猫の終身奉公 ――ねこのこときのこ――
(コォンコォンコォン、コォンコォンコォン)
山肌を照らす日差しが日に日に暖かくなって来たせいで、唯でさえ品薄で薄く塗る事しか出来なかった雪の白粉が汗で流れてしまい、素っぴんをさらす羽目になった山々が梅花色に頬を染め、春の花々の彩へとメイク直しが済むまでの間、顔を隠そうと、慌てて萌葱色のストールを頭に纏い始めていた。
そんな恥じらいという名の乙女心を忘れぬ山の神々の間を、釘か杭でも打ち込んでいるかの様な鈍い音が木霊していた。キツツキにしては少々音が大きい。
今時、斧で木を切る等という事は考え難いし、こんな山の中に家でも建てているのかと思い、背中の画架を背負い直すと音が響いて来る方へと足を向けてみた。上手く行けば次のコンクールに出す作品の題材が見つかるかも知れない。
音の主はカシやシイ、コナラなどが立ち並ぶ照葉樹林の中で槌を振るっていた。聞けば代々椎茸栽培を生業として来た一家だという。
「廾」の字形に組まれた一メートル程の丸太が、幾重にも重なるように立てかけられた木組みの列が山の斜面に幾つか並ぶ中、一家の長と思われる老人が木組みの端から丸太を取り出し、片手に持ったハンマーでもって数回打ち据えては傍らに置いて行っていた。
彼曰く「原木を殴りつけて菌を叩き起こしちょるところ」らしい。
置かれた椎茸の原木は彼の息子と孫と思しき二人の男達によって数本ずつまとめて抱え上げられると、林道の方に停めてある白い軽トラの荷台へと運び込まれていた。この後雪解け水を溜めた池に放り込み「菌の眠気を覚まさせる」のだそうだ。
こうする事で「たまげた菌糸が寄り集まって茸になる」との事だが、そんな扱いを受ける菌糸には同情を禁じ得ない。椎茸にポックリと逝ってしまうような心臓が無いのは不幸中の幸いかも知れない。
亜麻仁油の香りを乗せて木立の間を春風がそよぐ中、彼らの仕事場をペインティングナイフで切り取っては画布の中に収めて行った。
山の斜面に組み上げられた丸太の列は伏見稲荷の鳥居を思い起こさせる。願わくは神の領域とまではいかずとも、次のコンクールで入賞出来る程度の領域には導いて欲しい。
そんな益体も無い事を考えながら、絵筆を走らせる手に負けぬほど口も動かし、休憩中の老人と青年の話し相手を務めていた。
「へぇ、このお仕事を江戸時代からですか。そんな昔から椎茸の栽培が行われていたとは存じませんでした」
それに答えたのは件のハンマーの老人であった。
「そぉちゃ、尤もむかしゃあ今と違ぉて菌なんてもんは知られちょらんかったから、山ん中に原木を並べちょくだけで、後は運を天に任せて上手い事、椎茸の胞子が飛んで来るのを待つっちゅうやり方をしちょったんで、人によっちゃあ失敗して大損する事も有ったようじゃ」
つい先程、父親と共に菌糸の眠気覚ましに行っていた筈の青年が徒歩で戻って来て、車がパンクして修理屋へ行っているので遅くなる旨を彼に知らせて来た。スペアタイヤで山を下りるのには時間が掛かる。そんな訳で彼らは暇なのだ。
「運任せで生活が成り立つものなのですか? いや実際、こうしてお宅の家系が続いておられるという事は実際に成り立ったという事なのでしょうが、それは相当な強運でもなければ無理なのでは?」
その当然とも言える疑問に対し、老人は妙な事を言い出した。
「ああ、流石に椎茸だけ作って来ちょった訳じゃあねぇが、家みてぇに椎茸作りを主な生業として代々続けて来たっちゅうのは、確かに運がついちょらんきゃあ出来ん事かも知れん。いんにゃ、ついちょるっちゅうても運じゃのうて猫が憑いちょるんか。何しろ家の御先祖さんも猫の導きで椎茸作り始めたようなもんじゃし」
軽トラを待つ間の話に猫が飛び出して来た。
「済みません、椎茸に猫がどんな関わりがあるのかちょっと解らないのですが」
こちらが混乱する様子に笑いながら、老人はこんな伝説を語り始めた。
むかぁし、豊後の国(今の大分県)に孫三郎っちゅう男が居った。
孫三郎は百姓の三男坊じゃったから、親が亡ぉなった時も田んぼを継ぐ訳にゃあいかんかったんで、棚田にしようとして失敗してもぉた山ん中の畑を譲ってもろぉて、そのそばに掘っ建て小屋を建てて畑を耕したり、山ん幸を採って売ったり、一番上の孫太郎兄やんとこの田んぼを手伝ったりしながら暮らしちょったと。
ある日、孫三郎は孫太郎兄やんとこの田んぼの世話が済んで、明日っからは自分とこの畑の世話をしなきゃあならんので、山へ帰る支度をしちょった。
その時、孫太郎がやって来てこんな事を言うて来たんじゃ。
「山に戻んなら、ついでにタマを捨ててきてくれ」
タマは孫三郎達の死んだお母やんが可愛がっちょった三毛の雌猫で、もう六年以上も孫太郎達の家で飼ぇ続けられちょった猫じゃった。
「なっ!? 何言うよるんかえ! どうしてタマが捨てられんといけんのじゃ?」
と驚いて大声を上げた孫三郎に孫太郎はこう答えたのじゃった。
「年季明けじゃ。タマが家ん来た時に六年半の約束で飼ぉ事を認めたけれど、そろそろその期限が切れる頃じゃ
それにタマももう歳を取ってネズミもよう獲れんようになったのじゃから、頃合じゃろう」
猫の年季たぁ何かっちゅうと、今の若ぇ者は知らんじゃろうが、猫っちゅうもんは歳を取ると妖怪変化になって人を襲うようになると言われちょったもんで、そんな事になる前に家から出て行ってもろぉため、飼ぇ始める時に「お前を飼ぉてやれるなぁ何年だけ」と予め期限を決めちょくんが慣わしじゃった。
「あんまりじゃ。
そんな惨い話しがあるかい。タマが可哀そうじゃ」
そう孫三郎が訴えても、
「この家の主は俺じゃよ。もう決めちもぉた事じゃ」
ちゅうて孫太郎は耳を貸さなかったと。
「もう良え! 兄やんがそんな分からず屋じゃったとは知らんかった。
タマをこんなとこにゃあ置いちょけん。俺が山に連れてっちゃる」
ちゅうて、孫三郎はタマを抱いて山に戻っちまったのじゃ。
ちゅう訳で、孫三郎は山ん中の小屋でタマを飼ぇ始める事になったのじゃ。
「にゃああ」
小屋ん片隅でタマが鳴いちょった。
「よしよし、腹ぁ減ったんか? 飯ぃしようかい」
ちゅうて、孫三郎は麦飯を飯椀に注いで(=よそいで)タマの鼻先に置いてみたのじゃが、タマは一口、二口、口をつけるだけで、それ以上食おうたぁせんかったのじゃ。
「どうしたんじゃタマ? 体ん塩梅でも悪ぃのかい?」
そう孫三郎が聞いてみてもタマは
「んにゃあ」
ちゅうばかりじゃった。
孫三郎は心配して麦飯に豆を混ぜてみたり、カエルやら野ネズミやら獲って来たりもしたけれど、やっぱりタマはちぃとしか食べんかったんじゃ。
次ん日も、そのまた次ん日も同じじゃったもんで、孫三郎はどうにもこうにもならんと困っちもぉて、仕方なしにタマの様子を見守っちょるだけじゃったのじゃが、ある日の事、小屋ん中からタマの姿が見えなくなったと。
「タマぁ、タマぁ、どこに行ったんじゃあ」
ちゅうて、心配した孫三郎がなんぼ探し回ってもどこにも居らん。孫三郎はこのままじゃ心配で仕事も手に付かねえし、どうしようかと困っちもぉちょったと。
けれども、次ん日になるとタマは平気な顔で戻って来て、これまでの食の細さが嘘みてぇにバクバク飯を食ったんじゃと。
「どこに行っちょったんじゃタマ? 心配しちもぉたぞ」
そう孫三郎が訊いてみてもタマは飯に夢中でなぁんも答えなかったと。
それからひと月くれぇ経って、タマが黒い毛の赤ん坊を一匹連れて来おった。
「ぴゃぁっぴゃぁっぴゃぁっ」
と鳴く小さな猫ん仔に孫三郎は頬を緩めたと。
「こりゃまあ可愛ええなあ。タマの息子かい?」
と孫三郎が訊いてみても、どっかから獲って来た野ネズミを食うのに忙しいタマからは、当然のごとく答えが返って来るこたぁなかったと。
「それにしても猫は三、四匹くれぇ産むもんじゃけど一匹しか居らんのかい?
