映らないルートを通るしかありません。つまりこの学校の防犯システムの場所を知っているということ、なら前にこの学校にいたことになりますよね?」
皆が何かに気付いた顔をする。
「そう、犯人はこの学校の卒業生か先生である可能性が高いと言えませんか?」
クラスのみんなから「なるほど」と声が上がる。
「いたずらをする。ということは、何か原因があるはず。そこで私たちは、この学校に何らかの恨みを持っていると考えました。それについては不明ですが、おそらく3―3の窓が関係しているのではと思いました」
彼は体の向きを変え、歩きながら続ける。
「このクラスにいた卒業生の誰かが、ここにいやな感情を抱いていて反撃してやろうと思った。そしてここの窓が野球部によって割られたのをいいことに計画を立て、実行した。それも2回も。よほどの恨みがあったんでしょう。ですが、もうそのいたずらはしません。なぜならもうそこまでしたらさすがにばれます。なので今夜は窓が割れることはないでしょう」
なるほど、探偵ごっこだと思っていたがなかなか面白い推理じゃないか。
「それともう一つ、魔法陣は完全な円で描かれていました。つまりはコンパスに近い道具を使ったということ、円の中心に杭を打って紐をつけ、一周すればきれいな円が描けます」
そこで彼は僕の方を見た。
「あなたは魔法陣の中心に行っていましたが、何かわかりましたか?」
げっ!ばれていたか。
僕は一瞬どうしようか迷ったが、正直に話すことにした。
「あの魔法陣の中心なんだが、どうも杭を打った跡はなかったぞ。埋めたようにもなってなかったし、第一にあの魔法陣の中にだれの足跡もなかった」
ここで何か言ったところで犯人がわかるわけがない。
すると、う~ん…と彼は考え、
「だれも踏み入っていないのなら、コンパスは使えませんね。ですが、一つ仮説ができます」
一息おいて、
「離れた位置にある物体を固定する技術。つまりは、カドコニウムではないでしょうか。もしそれを使えば魔法陣に入らなくても円や模様が描けます」
なるほど。それがあったか。
「しかしそれはまだどこにも技術提供してないんですよ。裏のルートを使えば手に入るかもしれませんが、民間人が手に入れることはまず無理でしょうね………」
彼はそこで止まってしまった。無理もない。出た証拠から中学生が推理した結果としてはなかなかいい線をいってると思う。もちろん、それが真相とは限らないが。
「今出たことをまとめてみると、この学校に何らかの恨みを持った卒業生か先生が1人もしくは2人以上で夜に忍び込んだ。彼らは監視カメラの位置などをあらかじめ知っており、それをすり抜けるルートを通ってこの教室の窓を割った。それと自分たちが犯人だと悟られないように校庭に何らかの方法で巨大な魔法陣を描き、架空の魔術師をつくりだした。ということです」
彼は教卓の前まで戻り、
「まだいくつか不明な点があります。恨みを持った理由とどのようにして魔法陣を描いたかです。これらについては、これから話し合おうと思います」
クラスのみんなから拍手が起こる。うん、確かにすごい。ほとんど辻褄が合っている。
不明な三点を除いては。
恨みを持つことになるきっかけはともかく、魔法陣をどうやって描いたか全く分からない。即席コンパスは足跡がないために使えない。さっき話にも出たカドコニウムを使ったとすると、何らかの裏組織にでも通じていないとおかしい。それこそ迷宮入りすることになる。
窓の割れる音は聞こえなかったのか?普通誰か気付きそうなものだが…………。
魔法陣を切った理由も気になる。そもそも完全につながった形で魔術が発動するのなら、ほんの少し消せば済む話だ。それをわざわざ何か所も消す必要はない。なぜだ?
