トリックスター
時間軸は7部「なんだか大混乱……。」の、彩香・桂吾の初対面シーンと、彩香・雅浩の会話シーンの間になります。
冒頭彩香視点、残りは桂吾視点です。
「つうか、あんた本当に夜ねれてるんすか?」
「んにゃ?」
寝起きに突然投げかけられた質問に我ながら妙な声を返すと、桂吾がため息をついた。
「その返事、寝てないって事でしょう。いくらあんたでも睡眠不足が積もれば倒れますよ?」
「……だから、今寝てるんだけど」
「足りてないから変な声でぼけた返事よこすんでしょうが」
あきれを隠しもしない声とため息で返した桂吾が、ベッドの上に座っている私の側に来る。と、そのまま私の肩をつかんでベッドに押し倒す。
「……なんのつもり?」
「今日は習い事もなく門限までは三時間あるでしょう? もう一眠りした方がいい」
「でも、そろそろ帰らないと雅浩兄様より遅くなるから。先に車出さないと心配かけちゃうからね」
「俺が適当な理由で在室証明書きますよ」
「そういう問題じゃ……」
「嫌ならこのまま力ずくでやりましょうか? この状態で抵抗できると思ってます?」
確かに寝不足のせいか軽くめまいがするしベッドに押し倒された上に、十三歳の私と三十路後半の男じゃ勝負になるはずもない。だけど……。
「家族巻き込んで人生棒にふる覚悟あるの?」
「……確かに篠井と久我城敵にまわす度胸はありませんけどね」
私の切り返しに苦った声が返る。私に何かしてそれが篠井の家族や克人兄様の耳に入ったら間違いなく篠井と久我城は瀬戸谷を敵とみなすだろう。そうなって困るのは桂吾なのだから、滅多な事はできない。それでも私の上からどかない度胸は認めるけど、嘘だとわかってるおどし程むなしいものはないと思うのも本当。
まぁ、そんな理由がなくても桂吾が本気で私を傷つけるわけがないんだけど、こんな理由を口にしたら途端に不機嫌になるってわかってるからね。
「けど、どちらも敵にまわさない方法があるの、あんたは知らないでしょう?」
目を細めて笑った桂吾に問い返すより早く、香水のようなものが顔に吹き付けられる。嫌なにおいじゃないけどきつくて咳き込んだせいで思い切り吸い込んでしまう。
「あんたどうせまたろくでもない夢でも見て眠れないんでしょう? これで少しは寝不足解消できますよ」
「何、を……」
急激にきつくなった眠気にやられたと気づいたけどもう遅い。
「薬混ぜたお茶飲まされても時間で起き出す根性は認めますけどね。さすがに今度は無理でしょうからおとなしく寝ててください」
あきれたような声と雑に頭をなでる感触を最後に、意識が途切れた。
――――――――
まったく何やってんだ、この人は。
薬で無理矢理眠らせた相手を見下ろして一つため息をつく。そりゃ親しくない相手には気づかれないだろうが、俺にまで隠せるはずがないだろうが。何年あんたの後輩やってたと思ってる?
「くま作るほど無理してんじゃねぇよ」
つい口をついた言葉は自分で思っていたよりも苦い。無理をすれば大抵の事はこなしてしまえるだけに、この人は昔から無理をしがちで危なっかしい。飲み物や食べ物に軽い睡眠導入剤を混ぜて意識を飛ばしたのも一度や二度じゃない。たちが悪いのは、限界前には俺が無理矢理にでも止めるとわかっているからか、そこまでは無理をしてもかまわないと思っているあたりだろう。その上、あの人の担当医ですらあきらめたのか俺に薬を預けるよう指示していたと言うんだから、本当あれこれ終わってたな。
ため息をついてうっすらとくまのういた目元を指先でたどる。なんでもそつなくこなす上にろくに表情を変えないせいで、無理してると気づかれないまま無理を重ねてしまうのがこの人だ。もう少しまわりを頼るなり使うなりすればいいのに、と歯がゆくてしかたがない。
「ともかく、あんたに無理させたつけはきっちり回収させてもらいますからね」
意識がないとわかっている相手にそう言うと、制服のリボンをほどく。さすがに横になるからかブレザーだけは脱いでいるが、その程度じゃよく眠れないだろう。襟元のリボンはよくある結んだ形で縫ってあり実際はゴムで調節するものじゃない。手触りはいいが扱いにくい生地で作られたただの布を襟から引き抜き、ボタン二つ分ブラウスの前をゆるめてから立ち上がる。いっそ嫌がらせ半分でスカートのホックも外してやろうかと思ったが、さすがに自重するとしよう。半端な角度に曲がった腕を伸ばしてやってから毛布をかける。
「さ~て、篠井雅浩を呼び出すとしますかね」
どうせだから少しものものしく呼び立ててやるとするか。
思ったより早く、呼び出しから五分ほどで現れた篠井雅浩はどこか警戒した様子だった。ま、前回の揺さぶりが気に入らないんだろうし、あの人が俺の部屋に入りびたりなのも面白くないんだろう。
知らん顔をして前回と同じく紅茶を出すと、口をつけもせず険のこもった視線を向けてくる。
「妹の事で話があるという事でしたよね?」
「うん、ちょっと心配になってね」
曖昧に応じてこっちは紅茶を一口含む。せっかくいれてやったんだから飲めばいいのに。結構いい茶葉使ってるからうまいんだぞ?