まあ、タマはもう歳じゃし仕方ねぇか。子を産めただけでも儲けもんじゃ。
一匹だけじゃあ大して腹も膨れんから、気がつかんかったけれど、子が腹ん中に居ったので、ちっとしか食わんかったし、それで動くのもおっくうじゃったからネズミも獲らんかったんじゃな。
この様子ならもう元気になっちょるようじゃし、もう心配いらねぇな」
その孫三郎の言葉に応えてタマが一声鳴きおった。
「にゃあ」
まるでその通りとでも言うちょるかのようじゃった。
その声を聞いた猫ん仔がまた鳴き出し始めおった。
「ぴゃぁぴゃぁぴゃぁぴゃぁ」
それを見て孫三郎はこう言うたと。
「そうかそうか、お前ぇもそう思ぉか。
お前ぇの母やんは年季切れで前んとこ出なきゃあならん羽目になっちもぉたが、俺はそんな冷てえこたぁ言わんから、親子でいつまでもここに居ったら良え」
すると猫どもも声をそろえて鳴き返すのじゃった。
「にゃあ」
「ぴゃぁっ」
孫三郎の話を解っちょるんか居らんのか、兎に角嬉しそうな返事じゃった。
「それじゃあいつまでも名無しじゃ塩梅悪ぃから、名前を決めなきゃあいけねぇな。
よし、お前ぇは小さくて可愛いから今日からお前ぇん名はコマじゃ」
と孫三郎は笑いながら猫ん仔に名前を付けたんじゃと。
「ぴゃぁっ」
コマも名前を付けてもろぉて嬉しいのか誇らしげに鳴くのじゃった。
ところがじゃ、コマは毎度いつまでも乳を吸っちょるっちゅうのに痩せちょって、ひと月前に生まれちょったにしちゃあちっとばかし小さかったんじゃ。
不思議に思ぉて孫三郎が良ぉ見ると、やっぱりコマは年寄りなんで、どうも乳ん出が悪いみてぇで、コマが吸っても口ん中に乳が大して入って来んようじゃった。
「こりゃぁちっと良ぉねぇかも知れん。どうすりゃあ良えじゃろか」
考えた孫三郎は村に居る別の雌猫に貰ぇ乳をして貰ぉと思ぉて、コマを連れて、あっちこっち村ん家っちゅう家を片端から訪ね回ったと。
けれども、そりゃあ簡単な事じゃあなかったのじゃ。
「すまねぇけど、家は猫の赤ん坊なら八匹も居るからもう無理じゃよ」
「家ん猫はもう乳離れすませちょるから乳なんてほとんど出んなぁ」
「家ん猫は雄じゃって」
と猫の貰ぇ乳してくれる家はなぁかなか見つからん。
村で猫を飼ぉちょる最後の一軒になって、ようやっと猫の乳をやっても良えっちゅう家に巡り合う事が出来、孫三郎はコマにその家ん猫の乳を吸わせちゃろうとしたのじゃ。
「フウゥゥゥ」
そうしたらそん猫はえれぇ剣幕でコマを脅しおったんじゃ。
こりゃぁ駄目じゃと思ぉた孫三郎はコマを抱えて引き下がったのじゃった。
村中の家を回ったけれど、猫の貰ぇ乳は出来んかったと。
それでその後、猫が駄目なりゃあと、雌牛を飼ぉちょる家から牛の乳貰ぉて来てコマに飲ましちゃあみたけれど、腹を下すばかりで思ぉようにゃあいかんかったと。
それならっちゅうて、豆を水でふやかして、すりおろしたもんの煮汁を冷まし、乳のようなもんをこさえてみたんじゃ。
そうしたらコマは大して美味きゃあねぇような様子じゃったもんの何とか飲んでくれて、腹も下さんようじゃったので、孫三郎もまずは安心したんじゃ。
それから半月くれぇ経って、コマもタマが獲って来る餌を食べられるようになったので、孫三郎も安心して小屋を空けられるようになったと。
じゃから孫三郎はまた孫太郎兄さんの所の手伝に行ったのじゃ。
田んぼの片隅で亀が捕まえたチンコバサミ(ミズカマキリ)齧っちょるのを尻目に、孫孫三郎達は鮮緑の苗を手にして田植えをしたと。
そして仕事の合間の一服している時に、孫三郎はタマの子の事を話したんじゃ。
そうしたら孫太郎は、またこんな事を言うて来おった。
「それでその猫ん仔の尾っぽはもう切ったんか?」
猫は歳を取ると尾っぽが二又に裂けて猫又っちゅう妖怪変化になると言われちょる。
そして猫ん変化は飼ぇ主を喰い殺し、飼ぇ主に化けて成り代わると言われちょるので、そんな事にならんように尾っぽを切り落としちょくんが慣わしじゃった。
けれど孫三郎はそれを笑い飛ばしおった。
「またそんなしょうもない話かい。そんな可哀そうな事なぞしちょるわきゃあねぇ。
そう言やぁタマの尾っぽは短かったけれど、ありゃあ切られちょったからなのか。
なんぼ妖力のある化け猫になっても、飼ぇられちょったままの方が餌を貰ぇて楽出来るっちゅうのに、何故、仕事やら付き合いやらの面倒事が沢山ある人になんぞ化けて、わざわざ苦労をせんといけないんじゃ?
なんぼ畜生じゃっちゅうても、そんな馬鹿な事をするわきゃあねぇじゃろ」
ちゅうて、猫ん仔の尾っぽを切れっちゅう孫太郎の話に耳を貸さんかったと。
それから一年くれぇ経って、コマもすっかり大人になった頃、タマが自分の腹をしきりに舐めるようになっちょった。
孫三郎がタマの腹に触ってみると、乳のとこにしこりが出来ちょった。
「何じゃろうか? 悪ぃ出来もんじゃなきゃ良えが」
孫三郎が心配した通り、タマのしこりゃあ段々と大きゅうなって行って、また一年経った頃にゃあ乳が赤ぉ腫れて膿むようになっちょった。
孫三郎は村ん氏神さんの社やら、山ん中の山神さんの祠やらに通ぉてタマが元気なるよう願かけしたり、タマに精を付けさせちゃろうと、ネズミやらカエルやらウサギやらを獲って来ちゃあ捌いて食わそうとしたりもしたんじゃ。
それでもタマの塩梅はさっぱり良ぉならん。食欲もねぇのか食べやすく捌いた肉も大して口つけなかったと。
じゃからっちゅうて、近くの街のお医者様の家の戸を叩いて門前払い食ろぉた時に、人の薬は猫にゃあ毒になるやも知れんと言われちょったので、滅多に薬を飲ませる事も出来んかったのじゃ。
役に立たないたぁ思いながらも
「谷川の、小堰の水を、堰き上げて、落としてみれば、みずかさもなし」(子供の口の周りに出来る吹き出物に効くとされる呪文。おそらくしこりに対しては無効)
と、三回唱えてから息を吹きかけちゃあみたけれど、やっぱ全然効かんかったと。
そうこうしちょる内にタマはどんどん痩せこけて行っちまうのじゃった。
こりゃあもう駄目かも知れんと思い始めちょったある日の夜の事、小屋ん中で眠っちょった孫三郎は誰かが話しちょる声が聞こえて来たので目が覚めちもぉたと。
真っ暗な小屋ん中で何者かがこんな事を言うちょった。
「タマ、主は何をしちょるのじゃ?