ふと窓を見た。ピカピカの新品のはずが、穴をあけられてガムテープが張られている光景はなんとも無様である。それによく見てみると、この窓だけ微妙に固定方法が違うようだ。まあ新品だからなんだろうし、周りの窓をほとんど交換してなかったんだろうな。いつのまにか別の窓が開発されていたようだ。技術の進歩って恐ろしい。
その下にはいつもの業者が来ている。3度目の出勤お疲れ様です。
なんか作業が慌ただしいな。そんなに急がなくてもいいだろうに。
流畠の演説で帰宅時刻が遅れた。そのため業者は今昇降口のまえにいるんだろう。昨日だったら江須羽といっしょに昇降口を出ている頃だ。
さて、この割れた窓と校庭の魔法陣の本当の関係は何なのか。彼が言ったことも間違ってはいないのかもしれないが、やはり完全に説明ができない。
窓の外を見ながら何となく考えた。
割れた窓、一部が消された魔法陣、この2つをつなぐ何かがあるはずだ。
魔法陣があっても魔術なんて存在しないだろうし、だからといってないとは言い切れない。
「異能の力か………」
窓の外では今も道具を準備している業者の姿があった。今日はあのケースを持っておらず、プチプチに包まれた窓だけを持って校舎に入って行った。さすがにあのケースを持ってくるのは面倒なんだろうな。
「割れた窓と魔法陣………」
窓の外を見ながら無意識につぶやく。桜の木がたくさんの花びらを散らしているのが見える。そしてその向こうには魔法陣が。
「それらを真っ直ぐ結ぶ何か………」
頭の中でも繰り返した。
「割れた窓と一部が消えた魔法陣………それらをつなぐと…………」
ふと、何かがひらめいた。
「………つなぐと…………?ん………………………………?ん?あ、あれ?まさか。まさか!」
そのとき、ぼくの中で全てがつながった。
「事件の真相がわかった!」
机にドンと手をつき立ち上がった。大きな声で言ったので皆の視線がこちらを向く。普段慣れない状況に少し焦ったが、すぐに振り切った。
「犯人………それは卒業生なんかじゃない」
クラスが静まり返った。そして流畠がすぐに反応した。
「なぜだ?俺たちの意見が間違ってるって言うのか?」
探偵ごっこのメンバーがこちらを見る。なぜそう思うのだ、という目つきだ。
「ああ、確かに間違ってないかもしれない。だけど、その意見では説明できない部分があるよな?」
「ああそうだ。でもそれはこれから話し合うつもりだ。それが何だって言うんだ?」
「事件の手掛かりはそれらすべてが線で結ばれているんだ。どんな伏線であっても同様にな。でも今回の場合、それは関係だけが結ばれるわけじゃなかった。じつは、物理的にまで直線で結ばれているんだ」
「それはどういうことだよ!全然意味わかんねえよ!」
流畠が声を荒げて叫ぶ。
僕はゆっくりと歩き出した。
「だから物理的に結ばれているんだよ。線で結ばれる。複数の場合ではわからんが、2つしかないのなら1つの直線上にあるということだよな?」
僕は歩きつつも目的の場所へ向かう。
「つまり、それらが一直線上にならんだように見える位置………」
僕は歩く足を止めた。そして皆の方を向いた。
割れている窓の前で。
「そう、ここから見ると、そこにある桜の木と魔法陣の消えている部分がちょうど重なって見えるんじゃないかな?」
そこから見ると、完全なまでに3つが一直線に並んでいる。
「あの魔法陣はここから見えている部分だけなら完成しているように見える。つまり見える範囲でしか魔法陣を描けなかったということ」
僕は再び歩き出す。
「だがここから誰かに指示を出して描かせたとしても、一部が切れたりはしない。なぜなら描いている人がわかるからね」
僕は教卓の前まで来た。
「ならどうやって魔法陣を描いたのか。なぜ一部が切れたりしているのか。仮説を立てると一つだけ方法が見つかる。これは絶対とは言い切れないし、正直あり得ないがこれでしか話が合わない。すなわち」
一息おいて、
「物体を手で触れずに操れる力、テレキネシス。またはそれと同様の効果が出せる魔術。それも、目で見た範囲内のみ使える力だ」
魔術でつくられた可能性があるのなら、それと対になる力であってもおかしくはない。僕はそう考えた。
流畠がまた大声で言う。
「けどよ!そんなのあり得るわけないだろ!?超能力とか魔術なんて存在するかよ!」
