君がいるから
来年高校受験を控えた少年は将来のことなどまるで何も考えてはいなかったのだが…
「…ったく…なんでだよっ…あ~~~もうヤダ!ぜってぇ家出してやる!…」
待田アキラは激しくイラついていた。
普段は給食なのだが 給食センターの都合で今日は年に数回ある弁当持参日。
中学3年生のアキラは 今朝母が持たせてくれた弁当を少し期待していた。
アキラの母は料理が上手い。
というよりも アキラは産まれてから母の作る料理で育ってきたので 正直なところ「旨い」とかあまりよくわからなかった。
だが たまに食べるコンビニやスーパーのお総菜や たまに家族で訪れるファミレスなんかの味よりも 食べ慣れている母の味が アキラには「おいしい味の基準」となっていた。
お弁当作りが本当に希なことなので 母はきっとおいしいお弁当を作ってくれているはずだと アキラは登校中からウキウキが止まらなかった。
今朝の朝食のおかずが甘い玉子焼き ウインナー プチトマトだったりしたので てっきりそれらが弁当のおかずの残りだとばかり思っていた。
週明け一発目の4時間目の体育のバスケで アキラはいつもよりもずっと腹の空き具合が進んでしまっていた。
ゆえに給食の時間が待ち遠しくて堪らず ジャージから制服に着替えている最中 ずっとぐ~ぐ~と腹が鳴りっぱなしだった。
いざ給食の時間になると 早速3班の6人でいつも通りに机をくっつけ 食べる準備。
仲の良い北山と田所とふざけあいながら トイレを済ませ教室に戻ると 他のやつらの弁当の匂いでいっぱいだった。
それがアキラの胃袋を更に刺激した。
「…あ~~早く食いてぇ~…腹減ったぁ~…」
アキラは机に突っ伏すと 横にかけてあるエナメルのスポーツバッグの奥底から 青いギンガムチェックの包みを出した。
教室の全員が席に着き 担任の高原先生の「いただきます」の号令で 弁当タイムが始まった。
みんなそわそわしつつも 嬉しそうなやつ 「めんどくせぇな」と照れを隠すやつなど様々。
3班の泉まみは悲しそうな顔で ガサガサと登校途中のコンビニで買ったらしいピザのパンを頬張っていた。
アキラはそんなまみが少し気の毒な気がした。
それと同時に自分は弁当を作ってもらえているだけ幸せなんだ。と思っていた。
まだ ギンガムチェックの蝶結びをほどくまでは…
心で「待ってました!」と叫びながら ニヤニヤ開けると 大きめの弁当箱の上に銀色のレトルトパウチ それとフォークとスプーンとお箸が一緒に入っている 幼稚園時代に使っていた戦隊もののプラスチックケースが入っていた。
「…?はて?…」
アキラは一瞬ワケがわからなかった。
がしかし それらを避けて弁当箱の蓋を開けてびっくり。
びっしり敷き詰められた白いご飯の真ん中に アキラの好きな蜂蜜の梅干し 端っこに申し訳程度のたくあんとプチトマト。
それっきり。
それっきりしか入っていなかった。
アキラはがちょ~んとなった。
そして最初の台詞となった。
数年前の食品偽装事件の記者会見で 謝罪する側のおじさんが「頭が真っ白で…」と言っていた場面が 急に脳内でフラッシュバックした。
ほんの数秒真っ白だったが 「…そうだ!…」と弁当の上に乗っかっていたレトルトを思い出し 手に取ってみた。
それは「温めなくてもおいしいよ!」と猫のキャラクターが言っている絵が描かれてある お子さま用の甘いカレーだった。
アキラは再び脳内が真っ白になった。
放心状態のアキラに気づいた同じ班のさほど仲が良くない田中が アキラのカレーを見て急に笑いながら大声を出した。
「…アキラっ!おっ…お前…弁当…くっくっくっくっ…カレーって…マジうける…」
それを耳にしたクラス全員がざわざわしだした。
「…いいだろっ!別に!…そういうお前だって年寄りくせぇ いなり寿司じゃんかよぉ~!…」
アキラは恥ずかしさを隠すのに 咄嗟に反撃した。
アキラの弁当を馬鹿にした形の田中の弁当は いなり寿司に海苔巻き 茶色い煮物に漬け物と若さとは少々無縁な感じの弁当だった。
「…そうだよっ!俺なんていなり寿司だよっ!ああ…わりぃか?…俺なんて…朝もいなり寿司だったから…ちょっと泣いちゃうとこだったんだぜ!…どうだ!すげぇべ?…母さんいっぱい作ってたから…多分夜もいなり寿司だぜ!今日はヤダけどいなり寿司パーティーなんだぜ!どうだ!泣けるべ?泣けるべ?」
田中は正直だった。
「…そっ…そっか…タナお前朝もいなり寿司だったんだぁ…そりゃ泣いちゃうさなぁ…」
つい今しがた 田中と喧嘩になりそうな気配で緊迫していたクラスメイトが みんなホッとした瞬間だった。
「…あんた達はいいわよ!あたしなんか…お母さん忙しくてお弁当作ってくれなかったから…こんなコンビニのパンでさ……」
急に話に入ってきた泉まみが悲しそうにそう言うので アキラと田中はハッとなった。
「…あっ…ごめん…そうだよなぁ…俺ら弁当作ってもらってんのに…あれこれ文句言える立場じゃないのに…」
「…ううん…大丈夫…あたしコンビニのパン好きだし………ってむしろパンで良かったかもって…田中のいなり寿司よりもずっとマシかもって…ごめ~ん!田中……これ…おいしいし安いしでっかいし…ねぇ~…」
泉まみの明るさに 一同こっくんと笑顔で頷いた。
そんな中 アキラと田中は 泉まみの買ってきたパンが ちょっぴり羨ましく思えた。
そんな彼らのやりとりの一部始終を目撃していた担任の高原先生は 新婚の奥さんが作ってくれた可愛らしいキャラ弁を堂々と食べるのが恥ずかしく 蓋で隠して食べていたのを 黒板に近い席の北山は見逃さなかった。
「…なぁ、これよ…カレーをかけて食えってことなんだろうけど…真ん中の梅干しが邪魔で…カレーかけらんねくなってて…」
隣の席の泉まみにそうぼやくと まみが「…くっくっくっくっ…ほっ…ホントだ…あはははは…梅干し邪魔してるねぇ……まさかさ…まさかだけど…カレー…飲み物ってことなのかね?…ほらっ…よくテレビでデブのタレントがそう言うじゃないのさ……あはははは…違う…よねぇ?…ははははは」と アキラの弁当を推理してくれた。
「…ええっ!…まっさかぁ…カレーは飲み物だから…ってかぁ?…あははは…やんだぁ~…俺…それだらやんだぁ~……でもウケる!…」
アキラは「まさか?」と思いつつ 母なら「案外やりやがるかもしれない。」と思った。
ホームルームが終わると アキラはグラウンドの脇の土手になっている草むらで 野球部とその奥のサッカー部の練習風景をぼんやり眺めていた。
夏休み前の中体連で部活を引退してしまうと なんだか心にぽっかりと穴が開いたような気分だった。
冬には受験を控えているけれど アキラにはそれが遠い未来の様な気がして 勉強しようという気になかなかなれなかった。
今までぶ~ぶ~文句を言いながらも 部活でみんなと精一杯体を動かしていた時が たった2ヶ月ぐらい前のことだがなんだか懐かしかった。
「…また…野球してぇなぁ…」
アキラは野球部だったが さほど熱心に練習していたワケじゃなかった。
ルールもあまり知らず ただ内野の連中と「ハイ!ファースト!」とか声をかけながら パシンパシンとキャッチボールをするのが好きなだけだった。