もう時がねぇ。早ぉその人間を喰ろぉちまわんともう妖力も得られんようになっちまうぞ」
それを聞いた孫三郎がたまげて飛び起きようとした時じゃった。
「フシャアァァ!」
ちゅうタマの怒りまくった声が聞こえて来たのじゃ。
そうしたら
「好きなようにすりゃ良え」
ちゅう声が聞こえたと思ぉたら、それきり声の主の気配は消えて小屋ん中は静かになったのじゃ。
「タマ、タマ」
と孫三郎がタマを呼ぶと、タマは孫三郎にすり寄って来おった。
「にゃあ」
まるで大丈夫じゃとでも言うちょるかのようなその声を聞いて、孫三郎は妖が去ったと思ぉて安心したのじゃった。
(ジジッチリリリ チャッチャッ クワカカカ ツツピーツツピー キョキョキョキョ)
それからしばらくして、小屋ん外から山ん鳥共のしゃべりまくる声が聞えて来るようになったんじゃ。
その声で夜明けが来た事を知った孫三郎は雨戸を開け、白み始めた空の明かりを入れて、小屋ん中に変わりゃあねぇか確かめたのじゃ。
そうしたらタマが床の上で動かなくなっちょった。
孫三郎が慌ててタマの様子を見てみると、タマはもう事切れちもぉちょったんじゃ。
タマは見たとこ傷も無けりゃあ苦しんだ様子もねぇし、まるで眠っちょるようじゃった。
「あれが言うちょった『時がねぇ』たぁタマの寿命の事じゃったのか」
悲しんだ孫三郎は、母やんのそばを離れたがらんコマをなだめながら、小屋ん近くにタマの墓を作ったと。
その年のある秋ん日、木々の葉が赤や黄に色付いて山々を錦のように美しく染め上げた頃、孫三郎が居る山に嵐がやって来おったのじゃ。
ゴオォォォ、ゴオォォォと暴風が吹き付けると、せっかくきれいに色付いちょった葉はみいんな吹き飛んでもぉて、木々の枝々もバキバキ、ボキボキとへし折れちまうほどじゃったので、孫三郎の小屋でも戸や雨戸がガタガタ、ガタガタと揺れて、あちこちからギィギィと悲鳴みてぇな音が聞えて来たんじゃと。
時折、雨戸や戸の隙間から青白ぇ光が閃くと、ゴロゴロゴロ、ガラガラガラと風の音をかき消すような雷が鳴り響いて、小屋に閉じ籠っちょった孫三郎を魂消させるのじゃった。
「酷い嵐じゃ。畑は大丈夫じゃろうか」
孫三郎は嵐になる前に大根の葉が倒れんように土寄せを済ませちょったんじゃが、それでも畑ん大根が心配じゃったので様子を見に行ったと。
畑ん様子を見てみると、なんとか大根は無事なようじゃった。
孫三郎がその事を確認してほっとした時じゃった。
一際眩い光が閃めいたかと思ぉと、ガラガラガラズドドドオォォンともんの凄ぇ雷が山中に響き亘ったのじゃ。
「こらぁどこけぇ落ちたな。大風も吹いちょるし、山火事にでもならんきゃ良えが。くわばらくわばら」
おっとろしぃ雷に肝を冷やした孫三郎はそう言うて小屋に戻ったと。
次ん日、嵐が過ぎ去った後の畑を見て孫三郎はたまげちもぉたと。
夜の間に強ぇ風でも吹いたのか、畑の大根の葉が殆ど折れちもぉちょったんじゃ。
「これじゃあ大根は育たん。仕方ねぇ、まだ細っこいけど収穫するきゃねぇか」
仕方なしに人参くれぇの大根を掘る孫三郎じゃった。
大根を掘り終えると、次は雨やら風やらに荒らされた畑を直さんきゃあならん。
その上、やっぱり嵐に荒らされちょった孫太郎兄やんのとこも手伝わんきゃあならんかったんじゃ。
米やら春撒きの麦やらは刈取りを済ませちまった後の時期じゃったので、なんぼかマシじゃったんじゃが、やるこたぁなんぼでもあったんじゃ。
あれやこれやで一息つけるようなったんは八日も経ってからじゃったと。
「じゃけどこれじゃあ蓄えも心もとねぇし、どうしたもんか」
広ぇし日当たりも良え孫太郎兄やんのとこの田畑と違ぉて、山ん中にある孫三郎の畑は狭ぇし日当たりも悪ぃため採れるもんも少ねぇので、孫三郎の所にゃあ食いもんの余裕があまりなかったのじゃった。
「やっぱ兄やんに頭下げて食いもん分けてもろぉきゃあねぇか」
と孫三郎が考えちょった時じゃった。
孫三郎の膝の上に居ったコマがとつぜん飛び降りて、タマの墓に駆け寄よったかと思ぉたら、なんもねぇとこを見つめて喉をゴロゴロ鳴らし始めおった。
昔っから、猫は人にゃあ見えんモンを見る事が出来ると言われちょるので、孫三郎もコマに向かってこう尋ねてみたんじゃと。
「どげんしたコマ? タマの幽霊でも居るんか?」
けれども、コマは喉を鳴らすばかりじゃった。
しばらく喉を鳴らしちょったコマじゃったが、不意に目で何かを追うように顔を動かしたかと思ぉたら、そのまま山ん方へ駆け出して行きおった。
それを見た孫三郎もコマを追いかけたのじゃった。
「よおーいコマぁどこに行くんかえ」
コマはどんどん山ん中の奥深ぇとこに入って行く。村ん者も滅多にやって来んような山ん奥は、スギやらシイやらの緑残しちょる木が生い茂ってお日様を隠しちょるんで薄暗ぇくて、物陰から獣や物の怪が襲って来たとしても不思議じゃあなかったと。
やがてあるとこでまで来ると、コマは突然に立ち止まったんじゃ。
「みゃぁーお、みゃぁーお」
そして、その場でコマはなんかに呼びかけちょるかのように鳴き始めたんじゃと。
「こんなとこにまで来るなんてどげんしたんじゃコマ?」
ちゅうて、ようやっとコマに追いついた孫三郎はコマを抱き上げたんじゃ。
コマを捉まえる事が出来て胸を撫で下ろした孫三郎は、ふと辺りの様子を見て思わず叫んじもぉたと。
「ちゃあ、なんてこっちゃ。こりゃ滅茶苦茶じゃ」
そこにゃあ古ぃクヌギの大木があったんじゃが、雷をまともに食ろぉたんじゃろう、あちこちを黒焦げにしたクヌギの木が、真っ二つに裂けた上に根元から折れて地に横倒しになっちょった。
それを見て孫三郎は喜んだ。
「クヌギなら板にも、柱にも、薪にも、こさえもんにも使ぇるから、これを切って売りゃあ食いもん買えるようになるな。
山に生えちょる木を切るんなら掟破りでお咎め食ろぉ事になるけれど、勝手に倒れちょった木ならなんも問題ねえ」
と孫三郎は思ぉたんじゃけれども、すぐにそんな上手ぇ事にゃあならんと気付いたのじゃ。
「こりゃ駄目じゃ。腐りかけちょる」