「たしかにそうかもしれない。だけど、今世界中の機関がそれらの研究に力を注いでいることぐらい知ってるよな?ましてや、あの第三次世界大戦においてもそれらが使われた情報も聞く。だから、存在してもおかしくはないと思うぞ。それにお前も魔術についていろいろと言ってたじゃないか」
流畠は一瞬ひるんだ。だがすぐに大声で言ってきた。
「じゃあどうやって正確な円を描いたんだよ!説明できるのか?」
「もし、本当にそんな力が存在していたらの話だが、魔法陣を紙に印刷して斜め上から見たら校庭と同じように見える。測量なんて今の時代、わざわざ測るなんてしないからな。机に置いて、角度だけを合わせて紙と同じように校庭に描けば正確な円が描けるはずだ。だってこの魔法陣、あるサイトに乗っていたものと一緒なんだよ。それを紙に印刷して、机の上に置いて魔法陣を描いたんだろう」
僕は横目で教室の入り口を見た。
「つまり、ここの割れている窓の前で魔法陣を描いた事になる。しかしここで犯人は失敗をしているんだ。用務員さんが見回りをするのは大体午後6時過ぎ。そのころには日もだいぶ落ちて暗くなっているはず。犯人もよく見えなかったんだろうな。暗くて木で隠れた部分を描いてないことに気がつかなかった。目で見た範囲内のみ使える力による失敗。見つからないように暗い中描いたのに、逆にヒントをつくってしまったんだろう」
「じゃあ聞くぞ。もし犯人が魔術師で、この学校じゃない場所に魔法陣を描いて、魔術を発動したとしたらどうなんだよ!?事件は迷宮入りじゃないか!」
僕もそれを推理したよ。しかしどうやらそれは違うみたいなんだ。
「ならどうしてこれら3つが直線上に並ぶのかな?」
「それは………」
彼は黙ってしまった。
「流畠、おまえは重要な見落としをしている」
「何だ?」
「それはこの事件によって、確実な利益を得られる人がいることにおまえは気付いていない!」
「なっ………!?」
彼の勢いが止まる。
「結論を言おうか。もうすでに言っているに等しいのだがここであえて言わせてもらう」
皆が息をのむ。
「あの時この部屋で作業をしていた人、そしてこの事件で確実な利益を得ている人………」
そこで僕は目を向けていた入り口に体を向けて言った。
「業者さん。あなたが犯人でしょう?」
………………反応がない。
「いるのはわかってますよ。校舎に入ってからここに来るまでそんなに時間はかからないはずですが?」
………………やはり反応がない。
「今の話聞いてましたよね?なら出てきにくいかもしれませんが、返事ぐらいはしてください」
廊下は何の音もしない。やっぱりいなかったのかな?失敗したな。と思った直後、
「……そうです。その通りです!何で……何でわかったんですか!?」
業者の人が出てきた。
「あの計画は完璧だと思ったのに!何故だ……何故わかったんだ!」
「この事件において、窓の修理代という形で確実な利益を得られるのはあなただけだからです。専属の業者さんなら次も修理を頼まれると見込んだのでしょう」
彼は手に持っていた道具を落とした。
そして、咄嗟にひらめいたセリフも使ってみることにした。
「あなたは普段仕事では、目に見える範囲でしか作業をしていませんね?おそらく能力を使うときも同様だとおもいますが」
「……はい……そうです……」
「見えない場所での作業には慣れていなかった。つまりあの魔法陣を描くときに自分の能力の欠点を知らなかったということ。校庭に描いた魔法陣は一日目の魔法陣は消されてしまい、それに気付けなかったが、今日残されているのを見てようやくそれに気付いた。だから下で焦ってたんですね?」
彼はうなずく。
「それとあのケース、あの中には窓ガラスが二枚入っていたってことでいいんですよね?」
なんで?という声があちこちから上がる。
「あれには新品の窓ともう1つ、もともと割れていた窓がはいっていた。違いますか?」
「……その通りです」
「いったん普通の窓に修理をして、用務員さんが通り過ぎた後に割れた窓に付け替える。そしてあたかもボールによって窓が割れたと見せかけた。だからこの窓だけ特殊な形をしていたんでしょう」
そう、あの窓は新しくなっていたのではなく、付け替えやすくする形になっていた、ということだ。
