話し合いとトラップ地帯。
克人兄様がコップとお菓子の入ったバスケットを持ってきて席につくと、しれっとジュースを飲んでる雅浩兄様もまとめてにらむ。
「それで、どういう事なの?」
「だから、彩香と克人が愉快な感じにすれ違ってるから、少しだけすれ違いを正してみようかなと思っただけだよ」
「それがなんで盗み聞きになるのっ?!」
「だって、彩香が克人の前で素直に白状するとは思えないし、下手に克人がいないところで聞き出して、内緒にしてね、ってお願いされちゃったら話せなくなるし?」
「問題そこですかっ?!」
しれっと何言いましたか、この人はっ?!
「僕の中ではね、彩香に嘘をつくのは絶対だめだけど、はめるのはセーフなんだ」
「何その基準っ?!」
「ほら、だって克人がいるの知ってて言わなかっただけで、嘘はついてないし」
「いや、だからなんでそれがセーフなの……?」
あんまりにもあっさり言われてつい脱力したら、雅浩兄様は笑顔で一言。
「だって、正直に話し合ったら、って言っても二人とも聞いてくれそうになかったからさ。それとも彩香は僕の事、君が悩んでる風情なのに放っておけるほど薄情な人間だと思ってた?」
「思ってないけど……。さりげなく論点をすり替えられたような気がするんですが?」
「文句なら瀬戸谷先生に言ってくれる? 相談したらすごく楽しそうに、はめてやりゃいいんだよ、あの意地っ張りなくせに理性だけで生きてるみたいな人にはそのくらいでちょうどいい、なんて言ってたし。日の選び方、うちの庭の配置から計算した散歩コース、おやつと飲み物のセレクト、待ち伏せ場所、話題のふり方まで、全部あの人が喜んで企画を立ててくれたよ」
「桂吾……」
あいつの計画とか……。自分がうまくいったからって何暇な事してんのよ……。
ひたいに手をあててものすごく苦いため息をついたのは当然だよね……。
「まぁそういうわけだから、彩香が話してくれた事を元に話し合おうか? 克人は今さら異存があるとか言わないよね?」
「そりゃ、俺は異存ないけどな」
「私も桂吾の企画に逆らうつもりはないかなぁ。後が怖いし」
ジュースを飲みながら返事をしたら、克人兄様が苦笑いになる。
「本当、彩香は瀬戸谷先生のいう事には逆らわないよな」
「だって、桂吾の無茶振りは私のことを想ってだから。おとなしくいう事聞く事にしてる」
「すごい信頼感だよなぁ」
「信頼っていうか、そういう人だって知ってるだけ、かな」
桂吾の事はもう信じるとか信じないじゃなくて、ただそういう人間だと知ってるだけ。いわば、春になると花粉が飛ぶのと同じくらい、当たり前で、覆しようもない事実なだけ。
「なるほどな。俺も早くそう思われるようにならないとだな」
「さっさとそうなってくれないと彩香はあげないからね?」
ちょっ、雅弘兄様?!
「わかってるけど、こればっかりは一朝一夕でなんとかなるものじゃないだろ」
「私、桂吾の類似品はもういらないよ? あんな取り扱い要注意なの、何人もいたら疲れるもん」
思わず少し逃げ腰になったら兄様達がそろってふき出した。
「さすがに僕はあの人目指したりしてないから安心して」
「俺もすごいとは思うけど、目標にしたいかって言われるとな」
「ならいいけど。――で、克人兄様の愉快な誤解の原因はなんなの?」
なんとなくそれかけた話題を引き戻すと、克人兄様の視線が泳ぐ。
「ごまかさないっ!」
「いや、別に嫌われたとは言ってないからな?」
「そうだっけ? お見舞いのたびに困った顔する、顔あわせたくないのかも知れない、って、言ってたよね? どう違うの?」
ごまかそうとする克人兄様の言葉を、雅浩兄様がさらっと解説してくれた。……ほほぅ?
