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きみと  作者: 今井零
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第三話「六月のこもれ陽」

六月の地さえ裂けて照る陽にも

 どんな風の吹き回しか、自分にも分からなかった。

「よっと」

 理由はなんにせよ、現にこうして、僕は緑道の水たまりを跳び越えている。講義の途中で抜け出してきたのは、大学に入って今日が初めてだった。五月(さつき)晴れが梅雨の晴れ間にあたる言葉だということを、彼女から教わったせいかもしれない。

 茂みは日(ごと)に青くなって、アジサイの赤や紫がいっそう映えていた。今日なら、全てが三割増しで綺麗に見えそうだ、もうすぐ期末試験だということを除けば。

「あ、陽介君」

「奇遇ですね」

 聞き慣れた声は、やはり彼女のものだった。洋服は涼しげなワンピース、つば広帽子に日傘を差して、早くも夏気分に染まっていた。一年を通じて五種類くらいしか装いの幅がない自分にとって、会うたびに印象を変える彼女は魔法使いのようだ。

 魔女が唇に人差し指を当て、悪戯イタズラっぽく問いかける。

「この時間におしゃべりするの、始めてかも……もしかして、五月晴れに誘われちゃったの?」

「そうかもしれません」

 正直に返すと、左側から愉快そうな笑い声が聞こえた。行く宛先のない僕は、駅へ向かっている彼女と一緒にそぞろ歩く。


〽吼える若獅子 夜明けだ栄えだ

 三色おどしに ソレ 三色おどしに 日は踊る

「ずいぶんと勇壮じゃないですか」

 彼女の口ずさんだ唄の歌詞は、聞き憶えがなかったし、メロディーも明らかに最近の曲と違っていた。

「知らない? 一応、私たちの大学にあるらしいけど」

「所見でした」

 正しくいうと初聞(?)だろうが、気にしないでおく。僕がそう答えてからも、グランド横を通り過ぎるまでずっと、壊れた機械のように繰り返していた。確かに、大学の名も何度か聞こえている。三周したくらいで唐突に切り出した。

「去年の秋、駅前でお祭りがあったの」

「……は、はい」

 返し方が不意をつかれて分からなかったから、とりあえず相槌だけ打っておく。

「この唄がずっとループしてたから、なんか憶えちゃったんだけど……あ、それでね、ミニチュアのお神輿も出てて、街中を練り歩いてたんだ。かわいかったなあ」

 話題がいつの間にすり替わっている。どうしたのもかと思ったけれど、彼女が心底楽しそうにするのを見ていると、指摘するのも野暮に思えてしまった。要約すると、商店街で大学のパレードがあり、そこで流されていた唄はどうでもよくって、常日頃から一緒に遊んでいる子供たちの、ミニチュア神輿を担ぐ姿がかわいかったということらしい。

 思い出話の皮を被ったノロケが終わった頃、緑道は終わりに差し掛かっていた。朝方の銀行通りを生きかうバスが、まるで悪意でも持っているかのように、騒音と排気ガスを撒き散らす。

 無意識だろうが、彼女の眉間にシワが寄っていた。

「苦手なのかな、こういうの」

 そうじゃなくてしかめっ面になるのなら、あなたは相当怒りっぽい人ですね、とは言わずに(言えずに)、自分ですら意味不明な愛想笑いで済ませる。

「陽介くん、賑やかな場所は」

「嫌いです」

 即答した僕に、彼女は目をぱちくりさせ、やがて笑った。道幅はどんどん広くなり、駅へ着くと喧騒も最高潮を迎えた。六月の人いきれというのはなかなか馬鹿にできず、僕たちは一言も口にできないまま、大学へ続く横断歩道を渡った。

 ここで再度言おう、否、書こう。

 僕たちは、大学へ続く横断歩道を()()に渡った。新学期だって二ヶ月経てば落ち着いたもので、キャンパスは歩く人もまばらだった。だがどうでもいい。去年からそんな雰囲気はあったけれど、この時期、授業全てに出席する人なんて数えるほどしかおらず、逆に勉強へ集中しやすくなった、ことも関係ない。

 火花が思い浮かんだ。どうやら、衝撃のあまり口を半開きにしていたらしい。これがいわゆる、魂消たまげた、ということか。なるほど、へえ……

「大学生なんですねぇ」

 魂の身代わりに出た言葉を聞くと、彼女は僕に勝るとも劣らぬ間抜け顔へ変貌した。

「へっ?」

 補足しておくと、このキャンパスには上級生がおらず、普通なら一・二年生だけだ。つまり、つまるところつまり、いやさすがに、でもやっぱり……と、僕が七転八倒している間に、一時限目の終了を告げるチャイムが鳴った。

 さっきの言葉は流しておき、彼女が僕の肩越しに古い校舎へ目を向ける。

「松川先生の地理学、どこの教室か知ってる?」

「……えっ、あ、ちっ、地理学なら二階、だけど……」

 突然どもったのには理由がある。

 なにを隠そう、彼女は僕と、二限に同じ講義を入れていたというのだ。そのうえ、地理は無遅刻無欠席だったはずなのに、彼女を教室で見かけたことがなかった。

 妙なことだらけだ、どこから驚けばいいかも分からない。

 混乱の最中さなかに放り出された僕へ、彼女がうつむきながら、初めて自分のことを打ち明けた。

「私、大学に来たのは一ヶ月ぶりなの」

 彼女の瞳は、黒髪に隠れて見えなかった。

我が袖干にや君に逢わずして

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