「その時に校庭の魔法陣を描いた。しかしあまり長くそこにいては怪しまれるため、急いで描いた。ここで失敗をしたんですね」
彼はひたすらうなずいた。
「つまりこの窓は割られた。のではなく、割られていた。ということだ」
誰も一言も発しなかった。
「だから今回の事件の犯人は、超能力を使った業者の人だということ」
僕は皆の方を向いた。
「どうだ?完全に辻褄が合っただろう?」
僕は少しの笑いを顔に出した。ちょっと探偵を気取ってみたくなったのだ。
まあほとんど思いつきの言葉ばっかりだったけどな。
クラスはしばらくの間沈黙に包まれていた。しかしどこからか拍手が起こるとそれが一気に全体に広がっていった。先生も驚いた顔でこちらを見ていた。
皆が口々にすごい、すごいと言ってきて「どうしてわかったの?」と必死に問いかけてくる人もいる。
こんな体験初めてだ。結構嬉しいものなんだな。
でも僕はそんなことよりも、異能の力が存在することだけが気になっていた。
そして、拍手の音が鳴り響く中で自分だけ時間がゆっくり進んでいるようにも感じた。
ふと横を見ると隣で唖然としている業者の人が目に入った。完全に動きが止まり、信じられない。といった顔をしている。
「あんたはこれが正しかったと思っているのか?」
当たり前の質問をした。帰ってきた言葉は、彼の素直な言葉だった。
「正しいなんて思っていない。ただ、自分の生活のためにこうするしかなかった。小さな会社で、窓の修理業者なんて仕事はほとんどないんだ。ましてや今の時代、ロボットを使うのが普通だから人がいなくてもできるんだよ。そこでこの計画を思いついたんだ。少ない収入を増やしたかったから……」
「あんたの気持ちはよくわかる。だけどその力はそんなために使うのは絶対間違ってる。もっとほかにできることが山ほどあるはずだ。だから、もうこんなことするなよ」
僕は前を向いた。
「今までいろんな人にこの力の事を言ってきたんだ。けど、いざ見せるとなると使えなくて、誰も本気にしてもらえなかった。だから、全然この力を使えなかったんだ」
「でもあんたはそこであきらめた。自分に負けたってことじゃないか?」
この言葉は自分でも思いがけない言葉だった。普段の自分なら絶対に出ないであろう言葉だ。
教室はしばらくの間拍手が続いていたが、終わるころには警官が来て業者の人は御用となった。その時に彼は言っていた。
「校長に会わせてほしい。謝罪の気持ちは今すぐ伝えたいんだ」
僕はそれが間違っているとは思わなかった。
そして、この事件が僕を異能の力の世界へと導く最初の一歩だった。
その後、僕は校庭に出て魔法陣のところまで行った。やはりあのサイトの画像そっくりに描かれている。どのような魔術が発動されるのかは忘れてしまったが、別に発動するわけではないから大丈夫だ。
「超能力か………」
僕は今回の事件で異能の力が存在することを初めて知った。そんなのアニメかマンガでしか出てこないからだ。でも自分で証明したんだから信じるしかない。
世の中は不思議で溢れている。そんな力が存在してもおかしくはない。
僕はしばらく校庭の真ん中で少し冷たい風に打たれながら、西の空を見上げていた。昨日と同じようにオレンジ色に染まった様子はとてもきれいだ。人工的にもつくれるが、自然のものを見るのが一番だろう。
「お見事。凄いよ。よく犯人がわかったね」
声がしたのでそちらを振り返った。江須羽がこちらに歩いてくる。
「まさか、超能力が存在するなんて思わなかったけどな」
軽く笑って言葉を返した。
「それにどっちかって言うと一か八かだったよ。あれは」
「でもあそこまで推理できるなんてやっぱり凄いなぁ」
「違うよ。ヒントをくれたのは流畠たちだ。あいつらがいなかったら全くわからなかったよ」
江須羽が隣に来た。僕は再び空を見上げた。
「でも流畠君たちはそこまで推理できなかったんだよ?そう考えると手押の方が凄いよ。なんか憧れちゃうな~」
「おいおい、よしてくれよ。僕はそんな凄い人間じゃないさ」
西の夕陽を見ながら僕は言葉を返した。少しずつ太陽が沈んでゆく様子はなんとも幻想的だった。過ぎて行く時間を忘れ、2人で空を眺めていた。
すると、隣で江須羽が顔を赤くしてもじもじし始めた。妙に顔が火照っている。寒いんなら早く校舎に戻りな。じゃないと風邪ひくぞ?