「そんな風に思われてたなんて心外だなぁ」
なんか、自分でもとっても大きな青筋マークが頭にくっついてる気がするんだけども。口から出た声はなんだか不似合いにほがらかだった。
「そりゃ、ほぼ毎日お見舞いに来てくれるのに、毎回帽子買ってきてくれたら物の価値がわかる身としては、困惑せざるを得ないと思うんですが? 確かに髪を切るの嫌がって泣き言を言ったのは私ですけども、毎回毎回すごく好みのデザインでしたけども、ものには限度というのもがあるかと思うんですよね?」
「……って、え? なにそれ? 初耳」
「あぁ、だって克人兄様にしか言わなかったもん。桂吾はわかってたんだろうけど、わざわざ指摘するほど野暮じゃないからね」
「そのくらい、僕達にも言ってくれればいいのに」
「別に我慢して言わなかったんじゃないよ?」
「本当に?」
なんだか不満げな雅浩兄様の確認にひとつうなずく。
「髪の毛切る話聞いた後、最初に顔あわせたのがたまたま克人兄様で、克人兄様に泣き言言ったらなんとなく気持ちの整理がついたから。納得できたのに他の人にまで心配かける必要ないかな、って思って」
「そういう事ならいいけど……。短いのもかわいいのになぁ」
「いやいや、なんか猿っぽいですから」
「彩香が髪短いの初めてだし、新鮮でかわいいよ? それに頭の形きれいだし」
「や~です。せめてもう少しのびてくれないと傷痕目立つしひざし暑いしいい事ないもん」
ほおをふくらませて帽子をさらに引き下げたら、雅浩兄様が笑う。
「ほら、そうやっていつもならしないすね方したりしてくれるからさ、すごくかわいい。でも、そんなに嫌なら父さんが作ってくれたかつら使えばいいのに」
「いや、ほら、なんだかんだで政孝父様も百合子母様も雅浩兄様も、これはこれでかわいいって言ってくれるから……。写真とかに残らないんであれば家ぐらいは別にいいかな、って思って……」
この髪型は不本意だし、たぶん私をなぐさめるために言ってくれてるところはあると思う。でも、たくさんかわいいって言ってもらえるのはちょっと嬉しかったりもして。だから通院とか、うちの敷地の外に出る時とお客様が来てる時以外はそこまでして隠さなくてもいいかな、って思うんだ。まぁ、そんな余裕は政孝父様が先手を打って作ってくれたかつらがあるからこそなのはわかってる。やっぱり、そうせざるを得ないのと、他に選択肢があるけどあえてしてるのとは違うもんね。
「と、いうわけで、克人兄様? 誤解はとけたよね?」
さくっと話題を戻したら、克人兄様がびきっとかたまった。
「……や、それは……」
「まだ何か?」
笑顔で追求したら、視線が泳ぐ克人兄様。
「それはつまり、雅浩兄様に話した理由は口実で、本当は別の理由がある、と?」
「他の理由、というか、なぁ」
「じゃあ、手土産の件は来ない口実だった? 克人兄様が別の人選ぶなら私はそれでかまわないけど?」
「なんでそうなるんだよっ?! そんなわけないからなっ?!」
軽く首をかしげて言ったら、ものすごい勢いで否定されました。正直びっくり。
「なんで彩香は俺に嫌われる前提なんだよ?!」
「だって、心の準備しておいた方が、その場になってから辛くないもん」
「だからなんで、そんな心の準備がいるんだよっ?!」
「克人兄様、なんだかテンション高いね?」
めずらしいなぁ、と思いながら聞いたら、一瞬きょとんとした後、盛大なため息をつかれてしまった。
「彩香が妙な事ばっかり言うからだろ……」
そしてさらにため息。ため息大安売りですね?
