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変わるものと変わらないもの。

本日、47〜51まで連投します。

ご注意ください。

 ホテルのバーで一人グラスをかたむけていたら、笑みの気配をまとわりつかせた声で名前を呼ばれ、ふりかえる。

「遅刻だよ」

「すみません。チビどもが出しなにぐずったもんで」

 さして悪いとも思ってなさそうな様子でわびた桂吾が、するりととなりに座る。

 婚約するまでも、結婚までも時間をかけた私と違って、桂吾は私が情報を渡してから数年のうちに沙奈(さな)さんと結婚した。まさかの後継者として正式に本腰を入れる宣言と同時の婚約発表の後、一年で結婚式だ。はっきり言って、瀬戸谷クラスの家だったら、なんだかんだ婚約から結婚まで普通は二年はかかるものなんだけどねぇ。

 その後、男二人女一人の三人の子供が生まれてて、一番上が来年初等部だ。下はまだ幼稚舎にも上がってない。

「俺のいないところで今晩は誰が俺のとなりで寝るか決めてたらしいんですよ。で、出かけると知って、大絶叫、と」

「好かれてるね、お父さん?」

「ま、母親には敵いませんけどね」

 からかいに小さく笑った桂吾は、普段通りにウィスキーを二つ頼む。私が飲んでるのはノンアルコールのカクテルだ。

 お酒が来るまでの間、他愛のない世間話をしていたけど、お酒と軽いつまみが出てきたところで桂吾が、それで、と少し声のトーンを変えた。

「大丈夫なんですか? 雅浩の結婚に高浜の事件と続いて、だいぶ様子がおかしかったみたいですが」

「あいかわらず、ガラスばりだねぇ」

「あんたみたいに危なっかしい人は三人がかりで監視してるくらいが丁度いいんですよ」

 さらりと返されてついふきだす。

「それ、兄様達も言ってたよ」

「つまり、そんだけあんたが危なっかしいんですよ。――まったく、俺はいつになったらあんたの主治医をお役御免にしてもらえるんです?」

「さぁね?」

 すっとぼけてお酒に口をつけたら、桂吾も苦笑いでそれにならった。

「ま、平静なふりができる程度には落ち着いたようで何よりですが。それはそれとして、あんた、雅浩の結婚についてはどう思ってるんです?」

「どうもこうも反対した覚えはないよ?」

「そういう事じゃないですよ。名実ともに雅浩が他人のものになってどういう気分なのか、と聞いてるんです」

 単純な好奇心なのか、カウンセリングなのか、どっちでもありそうな質問に首をかしげる。

「ん~……。まぁ、相手が椿さんだしね。思ってたよりもしんどくはない、かな」

 隠す事でもないし、隠したところで桂吾にはばれそうだからおとなしく白状してしまう。

「椿さんは私の一番大切な友達だから、家族になれて嬉しい、っていう気持ちもあるんだ。……だけど、少し申しわけない、かなぁ」

 強いお酒をなめながら一つため息をこぼす。

「どうしてです?」

「二人とも、私が一番だから」

「……気づいてたんですか」

「そりゃ、大好きな人達の事ですから?」

 驚いたように目をみはる桂吾に、少しいたずらっぽく笑ってみせる。

「知ってるよ。雅浩兄様が私に恋愛感情をむけないでくれるようになったのも、椿さんが何にも言わないのも、私がそれを望んでるからだ、って。二人が克人兄様との事で背中を押してくれたのは、本当に私の幸せを望んでくれてるからだ、っていうのもね。それに、私を好きな相手が私の次に好きだから結婚したのも」

 だから平気なの、と言葉をしめくくったら、桂吾はあきれたようにため息をついて頭をかく。

「全部ばればれでしたか」

「二人が私には気づかせたくなさそうだったから、知らんぷりしてるだけ、かな。でもまぁ、なんだかんだであの二人ならうまくいくんじゃないか、って気はするよ。だから口をはさまなかったんだけどね」