………あれ?今はそんなに寒くないはずなんだが………
昇降口前にはたった今連行されていく業者さんの姿があった。彼もこちらに気付いたのか僕の方を見た。
もうこんなことしないでほしい。ちゃんと出直して来てほしい。
人間誰しも失敗は繰り返すものだ。だけど失敗しないように努力をすることはできる。だからこれに懲りてもうしないでほしい。そう願った。
しかし僕はここでいくつかの失敗をしていた。見逃してはいけないものに気付けなかった。
1つ目は魔法陣がまだ残っていたこと。
2つ目は業者の人が超能力者なのか魔術師なのかはっきりしていないのに、勝手に超能力者だと思い込んでいたこと。
3つ目は魔法陣の中に入っていたこと。
4つ目は完璧な油断。
その時業者の人はパトカーの近く、つまり校門の近くにいた。そこからは校庭を遮るものは何もなかった。
ということは、力を使えばいつでも魔法陣を完成させることができるということだ。
気付いた時には足元の魔法陣がすでに完成していた。
それは魔術を発動できる事を意味する。
そして思い出した。この魔法陣は火を生み出す魔術を発動できるということを。魔法陣は大きければ大きいほど威力は上がる。それぐらい考えなくてもわかる。
それと彼がもし超能力者ではなく、魔術師であった場合。
魔術を発動できるのではないか。
「まずいっ!」
完成した魔法陣が一気に光を帯びていく。
僕は咄嗟に江須羽をかばって魔法陣の外に向かって突き飛ばした。
「手お………!」
直後。
校庭の真ん中で地面を揺るがす大爆発があった。
気がつくと、僕はどこかの部屋のベッドに寝かされていた。
「ここは…………どこだ…………?」
目だけを動かして周りの様子を見た。天井はいつもの教室と変わらない。どうやら何か特別な施設といういわけではなく、学校の保健室のようだ。
……あれ?どうしてこんなところに?
しばらく何も思い出せなかったが、体の痛みがそれを教えてくれた。
……ああ、そうだ。僕はあの時、江須羽をかばって爆発に巻き込まれたんだ。咄嗟の判断だったけどあれでよかったのか?
でもその割には体が結構痛むだけで、大した怪我は負っていない。制服も焦げた跡はなかった。
顔を動かして、改めて周りを見回した。頭も少し痛むが気にしないことにした。
部屋はひっそりしている。誰もいないのかな?
校庭からはいろんな話声が聞こえる。何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、たぶんあの爆発に集まってきたんだろう。ていうか先生はいないのか?まあ特に怪我がなかったからいいんだけど…………。
と、ここで気がついた。
「江須羽は!?あいつは大丈夫なのか!?というか、どこにいるんだ!?」
見た感じ、保健室のベッドに寝ている雰囲気は無い。これで何ともなくいてくれればいいのだが、もしかしたら僕より酷い怪我を負って、大きな病院に搬送されているかもしれない。
「まずいな」
もしそれが本当なら、僕はいつまでもここにいるわけにはいかない。
だけど、それはどこだ?
市内には大きな病院が1つある。救急車が最寄りの病院を探すと考えても最初はそこに行くだろう。しかし、患者の受け入れ状況のシステム化で、最短時間で受け入れ可能な病院を瞬時に検索した時に、どこか別の場所にある病院または専門の施設に送られたのかもしれない。
そうなれば、探すのは難しい。だけど、そんなものを言い訳にしてはいけない。僕のせいで怪我を負ったのなら、その責任は僕にある。
先生にでも聞いてみるか?救急車が出た直後はわからなくても、病院から学校に連絡が行っていれば先生も知ってるはずだ。
僕はベッドから降りるために上半身を起こそうとした。すると何か重いものが乗っていることに気付いた。
江須羽だった。まるで泣いているかのように僕の上に頭を乗せている。
よかった、無事だったんだ。
体が動いたせいか、それに気付いた彼女が顔を上げた。
やはり泣いていたようだ。眼のふちが顔が赤くなっている。そして小さな声で聞いてきた。
「………大丈夫…………なの…………?」
少しの間を開け、僕はうなずいた。
「……本当に………?本当に大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だ」
「怪我は?火傷は?体の方は大丈夫なの?」
「うん。何ともない」
彼女は信じられないような顔をして少しの間動かなかったが、すぐに泣きながら抱きついてきた。
「おっと」
抱きついてきた彼女を何とか支える。