どうやらそのクヌギの木は立っちょった内から半分枯れて腐り始めちょったようで、木肌の半分が白ぇもんで覆われちょった。これじゃあ板にもこさえもんにも使えんし、薪として売るにしても値が付きゃあせん。
けれどそこにゃあその代わり、木の他にも売れるもんがあったのじゃ。
「椎茸じゃあ。こんな見事な椎茸が数え切れんほどどっせりあるぞ」
なんと、倒れちょるクヌギの木のあちらこちらから子供の手くれぇもある立派な椎茸が何百本と生えちょった。
この頃はまだ椎茸は高級品で、あらかたぁ長崎から唐(この場合は当時の中国である「清国」の事)に送られちもぉばかりで、儂達の口にゃあ盆か正月でもなけりゃ入らん代物じゃった。
「こりゃあやっぱりタマの霊が導いてくれちょったんじゃな」
ちゅうて孫三郎は懐に椎茸を詰められるだけ詰めてから、コマを抱えて大急ぎで小屋に戻るとすぐに大きな籠を背負って取って返し、その籠ん中に椎茸をこぼれるくれぇ目一杯詰め込んで小屋に戻ったのじゃ。
それから数日経って、孫三郎は大籠に干した椎茸を詰めて街に売りに来ちょった。
売るっちゅうても街中で勝手に売り歩くっちゅう訳じゃあねぇ。椎茸は領主さまが認めた仲買人にしか売っちゃあいけんちゅう決まりになっちょるようで、勝手に別んとこに売ってお咎め受けた者が居るっちゅう話もあるので、その仲買人のとこに納めに行くのじゃ。
仲買人のとこに孫三郎が着いた時、そこにゃあ偶々、大阪の乾物問屋の使いの五助っちゅうお人が訪れちょった。大阪の乾物問屋の人なんて普通はこんな田舎ん街に来る事などねぇもんじゃけれど、何でも五助やんは他の問屋よりちっとでもようけに椎茸を仕入れるために、あちこちの町や村を巡っちゃあ土地の人間と話し合うっちゅう事をしちょったんじゃと。
「ひゃあ、これは立派な椎茸でんな。
あんさんが育てたんでっか?
へっ? 山ん中に勝手に生えとっただけ言わはるんでっか?
冗談はポイッやで。こないに粒が揃っとるちゅうのに人の手が掛かってない訳あらしまへんやろ。
なんか秘密があるんでっしゃろ? ここだけの話にしとくさかい教えてくれまへんか?
そん代わり、こん椎茸は高こぉ値で買わせていただきまっせ。
とりあえず、こないなもんでどうでっか?」
ちゅうて五助は弾いた算盤を見せて来たのじゃった。大阪の商人は口が上手いので、孫三郎がまだなんも言わん内に、いつん間にか仲買人の頭を越えて、五助に椎茸を売るっちゅう事になりかけちょった。
その話を聞いちょった仲買人が慌てて口を挟んで来たと。
「ご、五助やん駄目じゃって。椎茸の取引は俺達のような藩に認められた仲買人を通すのが決まりなんですよ。
なんぼ五助やんのとこが大問屋っちゅうても藩の決まり事をないがしろにしちゃあ困りますって。
と、兎に角、その椎茸は儂がこの値で買ぇ取らせて貰うよ」
こんなに質ん良え椎茸じゃっちゅうのに、その取引が自分を通さずに行われて、自分んとこにゃあ一文の利鞘も出ねぇんじゃあたまらんのじゃろう。仲買人は必死で孫三郎の椎茸を自分んとこに売らせようとしたのじゃった。
けれど五助も負けちゃあ居らん。
「これやから、お役人に使われとるお人はあきまへんなあ。
こないに良え品もん納めてくれはる人に相場より低い値見せてどないしなはるんでっか? そないな事したら、折角の上物の品に逃げられてまうかも知れへんで。
こうゆう場合には相場より良え値を付けて、良え品もんを確保するのが定石や。
ちゅうわけで、わてに売ってくれはるんなら、この値で引き取らせてもらいまっせ」
ちゅうて、更に高ぇ値を付けて来おった。
そんなやり取りがちぃとの間続き、あれやこれやで結局、椎茸は決まり通り仲買人が買ぇ取る事になったと。但し、相場よりかなり高ぇ値が付けられるっちゅうおまけ付きじゃった。
それでも商人の五助は只じゃあ引き下がらんかったと。
「仕方ありまへん。今回は決まりっちゅう事で諦めたんやが、ほんまはもっと高い値を付けても構わんかったんや。
そやから、次は是非わてらの所に納めて貰いたいと思ぉて居るんや」
けれど孫三郎の答は今一つはっきりせんもんじゃった。
「高ぇ値で買ぇ取ってもれぇるっちゅう話しゃあ有りがてぇけんど、なにしろ勝手に生えて来るもんの事じゃから、次っちゅうても有るか無ねぇか判らんよ」
それを聞いた五助は孫三郎にこう訊いて来たと。
「ほんまに勝手に生えて来たもんなんでっか?
わても長い事、椎茸扱う商いをやって来たんやが、ここまで大したもんにお目にかかったのは数えるほどしかおまへん。
これほどの品っちゅうとなると、二つや三つなら兎も角、こないにぎょうさん採って来るなんてよっぽど運が良ぉないと出来へんと思うんやけど、あんさん一体どないしてこないに見つけて来たんでっか?」
それで孫三郎はコマっちゅう猫を飼ぉちょる事、嵐の日に雷が山に落ちた事、嵐で畑が駄目になった事、そしたらコマが雷で倒れたクヌギんとこに案内してくれた事、そのクヌギの木に椎茸が生えちょった事を正直に話したと。
そうすると五助は孫三郎にこう訊いて来たのじゃ。
「ほんで、その倒れたクヌギの木ちゅうのはどこの山のどの辺にあるのやろか?」
孫三郎はこう答えたと。
「クヌギの木のこたぁまだ村ん者にも話しちょらんくれぇなんで、そりゃぁ秘密じゃよ」
それを聞いた五助はこんな事を言うて来おった。
「どうしてもでっか? そらかないまへんなぁ。
でも、あんさんはその椎茸を取り尽くした後はどないしなはるんでっか? あんさんも次があるのか判らんちゅうてたやおまへんか。
それでや、万が一そのクヌギの木から椎茸が採れんような事になったら、またその猫にお願いして椎茸がぎょうさん生えてる別の木の所に案内してもらえば良えのと違うやろか?
ほんで提案なのやけど、その猫の首に鈴をつけてみたらどうでっしゃろか?」
椎茸ん話しをしちょった筈じゃのに、いきなり鈴ん話になっちもぉたんで、孫三郎は話について行けんかったと。
「鈴かい?」
解っちょらん様子の孫三郎にゃあ構わんと五助は話を続けたのじゃった。
「南蛮のおとぎ話を幾つも集めた『伊曾保物語』っちゅう草子(本)が何十年も前に都で刷られて、それが今でもあちこちの国で流行っとるんやけど、あんさんも話くらいは聞いた事おまへんか?