なので試合がものすごく苦手だった。
緊張しすぎて折角レギュラーになっていても 普段の様なプレイは出来ずに終わってしまった。
それがアキラの中で悔いといえば悔いのような気もしたけれど それよりもまた仲間でキャッチボールがやりたかった。
それだけ出来れば満足だった。
やっている時 みんなで「俺ら…野球じゃなくってよ…これだけの大会だったらぜってぇ優勝してるよなっ!…」なんて あり得ない話で盛り上がっていた。
「…よ~!アキラっ!何してんのっ?まだ帰んねぇのぉ?…」
片手を上に上げながら 北山と田所がこちらに向かってダラダラ歩いて来た。
「…お~!…」
アキラも片手を上げて二人を呼んだ。
「…まだ帰んねぇの?…何お前部活やりてぇの?…」
同じクラブだった北山が何気なく尋ねた。
「…あ…別に…そういうんじゃ…」
アキラが答えている側から 北山が急に思い出したようにでかい声で話し出した。
「そう言えばよ!…俺…高原ちゃんの弁当見ちゃったんだぁ~…」
ニヤニヤといやらしい笑顔で北山がしゃべりだすと 「…あんだよぉ~…今俺がしゃべって…」アキラは少々ご立腹気味だった。
「…まぁまぁ…」
そこに田所がなだめに入ると ニヤニヤ顔の北山が話を続けた。
「…あっ…わりぃわりぃ…それよりも…なぁ…高原ちゃんの弁当…すんげぇ可愛い熊のキャラ弁だったさ…あんまはっきりとは見えなかったんだけどよ…ちらっと見えた部分がすんげぇ可愛いの…女子が好きそうなやつでよ…高原ちゃん新婚じゃん?だから…お嫁ちゃんがせっせと作ったんじゃね?…いいよなぁ…隣のゆきなに教えたら…見たいって騒いじゃって…お前ら見なかった?」
アキラも田所も自分たちの周りのやりとりで精一杯だったので そんなことがあったことすらまるで知らなかった。
「…へぇ…キャラ弁かぁ…いいなぁ……」
アキラは何気なくそう思った。
「…えっ!お前キャラ弁とか羨ましい派なの?…俺てっきりアキラはそういうの嫌いだと思ってたけど…」
田所は心から驚いた様子だった。
「…ああ…俺…キャラ弁とか…ちょっといいなって思ってるけど…駄目だった?」
「…ああ…いや…駄目じゃないさ…駄目じゃないよ…うん…なぁ北山…」
田所は動揺しつつも 話を北山に振った。
「…なぁ…じゃあよ…アキラは何のキャラ弁を作って欲しいワケ?」
北山は相変わらずニヤニヤしっぱなしだった。
「…俺は………」
アキラはふと空を眺めた。
夏の名残が残る青い空に トンボがスイ~っと目の前を通った。
「…俺はさぁ………ファイティングスのヤンがいいなぁ…」
「ええっ!…ヤンって…そりゃ無理じゃね?漫画とかなら出来るだろうけど…お前…野球選手って…」
北山と田所は顔を見合わせ ゲラゲラ笑いだした。
「…ええっ…そっかぁ…」
アキラは急に恥ずかしくなって 目線を野球部の練習に合わせた。
「…じゃあなぁ…塾でなぁ…」
北山 田所と別れた後 アキラは何となく真っ直ぐ家に帰りたくなかった。
昼間の弁当のことも理由の一つではあったが 自分でも説明できないモヤモヤがたまりにたまっていたからだ。
そこで家とは真逆の方角に歩き出した。
中学校から続く下り坂を歩くと 住宅街の僅かな隙間から真っ青な海がちょっとだけ見えた。
ゆっくりダラダラ歩きながら アキラは何故か海を目指していた。
大きなバス通りの交差点を渡ると 急な下り坂。
うっかりすると転がってしまいそうなほど。
アキラは普段滅多に来ることのない住宅街を進み 踏切を渡ると目指す海に到着した。
「…あ~~海だぁ~…」
つい呟いてしまうほど 海は青くどこまでも続いている様に見えた。
去年までは部活の帰りに仲間達と真っ直ぐ よく海に行っていた。
そして 海パンも履かぬまま Tシャツにジャージの短パンで泳いだりした。
それがとっても楽しすぎて堪らなかった。
だが 今年は受験生ということで そんな風に海に行ったりすることも出来ず 夏休みの間は夏期講習と塾通いばかりで終わってしまっていた。
コンクリートの壁の上を歩いて 丁度いいあたりに座った。
途中の自動販売機で買ったペットボトルのオレンジジュースがやけに甘くて 「買って失敗した。」とちょっぴり悔しかった。
テトラポットにカモメが一羽止まって こちらを睨みつけるような鋭い眼差しを右側の目の端っこで見ながら アキラは突かれるのでは?とちょっぴり怯えて ドキドキしていた。
海は穏やかに凪ぎて 海風がちょっぴり臭くてヒンヤリ感じた。
突然 後ろから声がした。
「…ねぇ…アキラくん!…アキラくんってば!…」
「…へっ?…」
ぼんやりしていたアキラは 急に声をかけられたので 叱られるのではないかとドキリとした。
振り返ると隣のクラスの女子 佐藤カオルだった。
アキラは一度も同じクラスになったことがない 佐藤カオルをよく知らなかった。
ただ 女子からは「ニオイ」と呼ばれているのだけ かろうじて名前を知っているくらいの存在でしかなかった。
カオルは男子から結構モテるタイプの 可愛い女子。
アキラには北山や田所が廊下なんかで出くわすと やたらに騒いで興奮しているなぁという程度の認知度だった。
「…ねぇ…アキラくん…そっちに行ってもいい?…手ぇ貸してくれる?…」
「…へっ?…ああ…ここ…べっ…別にいいけど…」
アキラはほとんど喋った記憶がないカオルに戸惑いながらも 上から手を引っ張ってあげた。
こんな形だが女子と手を繋ぐのが恥ずかしくて 手のひらの汗が尋常じゃなかった。
「…よいしょっっと…」
カオルがちょっぴりババくさいかけ声を出したが アキラはそんなことどうでも良かった。
それよりも何故 隣のクラスのかわいこちゃんと誉れ高いカオルが こんな場所にいるのか そして何故自分なんかに声をかけてきて さらに自分の隣に座っているのか アキラには全く理解できていなかった。
若干のパニック状態だった。
もうゆっくり海なんか見ていられなかった。
ただただ 今まで意識したことのない女子が隣にいるだけで 心臓のドキドキが大きくなってしまっていた。
好きとかそういう感情云々の話ではなく 思春期のアキラには「女子」という存在がクラスが同じで班が同じ 席が近いなどの理由がない限り 特に意識して話しかけたりしようとか 照れくささもあってなかなか出来ずにいた。
「…あっ…あのさ…どしたの?…佐藤さん…家この辺?…近いの?…」
アキラは緊張しながらも 必死に話しかけてみた。
「…ううん…家は全然違うよぉ…」
カオルは前方の海だけを真っ直ぐに見つめながら そう返してきた。
しばらく沈黙が続いた。
アキラはどうしていいのかわからず もう家に帰ろうと思い立ち上がろうとした。
その時 ふいにカオルがズボンの裾あたりを強く掴んだ。
「あっ!」と思った瞬間 アキラはコンクリートの上で強く尻餅をついた。
「いたたたたた…」
「…あっ!ごめんなさい…アキラくん…ごめんなさい…大丈夫?大丈夫?…」
尻餅をついて大の字に寝っ転がっているアキラの上に 覆い被さる形でカオルが心配そうに声をかけてきた。
ドキン!ドキン!ドキン!ドキン!