「うぇぇぇぇぇぇぇぇん!嫌だよぉ!死んじゃったりしたら嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
保健室内どころか、廊下にまで響いてそうなくらいの大きさで、ぼろぼろと涙を流しながら泣き始めた。まるで心の底から溢れてくる何かを、必死に表そうとしているみたいに。そうやってしばらく泣き続けていた。
「江須羽……………?」
僕はどうしたのかと聞こうと思ったが、さすがに止めて、彼女の気の向くままにさせた。
結構時間が経ってから泣きやみ、僕の胸に顔をうずめたままで彼女は言いだした。
「………ごめんなさい。私があんなことをしなければ…………」
悔しさによるものなのか、僕を掴んでいた彼女の腕が震える。
「……………あんな無謀な事しなければ、手押は無事だったのかもしれないのに、あんな爆発に巻き込まれることもなかったかもしれないのに!私が、私が、何もわかってないのに魔法陣になんか入ったから!」
その行動に戸惑ったが、僕はゆっくりと彼女の頭に手を乗せた。
「だから僕は大丈夫だよ。そんなに心配しなくてもいい………」
「だって私のせいなのに、私の代わりに手押君が死んじゃったりしたらなんて思うと………私、私………!」
彼女の目から涙がこぼれる。
こいつ、こんなに心配してくれていたのか…………。
はっきり言って自分がどんな怪我を負ってもどうでもいい。それ自体自分の責任だからだ。他人のせいでそうなったら話は別だが、あまり周りの人は関わらせたくない。
しかしこう心配してくれる人がいると、何だかどうでもいいというわけではなくなる気がした。
彼女も彼女なりに責任を感じているんだろう。思いやりのある人だな。これは僕のほうが憧れるかもしれない。
「僕はなんともない。だからこうして普通に話ができるんだよ」
彼女は泣きながら顔を上げた。
「何で?何でなんともないの?あの爆発だったら普通は怪我じゃあすまないわよ!」
「不思議な事にやけどすらないんだ。それにお前が全部悪いってわけじゃないよ」
体中が痛む事については話さないでおこう。
「というより、お前の方は大丈夫なのか?」
「うん、平気。手押君が守ってくれたから………」
なんだ。ならよかった。
「だけど、私のせいで手押が危ない目にあうことになっちゃって………………」
江須羽は、申し訳なさそうな顔をした。
「いいんだ。別に。そんな大したことなかったんだしさ。お前が何ともなかったんならそれでよかったよ」
しかし彼女の表情は変わらなかった。
「でも!何ともないからってそれで済まされるような事じゃないでしょ!私のせいで…………………!」
僕は首を振った。
「もういいから。僕は大丈夫だったんだから、いつまでもそんなこと言ってないでさ」
「そんな………………」
彼女は再び悲しそうな、というか、僕に見捨てられたような顔をした。
それを見た僕はため息をついた。
「違うよ。別にお前の事が嫌いになったわけじゃない。だけど、そうやって「私のせいで」とか言われると、なんて言うか…………………こっちも居づらいんだよ」
少し微笑んでから、
「そんな悲しそうな顔してないで、普段通りに笑顔でいてくれよ」
「うん…………………」
彼女はうつむきながら返事をした。
「僕としても、笑顔でいてくれた方が何となく気持ちが楽なんだ。ダメかな?」
それを聞いた彼女は、少しの間考え、鼻水をすすりながら言った。
「わかった。ごめんね。また迷惑かけちゃって」
「いや、いいんだ。いつまでも辛そうな顔をしている人を見たくないだけだ。まあ、戻ってくれたんなら僕としても嬉しいな」
「そっか…………」
彼女の顔には、どこか笑顔が混じっているように見えた。
僕は彼女に改めて言った。
「何回も言うのもあれなんだけど、本当に大丈夫だったのか?」
「うん、私は平気だったよ」
「僕が咄嗟の判断でああしたけど、爆発した時も大丈夫だったのか?」
「うん、それなんだけど、あのあとの事をよく覚えていないのよね」
「え?それはどういうこと?」
彼女は涙を拭きつつ言った。
「うん、手押に魔法陣の外に出されて、すぐ目の前で爆発が起こって…………………でもその先の記憶が曖昧になってて思い出せないの。手押が大変な目にあったからそれに必死になって、他の事を覚えてないだけなのかもしれないけど」
彼女の顔に少し笑顔が戻る。
「あの時は本当にダメかと思ったの。でも、無事に生きててくれて、ほんとよかった」
「まあ、運がよかったのかもな」
対する僕も笑顔で返した。
「ごめん。本当にごめんね、迷惑かけちゃって。それに………私を助けてくれて」
彼女の顔がまた少し戻った。
「こちらこそ、ごめん。あそこで油断したのは僕のほうだよ。それと心配してくれてありがとな」