「本当は個人情報だし本人の同意なしに話したらまずいんだけど……」
ためらうそぶりで一つ、ため息をついてみせる。
「彼女、家でちゃんと眠ってるのかな?」
「……どういう事ですか?」
わかりやすく眉をひそめるのは何か思い当たる事でもあるんだろう。学園が用意した資料にも篠井彩香は昔から軽い不眠の気があると書いてあったし、実際宿泊研修の時には見回りの教師の気配に必ず目を覚ましていたらしい。あの人の眠りが浅いのは昔からでも、自宅にいてすら眠れてない、というのはいくらなんでもおかしい。
「ここに来てる時間の半分は眠ってる――というか、顔色がよくないから僕が無理矢理ベッドに押し込んでるから、かな?」
しれっと言って小さく笑うと、さも不快そうな気配がもれる。まったく、仮にも篠井の跡取りがこんなにわかりやすく隙を見せていいのかねぇ?
俺は今のこの情況が、昔あの人――高浜綾がやたらと気に入っていた乙女ゲームとやらと同じ状況なのだと知っている。普段、ゲームなぞ一通りイベントを見たらそれっきりやらない人が何度も何度もやっているから興味を持ってやってみただけだが、その中に自分と同姓同名で妙に似ているキャラクターが出てきたのには驚いた。
まぁ、その時は笑い話ですんだ偶然も、自分がそのゲームと同じ名前の学校に同じ職業で勤める事になりそうだと分かった時、事情が変わったけどな。
あれが現実に起こるのか、という思いには不快さよりもむしろ好奇心をあおられた。面白そうだとあえてこの学園を選んで就職したし、仕事の都合上ざっととはいえ、他学部の様子も知っておく必要があって目を通した情報の中に久我城克人の名前を見付けた時は笑ったものだ。とうとう面白い事が始まるらしい、と攻略対象や周辺キャラの動向をチェックしながら仕事をこなしていた。
そんななか、割と早めにゲームとの差異に気づいた。
そもそも俺がそんな裏事情を知っている辺りで、ゲームの中の瀬戸谷桂吾とはある意味まったく別の人格になっていると言っていい。そして、次に大きく違ったのが篠井彩香――あの人だ。篠井雅浩の実の妹であるはずの彼女が、末端の篠井に生まれた預かり子となっている。
これは裏ルートをそそのかすのも悪くないか、と最初に思っていたのも事実だ。さすがに篠井彩香の中身が高浜先輩と分かった今はそんな事思っちゃいない――という事にしておくか。
高浜先輩はどろついてて微妙だと言っていたけど兄妹でないのならそれはそれで面白いだろう、と悪戯心が出たのが一番大きい。だからこそ、何やら考え込む風情の篠井雅浩を見かけた時、おおよその事情を察した上であえてそそのかすような事を言った。――まぁ、そんな事がばれたらあの人に満面笑顔で臓腑をえぐるような痛烈な皮肉を言われるだろうから、今となってはばれないのを期待するしかないんだが……。
そうなんだよなぁ。篠井彩香があの人でなけりゃ、このままここでお膳立てしてやって裏ルートバッドエンドに持っててお終い、が一番面白いんだがな。いや、俺としては別にバッドエンドだとは思わないけど、まぁ、当事者の一人の意志が完全に無視されているあたりでハッピーエンドとは言い難いのは認めよう。
というか、どう考えても篠井雅浩と久我城克人は篠井彩香が好きだ。昔から俺を含めやっかいな相手にばかり好かれる人だったと思ってたが、まさに面目躍如だな。あの人自身かなりやっかいな状況みたいだし、本人としてはどっちもお断りらしいから下手な手を打ったら恨まれるのは俺だ。
それにしても、あの人のあの不安定さは何なんだ? まるで篠井彩香と高浜綾がくるくると入れ替わっているような、二人の間でふらふらと揺れ動いて、その時あの人の意識がむいている方の言動に傾いているような、気色の悪い違和感。それとなく様子をうかがっている間に俺が作った篠井彩香像とかみ合わない、徐々に高浜綾然とした雰囲気を濃くまとわりつかせ出しているあの人に、何が起こってる?