「確かに、絶対変わらない、なんて保証はできないさ。でも俺は彩香にそんな覚悟はしないで欲しいんだけどな」
困った顔で言われても……。
「だって、人の心なんて簡単に変わるよ?」
「そりゃそうかもしれないけど、でもずっとうまくやれてる人達だっているだろ? 雄馬さんと栞さん、うちの両親、篠井の叔父さんと叔母さん、……他にもたくさんいるよな?」
「それは……、そうだけど」
「たぶん、お互いにうまくやっていきたい、って思ってないといい関係を続けるのは難しいんだと思う。だけど俺は彩香とならうまくやってく努力をずっと続けられると思うぞ?」
「努力だけでなんとかなるほど世の中甘くないもん」
克人兄様のいう事も一理あると思うんだけど、それが正論――理想論なのも知ってるからなぁ……。確かにうまくいく人はうまくいく。でも、私はうまくやれるのかな? 高浜の親、幸兄や他の兄さん、姉さん達にしても、だいぶあれな人間関係みたいだし……。
「眉間にしわよってるぞ?」
苦笑いでの指摘に思わず言われた部分をおさえる。
「彩香の人間不信は根深いからねぇ。まぁ、高浜の内情を聞いた限り、限定的にでも信じてもらえてるだけでもありがたいんだけど」
「だなぁ。……ま、時間はかかるだろうけど、一個ずつ、彩香が不安に思ってる事を教えてもらって、大丈夫だって思ってもらうしかない、か」
「その前に克人兄様の愉快な誤解をなんとかしたいんだけど?」
流れそうな話題を無理やり引き戻したら、克人兄様がため息をついた。
「いや、ちょっと変な噂が出てたから、その牽制をしたかったのと後はまぁ、少し思うところがあった、というか、な?」
なんだかごまかしたそうな克人兄様の言葉に、つい満面の笑みになる。内心を悟られたくない時は笑え、というのが私の経験則だもの。
「じゃあ、克人兄様は私には会いたくなかったから来てくれなかった、と思っておくね?」
「だからなんでそうなるっ?!」
「だって、克人兄様が私に内緒にするのって大抵私が知ったら嫌な気分になる事なんだもん。だから、克人兄様が私の事嫌になったのかな、って?」
「だったらなんで雅浩に相談持ちかける必要があるんだよ……」
「克人兄様なら、自分が先に言い出した言葉に責任感じて、全部自分が悪い事にして距離置こうとしてくれるに違いないもん」
「……すごくいい笑顔で筋が通った説明されちゃったね?」
「お前まで彩香の勘違いを助長させるような事言うなっ!」
ため息混じりの雅浩兄様に、克人兄様がかみつく。なんか、めずらしい光景見てる気がするなぁ。
「彩香もなんでそう楽しそうにしょうもない事ばっかり、……?」
返す刀で私にくってかかりかけたのに、不意に克人兄様が眉をよせて言葉を途切れさす。
「克人兄様?」
「……あぁ、そういう事、か」
どうしたのかな、と問いかけた声と克人兄様のつぶやきが重なった。そして、苦笑いで帽子ごしに私の頭をなでた。
「……克人兄様?」
「この前もぎりぎりまで表に出さなかったもんなぁ。ごめんな、気づけなくて」
言いながらゆっくりと頭をなでてくれる手の感触に、おさえこんでたものがあふれだす。
「克人兄様のばかっ」
「……まぁ、否定はしない」
「気づくならもっとはやく気づいて! でなければ最後までだまされてよっ!」
自分でもむちゃくちゃ言ってるのはわかってるけど、感情に任せてわめいたら、俺が悪かった、と苦笑まじりの声が返ってきた。
「彩香が人一倍怖がりなのに、意地っ張りでなんでも我慢して飲み込んじゃう性格なのは知ってたのにな。ちゃんと聞くからなんでも言ってくれな? 彩香が知りたい事は全部話すからこんな風に泣くほど我慢するなよ」
克人兄様の指先がほおに触れるまでもなく、泣いてる自覚ぐらいあって。
「好かれてるって自信なんて持てないんだから、不安にさせないでっ」
自分でも逆ぎれにしか聞こえない事を言ったら、驚いたように目をみはった克人兄様が次の瞬間、すごく嬉しそうに笑う。そして、私の側に来て、床に膝をついて視線をそろえてくれた。
「ごめんな。……でも、俺の事でそんなに不安になってくれたのが嬉しい、って言ったら嫌か?」
「克人兄様、も、私が泣くのが、うれし、いの?」
しゃくりあげながら聞き返したら、ちょっと違うな、と言った克人兄様がゆるく抱きよせてくれる。
「彩香が泣いてる事が、じゃなく、彩香がそれだけ俺の事を大事に――嫌われたら嫌だ、って思っててくれたのがわかったから嬉しいんだ。俺は泣き顔よりも彩香の笑顔の方が好きだな。ま、たまになら泣き顔もかわいいけど」
ぽんぽんと背中をたたいてくれる感触が気持ちよくて、笑いを含んだ声に波立っていた気持ちが少しずつ落ち着いてくる。