ほんで、そん中に『鼠の談合の事』っちゅうネズミどもが猫の首に鈴付けたがる話が載っとるもんやさかい、自分とこの猫はそこらの只猫とはちゃうっちゅう事を見せたがっとる見栄っ張りなんかがその話聞いてそらお洒落やって思ぉて始めたんか、良えとこの家なんかで猫の首輪に鈴付けるのが流行っとんのや。
流行りもんやさかい猫の首に鈴を付けたっても、ちぃっともけったいな事ではおまへん。あんさんとこの猫も只猫とは違って、椎茸見つけてくれた偉い者なんやから、その印として首輪に鈴を付けたったら良え。
そうしとけば、もしもこの次似た様な事があっても、鈴の音を頼りに楽について行けるっちゅう寸法や」
そう言われても孫三郎はそんな事が二度も三度もあるわきゃあねぇと思ぉちょった。じゃけんど、タマがコマを産むために姿を見せんようなった時のように、もしコマが居らんなったらと思ぉと心配でたまらなくなるので、孫三郎はコマに鈴を買ぉちゃる事にしたんじゃと。
「うひゃあ! こんなにようけ貰ぉちもぉて本当に良えんじゃろうか? ゆ、夢じゃ、こりゃあ夢に決まっちょる」
椎茸を納めた孫三郎は仲買人からお代を貰って肝を潰しちもぉたと。椎茸の匁あたりなんぼになるかで言われた時にゃあ解らんかったんじゃが、藩札(正式な貨幣ではなく、地方の統治機構である藩が、領内で使用するために独自に発行する紙幣)じゃったものの、何年も遊んで暮らせるくれぇの一財産じゃったのじゃ。
そこへ仲買人が
「いんにゃ、夢じゃあねぇって。その金はお前のもんに間違げぇねぇ」
ちゅうて請け負ったんじゃ。
更にゃあ五助も追従して来おった。
「そうや、あんさんの椎茸は格別立派やったさかい、こんくらい当然や。どうや、椎茸はもうかるでっしゃろ?」
それで孫三郎も本当の事なのじゃろうとようやく納得したんじゃと。
「そ、それなら俺は本当に金持ちになったんじゃな。
これで田んぼじゃろうと屋敷じゃろうと何でも買えるぞ。毎日美味ぇもんも食うちゃる」
そんな孫三郎に向かって五助はこう忠告したんじゃ。
「よろしゅうおましたなあんさん。
そやけど田んぼや屋敷までちゅうのは流石にちぃと銭が足らんと思いまっせ。
えらい大金手にして浮かれてまう気持ちも解らん訳ではおまへんけど、そないな時こそ気を付けんとあきまへんで。銭っちゅうもんは、なんぼ大金に見えても、贅沢したらあっちゅう間に無くなってまうもんなんや。
ここぞっちゅう時に使うんが銭の正しい使い道っちゅうもんで、無駄遣いやらなんやらやるもんではおまへんで。
後々のために田畑を買ぉ時の足しにするっちゅうのやったら兎も角、ただ毎日美味いもんを食うためなんかに使ぉとったら、あぶく銭んなって消えてまうだけでっせ」
そう言われて孫三郎は我に返ったと。
「そう言われりゃそうか。俺はどうかしちょった。
この銭で麦を買ぉて、残りゃあいざっちゅう時のためにとっときゃあ良えんじゃ」
それに五助も同意したのじゃ。
「その通りや。
せやけど、この前の嵐で野菜とかがあかんようになってもぉたっちゅうんなら、他のお百姓はん達もあんさん程ではなくても食いもんが足りんようになっとる筈やろから、村に帰ってから買ぉのはあまり良ぉないやろな。それに、あんさんが平気な顔して銭使ぉとるのを村の他ん人らに見られてまうと、あんさんが大金を持っとる事まで知られてもぉて、思わぬやっかみを受ける事になるやも知れまへん。
やから、荷物にもなるし、ちびっと高ぉつく事になるやろうけど、食いもんも街で買ぉとく事をお勧めしまっせ。
只、野菜が不足した分、皆も他のもん食うようになるやろっちゅうので、ここいら辺りの麦や米の値も上がり始めとるようや。せやから買ぉなら早めにしといた方が良えんとちゃうやろか。
後、さっきはあないな事を言うたけど、今日はあんさんが大儲けした日や。こないなめでたい日くらいはちぃとばかし贅沢したって罰は当たりまへんで。
とは言うても、御馳走食おうにも、この辺には水茶屋(食事処)みたいな気の利いたもんはあらへん様やし……
なあ、あんさんとこで大御馳走ちゅうたらどないなもんがあるんやろか?」
そういきなり訊かれちもぉて孫三郎はこう答えたっちゃ。
「そうじゃなあ、何年か前の盆に食うた鱈胃(鱈の鰓や内臓の干物)かなあ? ありゃあ喉を唄ぉて通るように美味かったなあ」
それを聞いた五助は嬉しそうにこう言うて来たと。
「鱈胃っちゅうたら干物の端くれやろ?
干物やったらわてにまかしとき。良えもん安う買えるようにしたったるさかい。
そや、他にも鈴やら麦やらも買ぉのやったな。
こらもたもたしとったら日が暮れてしまいまっせ。早よ買いに行きまひょ」
今日初めて会ぉたっちゅうに、えれぇ馴れ馴れしくして来る五助の押しの強さに負けて、孫三郎は五助と連れだって買ぇ出しのために街を回る事になったのじゃった。
まず神社で作り損ねた縁起もんを安うゆずってもろぉて、それに付いちょる鈴と飾紐を使ぉてコマの首輪作る事にしたと。
次に、街の乾物屋で鱈胃をようけ買ぉた時も、五助の口利きで、五助ん店から乾物の良え品を回しても良えっちゅう約束をする換わりに、鱈胃だけじゃあなく、立派なカマスの干物も安うゆずってもろぉ事が出来たんじゃ。
そして穀物問屋に行った時も五助の口ん上手さで麦やら豆やらは勿論、白い米まで安う買ぉ事が出来たんじゃ。
それで孫三郎は五助に礼を言うたのじゃった。
「おおきに五助やん。おかげで偉ろぉ助かったっちゃ」
じゃが五助はただの親切でこんな事をしちょった訳じゃあないのじゃった。
実は五助はこれまでもあっちこっちの椎茸を作っちょる者と親しくして来ちょった。
それで椎茸は3、4年ぐれぇの間、同じ木に繰り返し生え続けるっちゅう事を知っちょったので、孫三郎が見つけたクヌギの木からも後何回も椎茸が採れるじゃろうと踏んでおったのじゃ。
じゃからここで孫三郎に親切にして親しくなっちょきゃあ、とても沢山の良え椎茸が手に入りやすぅなり、この後何年かは儲ける事が出来ると考えちょったんじゃ。
親しくなって、孫三郎から直に買ぉ事も出来るようになるかも知れんし、例えそんな事までにゃあならんでも、この街の仲買人たぁとうに懇意になっちょるので、孫三郎が椎茸を採り続けてさえくれりゃあ、その椎茸は五助んとこに優先して入るようになっちょった。