今下手に手を出したら何かが決定的に壊れるような予感がする。――するんだが、あの二人をけしかけたらあの人がどんな反応をするのか、好奇心が抑えきれないのも確かだ。
高浜先輩には幸せになって欲しいと思うし、そのためだったら多少の無茶もかまわないんだが……、悪さをしかけて慌てるところを見てみたいとも思う。困らせて泣かせてみたい、泡を食って事態をおさめにかかるところを見たいって欲望は抑えがたいんだよなぁ。
「それで、どういう事なんですか?」
つい自分の考えに気を取られていたら、続きをせっつかれて我に返る。
「あぁ、ごめんごめん。どう話したらいいかちょっと考えててね」
あの人いわく、うさんくさい笑顔で受け流してから考えをまとめる。
――ま、俺が面白さ優先で悪さしかけるなんざいつもの事だ。あの人だって本気になりゃ思春期まっただ中なガキの一人や二人、転がす程度わけねぇだろ。それに、この坊や達をけしかけて何かあったとしても、あの人は篠井彩香に傾くだけで、それは悪い事じゃないはずだ。ここは俺の楽しみを優先させてもらっても何にも問題ない、な。
「彼女、ここのところ目の下にくまができてるからね。話を聞いたらろくに眠ってないって言うし、必要なら軽い睡眠導入剤を処方できるって言っても、家族に心配かけるからいらないの一点張りなんだよ。……でも、正直これ以上放置するのは、ね」
小さくため息をついてみせると、案の定篠井雅浩の顔色が変わる。そりゃそうだ、元から不眠の気がある妹がろくすっぽ眠れてない一番の原因はお前だろうからな。あの人が口に出したわけじゃないけど、おおかたそんなところだろう。
あの時点では篠井彩香があの人だとは知らなかった。でも他人は路傍の石とばかりの態度のくせ、一度懐に入れた相手が離れていくのに過剰なほど落ち込むやっかいな性格の人だとわかった以上、他の原因だとは思えない。
「僕は医師免許も持ってるし、学園からも弱い薬であれば処方の許可はもらってる。ただ、それも本人が同意すればだし、学園内で未成年者に対しての事だから保護者に連絡するのが規則だからね」
実際のところ、黙っておくから使えと薬を押し付けても受け取らなかったんだけどな。まぁ、薬に頼る習慣をつけたら手放せなくなるって判断は間違ってない。こと、あの人にはいくつか簡単で即効性のある上、習慣性の心配がまったくない安眠法がいくつかあるんだから余計だ。
「ま、ちょっと勝手な処置をさせてもらったからあと何日かはなんとかなると思うけどね」
思わせぶりな言葉を使うと、さらに視線がきつくなる。わかりやすいったらないな。
「紅茶に薬を混ぜたのと、催眠作用があるハーブの香りをかがせただけだよ。――ま、あと何時間かは起こしても起きられないだろうけどね」
「同意なしに薬を飲ませて意識を奪うのは犯罪じゃ?」
敵意が感じられる割には本気で敵対するつもりがなさそうなのは、あの人が俺に気を許してるのを感じ取ってるから、か? だとしたらそう馬鹿でもないんだろう。
とはいえまだまだガキだな。自分の知らないところで大事な妹に降りかかったかもしれない災難を正確に理解してるか怪しい。
もっとも――。
「彼女はこの程度じゃ怒りもしないよ」
「……え?」
「篠井さんは僕がこのくらいの事をしたところで怒らないよ。それくらいの信頼関係はあるからね」
というか日常茶飯事だ。今さら怒るほど暇じゃないだろ。馬鹿らしい、と思いつつ紅茶をすする。
「問題なのは彼女が怒るかどうかじゃないよね? 他人でしかない僕がそこまでしないといけないほど、君達家族があの子を放ったらかしにしている事だよね?」
一緒に暮らしていて気づかなかった、だなんて言い訳が通じると思ってないだろうな? 首根っこひっつかんででも、一服盛ってでもベッドに叩き込むのは今現在家族であるお前らの仕事だろうが。
そうやって怒鳴りつけてやりたいのを我慢して笑みを深くする。表情を隠すのに便利なのは笑顔だ、というのは俺があの人に教えられた事の一つ。