「こんなに辛くなる前に話してくれな? 彩香の話なら時間作ってちゃんと聞くから。それに不安な事があったら何でも言ってくれな? 察しが悪いみたいだから、教えてくれないと彩香が何を不安に思ってるのかわからないんだ」
瀬戸谷先生みたいに気づけるようになりたいんだけどなぁ、とため息をつく克人兄様。
「桂吾は、特別、だよ」
「そうなのか?」
「だって、あいつの世界は私を基準になりたってるから」
そう、桂吾は私を基準にすえる事で、大多数の人間を弱い――本気を向けるには物足りない相手におとした。そうする事であいつは不用意にまわりを傷つけないで関わるためのラインをひいたんだから。だから桂吾が私の考えてる事に聡いのは当たり前。まぁ、桂吾も私ほどじゃないとはいえ他の人に比べると頭ひとつ抜けだしてるし、それに、私と桂吾は嫌になるほどよく似てる。だからお互いの考えてる事なんてすぐわかる。
確かに桂吾といる時の、お互いに何も言わなくてもわかってる、あの感覚は居心地がいいんだけど……。
「桂吾みたいなのは一人でいいの。……私は、克人兄様がいい」
このくらいなら言っても迷惑じゃないかな、と思ってささやいたら、克人兄様の腕に力がこもる。
「だからなんでそうやって不意打ちでかわいい事言うんだよ……っ。普段は絶対言わないくせに……」
「だって、私がどう思ってるかわからなければ、克人兄様が私の事嫌いになった時、放り出しやすいでしょ?」
克人兄様は、私が克人兄様の事を好き、って知ってたら、嫌になっても我慢してくれるだろうから。証拠になるような事は何も言わない方がいいと思うんだよね。
「だからどうしてそう、俺に都合のいい事ばっかり言うんだよ? もっとわがままになってくれないと不安になるだろ」
腕がゆるんで克人兄様の指が涙の名残りをぬぐってくれた後、頭に手が置かれる。
「それに、はっきりと言わなくても、これだけかわいい事されたら彩香が俺の事特別に思ってくれてるのなんてばればれだぞ?」
「……えぇっ?! だったらなんであんな誤解が生まれるの?!」
素で驚いて声をあげたら、克人兄様は苦笑いで私の隣に座る。
「彩香は登校してないから知らないんだろうけど、学園で今ちょっと変な噂が出てるんだ。だから、そっちの対策で少し来る回数を減らしたかったのと、彩香が俺にまとわりついてるんじゃなくて、俺の方が彩香をかまいたがってる、って話に持って行きたかったんだよ」
克人兄様の説明に何度か目をまたたく。
「それって、私が兄様達と桂吾と綾瀬を逆ハーレムしようとしてる、って噂?」
あんまりにもばからしいから放置してたけど、そんな噂もあったなぁ、と思って聞いたら、二人がそろってうなずいてくれる。
あぁ、綾瀬っていうのは、桂吾の悪友で例のゲームの攻略対象でもあった男。学園に幸兄が現れた時、桂吾達と一緒に割り込んでくれたから、そんな噂になったんだと思う。
「うん。まぁ、考えなしの馬鹿がさえずってるのを悪意のある連中が広めたがってる、って感じかな。それ程広がりそうな気配はないんだけど」
「でも、今篠井は噂の的だからな。これ以上広がる前になんとかしたかったんだよ。俺が篠井を訪ねる回数が減って、彩香より俺の方が会いたがって動いてる風になれば、さすがに久我城の跡取りを俎上に載せる度胸はないだろ。でも、彩香に黙って進めたのと、俺の事心配して言ってくれた言葉を逆手にとるようなやり方したのはごめんな」
「……そういう事なら、雅浩兄様はなんで克人兄様が私に嫌われたと思ってる、だなんて話をしたの?」
計画としてわざとそうふるまってるだけなら、わざわざ私の耳にまでいれる必要はないはずだよね。
「その事? 克人が、彩香がはっきりと言質取らせてくれないからどうにもなぁ、なんて言って、内々の話として二人の婚約まとめちゃおうか、って案を渋るから?」
「ちょっ?!」
「その話をここでするかっ?!」
笑顔でとんでもない事を言った雅浩兄様へのリアクションが完全にタイミングかぶりしました……。
「で、ほら、お互いに婚約自体には異存ないみたいだし、あくまでも個人的な見解としてだけど、そうしたいね、ってお互いに思ってる、って事でいいよね?」
正式な話にしてもかまわないんだけどね、とくすくす笑いながら雅浩兄様が言う。
「……まぁ、俺は異存ないけど、あんまり急かすなよ。彩香の決心がつくまではあいまいにしときたいんだ」
「わかってるって。ただ、内々の事でもそういう話になってるなら、彩香と克人が親しくしててもなんの問題もないからね。要は彩香と克人が会う必然性があればいいんだし」
ジュースを飲みながらしれっと言われても……。さっき、あんまり早くから婚約が決まってるのはよくないとか言ってなかった?
