表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみと  作者: 今井零
1/7

第一話「四月のつむじ風」

「うう……」 

 アラームと眩しさに無理やり起こされ、片手で掛け布団をはねのけた。空いた手は顔を覆っている。昨日の帰り買った菓子パンで、食事もとい栄養補給を済ませると、なにも考えずに大学へ向かう支度を始めた。窓の外を見てみると、やっぱり、晴れていた。

 青空のどこを取っても、雲を見つけることはできなかった。



 駅の構内は、新入生たちの歓声で溢れ返っていた。期待に瞳を輝かせている人たちを見ると、同じ場所に平然と立っている自分が、ひどく恥ずかしく思えた。

 居心地の悪さに耐えきれず、キャンパスとは逆の方角へ向かう。昼食の時間帯で混み合う銀行通りも抜ける。住宅街まで逃げ込んで、僕はようやくひと息つくことができた。相変わらず、明るさとか賑やかさとか、そういうのは苦手だ。

 ここまで来れば、聞こえるのはバスのエンジン音くらいだった。やっと一人になれ

「こ ん に ち わ !」

 大声に、覚えず五十センチくらい跳び上がる。急いで挨拶の主を探すと、僕の半分くらいしか背丈のない小学生が、不思議そうな表情で覗き込んでいた。

 焦りながら、どう返したらいいのかを考える。

「えっと……その……どう、も、?」

「んんー?」

 無邪気って怖い。男の子はじーっと大学生の腑抜け顔を見つめて、まいっか、と言わんばかりに全力ダッシュで消えてしまった。その後ろ姿を眺めながら、僕は口を半開きにしたままでいる。なんて言えばよかったのか、なんだって“どうも”で済ましてきた自分にとっては、謎で仕方なかった。

 ……まあ、いいや

 結論は先送りしておいて、またぶらつくことに決めた。駐車場の手前を左へ曲がると、道幅はだんだん狭くなる。きっちり施された舗装もガードレールも、交差点ふたつ越えたあたりから途切れて、間から砂利が顔を覗かせていた。

 じゃり、じゃり、

 驚かされたのは、自分がその音をずっと聞いてなかったことだ。足許で鳴ってるなんてとても思えない。電車、歩道、校舎、決まった場所ばかり歩いていた僕にとって、靴底の感触は、どこか遠い世界のものみたいだった。ここまで来ると風まで新鮮に感じられて、くすりと笑ってみた。隣に誰もいなかったから、ちゃんと表情かおに出すのはやめた。道はまだ続いている。“松の川緑道”と看板が見える。川は見えない。

 じゃり、じゃり、

 キャンパスライフとかいう代物が、背伸びしていた身の丈に合わなくなったのは、もうどれくらい前のことだろう。心当たりがあるような気もしたけれど、ないと言われればないような気もした。

――新入生のみなさん、まずは(・・・)ご入学おめでとうございます。

 講堂へ響く、少々綾のついた祝辞。あれを聞いていた頃はまだ、将来に胸を膨らませていたはずだ。初めて迎えた新歓だって――もう一年前のことだ――、友達を作ることができるかどうか、それは心配でたまらなかった。

 どんな人間になれるのか不安もあった。でも、不安と期待は紙一重だと思っていた。交遊関係もかなり広い方だったし、大きな声じゃ言えないけれど、カノジョなんてのもいたのだ。

 じゃり、じゃり、

 夏が終わって、秋学期の授業が――

「ねえ」

 …………

 ――秋学期の授業が始まった頃――

「おーい」

 …………ん?

 現実に引き戻され、感じる気配へ視線を向けてみる。

 そこには、女の人が不機嫌そうな表情をして立っていた。ウグイスがさえずるような声で、彼女は手に持った物体を見せ、僕へ訊いた。

「キミが落としたんじゃないの、これ」

「え、まあ、一応そうです」

「……んん、拾ってあげたのに、“一応”なんて冷たいなあ」

 彼女がため息をつきながら、青いスマホを自分のバッグへ入れようとして、慌てる。

「いや、そのっ、それ、僕のです! えっと、拾ってくださって、その、すいません」

「どうして謝るの」

 意地悪な質問をする彼女の前で、僕がしどろもどろになる。軽く手のひらで転がされているみたいで、それでいて、不快でもなかった。緑道に吹く風は、彼女の長い黒髪をなびかせると、楽しそうな言葉と一緒に僕へ届いた。

「面白い子ね、何年生?」

「大学二年生です」

「……そっか」

 微妙な反応をしながら、やっとこさスマホを返してくれた。両手で受け取るのを眺めて、彼女の口角が少しだけゆるむ。

「キミは、ここによく来るの」

「始めてです」

 必要最低限の回答だけを返して僕は、去年の自分なら違ったんだろう、なんて情けない気持ちにさせられた。もっと積極的に接していたはずなのに、今の自分を見る限り、欠片ほどの社交性もない。ただ、くすくす笑われ赤顔しているだけだった。

 ねえ、と彼女が切り出す。

「また、来てみなよ、ここに」

「………………えっ」

 少し不意をつかれた僕が、数秒遅れて振り返る。

 草木の緑しか、視界には映らなかった。


 って、そりゃおかしくないか!?

 我に返ると、緑道の隣にある公園で、彼女が立っているのを見つけた。小学生低学年くらいの子供たちが、まだ上手に回らない舌で名前を呼ぶ。

「カニャちゃんだ!」

「カーナちゃんあそぼうよ」

 香奈ちゃんとか、川名ちゃんとか、いろんな候補が頭をよぎったけれど、いかんせん発音が不明確すぎた。なんにしても彼女は人気者らしい。

「お名前は?」

「先にキミが教えてくれないと」

「ヨウスケです。ひなたの陽に、介で」


 春告鳥はホーホケキョと鳴く。

 軽快なステップを踏んで、彼女は楽しげに言った。

「じゃ、次に会えるまで、ヒ・ミ・ツ☆」

『ヒ・ミ・ツ☆』子どもたちはすかさず真似をする。

 とまどう僕と、

 微笑む彼女と、

 間をつむじ風が、音も立てずに隔てていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