アキラは自分の心臓がより一層激しく打ち付けるのを感じ 同時に頭がクラクラするほど血液が全部脳まで達している様に感じた。
「…だっ!だいじょぶ!だいじょぶ!…です…から…あのっ…あのっ…」
カオルから必死に目を背けながら アキラは必死に言える言葉を発した。
「…ホント?ホントに大丈夫?…アキラくん…ごめんね…急にズボン引っ張っちゃったりして…ホントにホントにごめんなさい…」
赤い顔で涙目のカオルは 両手を合わせて謝ってきた。
「…大丈夫…大丈夫…ですから…ホント…大丈夫です……じゃあ…俺…帰りますね…じゃ…」
アキラは今度こそ帰ろうと思い 今度はズボンを引っ張られていないのを確認しつつ ゆっくりと立ち上がった。
「…あの…あのっ…アキラくん!待って!ちょっと待って!…あのっ…あたし…つきあって下さい!」
カオルは唐突に告白した。
アキラは目を丸くしながら 「…え~と…どこ?…スーパー?それとも学校?…それともどっか?…」と間抜けっぽく返してしまった。
本当に心からそういう「つき合って」だと思ったからだった。
カオルは「えっ?」と小声で言うと いきなり泣き出した。
「うわぁ~!…ちょっとちょっと佐藤さん!なんで?なんで泣くの?…ええ~っ!…あのっ…俺なんか悪いこと言っちゃった?…ええ~…どうしよう…困ったなぁ…」
アキラはカオルが泣きやむまで 慌ててしまった。
「…っく…っく…アキラ…くん……」
「はい?…なんでしょうか?」
アキラは恐る恐る返事をした。
「…あたし…ずっとアキラくんが好きだったの…野球部の練習…ずっと見てたの…いっつもかっこいいなって思ってたの…それで…だけど…だけど…あたし達受験あるから…そういうのって駄目かなぁって思ってたんだけど…でも…それでも…どうしても気持ちだけ伝えたかったの…だから…さっき海に行くの見かけたから…」
そこまで言うと カオルは下を向いて黙りこくったまま まだ流れ出る涙をぬぐった。
波はまだまだ穏やかで さっきよりも空の青さに黄色が混じってきていた。
女の子に、しかもこんなに可愛い女子に告白されたのは 生まれて初めてだった。
アキラの脳内はこの現状にどう対処したらよいのか 忙しくぐるぐるしていた。
そして「とにかく落ち着こう」と自分自身に言い聞かせ 次の言葉を一生懸命考えていた。
「…いいの…ごめんなさい…急に好きだ!なんて言われちゃって びっくりしたでしょ?…ホントにごめんなさい…アキラくんは多分覚えてないだろうけど…あたしだいぶ前にスーパー出たところで おばさんにドンってぶつかられて 買ったもの落としちゃったことがあって…覚えてる?…覚えてないか…そだよね…小学校6年生の時なんだけどさ…それで…その時玉子割っちゃって お母さんに叱られるって泣いちゃってたら…アキラくんが通りかかったかなんかで…何にも言わずにしゃがんで自分の買った玉子のパックと取り替えてくれたの…ホントに覚えてない?…それで…」
カオルはそこまで話すと 再び海を見つめて涙を流した。
アキラはその出来事をはっきり覚えていた。
可愛い女の子が泣いて困っていたので 「ん…ん…」と買ったばかりの玉子をあげて 落ちてたその子の玉子パックを拾って 自転車をバーッとこいで家に戻って 母さんと姉ちゃんにがっつり叱られた思い出。
だけど ホントのことは言わなかった。
言わずに一人 叱られたけれど「良いことをした」とニタニタ気分が良かった。
「…そっかぁ…あん時の…佐藤さんだったんだぁ……でも…俺なんかこんなだし…佐藤さんなんかに好きになってもらえるようなかっこいい男じゃないしさ……D組のひであきの方がずっとかっこいいし 頭もいいし サッカー部だったし…俺なんか…俺なんかさ…」
謙遜し卑屈になりつつも かわいこちゃんの佐藤さんに告白されている今 ニヤニヤせずにはいられなかった。
カオルを急に好きだとか そういう風に思わずとも なんだか嬉しくて照れくさくて堪らないアキラだった。
それから何となく二人で日が沈むまで話した。
「…ねぇ…ひじって10回言ってみて!…」
カオルが嬉しそうに言ってきた。
「えっ…ひじひじひじひじひじひじひじひじひじひじ…」
「…じゃっ…ここは?」
カオルは照れくさそうにアキラの肘を指さして聞いてきた。
アキラは戸惑いながらも「…え~…ひじ?…」と返すと カオルは急にハッと何かに気づき両手で顔を覆いながら言った。
「…そ・う・です・よね…ですよねぇ…え~っと…え~っとね…あっ…アキラくん…ごめん…あたし…あたし…間違えちゃったみたい…なの…」
「…えっ…あっ…うん…そうだよねぇ…ごめん…俺さ…最初にひじって言われた時点で 違うなぁって思ってたんだけどさぁ…もしかして…ピザっていうやつじゃないやつかなぁってさ…だけどもしかしたら俺が知ってるやつとは違うかもしれないなぁって…うっすら思ったからさ…なかなか言えなくってさ…こっちの方こそなんかごめんなぁ…」
アキラはカオルがおっちょこちょいで 可愛いなぁと思った。
「どうりでモテるはずだよなぁ」とも思った。
「…え~っと…じゃあ…え~っとしおずか…しおず…違った…しお…え~っと…え~っと…」
「あはははは…いいよ…もう…いいよ…あははは……それよかさ…佐藤さんはどこ受けるの?…」
アキラは話題を変えてみた。
「…あのね…えっとね…白銀付属を受けたいの…アキラくんは?」
「…俺も実はそこなんだけどね…」
「…そうなの?…やっぱりホントにそうなんだぁ…そっかぁ…そうなんだぁ…」
「えっ?何?何?…そうなんだって?何?…」
「…あのね…あのですね…あの…実はね…まみにね…聞いたの…ほらっ…アキラ君のクラスのまみ…知ってるでしょ?…」
「…あっ…うん…今おんなじ班だけどさ…」
アキラは少々戸惑っていた。
カオルが何故泉まみに自分が受験しようとしている高校を聞いたのか ポカンとしたまま理解できずにいた。
「…あたしね…白銀受けられるほど成績がね…その…良くないんだけどね…でもまだまだ受験まで時間あるでしょ?…だから…その…頑張ってアキラ君と同じ高校に行きたいなぁって思ったの…そしたらね…そしたら…もしかしたら一緒に通学とかできるかなぁって…それで…アキラ君と地球外生命体になりたいなぁって思ったの…駄目かなぁ?…」
カオルは必死に伝えたので 目に涙の粒が溜まって綺麗な水の玉になっていた。
アキラはカオルの言った「地球外生命体」の意味がわからず 腕を前で組んで首を傾げた。
「…地球外生命体?…えっ?…どういうこと?…」
アキラの頭の中はそのワードでいっぱいだったがあえて口に出さず あくまでも脳内でふと「もしかして…運命共同体?…それを言いたかったのかな?…だけどだとしても…使い方間違ってる…よなぁ…佐藤さんって面白い人なんだなぁ…」とわかると 今度は首を縦にふんふんと振り 一人急に笑い出した。
二人は顔を見合わせると 急にお互いの顔が赤くなるのを確認した。
「じゃあさ…じゃあ…佐藤さん勉強頑張ろうね!俺も白銀って言ってるけど ホントに受かるか微妙だしさ…お互いに頑張ろうね!…」
アキラの脳内は「地球外生命体」をまだ引きずっているものの それを佐藤さんに指摘したところで また彼女が泣いてしまうような気がして 傷つけるような気がして 咄嗟の機転でそう返した。
「…アキラ君…優しい…」 カオルがぽつりと呟いた。
「…えっ?…何か言ったぁ?…ん?」
アキラはカオルが何かを言っている声は聞こえたのだが 肝心の何を話したのかまでは聞き取れていなかった。
そしてまだまだしつこく「地球外生命体」の部分を反芻して 一人楽しんでいた。
「…あっ…ううん…何でもない…何でもないの…」 それだけ言うとカオルは真っ赤になった顔を両手で覆い 一人でブンブンと首を左右に振っていた。
アキラはカオルとこうして話しているうちに だんだんとモヤモヤしていた気持ちがすっきりしていくのを感じた。
「…えっと…えっとね今日は突然ごめんね…ホントにごめんなさい…じゃあ…また…送ってくれてありがとう…あのね…アキラくん…あの…あの…あのね…」
「…どしたの?佐藤さん?…」