初め仲買人と競り合ぉて孫三郎の椎茸の値を吊り上げたんも、孫三郎に椎茸は儲かるもんじゃっちゅう事を教えて、椎茸を採り続けたくなるようにするためじゃった。
じゃから礼を言われた五助はこう答えたのじゃ。
「いやいやこんくらい大した事やおまへんで礼にはおよびまへんて。
あんさんが良え椎茸採って来てくれはったおかげでわてらの店も儲ける事が出来るんやさかい、むしろ礼を言うならわての方や。
おおきに孫三郎はん。もしまた椎茸見つけるような事があったらよろしゅう頼んまっせ」
そんな五助の腹の内なぞ孫三郎が知る由ゃあねぇし、また例え知ったとしても、五助が孫三郎の得にもなるように考えてくれちょる事に変わりゃあねぇ。
じゃから孫三郎は素直に喜び、ほくほく顔で山ん中の小屋へ帰って行ったのじゃった。
そんな事があった翌年、爺婆(「春蘭」の事)が花咲かせ始めよる春、五助が村にやって来おった。
表向きの訳はこの辺りの山で良え椎茸が採れるかどうか調べに来たっちゅう話じゃったので、孫三郎が見つけたクヌギの事は村ん衆にゃあ知られんで済んだのじゃった。
じゃけれど、五助はその後で、こそっと孫三郎だけに会いに来おった。
(チリリン)
見知らぬ人間に首ん鈴を鳴らしてコマが身構えちょった。
「孫三郎はんお久しぶりやな。
おや、そこに居るんが椎茸んとこ案内してくれるっちゅうコマちゃんやろか? なるほどほんま賢そうな顔した猫やなあ。
ところで椎茸っちゅうたら、例のクヌギにそろそろ新しい椎茸が生える頃やけど、今はどないになっとるやろか?」
ちゅうて、五助は暗に次の椎茸を採りに行くように孫三郎にせっついて来おったと。
「そうじゃなあ、ここんとこ何日かに一遍、クヌギんとこに様子見に行っちょるけれど、まだ椎茸は生えちょらんかったなあ。
もしかしてもう生えて来んかも知れんな」
と孫三郎は答えたと。
そうしたら五助はさも当然ちゅう顔でこう言うて来たんじゃ。
「今日わては、万が一、あんさんが採る時期逃して椎茸を腐らせてしまわんよう早めに忠告しに来ただけやさかい、未だ生えて来て居らんでもおかしくはないでっしゃろな。
大丈夫や、椎茸は間違いなくその内に生えて来まっせ。
ただ今回、わては野暮用でちぃとの間この地を離れなければなりまへんよって、あんさんのとこから直に買ぉ事が出来そうにおまへんのや。
せやさかい、採れた椎茸はこの前の仲買人はんのとこに納めるようにしてくれまへんか。あの人には、あんさんとこの椎茸はわてらの問屋に売るように話を付けておるさかい」
五助がそんな頼み事をして来るので孫三郎はこう答えておいたと。
「そりゃあ椎茸は領主さまが認めた仲買人にしか売っちゃあいけんっちゅう決まりじゃから、どの道、あんたのとこも含めて他の所にゃあ売るこたぁ出来んので、あの仲買人のとこに売るっきゃあねぇじゃろう」
それを聞いた五助は意外そうな顔をしたのじゃ。
「へ? 直にわてに売るも何も、どっち道、仲買人はんにしか売る事が出来へん決まりやと思ぉとったんでっか。
それはちびっと違いまっせ。わても前に、仲買人はんの顔立てるために同意した事はあるんやけど、その決まりは藩から任されて椎茸作っとる人らとか、山師(鉱夫)や木こりのような山での仕事を生業としとりながら、ついでで椎茸作りもして良えっちゅう御許しを藩から得とる人らとかのためのもんで、必ずしも勝手に生えとる椎茸まで仲買人に売らなくてはならへんちゅう訳ではおまへん。
もっとも、わてみたいな大阪の乾物問屋の人間除けば、藩の仲買人はんくらいしか大口で買い取る者は居らへんさかい、儲けよ思ぉのやったらどっちかに売るしかないんやが。
まあそないな訳で、秋にでも椎茸が生えたらまた宜しゅう頼みまっせ」
ちゅうて、五助は戻って行っちもぉたと。
その後、何日かして五助の言うた通りクヌギの木にまた椎茸がどっさり生えよったので、孫三郎は約束通りこの前の仲買人のとこに椎茸を納めたのじゃった。
次ん年の秋、山童(河童が冬の間だけ山に移り住んだものとされる妖怪の一種)でさえ鬱陶しいと思いかねん程、ヤマワロウ(多年草の一つ「盗人萩」)のバカ(俗に「ひっつき虫」等と呼ばれる類の植物の種子の事)がしつこく引っ付いて来て、イカリバナ(錨花:彼岸花)が真っ赤な顔見せる頃の事、孫三郎は小屋で使う薪を割ろうとしちょった。
(チリリン)
「にゃあ?」
孫三郎がいつも薪割りの台に使ぉちょる切株に近づくと、その上で寝ちょったコマが目を覚ましてこっちを見上げちょった。
「コマ、悪ぃけれどちぃっとそこを避いちょくれ」
ちゅうて、コマを避けようとして孫三郎はたまげちもぉたと。
「おやおや、こんなとこに椎茸が生えちょるぞ」
なんと薪割りの台に使ぉちょる切株から椎茸が生えちょったんじゃ。
良ぉ見ると、小屋ん外に積み上げちょった薪の山ん中で下ん方になっちょった、前ん年から残っちょった薪の中にも、椎茸が生えちょるもんが二、三本あったと。
あのクヌギの大木から生えて来るもんと比べりゃあ貧相な椎茸じゃったけれど、孫三郎はこの椎茸も売れんもんか、次に街へ行った時にでも仲買人に聞いちょこうと思ぉて、その椎茸も干しちょく事にしたんじゃ。
その数日後、採って来ちょった椎茸を干しちょった孫三郎のとこに五助がまたやって来おった。
「まいど孫三郎はん。
毎度良え椎茸を売ってもろて助かってますわ。
ちぃとの間御無沙汰してしもぉとったんやけどまた椎茸分けてもらお思ぉてやって来たんや。
今年の椎茸の生え具合はどないな様子でっか? また良えのが採れてまっか?」
ちゅうて来る五助に孫三郎も挨拶を返したと。
「おや、五助やんかい。元気じゃったかね。
そうかぁ、もうそんな時期じゃったな。
椎茸なら見ての通り豊作じゃよ」
五助は春と秋の椎茸が採れる頃になるたびにこんな風に孫三郎から椎茸を買ぇつけようとして姿を現すので、今じゃあメジロやら赤トンボやらちゅうたもんのように季節の風物になっちょった。
そんな五助に孫三郎が切株やら薪やらから椎茸が生えたっちゅう話をしたところ、五助は大層興味深げにこう言うて来たのじゃった。
「ほならここは椎茸作りに向いとるのかも知れまへんな。
せやったらあんさん、ここはひとつ椎茸作り始めてみなはったらどないやろか?