「あんたと克人もうまくいってるじゃないですか。……呼び名は相変わらずみたいですけどね?」

「うるさいわっ」

 面白がってるのがまるわかりの口調に、思わず声を荒らげると桂吾は軽く肩をすくめた。

「いや、克人が地味に気にしてますよ? 本当は克人に兄様(・・)でいて欲しいんじゃないか、無理して男としてみてるんじゃないか、ってね」

「……えぇぇ?」

 この前はずっとこのままでいい、って……って、私が気にしないようにそう言ってくれたのかな?

「俺は悪くないと思いますけどね。沙奈もいまだに桂吾兄さん呼びが完全には抜けてませんし」

「だよねぇ。一度染みついた呼び名って完全に変えるの難しいし」

「まぁ、克人もその辺はわかってるとは思いますよ。ただ、それとは別の次元で不安になる時もあるんでしょう。特にあんたはそっち方面淡白どころか無味乾燥でしょうし」

「……悪いとは思ってるんだよ、一応は……」

 そうなんだよね……。私はそういう方面得意じゃないし、克人兄様が水をむけて来なければしなくてもまったく気にならない――というか、疲れるからしなくてすむならその方がいい、とか思ってるくらいだし。でも、克人兄様は別に私の前ではそんな様子一度も……って、あ。

「……あ、もしかして、あれかな?」

「何か思い当たることでも?」

「いや、まぁ……。この前、そんな話になったんだよね。ここ半年くらい、お互い忙しくてすれ違いばっかりだったし、さすがに悪くて」

「……半年とか、あんた鬼ですか? 添い寝は毎日で半年? ……そりゃいくら何でもでしょう……」

「……反省はしてる」

 なんとも言い難い表情で眉間をもみながらため息を連発する桂吾から視線をそらす。男の人の生理としてかなりあれなのは知ってるんだけど……。

「まだ、翌日ほとんど動けなくなるんだよね。だから、完全にオフの日の前日しか無理だし」

「吐き気とめまいの発作は相変わらずですか?」

「まぁ、最初の頃よりはましになってるけどね。まだ、午前中はベッドから出られないかなぁ」

 幸兄の置き土産、とでもいうべきなのか、そういう事をすると必ずあの頃の夢を見るし、翌朝に酷い吐き気とめまいが出る。理由はたぶん、あの人の前でそんなところを見せるわけにいかなかったら、安全になるまで不調を隠す癖が染みついてるせいだと思う。あの人は事がすむとすぐに帰ったから、一眠りした後は安全、っていうのも染みついてるんだと思うし。

 だから、少なくとも私が完全にオフの日の前日以外無理、っていうのは動かしようもない。いや、無理すれば動けなくはないんだけど、そんな事をしたら克人兄様がものすごく怒るし。そして、休みが多い設定とはいえ、許された時間はぎりぎりまで研究に時間を割きたいし、私の休みはイコール久我城当主の妻として、社交に出歩くための時間、な訳で……。結果として完全なオフは月に一~二日という現状。加えて克人兄様も忙しいと来れば、結果は推して知るべし、だ。

「そんな状況じゃ克人もあんたの体調が万全の時以外は誘うに誘えないでしょうし、あんたが自分から水をむけるはずもないのでその結果、ですか」

「そういう事なんだよねぇ。で、それもなんだか申し訳なくて、立場的に克人兄様に子供がいないのもまずいし、だからつい、愛人の立場で割り切ってくれる人だったら一人か二人ならかまわないよ、と」

 しばらく前に克人兄様に言った言葉をリピートしたら、桂吾が飲みかけていたお酒をふいた。しかも、気管に吸いこんだのかそのまま派手にむせかえるとか?!