もじもじと体をくねらせながらも まだ何か話そうとしているカオルを アキラは冷静な目でジッと見つめた。
「…あのね…また…またね…こんな風に一緒に海に行ってくれたらいいなぁって…もう海水浴は出来ないけど…アキラくんと一緒に海に行きたいなぁって思ったの…ごめんね…あたし図々しいよね…もしかね…もしか一緒に行ってもらえるんならね…あたし張り切ってお弁当作っちゃおうかなぁって思いついちゃったの…もっ…もちろんアキラくん次第なんだけど…って…あたしやな女だよねぇ…そうやってプレッシャーかけちゃってさ…オーケーって言ってもらってないくせに…一人で先走っちゃってさ…でも…でも…そういうの駄目かなぁ?…」
カオルはカオルなりに一生懸命正直な気持ちをうち明けた。
例えそれで玉砕したとしても かまわないという強い思いがそうさせていた。
まだカオルにはっきりとした返事はしていなかった。
アキラは突然の告白と少し話しただけだったので まだ「好き」とかそういう感情はわからなかった。
そんな気持ちがすぐに湧いてくるワケがなかった。
それでもカオルとただ一緒に話をしていて とても楽しかったというだけ。
アキラはもし 万が一今度こんな風な機会があるとするならば また色んな話をしてみたいとちょっぴり思った程度だった。
カオルがどういう女の子なのかを もうちょっとだけ知ってもいいなと思っただけだった。
「…いいよ…そだね…また今度…」
カオルはアキラとメルアドを交換できて 天にも昇って行きたい気分だった。
「…ただいまぁ…」
家に戻ったのは すっかり日が暮れたあたりだった。
「おかえり…ちょっと遅かったわねぇ…あんたさ、これから塾あんだからさ…もうちょっと考えて…」
母はアキラの帰りが遅いのが 心配で気にくわなかった。
「…あ~はいはい、以後気をつけますよ…」
アキラは適当に返事をすると 自室に向かった。
すると階段の下から母が「弁当箱!出しておきなさい!」と叫ぶ声がした。
制服を着替えて塾のカバンを持ってキッチンに着くなり アキラは弁当箱を出しながらも母に文句を言い出した。
「ちょっと!母さん!今日の弁当なんだよっ!…カレーってさ…俺すんげぇ恥かいちまったじゃねぇかよぉ!…しかもお子さまカレーだから甘いのなんの…ありゃカレーじゃなくってカレー風味のなんかだったよ!…もう入れんのやめてくれよなっ!…」
「あらあんたカレー嫌いだったっけ?」
母は真顔でしれっと返してきた。
「…あ~もう!だ~か~ら~!そういう問題じゃねぇだろがよ!…それとさ…入ってたシールは?シールはどこさ?…」
アキラは心底イラついた。
「えっ?…あんたシール欲しかったのぉ…お母さん仕事に行く時 ちょうど隣のたっくんと出くわしたからあげちゃったわよ…じゃあ…今度からレトルトカレーは入れませんよ!はいはい、わかりました。以後気を付けますよぉ…だけど今日の夕飯カレーだからね…」
母はアキラの言い方を真似して そう言った。
「…あ~~~~~~~~…」
疲れが一気に押し寄せてきた。
「…なぁ…アキラ…なぁ…おい!」
真後ろの席の北山がニヤニヤと話しかけてきた。
「…なぁ…お前…あの後 佐藤カオルと一緒にいただろ?…まさか…つき合ってんじゃないべ?」
どこで情報を仕入れたのか アキラは少し呆れつつも 返事に戸惑った。
「…あ…ああ…たまたま…たまたま…海でばったり会っただけ…別につき合ってるとか そういうんじゃないし…勘違いすんなボケ!」
「…へぇ…お前彼女出来たってか?…お前ら受験生なんだよ…そういうのわかってんのかねぇ?…ところで問3の答え 黒板に出て書いてもらえるかなぁ?アキラちゃんよ!」
アキラと北山の小声の会話に 数学の渡辺先生が勝手に加わってきた。
「はぁい」
ふてくされた返事の後 北山にげんこつで殴るジェスチャーをしながら 黒板の問題を解きに前に進み出た。
アキラが通っている塾の生徒は アキラと北山 それに他のクラスの男女が5人ほど。
小さな学習塾の先生のほとんどは 地元の大学に通う学生アルバイトばかり。
数学の渡辺先生も教え方が上手いのもさることながら 年齢が近いため「お兄ちゃん」的な存在で アキラや北山の良き相談相手でもあった。
夜の塾は昼間のざわついた学校とは全然違った趣で アキラはそういう雰囲気が結構好きだった。
窓から見える外は真っ黒で 街灯や車の明かりが少し見えるだけなのも 案外嫌いではなかった。
授業が終わると早速渡辺先生のところに行った。
北山は母親が車で迎えに来ているので先に帰ってしまっていた。
アキラも「送って行くよ」と誘われたのだが 「ちょっとわかんないとこあるから」と丁重に断って別れた。
「…先生…あのさ…あのさ…あの…さ…」
なかなか切り出せないアキラの様子を察して 渡辺の方から話を振ってくれた。
「…ん?お前さ、なんかあったのか?…今日…いつものお前らしくなかったけど…大丈夫か?…辛いこととかあるんだったら…なんでも相談に乗るぞ…とは言っても俺もこんな感じだから さほど力にはなれんかもしれないけどよ…さっきちらっと聞こえたけど…お前彼女でもできたんかぁ?…まっさかなぁ…」
「…あっ…え~っと…えっと…実はさ…実は…今日生まれて初めて女子に告白されちゃってさ…」
「えっ!マジで?…それでそれで…お前どうした?…つき合うのか?それとも振っちゃった?」
「…あっ…ううん…まだそういうのはできてなくって……なんて言ったらいいのか…その子…隣のクラスで一回も同じクラスになったことなくって…だから…話したことなんて全然なくって…なのに…その子…俺が好きだって言うんだ…俺のことなんか全然わかんねぇくせにさ…それでも俺が好きだって言うんだよ…でさ…その後夕方まで結構喋ったんだ…そしたらさ…初めは緊張して好きな食べ物とかどうでもいいことばっかりで…時々二人とも黙っちゃったりしてさ…今まで別に好きとかそういうの何とも思ってなかったのに…急にそうやって告白してくるからさ……俺…どうしたらいいんだろうって…そんで…その子家まで送ったらさ…今度また海で話そうって言ってきてさ…今度は弁当作るからって…俺と一緒に食べたいって言うんだよ…すんげぇキラキラした目で見てくっからさ…俺恥ずかしくって…目ぇあわせらんなくってさ…なぁ…先生…どう思う?…なぁ…俺…どうしたらいいんだかさ…彼女と話すとすんげぇ面白かったんだけどさ…」
泣きそうになりながらも アキラなりに一生懸命説明した後 膝の上に握り拳を置いたまま下を向いてしまった。
渡辺は静かにアキラの話を聞き終わると ちょっとの間考えて そうしてようやく口を開いた。
「…う~ん…そうかぁ…告られちゃったのかぁ…好きでもない女子にねぇ…だけど一緒に話すのは別に嫌じゃなかった…そんでもって次のデートの約束までしちゃったワケかぁ…」
「…デっ…デートってさ…デートってワケじゃないと思うんだけど…」
アキラは佐藤カオルと一緒に海を見ながら話をしただけのことが とてもデートの部類に入るとは思っていなかったので 渡辺にそう言われて過剰に反応してしまった。
生まれて初めてのデートが さっきのそれだとは信じたくない気持ちでいっぱいだった。
デートするのなら もうちょっとちゃんと着替えたり どこかへ行ったりするのが正式だと思っていたので さっきのことをどうしても認めたくない自分がそこにいた。
「…えっ?だってお前…自分に告白してきた女の子と一緒に 海に行ってたんだべぇ…まぁ…泳いだりはしなかったみたいだけどもよ…だったら立派なデートじゃんかよ!…そういうのをデートって言うんだよ!あはははははは…」
「笑うことないだろっ!…だって…そんなの初めてだったんだからさぁ…」
渡辺に指摘されて アキラはムキになって反撃した。
「…あははは…わりぃわりぃ…でもよ…嫌じゃなかったんなら…また会っても別にいいんじゃねぇ?…恥ずかしいか?…北山とかにからかわれるからか?…」
「…ううん…そんなんじゃないんだけど………俺さ…自分が好きになったんじゃないとデートとかってしたら駄目なんじゃないかって…思ってさ…そういう気持ちもないのにつき合うのって相手に失礼じゃないかって…
だから…だから…」