椎茸がもうかるっちゅう事は御存じでっしゃろ?」
そう言われても孫三郎にゃあ何故そんな事をせんといけんのか良ぉ解らんかったと。
「なんもわざわざ手間かけて作らんでも、椎茸ならこの通りあのクヌギの木から採れたもんがようけあるじゃねぇか」
ちゅうて孫三郎は干し終えた椎茸を五助に見せたんじゃ。
そんな孫三郎に五助はこう言うて来たんじゃ。
「良えでっか孫三郎はん。
確かに今んとこはあんさんが見つけたっちゅうそのクヌギの木とやらからぎょうさん椎茸が取れてはいるでっしゃろう。せやけど、同じ木からいつまでも椎茸が採れると思ぉとるんやったら、そらえらい間違いでっせ。
わてには他の所で椎茸を作っとる知り合いが何人も居るんやけど、その人らの話やとほだ木……ちゅうても解らんか、椎茸を生やすために使ぉとる木は五年もすれば腐りきって椎茸がよう生えへんようになってまうさかい、三、四年くらいで新しい木に取り換えなあかんそうや」
と、椎茸作りの話を始めた五助は、続けてこう言うて孫三郎を諭したと。
「あんさんが椎茸採って来る木は大木やっちゅう話やから、ひょっとするともっと長い事持つかも知れまへんけど、それでもあんさんが生きとる間中椎茸を生やし続けてくれるっちゅう訳ではおまへんのや。
このままなあんもせんで居ると、これまで貯めた銭もいつかは尽きて、ちぃとばかしのつまずきで食いもんにも困る事になる様な暮らしに逆戻りするかも判りまへんのや。
もちろん、あんさんがどないな生き方しようとそらあんさんの勝手でっせ。
せやけど、もしあんさんが貧乏暮らしに戻りとぉないのやったら、今から出来る限りの事をしておくべきやないのと違いまっか?」
そう言われても孫三郎はまだ迷っちょった。
「じゃけど椎茸作りっちゅうてもどうすれば良えんか俺にゃあ判らんのじゃ」
けれど五助はちぃとでもようけ椎茸を商えるようにしたかったので、簡単にゃあ諦めんかった。
「椎茸作りっちゅうてもなあんもややこしい事はおまへん」
などと言うて孫三郎を説得して来おったと。
「まず秋の終わりにクヌギやコナラ、シイなんかの木ぃ切って、それで丸太をぎょうさん作り、一旦乾かして枯らしとくんや。
この椎茸生やすための木をほだ木っちゅうんやけど、このほだ木を冬になったら水に二、三日漬け込んでから所々に刻み目を入れて、風通しの良え林の中に並べて寝かしておくと、上手くいったら椎茸が生えて来るっちゅう寸法や。
どや、簡単でっしゃろ?
そや、最初の内はほだ木にする丸太を買わなあきまへんけど、後々の事を考えたら自前でほだ木も用意出来た方が良えよって、自分とこに木を植えて育てるようにしとった方が良えやろな」
本当は椎茸作りっちゅうもんはそんな簡単なこっちゃねぇし、ほだ木を寝かしちょっても上手く椎茸が生えるかどうかは博打のようなもんで、上手く行きゃあ大儲けじゃけれども、失敗すりゃあ文無しになる事も珍しくはねぇ話じゃった。
そんな事を知る由もねぇ孫三郎は
「これが前に五助やんの言うちょった『ここぞっちゅう時』なのかも知れん。
まだ銭の余裕もあるし、椎茸作りの他にも使ぇ道が色々とあるクヌギなら植えてみても損はないから、やってみようかい」
と考え、五助の口車に乗せられて、椎茸作りを始める事にしたのじゃった。
(チリンチリン)
林ん中から鈴の鳴る音が聞こえて来おった。
「コマ、ほだ木はお前の爪研ぎじゃあねぇって何べん言うたら解るんかなぁ」
草葉ん陰の真っ青な猫ん金玉(ユリ科の植物「蛇の鬚」の実)踏んづけながら、林ん中に丸太を並べちょった孫三郎が、そん丸太を引っ掻いちょるコマを見てぼやいちょった。
五助に勧められて孫三郎が試しに椎茸作り始めてから二年が経ち、前ん年の秋に初めて椎茸が採れるようになっちょった。
ほだ木を並べちょっても椎茸が生えんで文無しになる者も居るっちゅうんに、孫三郎はよっぽど運が良えのか、二本に一本は椎茸が生えたのじゃ。
椎茸が生える頃の風物となっちょる五助も、ここまで上手く行くたぁ思ぉちょらんかったようで、品の良し悪しは雷にやられたクヌギから採れるもんと比べりゃあ大したもんじゃあねぇっちゅうに、椎茸作りに本腰入れるように勧めて来おった。
じゃから孫三郎はほだ木を買ぇ足して、こんな風に並べちょるところじゃった。
ほだ木と言えば、孫三郎はほだ木に使ぉためのクヌギの木を、風よけも兼ねて畑の周りに植えるようになっちょったんじゃが、こりゃあ植え始めてから年月が浅ぉて小さいため、ほだ木に使ぉこたぁまだまだ出来んもんじゃった。
植えたクヌギの方はまだ子供でも、コマの方はそろそろ七つにも届く年寄りになっちょった。
じゃけれど、やっちょるこたぁ変わらず無邪気なもんで、新しいほだ木が並べられるたびに「こりゃあ俺のもんじゃ」っちゅうとるかのように頭擦りつけたり、ほだ木が古ぃもんか新しいもんかにゃあかかわりなく、爪研ぎしたりしちょったのじゃ。
それから季節は流れ、北風に遭ぉ事もすっかり無ぉなった代わりに、カンタロウ(「シーボルトミミズ」の事)と出くわすようになった春の山ん中を、孫三郎は椎茸が一杯入っちょる籠を背負って上機嫌で歩いちょった。
「この春も椎茸が本当にようけ採れたなあ」
あの雷にやられたクヌギの大木に数えきれん程の椎茸がまた生えたので、孫三郎も一遍にゃあ採りきれんと、小屋と山ん奥深くとの間を行ったり来たりせんといけんかった。
(チリンチリン)
孫三郎が山ん奥から戻って来ると、先に採って来ちょった椎茸にコマがじゃれついちょった。
「こりゃ! そりゃあお前のおもちゃじゃねぇぞ」
孫三郎が叱ると、コマは慌てて逃げて行っちもぉたと。
そしてそれきりコマは夜になっても戻って来なかったんじゃ。
「コマはどげんしよったんじゃろか。あの時叱ったのが悪かったんかなあ」
心配になって孫三郎はコマを探しに出たのじゃった。
「よおーいコマぁ出て来ておくれ」
と、孫三郎があちこち歩き回って叫んでも、コマの姿が見えるどころか鈴の音一つせん。
そのまま数日たっても、コマはとんと姿を現さんかったのじゃ。
「山ん獣にでも喰われてなどしちょらんじゃろうか」
と、心配で胸がはち切れそうになった孫三郎は村ん氏神さんの社やら山ん中の山神さんの祠やらに通ぉて、コマが無事戻って来るよう願かけもしちょったと。
そんなとこに風物の五助がやって来て、
「猫は死期を悟ると姿を消すと言われとるさかい、ひょっとすると……」
なんて縁起でもねぇ事を言い出しかけおったので、孫三郎はぶん殴って追い返したんじゃった。
それから半年くれぇ経って、孫三郎も半分諦めかけちょったある日の事じゃった。
(チリン)
聞き覚えのある鈴の音に孫三郎が小屋の入り口に目を向けると、小屋の戸を開けてコマが入って来おった。
「にゃあ」
と一声鳴いたコマは、そのまま雪隠育ち(戸締まりがいい加減な事の例え)かと思ぉたら、上すらり(開けた戸を音も無く上品に閉める事の例え)と自分で戸を閉めてから、孫三郎のそばに寄って来たんじゃ。
見るとコマは死にかけのカマキリのように酷く痩せこけちょって獣にでも齧まれたんか片方の耳が裂けちょった。
「ほ、本当にコマか?
今までんどこに行っちょったんじゃ?