「元から不眠気味の――それだけ精神的に不安定だとわかっている子供が、明らかに眠れてない様子なのに何の対処もしないで放置したとなれば、虐待と取られてもしかたのない情況だよ。これ以上続くのであれば僕は篠井さんを通院させるよう、正式に申し入れなくちゃいけなくなる」
スクールカウンセラーから通院指示を出されるなんて、親の責任を果たしてないと世間に暴露されるようなものだ。篠井にはかなりの痛手だろう。
俺の言葉に坊やが眉間にしわをよせる。
「――通院は妹が嫌がるんです」
「それは理由にならないよ。本人の好きな事だけやらせるのが愛情かい? それとも所詮実の家族じゃないからどうでもいいのかな?」
「そんな事あるわけがっ」
「だったら、ちゃんと彼女と向きあったらどうかな? ――妹の身代わりとの恋愛ごっこは楽しかったかい?」
一旦あおってから切り込むのは興奮してガードが甘くなるのとカウンター気味にいれた方が効果的だからだ。
ものの見事にかたまった篠井雅浩の表情は写真でも撮りたいくらいだったが、さすがにそうもいかないのが残念だ。
「……彩香の、身代わり?」
数拍おいてなんとか言葉をしぼり出したものの、言われた意味がわからないのか認めたくないのか、反応は鈍い。
そんな隙だらけじゃ、悪い大人につけ込まれるぞ?
「今まで君が好意をもった相手は、みんなどこかしら似てたんじゃないかい? そりゃそうだよね、身近にあんなに素直で可愛らしい、血の繋がらない女の子がいて惹かれないはずがない」
辛いよね、と少し声のトーンを変える。
「相手が妹じゃ好きだと言うに言うないし、言ったところで相手は家族としての好意としか思ってくれないのがわかりきってる。……よく似た相手と疑似恋愛をしたのは、逃げ場のない彼女を追い詰めないため? それとも他の子が好きだと自分をごまかしたかったのかな?」
同調するふりで言われたくないだろう事実を指摘して追い詰める。ここでのやり過ぎは厳禁だ。
「だけど、彼女はそれを喜ぶかな? 大好きなお兄さんが離れてしまう事を寂しく思うんじゃないかい? 君に頼ったら駄目だって無理をさせる事にはならないのかな?」
食いつきたくなる餌は甘くて美味しそうな方がいい。ほんの少し都合のいい大義名分を混ぜてやれば、罠だと気づいても無視できないものだ。
「現に彼女は君と少しかけ違っただけでこんなにも調子を崩してしまうほど、君が大好きなんだよ? それが恋愛感情じゃないなんてどうしてわかるんだい?」
いや、俺はあの人がこいつに恋愛感情がないのは知ってるけどな。あの人の精神構造は致命的に恋愛にむいてない上、一度家族だと思った相手にそんな感情を持てるほど、あの人にとって家族という言葉は軽くないだろう。久我城克人の方がまだあの人とくっつく可能性はあるんじゃないか?
「それに、兄妹はいつか離れてしまうけど結婚すればずっと一緒にいられるよね。それは君も彼女も、二人ともが望んでる事じゃないのかな?」
似て非なる事を望んだ結果の半端な相似だけどな。今はそんな事どうでもいい。重要なのは一見筋が通ってるように聞こえる耳触りのいい提案だって事だ。本当、あの人が立証したこういう人をはめる作戦の見事さはさすがだよな。
「――君達が恋人同士なんだと知ったら、ご両親は喜んで認めてくれるんじゃないかい? 案外、内心ではそれを期待しているのかもしれないよ? 彼女は誰が見たって篠井当主の妻として相応しい能力の持ち主なんだから」
――だから、お前のものにしてしまえばいいだろう?
言外にそう匂わせて微笑む。
さて、餌は充分まいた。これに食いつかないでいるのは相当大変だろう? どうでるかな?
俺の前でしばらく言われた事を反芻しながら迷いを見せていたが、やがて何かに気づいたように瞬きをして、ふっと笑みを浮かべる。
「確かにそういう考え方もできるんでしょうね」
それまでの迷う様子は見事に払拭された、落ち着いた態度に少しばかり感心する。一応あの人に気に入られただけの事はある、か?