「もちろん、本人――この場合は克人がそれを望んでるから、彩香が将来克人をそういう対象として好きになったら正式に受ける、って形にするよ。あくまでもそのレベルの話で、決定は成人後に彩香がする」
「まぁ、その程度なら俺が彩香をかまい倒す口実にはなる、な」
「そういう事。僕が彩香に甘いのは昔からだし、この噂を流したら僕と克人の噂は下火になるんじゃない?」
あれ? なんか話がまとまる気配? いや、さっき雅浩兄様が言ってくれた話とは変わってないし、反対する話でもないような……?
でもなんか、このはめられた感って……。
「……と、まぁ、これが瀬戸谷先生の計画なんだけど、実行してかまわないよね?」
「桂吾……っ」
思わずテーブルにつっぷしちゃうよ……。
「……そっか、桂吾は手術前から正式に私の主治医だし、カウンセリングと経過観察、って大義名分があるもんね。雅浩兄様は兄様だし、綾瀬とは会ってないから、これといって理由がないのって、克人兄様だけだもんね……」
要するに、全部私に克人兄様との婚約内定を納得させるための小芝居ですか……。
「克人兄様にまで内緒で、よくもまぁ……」
つっぷしたままため息をついたら、雅浩兄様が笑う気配が届く。
「だって、彩香が頑固なのが悪いんだから、しかたがないよね」
……その自覚はありますけどね。本当にもう……。
「みんな、私に甘すぎだから」
この企画が全部私のためだって、わからないほど鈍くはなれないから、はめられてくやしい、というよりも、くすぐったいような嬉しさの方が強い。
「それはしかたがないね。僕達、彩香を甘やかしてかわいがって、幸せになってもらうのが目標なんだから」
楽しそうな笑いをふくんだ声に、ちょっとだけ視線を上げたらジュースを飲んでた雅浩兄様と視線がからむ。そして、すごく優しく笑いかけられて心臓が跳ねる。
「克人との事は応援してるけど、もし克人が嫌になったらいつでも僕の所に来ていいんだからね?」
「おいっ?!」
「うるさいよ。克人が彩香を不安がらせたりしなければ何にも問題ないんだから。僕に取られたくなかったらちゃんと彩香を大事にしてればいいだけの話だよね?」
さらりと返されて克人兄様が大きなため息をつく。
「……まぁ、雅浩がどれだけ彩香を大切にしてきたか見てきてるからなぁ」
「だいたい、僕程度を納得させられなくて父さんと母さんが許すと思う?」
「はぁ……、そりゃそうだ」
にこにこと言われて、克人兄様、再度のため息です。眉間をぐりぐりもみたくなる気持ちはちょっとわかるよ……。確かに、政孝父様と百合子母様の品定めは厳しそうだもんねぇ。
「とりあえずは彩香に安心して選んでもらえるようにならないと、だな」
帽子越しに頭をなでてくれた後、克人兄様もジュースを一息に流し込む。そして、私に視線を向けて一言。
「で、彩香の将来の事だけどな。俺は研究に進むの賛成するからな」
「……え? でも……」
一瞬、克人兄様の言葉が信じられなくて、でも聞き違いでもないらしくて、体を起こして見つめ返す。
「だって、現状その手の研究は海外の方が熱心だから、本格的にやるとしたら留学して海外の研究所に勤める事になるよ? そんな事になったら社交のために戻ってくるなんてそうそうできないもん」
一番の問題である所を指摘したら、克人兄様がなんだか黒い笑みを浮かべる。
「彩香は、俺が、誰だか、忘れてないか?」
「……え? ええと、克人兄様、だよね?」
「そうだな。国内で医療機器関連のトップ企業を傘下に持つ、久我城グループの次期総裁、だ」
「そりゃ、その位はわかってるけど……」
篠井の主力は精密機器――主に部品の段階のもの――だけど、久我城は医療分野に強い。特に医療機器関連の開発研究には力を入れている。だから、篠井と久我城が親しくするのはグループとしても恩恵があるわけ。
「五年あれば国内に研究室を立ち上げるくらいなんとでもなる。まぁ、方針は機械を使っての機能代替に絞ってもらうようになるけど、そこで働けば海外に行く必要はないよな?」
「はぃっ?!」
「彩香が休みやすいよう福利厚生にも力を入れ、年間休日を多めに設定。そうだな、有給消化を義務づけるか。有給未消化で失効させたら罰金を義務付けておけば……」
「いやそれ研究馬鹿には悪条件だからっ?!」
「でも家族には好評だろうな。……で? この条件でもまだ無理だと?」
だから克人兄様、笑みが黒いですっ! 間違いなく悪役だよ、それっ?!