無事で良かった」
ちゅうて、孫三郎は嬉しそうにコマを抱き上げたのじゃった。
それから数年の年月が流れ、あの雷にやられたクヌギの大木から生えて来る椎茸はすっかり少のぉなって来ちょった。
その代わり孫三郎が小屋の近くの林ん中で始めた椎茸作りゃあ毎年豊作じゃったので、勝手にクヌギの大木から生えて来るもんを採って来ちょった頃ほどじゃあねぇもんの、孫三郎は大儲けっちゅうても良えぐれぇ稼ぐ事が出来きるようになっちょった。
その事を知った村ん衆の中にも、近頃は真似をして椎茸作り始める者が出て来るようになっちょったので、孫三郎は五助に手助けしてもろぉて作り方を教えちゃるようにもなっておったのじゃ。
じゃけど他の者がほだ木を並べてみても、何故か孫三郎のとこのように椎茸が生えて来るとは限らんかったので、中にゃあ銭払って椎茸生えるようになるまで、孫三郎のとこにほだ木を置かせてもろぉちょる者も居った。
コマも変わらんと無邪気なもんで、野ネズミ追いかけたり、昼寝したり、ほだ木で爪を研ぎおったり、隠れて手拭いのほっかむりして三つ拍子(鶴崎等では「左衛門」とも呼ばれている大分県各地に伝わっている踊り)踊ったりしておった。
孫三郎の小屋は椎茸にやられて柱が腐っちもぉたので、孫三郎は小屋を取り壊してその隣に新しい家を建てて暮らしちょった。
そんな幸せな日々が続いちょったある日の夜の事じゃった。
家ん中で眠っちょった孫三郎は、いつかのように誰かが話しちょる声が聞こえて来たので目が覚めちもぉたと。
暗ぇ家ん中で何者かがこんな事を言うちょった。
「コマ、主は何をしちょるのじゃ?
もう時がねぇ。早ぉその人間を喰ろぉちまわんともう妖力も得られんようになっちまうぞ」
それを聞いてたまげた孫三郎が薄目を開けて声が聞こえて来る方を窺ってみると、小窓から射し込んで来ちょる月明かりに照らされて、尾が七つに分かれちょる仔牛のように大きな赤猫(毛色が薄茶の猫)が目ん玉を爛々と光らせて部屋の隅に蹲っちょった。
孫三郎がそのまま様子を窺ぉ続けちょると、また別の声が聞こえて来おった。
その声の方を見よると、コマが人の言葉をしゃべっちょった。
「どうしてもそうせんと駄目かね?」
そんな返事をして来よったコマに赤猫は諭すように言うのじゃった。
「只の獣としての主の寿命は今夜限りじゃ。このままじゃあ一番鶏が鳴く頃にゃあ主は冷とぉなっちょるこっちゃろう。
そんな事になる前に人間を喰ろぉて、妖力をもっと増しちょくんじゃ。
そうすりゃあ力を使ぉて寿命延ばせるようになるので、何百年も生きる事が出来るようになるし、うちのように猫の王の側で仕える事も出来るっちゅうに、何をためろぉ事があるっちゅうのかえ?
ほれ、早よせんと主の寿命が尽きちまうぞ」
コマが死ぬと聞いて孫三郎は飛び起きようとしたんじゃが、金縛りに遭ぉたように動けんかったと。
孫三郎が聞いちょる事に気付いちょるのか居らんのか、赤猫の言葉にコマはこんな風に答えおった。
「阿蘇のお三姉やん。
孫三郎やんは俺の育てのお父やんじゃ。
それにお母やんの乳が出んで俺が痩せこけちょった時にゃあ、あちこち回って貰ぇ乳してくれる相手を探そうとしてくれたり、それが駄目じゃと判りゃあ乳の代わりのもんをこさえてくれたりしたのじゃ。あの事がなけりゃあ俺は渇いちもぉて生きちゃあ居れんかったかも知れん。
俺だけじゃあねぇ。俺のお母やんが体の塩梅悪くした時も必死で看病してくれたり、願掛けしてくれたりしたのじゃ。
猫は三日で恩を忘れると言われちょるけれど、俺は忘れん。
それになにより孫三郎やんは苦楽を共にして来た家族じゃ。
そんな孫三郎やんをどうして殺す事が出来るじゃろうか。
わざわざ遠いとこから御足労してもろぉた姉やんにゃあ悪ぃが、俺は孫三郎やんを喰うつもりゃあ全くないので諦めて阿蘇に帰ってくれ」
すると赤猫のお三はコマを嘲りおった。
「人間なんぞのために命を捨てるっちゅうんかい?
主の母もその道を選びおったけれど、死んだ後まで猫がめ(猫神、呪術によって使役される殺された猫の霊)の如くそこの人間のために働いちょるっちゅうんに、人間を喰ろぉ事も出来なけりゃあ、その人間に気付いても貰らえないので、贄を貰える猫がめと違ぉてただ働きじゃ。
主もそんな母親のようになりてぇっちゅうんかい? 親子そろってとんでもない愚か者じゃ。
まあ、主がそれで良えっちゅうなら、好きなようにすりゃあ良え。うちにゃあとても理解出来ん。
それにいずれにしても、もう時間切れじゃからな」
お三がそう言うた時じゃった。
(こっけこっこおぉー)
村ん方から雄鶏の鳴き声が微かに聞こえて来たかと思ぉた途端、赤猫の姿はかき消されたように見えなくなったんじゃ。
「コマ、駄目じゃ、死んじゃあ駄目じゃ」
孫三郎は慌てて飛び起きると、コマを抱き上げたのじゃった。
けれども赤猫の言葉通り、コマはもう冷たくなっちょったのじゃ。
孫三郎は悲しんで、タマが眠っちょる隣にコマの墓を建てたんじゃと。
猫は死ぬ姿を人に見せんと言われちょるけれど、自分の命より人の命を選んだコマは、大事に思ぉちょった人間のとこで最期を迎えたのじゃ。
それからも孫三郎のとこのほだ木にゃあ、いつん間にか猫ん爪痕のような傷が付いちょるようになったのじゃと。
「もうすこうす米ん団子、早よう食わな冷ゆるど」
老人はそう言って語り終えると、魔法瓶の蓋を手に取り、冷めてしまった茶を一口すすってから斜面に並ぶ木組みの列に目を向けた。
(チリンチリン)
とどこかで鈴の音が響いた。
[了]
本作品は作者が本サイトに投稿した「猫の終身奉公 ――ねこのこときのこ――」の原案(と言っても最初期の案ではなく、投稿前に二、三回程改訂を繰り返したものですが)です。
本作品は昔の豊後の国(非正規の設定ではありますが一応、十八世紀前半頃の旧岡藩領を想定)を舞台とした昔話の形式をとっておりますため、作中では同地域を始めとする、一部地域の方言に基づいた表現を使用するよう心掛けて執筆したものです。
しかしながら、その事に拘り過ぎて読み難くなってしまった感が少なからず御座いましたので、方言の使用頻度を減じたものを「猫の終身奉公 ――ねこのこときのこ――」として別に投稿し、本作品は大分弁を解する読者向けとしてここに投稿させて頂きました。
尚、作者は豊後の国があった大分県出身の友人も居なければ、同地域に足を踏み入れた事も無いため、方言の用法等において、誤った表現を用いてしまっている恐れが少なくありません。
もしその様な類の間違いが御座いましたら、旧岡藩領における方言等に詳しい方から、御指導頂ければ幸いに思います。(尚、文章内の記述の全てに関して、方言を用いている訳では御座いません)
又、その他にも誤字、脱字、文法上のミス、等々が御座いましたら御指摘願います。
それから、作中において、化猫は人を喰わないと長生き出来ないとする描写がありますが、これは作者の創作です。
因みに、化猫になるのを防ぐために年季を定めたり、尾を切り落としたりする風習があったという話や、イソップ物語の影響で猫の首に鈴を付ける風習が出来たという話は実話ではありますが、十八世紀前半頃の旧岡藩領においてまで、これら風習が存在していたのか否かに関し、作者は確認出来ておりません。
又、栽培した椎茸を藩が定めた仲買人以外に売る事を禁ずる決まりが、十九世紀にはあった事は確かなようですが、十八世紀前半にも同様の決まりがあったかどうかや、人の手によるもの以外の自然に生えている椎茸の扱いがどの様になっていたのかという事に関して、作者は確認出来ておりません。