兄様達の密談。
本日、47〜51まで連投します。
ご注意ください。
雅浩兄様視点になります。
控え室で仕事をしながら時間待ちをしていたら、ノックに続いて克人が現れた。
「あれ? よく抜けてこられたね?」
「主役不在の時間だからな」
軽く肩をすくめる克人が、ちらりと意味深な笑みを見せる。
「それで? 独身最後の夜はどうだった?」
「どうもこうも、彩香に添い寝してあげただけだよ。なんか、めずらしく寝つけないみたいだったけど」
からかいが主成分の言葉にさらっと返したら、案の定克人は苦笑いになる。
「そりゃそうだろ。彩香が簡単に兄離れできるとは思えないからな」
「兄離れって、克人と彩香が結婚したのはもう四年も前だよ?」
「結婚したからって、雅浩に添い寝してもらう癖はいまだにだろ。半分はお前に嫌われてないか確かめたくてやってるんだしな」
「……僕が彩香を嫌うなんて、日本海溝が海抜千メートル超えてもあり得ないと思うんだけどね」
思わぬ言葉につい深く考えないで返してから、記憶をたどる。そういえば、昨日の彩香は少し様子が変だったっけ。落ち着かなげで不安そうに眉をよせてる事が多かった。
「頭では理解してるんだと思う。でもまだ感情が追いついてない。――世界が裏返ったあの日、彩香が負った傷はたぶん、一生かかっても治らないんだろうな。いまだに言われるぞ? まだここにいていいの、ってな。口論でもしようものなら、迎えに行かないと絶対帰ってこないしなぁ」
あきらめの混じった克人の言葉は、いまだに彩香の抱える傷が癒えてないのを示してる。今は一番彩香の側にいる克人が、一番強く感じてるのかもしれない。
彩香は結婚以来、克人とけんかをする度にうちに帰ってくる。仕事にはちゃんと行くし、うちにいる事もちゃんと連絡するのに、克人と話すのを嫌がる。一人にして放っておくと泣きそうな顔をして沈み込んでるか、無茶なほど仕事に根を詰めるかで、結局僕が添い寝して寝かしつけないと、ろくに眠る事もしない。
克人とけんかをしてなくても、時々ふらっと泊まりに来ては、僕のベッドにもぐりこんでくる。たぶん、怖い夢でも見たんだろうな、とは思うんだけど、彩香は何も言わない。
どっちにしても、彩香は気持ちの切り替えがつくまでの間、僕の隣じゃないと眠る事すらできない、というのだけが事実だった。
「僕が結婚するから彩香の事をないがしろにするって? あり得ないよ」
「それでもここしばらくはなんだか不安そうにしてたよ。たぶん、雅浩が変わるって思ってるんじゃなくて、自分のせいでお前達の仲にひびを入れたくないから、もうやめなくちゃ、って思いこんでる、って感じだな」
「多少脚色したけど、ちゃんと説明したから椿だってわかってくれてるんだけどね。彩香が僕と寝るのは精神の安定を求めての事。彩香にとって僕は親みたいなもので、要はぬいぐるみに抱きついて寝てるのと同じ、ってね」
「ま、理性で理解するのと、感情が納得するのは別って事だろ。椿さんが完全に納得済みなのは俺も知ってるさ。さすがに彩香と友達やれてるだけのことはあるよ。彼女、俺にも、彩香さんが雅浩さんといるのを怒らないでくれてありがとうございます、なんて言うくらいだし」
妙に感心した様子につい笑ってしまう。確かに椿はおっとりしてるから鈍く思われがちだけど、本当は頭がきれる。もしくは空気を読む術に長けているというのかな。彩香が中等部に入ったばかりの年のサマーフェスティバルで、僕と克人にいじめの話をしたのも彩香が隠してるのを知った上で口に出したらしい。あの言い方なら彩香が怒れない事も、すぐにその場を離れれば僕達が必要な話を聞き出せるだろう、っていうのもすべて計算ずくで。
そんな椿のしたたかさを知っているのかいないのか、彩香は彼女ととても親しい。たぶん、同学年では唯一の友達なんじゃないかな。彩香とはタイプが違うけど、身内を大切にできる素直でいい子だと思う。――ちょっとだけ秘密のある関係だけど、お互いそれを承知で結婚を決めたんだからね。
「というか、俺は彼女に彩香との結婚を邪魔されなかったのが驚きだったけどな」
不可解そうにつぶやいた克人が、空いていた椅子に座って勝手に水をあおる。
「正直、俺は椿さんは彩香が好きなんだと思ってた」
「そりゃ友達だから好きだと思うよ?」
「恋愛感情として、だぞ?」
克人の切り返しにつと目を細めたら、かわすようにむこうの表情が和らぐ。
「別に、それをどうこういうつもりはないさ。俺の見てる限り、椿さんは彩香が傷つくのを何より嫌がってくれるし、彩香が恋愛感情をむけられるのを異常に怖がるのも知ってるみたいだからな」
そう言って、克人が正面から僕を見る。
「だけど、雅浩は本当にそれでいいのか? お前はもう彩香だけを見てるわけじゃいよな?」
真正面からの言葉は飾り気も何もなくて、本当に僕の事を案じてくれてるのがわかる。
ずっと一緒に育ってきたようなもので、お互い一番の理解者だからこそ、隠しても無駄、かな。
「確かに、僕は椿の事が好きだよ。彩香には昔みたいな恋愛感情はほとんどないし、その意味では彩香より椿の方が好きかもしれない」