「だって、私、夢中になったら、今いいところだから休みたくない、って駄々こねそうだし……」
一度夢中になると、他の事に時間を割くのが嫌で、作業にかじりついちゃうのは私の自覚してる悪癖の一つ。昔はそのせいで何度も桂吾に無理矢理寝ねかされたもん。
「俺と雅浩が、どうしても、って頼んだ事、彩香がすっぽかせるはずがないだろ」
「……あぁ、うん。たぶんそれは無理、かな……」
やたらときっぱり断言されて、ついうなずいてしまう。確かに兄様達が、どうしても、っていうくらい大切な用事をすっぽかすとかできない気がする。
「彩香の事だから、どんなに忙しくても絶対、僕達のお願いは聞いてくれるよね。だから、仕事が楽しくて面倒になった、なんて理由ですっぽかすとか不可能だよ」
「だよな。遅れちゃった、って言いながら駆けこんでくる事はあっても、すっぽかしだけはあり得ない」
二人して何自信たっぷりに言い切ってるの……。でも確かに兄様達と約束した事は緊急の用事でも入ったならともかく、自分の都合で反故にするとか無理な気がするけども。
「だから、彩香は余計な心配しないで好きな道を選べばいいんだよ。欲しいもの全部手に入れる努力をするのは悪い事じゃないし、そう考えてくれた方が俺達も嬉しいからな」
「そうそう。大事な用事の時は僕からも彩香にお願いするよ。彩香は僕達があんまり熱心に頼まなかった用事なら、秤にかけて断ってくれればいいし」
二人がかりで言われると反論の余地が……。
「ほらでも、そんな事で経営方針動かすとか、久我城のおじ様が……っ」
「親父の許可はとってあるぞ?」
「……」
「親父の了承済みでプロジェクトを立ち上げてる」
「……へっ?!」
嘘なんでっ?! 私、将来研究に進みたい、とかさっき雅浩兄様に話した以外で口に出した事ないんですけどっ?!
「正確に言えば、彩香を口説き落とすため、彩香のやりたい事をやりやすくするための環境を作る予算の許可、だけどな。親父は、グループの損にならないよう、納得できる企画書を上げてくればきちんと検討する、って言ってる」
「桂吾の差し金だねっ?!」
「まぁな。彩香は絶対何かやりたい事を隠してるから予算だけはもぎ取っとけ、って言われたんだよ。本当に彩香はやりたい事隠してたな。――ちなみに瀬戸谷先生から伝言があるんだけどいいか?」
「……なんて?」
「あんたのお節介への仕返しです。あきらめて潔く罠にかかってください」
「余計なお世話だっ、馬鹿桂吾っ!」
思わずこの場にいない相手を罵倒したら、兄様達がそろってふき出した。
「笑わないでよっ! ……っもうっ! 腹立った! わかったよ、やってやろうじゃないのっ!」
研究だろうが社交だろうが、誰も文句つけられない成果を出してやるっ! どうせ久我城のおじ様は赤字出さない程度の企画書でいいと思ってるんだろうから、絶対利益上げる企画書出してやるっ!!
お読みいただきありがとうございます♪
桂吾さん、裏で一生懸命鼻歌まじりに罠を設置してました(笑