アキラはそれ以上何も言えなかった。
言う言葉が見つからなかった。
両目にいっぱい涙が膨らんできて 今にもこぼれ落ちそうだった。
「…う~ん…そうだよなぁ…そういうもんだよなぁ…アキラ…お前偉いなぁ…男としてちゃんとしてるよ…俺なんかつき合ってからだんだん好きになっちゃうとか…そんなに好きでもないくせにデートぐらいならって思っちゃったりとかさ…大人だからさ…ずりぃ~んだよなぁ…アキラみたいに純粋じゃないからさ…先生恥ずかし~~~~!!」
渡辺はどう答えて良いのかわからず 結局茶化して誤魔化した。
「アキラ!自分で考えて見ろやっ!なっ!…だけどこれだけは言っておく…お前さ受験生ってこと忘れんじゃねぇぞぉ…今やるべきは勉強!女子にうつつを抜かしてる暇なんてないよ…まっ…お前はそういうの賢いから大丈夫だと思うけどもよ…がんばれよっ!…そろそろ家に帰んないと家族が心配するぞぉ…じゃな…また来週…あっ!でもよ…話してて面白かったんなら それはちょっと好きになったってことじゃないのかなぁ?違うかぁ?…だったらよ…一緒に勉強するのもいんじゃね?そうだ!そうだよ!その彼女、うちの塾に来ればいいのに…なぁ…駄目か?…俺はそれがいいと思うんだけどもな…生徒が増えれば塾としても万々歳だしよ!…」
渡辺先生に話すことで少し心の重さが軽くなったような気がした。
塾の玄関前に見慣れた家の車と 運転席には父が乗っていた。
「よっ!アキラ…遅かったなぁ…腹減ってないか?」
父はアキラを見つけると嬉しそうに声をかけてきた。
「…あっ…父さん……ごめん…遅くなっちゃってさ…」
助手席に乗り込むと 外の明かりをぼんやりと眺め考えに耽った。
「…どした?アキラ…なんか元気ないなぁ…なんか先生に叱られたりしたのかぁ?」
「…ううん…」
「じゃあ…勉強難しかったとかか?」
「…ううん…そんなんじゃないんだ…」
「…なんだなんだ…まさかっ…お前…誰かにいじめられてるのか?だったら父さんがそいつをぶん殴って…」
「…ううん…大丈夫…誰もいじめなんかないよ…そうじゃないんだ…そうじゃ…ないんだ…」
別に落ち込んでいるワケではなく 佐藤カオルのことを考えているだけなのだが 事情を全く知らない父は元気がないアキラをたいそう心配した。
「…そだ…なぁ…アキラ…ちょっとファミレスにでも寄ってくか?お前疲れただろ?父さんさ、なんか甘いもの食いてぇなぁって…それともコンビニに寄るか?父さん…あそこのコンビニ寄るんならよ…あんこいっぱいの大福食いてぇなぁ…」
アキラの父はかなりの甘党だった。
「…ねぇ…父さん…俺さ…」
アキラは思い切って今日の出来事を話そうかと思ったけれど それ以上は何となく言い出せなかった。
「…なんだアキラ…言いかけてやめるなんてよぉ…」
そこまで言いかけて 父はアキラの様子をちょっとだけ見て そして続けた。
「…まぁさ…お前だって親に言えないこといっぱいあるよなぁ…そりゃそうだわな…父さんだってお前ぐらいの頃…親父に…ああお前のおじいちゃんな…に男同士の相談ってのか…なんかとにかく母さんや姉ちゃんや妹の女連中にゃ言えないってのか…言いたくないこといっぱいあってよ…今何?って聞かれても忘れちまったどよ…なんかそういう時ってあんだよなぁ…だからってよ…無理して話したってやっぱり駄目だと思うんだけどもな…どうしても話したいって気持ちが爆発した時でいいんじゃねぇかってな…それが何十年経ってから…実はあの時なんてぇ具合でも全然オッケーだしよ…だからな…アキラ…いいんだよ…無理すんなって…それよりもよ…なんか甘いものでも食ってくか?それともコンビニでなんか買ってくか?」
アキラは黙って「コンビニ」の方で頷いた。
「…母さんとアキ子にもお土産買ってくか?なっ?…アキラ選んでくれよ!父さんあいつらの好みからっきしわかんねぇからよ…なっ…」
優しい笑顔の父に肩を軽くポンと叩かれ 一緒に車から降りて 家から歩いて5分ほどの馴染みのコンビニエンスストアに寄って行った。
駐車場を照らす背の高い街灯には ニュースで大量発生していると警告していた蛾が群がっていた。
家に戻ると母と姉はテレビの心霊特集を見ていた。
「ただいまぁ~…」とアキラ、「よぉ…今戻ったよぉ…そうだ!母さんとアキ子にお土産買ってきたぞぉ!…早速みんなで食うべ!食うべ!…」 父の号令で家族が食卓テーブルに集合した。
「うわぁ…こぇぇ…母さんも姉ちゃんもよくこんなの平気で見れるねぇ…俺駄目だ!…マジこぇぇ…」
「…え~~~…だってさ、これなんてよく見てみっ!ただ急に家に知らない人が来て(どなたですか?)みたいな感じじゃない?…あたし達だって勝手に家に知らない人来たら怖いじゃんよ!…幽霊だって元は人なんだからさ…そういう生きてた時の感覚なんじゃないのぉ?…よく見りゃそんな感じのばっかりだよ!…まぁたまに襲ってくるやつもあるけどさ…それはなんか作ってるっぽいけどねぇ…あんま怖くはないかなぁ…」 姉のアキ子は淡々と自分が推奨する説を雄弁に語った。
アキラはそれに納得はするものの やはり映像が怖くて堪らなかった。
「…姉ちゃんさ…怖いものってないの?…」
「…あるよぉ!失礼ねぇ!…あたしが怖いのは体重計だよ!…乗るの超怖いよぉ!…それにしてもこれおいしいねぇ…お父さんまた買ってきてねぇ…」
「…姉ちゃん!体重計って…そんなデッカいシュークリーム食いながら…はぁ…じゃあさ…父さんと母さんの怖いものって何?…幽霊とか怖いよねぇ…」
アキラは父と母に同調を求めた。
「…う~ん…そうねぇ…怖いもの怖いもの…う~ん…お母さん幽霊はさほど怖くないわよ…だっておじいちゃん死んだ時枕元に立ってくれてさ…逆に会いに来てくれて嬉しかったなぁ…で…怖いもの怖いもの…あっ…あるわ…」
「えっ!何?何?」
アキラと姉のアキ子が乗り出した。
「…値上げ…」
「値上げぇ~?なぁんだぁ…そんなの…」
「あらっ!あんた達値上げがどれだけ怖いかわかってんの!それはそれはも~う怖いなんてもんじゃないわよ!給料は上がんないのに物価ばっかり上がっちゃってさぁ…あと…そうそう…税金…はぁ~や~ねぇ~…ねぇ…お父さん」
「ああ…そうだなぁ…父さんはさぁ…年金も怖いんだよなぁ…いくらもらえんだろうとかさ…暮らしていけんんのかなぁってさ…それまで元気に働けるかとか…」
そこにいる全員が急に暗い気持ちになった。
ただみんな口をもぐもぐして しばらく喋らなくなった。
窓からのヒンヤリする風でカーテンがふわりと部屋の中に膨らんだ。
それと一緒に秋の虫の声と蛙らしき鳴き声がうっすら聞こえてきた。
次の朝 登校するとカオルとアキラの話題でもちきりだった。
仲の良い仲間達は「羨ましい!」だの「どういういきさつで?」などとからかったり どういう状況だったかを詳しく聞こうとしたり この先どういう展開になるのかだの アキラ本人だってまだちゃんと決めていないし わからないことを矢継ぎ早にクドく聞いてきた。
「カオルを好きだった」らしい男どもと 「アキラを好きだった」女どもはどいつもこいつも皆 おっかない顔で傍を通る時 ひそひそとあからさまに悪口を言っているのがなかなかしんどかった。
お昼休み 隣のクラスで部活が一緒だった種元が慌てた様子で アキラ達の教室に走ってきた。
「…はぁはぁはぁはぁ…おいっ!アキラ!大変!大変!…はぁはぁ…かっ…かおっ…」
「へっ?何?タネっ…俺の顔になんかついてる?俺、今日、顔、変?」
「…はぁ…ちっ…ちがっ…カオルっ…カオルが女子に呼び出されて…大変なんだよっ!…お前のこと好きだったって言ってた山本…山本瑠璃がカンカンに怒ってるみたいで…そっ…そんで…カオルをさっ…」
そこまで聞くとアキラは心がザワザワとし 気づけば椅子の上に立ち上がっていた。
「…でっ?で、どこに?どこに連れてかれたんだっ?…」
「…あっ…ああ…あのな…旧校舎の廊下の端っこ辺りだと思うんだけど…あそこ…先生とか絶対こねぇだろっ…日直が職員室に行った帰りにチラッと見たって言っててさ…そんで…お前達さ…つき合ってんだろっ?だから…やべぇって思ってさ…」