だけど、とつなげると、克人が眉をよせる。心配してる時に顔をしかめる癖、相変わらずだなぁ。
「僕は彩香が好きな椿を好きになったんだし、彩香と椿、片方しか守れないとなったら、彩香をとるよ。そういう意味では僕達は同罪だから」
僕の言葉に一瞬息を飲んだ克人は、次の瞬間盛大にため息をついた。
「お前なぁ……」
「それに、僕達はお互いに彩香を除いた中では、お互いが一番好きなんだよ。きっと幸せな家族になれる。それは自信があるんだ。だって、趣味の一致って大事だからね」
「趣味?」
「彩香を甘やかして克人をやきもきさせる事?」
しれっと返したら、克人が何かの冗談みたいに椅子から転げ落ちかけた。
「なにやってるのさ? 怪我したら彩香が心配するよ?」
「……お前なぁ……」
「ま、僕も椿も相手を決めなくちゃいけなくて、でも好きでもない、好きになれるかもわからない奴と結婚するのは嫌だったんだ。で、手近に趣味の似てる、好感を持てる相手がいて、利害も一致したんだよ? そりゃもう決めるしかないよね?」
くすくす笑いながら言うと、克人はもう一度ため息をついた。
「本当に、幸せになる自信があるんだな?」
「もちろん。だって、もしうまくいかなかったら、彩香はすごく悲しむよね。だから僕も椿も、この人となら幸せになれる、子供も愛せる、って自信が持てる相手以外選ぶ気なかったしさ」
僕は椿以上にうまくやれる相手はいないと思ったし、それは椿だって同じはず。だからうまくやっていく努力さえ惜しまなければ破綻するはずがない。その確信があってこその決断なんだから信じて欲しいところだね。
まぁ、万が一僕らがうまくいかなかったら、彩香のトラウマが決定的なものになっちゃうだろうから心配なのはわかるけど。――もちろん、克人が僕自身も彩香と同じくらいに心配してくれてるのもわかってるけどさ。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから、彩香には内緒にしておいてくれる? 知られたら僕が椿に怒られるしさ」
笑顔で頼んだら、やっと克人が眉間のしわをといた。まぁ、まだ苦笑いなんだけど。
「正直、雅浩の選んだのがあんまりにも彩香に都合のいい相手だったから、彩香のためだけに選んだんじゃないか、って心配だったんだよ。俺は助かるけど、雅浩から彩香を奪ってさらに幸せになる機会まで取り上げたんじゃないか、って気になってな」
「そんな事思ってたの? ばっかだねぇ」
つい思いっきりため息をついてしまった。
「克人が彩香を奪った? あの子は自分の意志で克人を選んだんだよ? 彩香の意志である以上、それに責任を感じていいのはあの子だけ。そんな形で下に見られる理由なんてないと思うんだけど?」
わざときつい言い方をしたら、克人が眉をひそめる。あ~ぁ、やっと消えたと思ったのにな。
「もしかして克人が彩香の意志に反して自分を選ばせたわけ? それなら今すぐにでも彩香は篠井に取り戻すし、本気で久我城を潰しにかからせてもらうよ?」
「んな訳あるかっ!」
「だったら克人が負い目に感じる事なんてないよ。……それとも、恋愛感情では選んでもらえても、総合ランキングでは瀬戸谷先生と僕に負けてるのが悔しい?」
「そっくり返す。悔しくない訳があるか? 全部欲しいと思わないでいられるとでも?」
「だよねぇ。でも、そんなのみんな同じだよ。僕は恋愛的な意味では彩香を手に入れられない。瀬戸谷先生は僕と克人がむけてもらえるような幸せ全開の甘えた顔は見られない。だから克人が僕達に敵わなくても当然なんだよ?」
彩香が僕達三人に求めるものはそれぞれ違う。それはつまり、誰か一人じゃ彩香を支えてあげられない、っていう事だ。いまだに昔の――高浜綾だった頃の悪夢に脅かされている彩香の抱えた傷は克人が言うように生涯癒えないんだろう。
それでも、ほんの少しずつではあっても、彩香は立ち直りつつあるんだ。克人との結婚を決断できたのもその現われだと思う。だからそれを見守りながら、彩香の近くであの子が憧れられるような幸せな家庭を築くのが僕と椿の望み。
「僕も椿も、この相手とならうまくやれると思ってるんだよ? だって、僕と椿が幸せじゃなかったら、彩香が悲しむからね」
「……まぁ、そこまで言うなら信じるさ」
ため息をつきながらも、ようやくいつもの表情に戻った克人が立ち上がる。
「邪魔して悪かったな。――それと、結婚おめでとう。幸せになれよ」
ついでのように言われて、ここ数日飽きるくらい言われてたから聞き流しかけた。でも、克人に言われたの初めてじゃないかな?
……もしかして、ずっと、さっき言った事を気にして、口先だけでお祝いをいうのを避けててくれたとか?
克人に敵わないなぁ、と思うのはこんな時。
「ありがとう。克人が彩香の選んだ相手でよかったよ」
だから本心から言ったんだけど、克人は肩をすくめただけでなにも言わずに部屋を出て行った。
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