「どういたしまして」
やっと笑顔が戻る。
それを見て僕も一安心。
「もう、心配させないでよ」
そういって、ふくれっ面をした。
「でもどうして平気なの?本当にあの爆発は凄かったわよ?」
「何でそればっかり聞いてくるんだ?別にいいじゃないかもう。それともあれか?もっと重大な怪我をして病院にでも運ばれた方が良かったか?そういうドラマ的な展開を期待しているのか?」
「えっ?そっそんなんじゃないわよ。助かってよかったなぁーって」
「いやいや、その聞き方だとどうしても僕が大変な目におかしい的な雰囲気だぞ?」
「ち、違うって!本気で心配しただけ!」
「本当かぁ?」
「もう!」
ちょっとの沈黙をおいて、お互い吹き出した。絶望に似た気持から一気に安堵の気持ちに上がったら誰だってこうなってしまうだろう。僕たちはそのまましばらく笑い続けた。
「……あはははっ。面白いね」
「……ははっ。そうだな」
再び笑った。彼女がとても楽しそうな顔をしているのを見て心の底から安心した。
とても温かな時間が、ゆっくりと流れていく。
しばらく二人で笑っていたが、それが収まると再び聞いてきた。
「ねえ、やっぱり気になるな~。手押が無事だった理由が」
「理由?そんなのないさ」
僕は目をそらして言った。
「けど、あえて言うなら………」
江須羽が顔を寄せて真剣な表情になる。
「あの時、お前が僕に『助かってほしい』って思ったからじゃないかな?」
助かった本当の理由についてはまだ言わないでおこう。
僕は優しく微笑んで彼女の頭をなでながら言った。
「きっと、何か不思議な………それこそ、奇跡が起こったんだと思うよ。本当にありがとな。心配してくれて」
そういえば、今までこんなこと無かったな。
いつも自分は一人ぼっちだったから、声をかけてくる人も、助けてくれる人もいなかった。自分の起こしたことは自分の責任。それだけだった。だけどこれからはそうはならない。僕も守るべき存在ができたのだ。
「本当に、ありがとう」
僕はそれを本心で伝えたつもりだった。
しかし、そう言った途端、彼女の顔が一気に赤くなっていった。
「えっ?あっ、ちょっ、ち、ちちがうって!そっ、その、そんなつもりじゃないから!」
そう言って、いきなり焦り始めた。
「どうした?」
僕の言葉がまるで耳に入っていないようだ。
しかも抱きついていた事に気付くと、さらに慌てた様子で立ち上がった。
「ひゃあっ!私、何でこうして………!」
顔がさらに赤くなっていき、まるで湯気が出そうなくらいになっている。
「おい、大丈夫か?」
焦りのせいで判断能力が落ちているのか、口が思うように動いていない。
僕の心配をよそに彼女は、
「わっ、私もう帰るからっ!」
そう言って、かなりの速足でドアの方へと歩いて行く。何度か転びそうになっているところを見ると完全にテンパっているようだ。大丈夫か?
保健室の入り口に着いて、ドアが壊れるんじゃないかというぐらいの速度でドアを引くと、そこで止まった。
「……本、借りてないんだけどっ!どっ、どういうこと?」
「本?」
「昨日の約束でしょ!?忘れたの!?」
あっ!しまった。完全に忘れていた。昨日の調べ物と今日の事件で完全に頭から消えていたようだ。なんてことだ。
どうしよう。約束を破ってしまった。なんかやばい事が起こらないといいけど…………
しかし、そのしまった!というのが顔に出ていたらしく、江須羽に気付かれた。
「忘れたの!?約束したのに!」
大声で叫ばれた。
ここでも失敗だ!自分がいやになってくる。
「もーっ!心配させといて約束破るなんて信じらんない!」
「本当にごめん。ていうかいまその話をするべきタイミングじゃないだろう!」
僕は必死に抵抗しようとした。
彼女は一瞬ひるんだが、すぐに勢いを取り戻した。
「で、でも約束は約束なのよ!」
顔を真っ赤にして言い返してくる。そこまで本気にならなくても………。
僕の心配をよそに、彼女は叫んだ。
「こんなことにならないように、こっ、こ、これからずっと私のそばにいなさい!」
「おい!それどういう………」
その直後に勢いよくドアが閉められた。音がしない仕組みになっているため、後に残ったのは江須羽が駆けていく足音と、放課後の静けさだけだった。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
保健室のドアと同時に、僕の平穏な日常の幕が閉じることになった。
あまり事件としては大きなものではありませんが、ここは後の展開につながる部分になっています。そしてヒロインは主人公に心の奥で抱いていた感情に気づき始めます。