「ばっ!ちげぇよっ!…そんな!まだ…まだ…つき合ってなんかいねぇよっ!…いねぇけど…」
そう言うが早いか アキラは教室を飛び出して行った。
「…ちっ!なんだよっ!…なんで俺走ってんだ?…なんでっ…別に佐藤さんのことなんか…好きでもないってのによっ…なんでだよっ!…ちくしょ~~~!!」
走りながらも アキラは自分が何故佐藤カオルのところに行こうとしているのかわからなかった。
ただ何故か彼女が心配で心配でしょうがなかった。
女子の軍団にいじめられでもしたら 自分のせいかもしれないとも思うと 自分でもどうしようもない申し訳なさなどでいっぱいになった。
お昼休みの混雑している廊下を走り抜ける 途中の下りの階段では転がってしまいそうになりつつも アキラは必死に走った。
佐藤カオルのことだけを考えながら。
「…はぁはぁはぁはぁ…お前ら…何やってんだよっ!…」
佐藤カオルと彼女を囲む様にしている女子軍団4~5人が目にはいると アキラはその状況に無性に腹が立った。
「…あっ…アキラくんっ!…」
カオルは小さく叫んだ。
「…アキラ君…何?どしたの?…あたし達になんか用?」
山本瑠璃は息が荒れているままのアキラを見て 冷たく笑いそう聞いてきた。
「…はぁはぁはぁ…なっ…何って…はぁはぁ…お前らこそっ…佐藤さんに何してたんだよっ…はぁはぁはぁ…」
アキラは怒りを堪えながら 必死に冷静に話した。
「…別にぃ…何もしてないわよ!…ちょっと聞きたいことがあったから それを聞いてただけよ…」
「はぁはぁ…聞きたいことって?…何なんだ?はぁはぁ…」
「…アキラ君に関係ないでしょ?…何?そんなにこの子が気になるの?そんなに心配?」
「…はぁはぁはぁ…佐藤さん…のこと…気になってるって訳…」
「…訳?」山本瑠璃はにやりとしながら 意地悪そうに聞き返してきた。
「ああ…気になるよ!…なんかわかんねぇけど…ちょっと気になったんだよっ!…昨日っ…海で急に…そのっ…そのっ…なんだ…佐藤さんに好きだなんて告白されちゃってさ…俺だって…俺だって…今までろくに喋ったこともないし、正直気にかけてもいなかった佐藤さんに…そんな風に急に告られて…俺だって…戸惑ってるんだ…けどもよ…なんかすごく気になるんだ…わっかんねぇんだけど…気になるんだよっ!別に好きでもなんでもないんだけどもよっ!…」
「…えっ…アキラくん…」カオルは急に泣き出ししゃがみ込んだ。
「…でもよぉ…話してみたら…佐藤さん…なんか面白くって…急に地球外生命体とか言っちゃうしよ…そんで…なんか…まだ…好きだとかつき合いたいとか…そういうのはないんだけど…」
「…ええっ!ないのぉ?アキラくん…」
カオルはしゃがみ込んだまま ショックを受けたらしく更に涙の量を増やしてきた。
「…ちっ…違うんだ…違うんだ…佐藤さんっ…最後までちゃんと聞いてくれよっ!…俺…まだそういう気持ちじゃないけどさ…でも…また佐藤さんと一緒に海に行きたいなって思ってんだ…それはホントだよっ!信じて!…だってさ…だって弁当作ってくれるって言ってたし…駄目かなぁ?…そういう感じじゃ駄目かなぁ…」
アキラは正直に自分の今の気持ちを告白した。
「いいで~~~すっ!すんごくいいと思いま~~~すっ!!」
ふいに後ろから大きな声が聞こえたと同時に 大きな拍手が沸き起こった。
「ひゅ~~!」という声や 口笛の「ピュ~!」も聞こえだした。
振り返ると 走って教室を飛び出していったアキラの後を一緒に走ってついてきていた 仲の良い仲間達と「なんだ?なんだ?」と野次馬的についてきた沢山の生徒達が ニヤニヤといやらしい笑顔で遠巻きに自分たちを見ていた。
アキラは急に恥ずかしくなったが そろりそろりとカオルに近づき しゃがみ込んで泣いている彼女の頭を軽くポンポンとしながら小声で 「…佐藤さん…ごめんな…あのさ…大丈夫?…」と聞いた。
カオルは涙でぐちゃぐちゃのまま顔を上げて 「…アキラ君…ありがと…あたし…あたし…あのね…地球外生命体って言ってたっけ?…」と返した。
アキラは優しい笑顔で「…言ってたよ…」とだけ言った。
その週の土曜日 アキラは早速カオルと海で待ち合わせをすることになった。
「…天気が良かったら…」という条件だったが ちゃんと予報通りの綺麗な青空だった。
事前にカオルから「…アキラ君の好きな食べ物って何?」と聞かれていたので アキラはすっと「カレー」と答えていた。
だから 弁当を作ってくる。と張り切っていたカオルが 待ち合わせ場所にデッカい風呂敷包みを抱えて来た時 ちょっぴり嫌な予感がした。
「…あっ…おはよう!…いい天気だねぇ…えへへっ…ねぇ…うふふふふ」
カオルはまだちゃんと正式にアキラとつき合っている訳ではないとわかっていても こうしてずっと好きだった彼と会うのが やっぱり照れくさくて心底嬉しくてしょうがなかった。
「…おはよう…佐藤さん…なんか荷物デッカいねぇ…重たくない?…俺持つよ…って佐藤さん…その手…左手…どしたの?怪我?ホントに大丈夫?」
アキラはそう言っている傍から カオルの荷物をひょいと持った。
「…結構…重いね…これ…何入ってるの?…教えてもらってもいい?」
「…あっ…うん…それね…お弁当なんだぁ…だって…自分から作るって約束しちゃったから…アキラ君のお口に合えば嬉しいな…」
カオルは激しく照れてニコニコ笑いながら アキラの隣を歩いた。
二人はキラキラ光る海を眺めながら お弁当を食べるのに良さそうな場所を探した。
「…さっ!お父さん…海に行くわよ!途中で買い物してくから…車に荷物乗せちゃって!」
休日のアキラの父と母は 朝からそわそわ忙しかった。
母は2~3日前 仕事帰りに寄ったスーパーでかつてPTAで一緒に役員をしていたカオルの母とばったり偶然会って 今日のデートの話などをすっかり聞いていた。
そこで父と相談し 息子のデートの監視というか ついでに海でバーベキューをしようということになり 出かける支度をしていた。
カオルの母ともそういう話になっていた。
「なぁこんなのやめねぇ?…アキラだってよ…親にデート見られるのやだべぇ…なぁ…やめねぇ?こういうのさ…」
「何言ってんのよ!あの子まだ15よ!受験を控えてんのよ!…そんなチャラチャラなんかしてる時期じゃないでしょうがぁ…」
「…そうかもしれないけどなぁ…だけど…だけどよぉ…俺はこういうのはあんまり良いとは思わんぜ…それにお前さ…アキラが心配で心配で堪らんかもしれないけど…あいつは大丈夫だって…受験だってちゃんと無事に合格するって!…」
父の発言に ただでさえアキラのことでイライラしっぱなしの母が 噛みついてきた。
「…どっからそんな根拠のない無責任なこと言えるわけぇ?…信じられない!あんたアキラが心配じゃないのぉ?」
「信じられないのはお前の方だよ!…何そんな心配することある?…あいつもアキ子も俺らの子供なんだぞ!俺らがしっかり育ててきたんじゃないかよ!…お前がちゃんと母親やってくれて 俺だって微力ながらさ…とにかく二人で一生懸命育ててきたんだからよ…心配なんてすることないって…今は多少の反抗期だし思春期でお前ともやり合うだろうけど…それでも夜な夜な外に出かける訳でもなく、悪い仲間とつき合ってる様子も全く無いじゃないかよ!それに勉強だってあいつなりにやってんじゃないか…家族とちゃんとコミュニケーションとってるし…引きこもってる訳でも…学校さぼる訳でもなく…健全に育ってるじゃないかよ…なっ?…そうだろっ?…俺らが信じてやらなくてどうすんだよ!…なっ?」
父の話にいきり立っていた母は 心から感動しいつの間にか涙が頬を伝っていた。
「…そうね…そうよね…あたし達が産んで育ててんだもんね…大丈夫に決まってるわよね…ホント…そうだわ…あたし達ってすごいのよねっ!二人の子供をここまで健全に育てちゃってんだもんね!そうよね!堂々と胸張って威張ってもいいぐらいよねっ!…じゃあさ…アキラのデートはほっといて ただ海でバーベキューにしましょっか?今年の夏はみんな忙しかったもんねぇ…バーベキューとか出来なかったもんねぇ…今日は張り切ってやりましょ!…じゃ…あそろそろ出かけますか…スーパーも開く頃だし…」