「妹にはなんらかの形で僕にとって特別なんだと伝える必要があるのも確かだと思います。――だけどそれを恋愛にからめる必要はありません」
「本当にそう思うかい?」
「ええ。――あの子が僕に恋愛感情をむけて来ない限りは、ですけどね」
あながち強がりとも思えない、笑み混じりの言葉が返って来たのは予想外だった。
「あなたが僕と彩香の関係をどう思っているのかはわかりませんけど、あの子が僕にそういう感情を持ってるとは思えないんですよ。それでも、僕が切り出したら間違いなくあの子は受け入れるだろうと確信できるくらいには好かれてますけどね」
へぇ? なかなか正確な洞察だな。俺も同意見だよ。あの人が坊やにむける執着には恋愛感情なんざ一切ないくせに、相手をひきとめるためにはそのくらいあっさりやりかねないものがある。
「彩香に無理をさせながら解決を先延ばししていた事に対する苦言はその通りですから反論するつもりはありません。近日中に必ず解決します」
「そこまでの思いがあっても、今日中とは言わないのかい?」
「彩香の方で聞き入れる余裕がない時に無理矢理ねじ込んでも無駄ですから。聞き入れてくれそうなら今夜にでも」
小賢しく正解を持って来やがったな。確かにあの人は何かに集中し始めたら他の面倒事は後回しにするし、自分の中である程度の結論が出るまでは絶対和解の申し出を受け入れない。長引いたのはあながちこいつのせいだけでもないだろう。
――伊達に七年近く兄妹をやってるわけじゃないって事か。本当可愛げのない。
「ま、そういう事なら少し様子を見るよ。ただし、次に篠井さんが倒れそうな顔色をしていたらすぐに通院指示を出すからね」
「必要になる事はないと思いますけど、覚えてはおきます」
笑顔でさらっと返して来たか。ま、ガキにしては優秀だな。
「僕としても篠井を敵に回したくはないからね。そうなるのを祈ってるよ」
「不当な言いがかりでなければ瀬戸谷と事を構えるつもりなんてありませんよ。彩香にずいぶんよくしてくださっているみたいですしね」
「おや、そう見えたかい?」
「彩香はあれでかなり人を見る目が厳しいですからね。あの子がそれなりになついているのだから、少なくともあなたは彼女にとって信用に値するという事でしょう」
僕にとっても信用に値する人であればなおいいですけど、と肩をすくめて見せられ、これには苦笑するしかない。確かにあの人にとってはともかく、篠井雅浩にとっての俺は信用するには危険だろう。面白半分にとんでもない道に誘う相手を警戒するのは当然だ。
「ま、少なくとも君に害意はないんだけどね」
「そうであればたすかります」
「篠井さんを本気で敵にするつもりはないからね。そこだけは信用してくれていいよ」
紅茶を飲みながら本心を返す。
「僕は何があろうとあの人の敵にならない。君にちょっかいかけすぎればあの人の怒りを買うから、その辺のさじ加減は間違えないよ」
範囲ぎりぎりで遊んでるのは否定しないけど、と笑うと、篠井雅浩はなんとも嫌そうな表情になる。
「それは、僕を試してるという事ですか?」
「いや? どこまで君をいじめたら篠井さんが怒るか知りたくてやってるわけだから、試すというよりはからかってるんだけど?」
しれっと言い切るとさすがにこれは予想外だったのか、言葉につまる。だけどまぁ、一応あの人に気に入られただけの事はあるという事にしてやるか。
「まぁ、がんばってる君に一つだけいい事を教えてあげよう」
「――いい事、ですか?」
「妹さんがかわいいなら高浜とは関わらせない事だね。特に新当主の高浜幸仁とは絶対に接触させない方がいい」
「高浜幸仁……?」
「そう。過去の篠井彩香が殺されかけた相手で、彼女が本気で怯える唯一の相手だからね」
小さく笑って告げると見事なくらいに相手が凍りつく。
「あぁ、これ以上は言えないよ? これだけでもばれたら僕まで刺し殺されかねない情報だから」
ちょっとサービス過剰だったな、とは思うがまぁいいさ。こいつがしっかりしてくれればその分あの人が安全になるわけだしな。
「この件に関しては何も言えないけど、困ったらいつでも相談においで。君に協力するかは保証できないけど、篠井さんの事なら助言してあげるよ」
「……ありがとうございます」
礼を言うべきか悩んだんだろう。微妙な間をあけての言葉に小さく笑う。俺がお前でも礼は言いたくないだろうからかまわないさ。
高浜先輩、どこまでやったら本心を見せてくれますか? あんたの抱えてる余計な荷物、全部放り出させるには何が必要か、さっさと教えてくださいよ。
それさえわかりゃ、力尽くだろうがあんたが望んでなかろうが、あんたを縛ってる鎖、……全部断ち切ってやる。
お読みいただきありがとうございます♪
桂吾さん、雅浩兄様いじめ楽しそうですね?(笑