 慌てて背中をさすってやっていたら、しばらくして咳がおさまり始めた桂吾が涙のにじんだ目元をぬぐう。

「……あんた、やっぱり鬼ですね」

「へ?」

 開口一番それですか? 思わずきょとんとしたら、盛大にため息をついた桂吾がカナッペを一つ口に放る。雑にかんで飲み込んだ後、お酒を一口飲んでから、またもやため息。

「それ、家庭内離婚宣言にしか聞こえませんが?」

「…………へ?」

 何を言われているのかわからなくて、またもや間抜けな返事をしてしまう。かていないりこん……、というと、要するに夫婦のふりするのは家の外でだけ、って事? 何がどうなって?

「いや、ですからね? 男の立場からすると、あんたと寝るのはごめんだからよそで処理してきて、って言われてるようにしか聞こえませんが?」

「…………はぃぃ?!」

「……自覚がねぇのもほどほどにしろよ?」

 すっとんきょうな声を上げた私に、なんだかすわった目で桂吾がつぶやく。

「そうでなくとも克人は、たとえ恋愛感情でなくともあんたが自分より俺や雅浩を優先してるのを知ってるんですよ? いわば、あんたが恋愛感情をむけてるのは自分だけだ、ってプライドがあるから、あんたの好きなように雅浩と添い寝させたり、俺と深夜まで飲んでるのを許せるんですからね? そこを揺らがせたら、いくら克人があんたに甘くて許容量があっても、くるもんがあると思うんですが?」

 俺だったら間違いなくその場でどなりつけてひんむいてます、と怖いセリフを真顔ではく桂吾の目が、すわってる、なんて表現じゃ足りないほどすわりきってる……。

「しかも、その後に高浜の事件であんたガキの頃みたいな錯乱の発作起こして、正気に戻るまでまる一日以上かかってるんですよ? 克人があんたにとっての自分の存在の意味を疑っても当然だと思うんですがね?」

 こうして言われてみると本当酷いわ……。私なりに考えての事ではあったんだけど、その理由は何も話してないし。

「……ええと、その……。ごめん、なさい?」

「俺に言ってどうするんです?」

 冷たく切り捨てられて肩を落としたら、苦笑いの気配とともに桂吾の手が私の頭に乗せられる。

「まぁ、あんたの考えもわからなくはないんですけどね。毎回そんなじゃなかなか誘えないだろうし、その場でも楽しめないだろう、その位なら別の相手とちゃんと楽しんで欲しい、ってな所でしょう?」

「うん。……だって、克人兄様、いつも心配そうに眉よせたままなんだもん。それに、怖くないか、痛くないか、ってそればっかりで。正直、関係がないとばれたら私の立場が悪くなるからしぶしぶなのかなぁ、って」

 昔の桂吾だったら絶対にしなかった、子供をあやすような仕草につい、ため息をつく。にじんだ涙をごまかすためにグラスに口をつけたら、悪酔いしますよ、と予想外にやわらかな声が耳に届いた。

「そこは克人が悪かったですね。あんたが致命的にうとい事くらいわかりきってる事実なんだから、そんな顔をする癖になんであんたを抱くのか、はっきり言わなけりゃ、あんたが理解できるはずがないんですから」

「……塩も唐辛子もいらないから」

「一応、応急処置のつもりなんですけどね。その件に関しては一度、克人にあんたの考えてる事全部話してみるのをお勧めします。きっと、大慌てしますよ、あいつ」

 喉の奥で笑いながらの言葉に一つうなずく。

「で、こっちはけっこうな地雷だと思うんですが……。高浜の件、あんた大丈夫なんですか?」

「わりきれたか、って意味ならまだ全然。でも、たぶん大丈夫、かな」

「安心できない返事ですねぇ」

「たぶんね、昔の私だったらあのまま壊れてしまったと思う。辛くないわけじゃないし、正直、今になってこんな事をするくらいなら、あの時一緒に死んでくれればよかったのに、なんで私だけ置いていくの、って思ってるし」

