過去の終わる日。
本日、47〜51まで連投します。
ご注意ください。
いつもなら一緒に食べる朝食の席、克人兄様はスマホに連絡が入って、先に食べててくれ、と言い残して席を立ってしまった。
広い食堂に一人きりというのが落ち着かなくて、ついテレビをつけて情報番組を流す。意識の半分で音を聞き流し、残りの半分は克人兄様が早く戻ってこないかなぁ、と思いつつ朝ごはんを食べていたら……。
「……え?」
不意に飛び込んできた言葉に思考が止まる。
「……幸兄、が……?」
朝のニュースだからなのか、訃報でもあり殺人事件でもあるそれは短くまとめられて画面は次のニュースに変わる。
「……う、そ……」
ニュースの内容が頭の中を上滑りして、手から箸がこぼれ落ちる。漂白された意識の片隅で、やっと、と思う自分がいる。
「やだっ、やだやだやだっ」
どこからか、皮肉げに笑う自分の声が響いてくる気がして、耳おさえて叫ぶ。目をきつくとじたのに、人を見下した薄ら笑いを浮かべる綾の姿が見える。
――何が嫌なの? ずっと望んでたくせに。
「違うっ、そんな事望んでないっ」
――嘘ばっかり。あいつらがいなくなれば、って何度考えたっけ?
「そんな意味じゃないっ! 私はただ……っ」
「彩香っ!」
鋭い声と耳をおさえていた手を引きはがされた事に驚いて目を開けると、間近に克人兄様の顔がある。
顔色をなくしてきつく眉を寄せた表情に、さっき聞いたばかりのニュースが間違えようもない事実なんだと思い知らされた。
「……知って、た、の?」
「酷い顔色だぞ。とにかく横になれ。瀬戸谷先生と雅浩に連絡してすぐに……」
「答えてっ! 知ってたのっ?!」
ほおをなでてくれた手がそのまま首にすべって、逆側の肩に触れる。そのまま抱き上げようとする動きに逆らって腕をふりはらったら、克人兄様が大きなため息をついた。
「俺もさっきの電話で知ったんだよ。篠井と瀬戸谷にも連絡が行ってるはずだ。……悪い、俺が外さなかったら彩香はテレビつけたりしなかったよな」
苦い声は、私の聞きたかった否定を返してはくれない。でも、こういう時にその場しのぎのごまかしをしないでくれるのは克人兄様なりの優しさなんだとも思う。
「……本当、なんだ?」
それでも嘘であって欲しくて確かめたら、目をふせた克人兄様がため息とともにゆっくりとうなずく。
「あぁ、間違いない。――昨日の夜遅く、高浜幸仁が、両親である和俊と佳苗を刺して放火した。死者は四人。高浜の三人と、藤野美智、だ」
克人兄様の言葉を聞きながら、目の前がブラックアウトしそうになる。
……幸兄が、あの人達を、殺、した?
「……っ、あ」
何か言おうとしたのか違うのか、かすかな声がもれる。
優しかった時の幸兄と、怖い幸兄の姿が、声が、私を殴る母親だという女の姿が、汚物でも見るように私を見下す男の姿が、ばらばらになったパズルのピースのように、脈絡もなくまたたいては消える。
何もしてないはずなのになんだか息苦しくて、あえぐように息をつく。目からあふれた液体があごからしたたる感触が気持ち悪い。
誰かが何かを言ってる声が耳に届くけど、何を言ってるのか考える、それだけの事すらうまくできない。
触れる感触から抱きしめられたのだとわかるけど、自分の事じゃないみたいに酷く遠く感じる。
やけに現実感のない目の前の光景に重なって、別の光景が見えた。私を抱きしめる誰かの肩と、大きな鏡。そこに映る自分と顔と誰かの背中。そして鼻につく鉄錆のようなにおいと赤い色。
――愛してるよ、俺のかわいい……
「あああああああっ」
過去から響いてくる声をかき消そうとする自分の叫びを最後に意識がとぎれた。
薬に強制された時特有の重たい眠りから覚めて、目を開けたら見覚えがあるはずなのになぜかなじまない天井が目に映った。
状況がわからないなぁ、とぼんやり思ったけど、思考を巡らせる事すら面倒でぼんやりしていたら、視界に人影がうつって、暖かな感触がほおに触れる。
「俺がわかるか?」
かけられた声に人影に意識をむける。ええと……、この人は……?