母はせっかくきっちりかっちり施したお化粧が 涙のせいでちょっぴり落ちてしまいげんなりしながら 化粧直しをして気持ちをすっかり切り替えて出発した。
売り出しのチラシ効果でスーパーは開店から人でいっぱいだった。
父にカートを押してもらい 早速店内に入った。
「…あっ!お父さん…挽肉安いわぁ~…どうする?」
「えっ!いくら安いからってさ…今日バーベキューって言ってるべや…網で焼くんだよ!…挽肉ってさぁ…挽肉で焼き肉ってさぁ…」
父が幾分か呆れて返すも 母は安く出ている挽肉にいつまでも後ろ髪を引かれる思いだった。
すっかり買い出しを済ませ カオルの両親と待ち合わせた場所に到着すると 早速長々と挨拶から始まり 自分達の息子と娘のことを「どうぞよろしくお願いします。」と言い合った。
結局アキラ達がこの海岸のどこにいるのかもわからなかった為 バーベキューが出来そうな場所を探し出すと早速準備に取りかかった。
夏と秋が混じり合う程良い暑さの中 父達は炭で火をおこし 母達はそれぞれ持ち寄った食材などを出して準備した。
海岸から見える防波堤には 沢山の釣り人が見え 沖の方には何艘かのヨットやもっと沖には今出たばかりの大型フェリーが小さく見えた。
食べ物に誘われてカモメやカラス 野良猫達がつかず離れずの場所に集まってきていた。
火加減が丁度いい頃合いになると 早速野菜やお肉を焼き始めた。
すると辺りになんとも言えないいい匂いが漂って行った。
その匂いが風に乗ってアキラ達のところまで届いた。
「…ねぇ…なんかさ…焼き肉やってんのかなぁ?すんげぇいい匂いしない?」
「あっ…ホントだ…おいしそうな匂いするねぇ…」
まだお弁当にしていなかったアキラ達は ちょっぴりお腹が空き始めていた。
「…そういえばさぁ…小学校の時の炊事遠足覚えてる?」
「…あっ…うん…確かさ…この海岸だったよねぇ…あたし達の班ね…フレンチトースト作ったの…先生から絶対どの班もご飯を炊かなきゃならなかったのにさ…誰が言ったかもう忘れちゃったけど…なんか…フレンチトーストだったの…ホントは他の班みたいに焼き肉とか焼きそばが良かったんだけどね…」
カオルは悲しそうに海を見つめていた。
「そうなんだぁ…佐藤さん達はフレンチトーストだったのかぁ…そっかぁ…でもね…俺らも炊事遠足って言ってんのにさ…ラーメンだったんだぜ…しかも…まずいの…ご飯も失敗でさぁ…その後班のやつらと何となく険悪ムードでさぁ…最悪だったんだぁ…あ~~~…それにしてもいい匂いするねぇ…あっ!ごめん…俺ちょっとお腹空いてきちゃっててさ…あの…言いにくいんだけど…その…お弁当食べてもいいかなぁ?…」
アキラはカオルをチラッと見た。
「…あっ!そだね…そうしよっか…こんないい匂い嗅いでたらお腹空いちゃうよねぇ…ではでは早速…」
そういってカオルは大きな風呂敷包みをほどくと 中身は何故か鍋だった。
アキラは一瞬「えっ?」と思った。
そして その鍋から微かにカレーの香りが漂っているのを敏感に嗅ぎとった。
「…まっ!まさか…佐藤さん…これさ…カレー?カレー入ってんの?」
恐る恐るカオルに尋ねると 満面の笑顔で「ピンポ~ン!アキラ君正解で~す!…えっと…アキラ君が好きだと教えてくれたカレーでしたぁ…うふふふふ…今朝ね4時に起きて作っちゃった…ママの助けなしで初めて一人で全部作ったのですぅ…あっ!もちろんちゃんと味見したから大丈夫だよっ!…あたしはおいしいと思うんですけど…アキラ君のお口に合いますかどうかは…」
そこまで言うとカオルは照れながらも 鍋の蓋を開けた。
「じゃじゃ~ん!…あれっ?…どうしよう…どうしよう…どうしよう…アキラ君…アキラ君…ごめ~ん…ごめんなさい…どうしよう…カレー…朝はこんなんじゃなかったんだけど…あれぇ?困っちゃった…」
両手でごめんなさいのポーズをとったまま カオルは泣きそうになりながらも必死だった。
「…ん?どしたの?どれどれ?」
アキラが鍋を覗くと そこにはカレーの固まった感じの茶色いものがあった。
それは温めなければちょっと無理な感じのカレー。
しかもカオルはカレーにばかり神経を使い 肝心のご飯や食べるスプーンなどすっかり持ってくるのを忘れていた。
ただ「お玉」だけは忘れずに持ってきてあった。というよりも 作った時、鍋に入れたまんまの状態という感じだった。
それがあたかも奇跡のような感じすら漂わせていた。
「ごめんなさい…アキラ君…あたし…あたし…ホントにごめんなさい…許してください…どうか許してください…」
カオルは泣きながら アキラに全力で謝った。
「…あははは…大丈夫大丈夫だから…佐藤さんそんなに謝らないで…ねっ…カレー旨そうだねぇ…だけど…そだね…このまんまじゃ食べられないから…う~ん…そだ…家に行こっか…ねっ!…家で温めて一緒に食べようよ!そうしよう!そうしようよ!ねっ!ねっ!佐藤さん…そうしようね…」
泣いているカオルの肩を優しくポンポンとすると 二人で帰ることにした。
防波堤の上をゆっくり歩きながら アキラはカオルの手の怪我を心配した。
「…その怪我さ…痛くない?大丈夫?…」
「あっ!…これね…恥ずかしいんだ…あたし…カレー作るのにね…野菜切ってる時ね…うっかり切っちゃったの…それが結構ザックリやっちゃって…すんごく痛くって血もいっぱい出ちゃってね…ママもパパも心配して病院になんて言ってくれたんだけどね…どうしても…一人でカレー仕上げたくって…」
照れを隠しつつ カオルは怪我をしている左手をそっと撫でた。
焼き肉の匂いはドンドン近づいて来ていた。
「…ん?…あれっ?…あれ…うちの父さんと母さんじゃないかなぁ?…えっ?でもなんで?なんでこんなところで焼き肉してんだろ?…」
「…えっ!アキラ君のお父さんとお母さん?…あっ!…一緒にいる人…うちのパパとママにそっくり!…」
アキラとカオルが立ち止まって不思議そうに顔を合わせていると 焼き肉をしている人が大声で呼びかけてきた。
「お~~い!アキラ~~~!…どうだぁ~!こっちに来て焼き肉食わねぇかぁ?…旨いぞぉ~!…そっちの女の子も一緒に食べないか~~い?…」
アキラの父は アキラ達を見つけると嬉しそうだった。
アキラの母もカオルの両親も笑顔でこちらに手を振ってきた。
アキラはカオルに「どうする?」と聞こうとする前に カオルはすぐさま大声で「食べま~~す!今行きま~~す!」と返していた。
「…ねっ!行こ!…アキラ君行こ!…」
「…へっ?…あっ…うん…うん…そだね…」
カオルは急に走り出した。
「えっ!ちょ…ちょっと~!佐藤さ~~ん!」
アキラはあたふたカレーの鍋を持ちながら 出来る限りの早足で追いかけた。
二人が両親のバーベキューに駆け寄るほんの十数メートルの間 集まっていたカモメやカラス 野良猫達が一斉に逃げて行った。
思いがけず楽しいバーベキューパーティーだった。
カオルの作ってきたカレーもバーベキューの端っこで温めて みんなで食べることが出来た。
父はカオルの父と一緒に持参した発泡酒を飲みまくって上機嫌だった。
なのでも帰りの運転は両家ともお酒が飲めない母達の役目となった。
後部座席で早くもいびきをかき始めた父を乗せ やっとこ一緒に家に戻ると アキラは疲れてソファーからなかなか動けなかった。
「…おいしかったわねぇ…それにカオルちゃん…すんごくいい子ねぇ…何より可愛いわぁ…」
母は嬉しそうだった。
「…なぁ…ホントに旨かったなぁ…カオルちゃん…いい子だなぁ…アキラ…お前いかったなぁ…大事にするんだぞぉ…」
酔っぱらっている真っ赤な顔の父もニコニコと嬉しそうだった。
「…なっ…なんだよっ!…佐藤さんとはまだちゃんとつき合ってるって訳じゃないし…それに…それに俺そんなこと言ってる場合じゃないんだよっ!受験生なんだよ!…なんだよっ!親のくせして…二人してさ…俺先に風呂入るからねえ…もう!」
アキラは少しプンプンしながら 風呂に入った。
風呂場の鏡で体を見ると 今日一日で随分日に焼けてしまったとわかった。
そして 父と母が言うとおり バーベキューが信じられないほどおいしかったと その感動が尾を引いて カオルのカレーの記憶はちょっぴりどこかへ行ってしまっていた。