「……そう、ですか」

 正直なところを口に乗せたら、桂吾がこれ以上ないってくらい眉間にしわをよせた。私の心の奥底にはまだ、あの頃のままあの人に支配されたままの部分がある。そんな事、私も桂吾も兄様達も知っている事だ。

「だけど、私は幸せなんだよ。今、――あの人の関わらない場所で、たくさんの人達に守られて支えてもらって、あの人一人が世界のすべてじゃない、って理解できる程度には立ち直れてる」

 確かにまだあの人は私にとって大きな影響力がある。たぶんこれからもそれは変わらないだろうけど、本人がいなくなってしまった以上、それはやがて薄れてくるはずのもの。

「愛されて守ってもらえて幸せなんだ、ってわかるくらいにはまわりの好意を受け入れられる。だから、たぶん大丈夫。――少なくとも、久我城克人という人が私を不要になるまでの間は、間違わないでいられるよ」

「あいつの代わりに克人を使うんですか?」

「違うよ。私が間違えそうな時、ちゃんと呼び戻してくれる、ってそれだけなんだけど、でもそれができるのが克人兄様だけなだけ。この前も錯乱して泣きわめく私をずっと抱きしめててくれて、薬がきれるまでずっと側についててくれた。――たぶん、私が過去に逃げ込んでたらそのまま受け入れてくれるつもりだったんじゃないかな? でも、そんな優しさが私を呼び戻してくれた」

 冷静になって思い返せば、私が目を覚ました時、克人兄様は一度も私の名前を呼ばなかった。私が克人兄様と雄馬父様を混同しかけてたのにだって気づいていたはず。それなのに何も言わずにいてくれた。あの時、克人兄様がそれを否定したり、私を問いだたしたりしていたら、私は今の自分を認識する前に混乱に陥ってしまっただろうから。

「計算してやってるんじゃないからこそ、克人兄様はいつも絶妙なところで私を守ってくれる。――ま、だからこそ、私はあんまり克人兄様に執着しない方がいいんだろうね」

 私は好きになった人に精神的な部分で依存する傾向が強いから、誰か一人に執着しすぎるとまた、その人にすべてを押しつけて押しつぶしてしまうだろう。だからきっと、桂吾と雅浩兄様と克人兄様、それぞれに別の部分を預けているような今の状態が一番安全なんだと思う。きっと無意識のその判断が、恋愛感情をむけつつあった克人兄様の優先順位を下げた。

「ま、わからなくはないですけどね。――言っときますが、俺はいつか確実にあんたをおいていなくなりますよ」

「わかってるって。いくつ年が離れてると思ってるの?」

 苦みの中に心配そうな色を隠した桂吾の言葉に、ことさら軽く応じる。

「たぶん、その頃までには、今あんたに話してるような露骨な話題は椿さんとするようになるんじゃない?」

「それを期待してますよ」

「ま、どうせなら世界の長寿記録更新してくれてもかまわないよ?」

「俺はひ孫の顔見て猿そっくりだって言えりゃ満足です」

 しれっと言われて、小さくふき出す。まぁ、確かに桂吾なら言いそうだ。

「――ただ、できれば最期はあんたといたい、ですかね」

 ぽそりとつけ加えられた言葉に一瞬体が強ばる。その言葉の意味は――。私が桂吾につけた傷の深さをかいま見た気がして、でもそれを表に出すのは卑怯な気がしたから、小さく肩をすくめて見せた。

「じゃ、看取ってあげるから私が生きてる間に死んでね?」

 唇の端を少しだけ持ち上げてそういったら、桂吾は目を伏せて小さく笑う。

「そうします」

 短い言葉に含まれた安堵と後悔の色。けれどそんなものを指摘するほど無粋にはなりたくなくて。

 後はただ、お互い黙ったまま、バーの閉まる時間までお酒をなめていた。

お読みいただきありがとうございます♪

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