「……と、さま?」
なつかしい面影とどこか似ている気がして尋ねたら、その人は一瞬驚いたように目を見開いたけど、すぐに笑顔になって頭をなでてくれた。
「水分を取った方がいいな。……飲めるか?」
口元にコップをあてがわれて、自分がだいぶ背中を起こしている事に気づく。なんだかちぐはぐな感覚にまたたいて改めて視線をめぐらせる。
「どうした?」
やわらかで耳になじんでる声に顔をむけなおすと、少し困ったような、眉が下がった笑顔の……。
「……かつとにいさま?」
「うん? どうした?」
「……私、どうした、の?」
なんだか何もかもがちぐはぐで、私と私以外の人の間に見えない段差があるような、違和感。その正体を知りたかったのに、目の前にいる人はあいまいに笑うばかりで答えをくれない。
「ともかく、少し水分を取って、もう少し眠った方がいい。話は起きてからにしよう」
飲めというようにもう一度コップを唇にあてられて、しぶしぶ口の中に受け入れる。でもそうしたらずいぶんと喉が渇いていたみたいで、ほとんど一息に飲み干してしまった。
「そばにいるから少し眠れ。体が疲れてるんだ、もう少し休まないと辛いぞ」
優しくうながされたけど、目を閉じたくなくて視線をよそに投げる。そうしたら窓際に置かれた小さなチェストと、そこに飾られた写真が目に入った。
少し体をひねってななめ後ろをむいているのに、照れくさそうに笑むその人は、自分を後ろから抱きしめてひたいに唇をよせる克人兄様の腕の中ですごく幸せそうだった。ゆるく自分を抱く腕に手のひらを重ねて、薬指には宝石の埋めこまれた指輪。
克人兄様もすごく嬉しそうで、口元がなんとも甘くゆるんでる。そして、克人兄様の指にはそろいの指輪。
たぶん普段に誰か知り合いが撮ったんだろうその写真はまるで、幸せの縮図みたいだった。
……あぁ、そうか。これ、婚約指輪と重ねづけできるデザインにした結婚指輪を受け取ってきた日、雅浩兄様が撮ってくれた写真だ。せっかくだからして見せて、って話になったんだよね。スマホで撮った写真だからひきのばせるほど画質がよくなくて、克人兄様は残念そうだったけど、私はそんなものが寝室に飾られるなんて嫌だったからほっとした。
そうだ、後で雅浩兄様に、写真なんて撮るから、って文句を言ったら、だからスマホで撮ったんだよ、って笑ってた。あれならひきのばせないからね、って言われて、私も笑ってしまった。
「どうした? どこか痛むのか?」
ぼんやりしてたのか心配そうな声に、目をふせてゆっくりと頭をふる。
そうだ。私は今、幸せなんだ。だから、取り戻せない過去のために泣くのは、これで最後にしよう。
「ごめん、なさい。あの人が、いなくなってしまったのがこんなに悲しいだなんて、……思わなかった」
目が覚めた時、そばにいてくれたのが克人兄様じゃなかったら、私はちゃんと戻ってこられなかったかもしれない。
この程度の混乱ですんでよかった。と思うのに、あのまま壊れてしまいたかったとも思う。あの人が連れて行ってくれなかったのがさびしい、なのに残してくれた事が嬉しい。すべてを抱えて行ってくれたのが私への優しさなのか、あの二人に対する憎しみなのかももう知るすべがないけれど。
「……いつか、ちゃんと忘れるから」
あふれる涙をそのままに、うすく笑みを浮かべる。
「たくさん愛してくれてありがとう。幸…………」
今だけはあなたのために泣くのを許して。
お読みいただきありがとうございます♪