夜になり自室に戻りベッドで横になると アキラは今日の出来事やカオルに告白されてからのことを反芻した。
まだほんの数日なのに 自分はカオルのことを好きかどうかもわからないのに カオル本人や周りの人達の強い圧力と言おうか 「アキラもカオルを好きにならなきゃ嘘」「カオルとつき合わなくっちゃ駄目」みたいな空気が少ししんどいと感じていた。
それとは別にカオルとの急接近により 今まで全く知らず興味もなかった一人の女の子の存在が いつの間にか自分の中で打撲の痕の様にジワジワと広がっていくのも感じていた。
だけど自分は一応受験生の身。
ものすごく通いたいと願っている高校に進学しようとしている訳ではなく ただなんとなく自分の今の段階の偏差値や通学が楽かなどの理由だけで安易にそこを受験しようとしている自分。
かといってどうしてもどうしても行きたい学校がある訳でもなく また将来どうなりたいかなんて 今のアキラには遠すぎてまるで考えることなんて出来なかった。
そんな漠然とした問題が15歳のアキラの中に重くのし掛かっていた。
あれから学校ではアキラとカオルにやんや言うものは すっかりではないにしろ ほぼいなくなっていた。
それよりもむしろ二人の行く末を温かく静かに見守ろう運動の様なものが 本人達の知らないところで起こっているらしかった。
それが二人には何よりも嬉しかった。
アキラとカオルは毎日ではないにしろ 放課後やお休みの土曜日など図書館で一緒に勉強したり たまにまたふらりと散歩がてら海を見に行くことが多くなっていた。
そんな中 各々が受験したい 通いたい学校の見学会の日が訪れた。
一つの中学校から同じ高校を見に行くグループで 給食が終わると早速学校から出発した。
アキラとカオルは当然 受験しようと考えている「白銀付属」のグループだった。
名前はよく知っているけれど 実際に訪れるのは初めてだった。
アキラはあまり乗り気じゃなかった。
さほど白銀付属に興味がなかった。
ただ 合格さえできればいい。
それしか考えていなかった。
到着した高校はアキラが想像していたところとは 大違いだった。
趣のある校舎にそこそこ活発そうなクラブ活動 そして購買部に食堂などなど…
アキラはみんなと一緒に学校を案内されながらも いつしか高揚感でいっぱいになっていた。
ふと斜め後ろを歩くカオルをチラリと見た。
窓からの逆光で見た何気ない表情のカオルが 今までアキラの前で見せる表情とはまるで違って見え そうなると急に心臓が早鐘の様だった。
「…あれっ?…なんだろ…この感じ…なんで?…佐藤さん…こんなに綺麗だったっけ…なんで?なんでなんだろ?…」
アキラの脳内はカオルでいっぱいになり いきなり顔を赤らめたので 周りの仲間達が「大丈夫か?熱でも出たんじゃないか?」など心配の声をかけてくれた。
「ちょっ!アキラっ!お前大丈夫かぁ?なんか顔真っ赤だぞ!それにすんごい汗っ!…なぁ…お前ホントに大丈夫かぁ?ちょっと座って休めよっ!…ほらっ…保健室に行くかっ?…」
アキラは何も言わずに首を左右に振った。
「…じゃあ…」
北山はアキラを休ませる場所を探した。
ふと思いついたので「…じゃあよ…外は?外のグラウンドのとこの木陰のベンチは?あそこでちょっと休めよ!…その方がいいって…」
一緒に行っていた北山に促され アキラはそこへ向かった。
パタパタと後から小走りでカオルがやってきた。
「…アキラ君…大丈夫?…これ飲んで休んでね…無理したら大変だもの…あたし…アキラ君倒れたらやだもん…」
少しだけ潤んだ瞳のカオルから冷たいリンゴジュースを受け取ると 「ありがと…」とお礼を言った。
ジュースを飲みながらも 横目で隣に座るカオルをチラッと見た。
やっぱりさっきと同じくらい 今日のカオルはいつになく綺麗に見えた。
それと同時に この場所でカオルと一緒に佇んでいるだけで アキラは何故か今まで感じたことのない幸福感でいっぱいだった。
「…ああ…佐藤さんとまたこの場所でこうやって一緒にいたいなぁ…なんかこういうのっていいなぁ…」
何気なくふんわりそんなことを思っていた。
そうなるとアキラはどうしてもカオルと一緒にこの高校に通いたいと思った。
アキラ自身もどういう訳かわからないものの 何故かこの高校が妙に気に入ってしまっていた。
空に黄色が混じる頃 みんなでバス停でバスを待った。
だが 次に来るのが40分後ということもあり 歩いて自力で帰り始める者や電話で家族に迎えに来てもらう者などで 一緒にバスを待つ仲間がすっかりいなくなってしまっていた。
そうして結局アキラとカオルだけになってしまっていた。
「…アキラ君…バスまだまだ来ないね…」
「…そだね…まだまだだね…どうする?待つの疲れて来ちゃったね…ちょっと歩く?佐藤さん決めて…」
「あたし…アキラ君と一緒なら大丈夫だよ…バス…待っていられるし…もしもアキラ君が歩きたいんなら…あたしもついてくから…それよりね…アキラ君具合大丈夫?さっきフラッとしちゃってた?…そっちの方があたし心配…」
アキラは自分を心底心配してくれるカオルが 急に愛おしく思えた。
本当はカオルの綺麗さにドキドキしただけなのだが それは言えなかった。
カオルには自分はまだ好きとかそういう感情を持っていないと思っていたし 今もそう思われているけれど 実際はカオルのことがいつの間にか好きになっているという事実を アキラはなんだか認めたくないような気分だった。
カオルにまだ片思いでいて欲しいという 勝手極まりない傲慢な気持ちもアキラの中に巣くっていた。
…ずるい自分…
アキラはそんな自分自身が許せなくもあった。
素直に言えばいいだけなのに…
カオルとバスを待つ間 どうしても自分の素直な今の気持ちを 吐き出したい衝動にかられた。
今のままでは自分があまりにも卑怯すぎるような気がしてやりきれなくなっていた。
アキラはもうどうにでもなれ!という投げやりな気持ちで カオルに気持ちをぶつけた。
今すぐに卑怯な自分から解放されたかった。
「…あっ…あのさぁ…今日…ここの見学できてよかったよねぇ…なんか思ってたよりもさ…すんごく良さそうな雰囲気だったよねぇ…でさ…俺さ…俺…正直…受験するくせにこの学校に全然興味も何もなかったんだよね…恥ずかしんだけどさ…でも…今日来てみてさ…佐藤さんと一緒に来てみてさ…俺ね…ここの学校にどうしても来たいってなんかわかんないんだけどさ…そう思ったんだよね…そのっ…佐藤さんと一緒に…さ…ここに通えたらいいなって…思ってさ…」
カオルは必死に話すアキラを真っ直ぐな目でじっと見つめていた。
アキラは全身に汗をびっしょりかきながらも 話続けた。
「…そんで…だからその…佐藤さん!…勉強一緒に頑張ろうねっ!絶対一緒にこの学校に来ようねっ!…ねっ!約束だよっ!いいかい?」
アキラはデッカい声でそこまで話すと 右手の薬指をピンと差し出しカオルと指切りのポーズをとった。
カオルは思いがけないアキラの告白に驚きと戸惑いと嬉しさが混ざり また涙を流していた。
そして ゆっくりアキラの小指に自分の小指を絡めた。
「…じゃあ…ゆっびきっりげんまん…うっそついたぁらはぁりせんぼんの~ますっ!ゆっびきったっ!」
空には白っぽい三日月がほっそりとした輪郭を見せていた。
ようやくやってきたバスは帰宅時間にもかかわらず 案外空いていた。
アキラとカオルは開いていた一番後ろの座席に着いた。
窓際にカオル その隣にアキラ。
カオルは黙ってぼんやりと外の景色を眺めていた。
その顔は夕日に照らされ うっすら笑っているようにも見えた。
アキラはカオルが見ている外の景色と一緒に 夕日が当たるカオルの綺麗な横顔をぼんやり眺めていた。
そして いつの間にか自然にカオルと手を繋いでいた。
バスから見える動く景色がだんだん見慣れた街に近づくと アキラもカオルもなんだかホッとした気持ちになった。
最後まで読んでくださって 本当にありがとう御座いました。
読みにくさやわかりづらい部分もあることとは思いますが そこは何とぞ温かい目でお許し願えればと思う所存であります。
これからもどうぞよろしくお願い致しますです。