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瀬戸谷邸にて。

 うさ耳フードつきのコートを着て庭の飛び石をはねるようにして歩いていく。初めてじゃないけど、覚えていた記憶ともいくらか変わっていたそこを探検していた時。

「あら? お客様?」

 横からかかった声に足をとめてふりむく。

 私から見て左後ろ――建物の中から、庭に面した掃き出し窓を開けて、こっちを見ているのは三十前後に見える女の人だった。

 よくいえばおっとり、悪くいえばうっかりさんな雰囲気で、肩より少し短くそろえた黒髪。背は少し低めで、太めの毛糸で編んだセーターにロングスカート、という服装は間違いなく使用人さんじゃなくてこの家の人だろう。

 ん~っと、こんな庭の奥に入りこんでる理由を聞かれてたりするかな?

 少し慌てて、自分の喉を指して、首をふる。コートのポケットからメモ帳を取り出して、走り書きしたメモを見せるために近づく。

 女の人はメモ帳の文字を読んで目をまたたいた。

「喉が調子悪くてしゃべれない……? 風邪でもひいてしまったの?」

 首をかしげて問い返されて、メモ帳にまた走り書き。

『うつらないけど、風邪みたいなものだ、って言ってました』

「そう。でも、こんなに寒いのに庭にいたら風邪をひいてしまわない?」

 あれ? 問題そこですか? なんでここにいるとか気にならないの?

 ちょっと首をかしげたら、女の人がおかしそうに笑った。

「庭を探検してきたら、って言われてこっちに案内されたんでしょう?」

 うん、その通りです。政孝父様と雅浩兄様は、桂吾と瀬戸谷当主――つまり桂吾の父親――と、話があるとかで、私は桂吾から終わるまで庭でも探検して来てください、って追い出されたんだよね。この寒空なのにっ!

 ひとつうなずいたら、中でお茶にしましょう、と手招きをしてくれた。まぁ、この人が誰なのかおおよそ見当はつくし、かまわないかな。

 お礼がわりに笑顔でうなずいて中に入ると、そこは応接室とも誰かの部屋ともつかない微妙な雰囲気だった。そして、テーブルにはすでに二人分のお茶の用意が整っている。

 ……って、桂吾の差し金か。いつもながらまわりくどい事するなぁ。

 勧められるまま、コートを脱いで椅子に座る。

「私は沙奈《さな》っていうの。あなたのお名前は?」

 予想通りの名前を聞かされて、それでも少し驚いた。というか、桂吾……。何考えてるかばればれだからねぇ?

 なんていう内心はきれいに隠して、返事を書く。

『篠井彩香です』

「彩香ちゃん、ね。お父さんとお兄さんについて来たの?」

『はい。お話が終わったら、瀬戸谷先生に診てもらう予定なんです』

 一応主治医だからね。カウンセリング受けてる事になってるんだ。今日はそのためもあって、私も一緒に瀬戸谷邸を訪ねてる。桂吾がうちに来るんじゃなかったのは、私がここ最近、ずっと家にこもりきりだから。安全な外出先確保、なんて意味もあってりして?

「桂吾兄さんに? ……彩香ちゃん、藤野宮の生徒さん?」

 沙奈さん、顔に出てますから。これで高校生?! って、出てるから。

『中等部の先生より、瀬戸谷先生の方がちゃんと聞いてくれそうだったから』

 ちょっぴり、小学生じゃないからね、の主張をまぜて返事をする。わかってるもん、どうせ外見九才だもん……。

「まぁ、そうだったの。桂吾兄さんを頼ってくれて嬉しいわ」

 ふんわり笑顔でそう言って、お茶とお菓子を勧めてくれる。何気なく私の好物のプチシューが入ってるあたり、本当に確信犯ですね?

『いただきます』

 いい子のあいさつをしてまず紅茶をもらう。うん、寒かったからあったかい飲み物おいしい。

 なんとなく雑談をしながらお茶とお菓子を楽しんでいたんだけど、時折沙奈さんが何か言いかけては飲み込んで、別の話題を口する、というのをくり返す。

 そりゃ気になるよね。桂吾は仕事に責任を持って取り組むけど、生徒のカウンセリングを学外でする事はない、って言ってたもん。公私のけじめ、というのもあるけど、基本カウンセリングは二人きりになるからね。学外で生徒と二人きりになる、というのはあんまりよろしくない。まぁ、不登校とかの対応なら別なんだろうけど。でも、そういうのはまず担任が動くし、桂吾が対応するにしても、相手の家を訪ねる形であって、瀬戸谷邸に呼ぶ事はしないだろう。それなのに今回は政孝父様達の用事のついでという体裁にしても、わざわざ私を瀬戸谷邸に招いた上、わざわざ沙奈さんに対応を頼んだ。

 だからこそ、特別扱いの私が気にならないはずがない。

「その、彩香ちゃんは桂吾兄さんの事好き?」

 ……あ~、うん、なんかごめん。この人、意地悪したくなったかも。子供相手にその探りの入れ方はないでしょう?

『うん、大好き』

 なので、つい、満面笑顔でお返事してしまいました……。わ、私悪くないよね……?

『瀬戸谷先生ね、すごく優しいの。大変な時、いっつも助けてくれるんだ。だから大好き』

 うん、嘘は言ってない。子供の憧れ的な初恋っぽく聞こえるよね? ささいな意地悪だよね?

 って、ちょっ?! わぁっ?! 何ショック受けてるんですかっ?! 普通、ここはほほえましく見守るところでしょっ?!

『瀬戸谷先生が兄様だったらいいのになぁ、って思ってたくらい。だから沙奈さんいいなぁ』

 内心大慌てなのを隠して、さらりとつけ加えたら、ほぅ、っと息をつく沙奈さん。……そんな動揺するくらいなら、地雷話題をふりなさんなよ……。

 でもまぁ、ここまで露骨な反応が来たならつっこませてもらおうかな。

『沙奈さん、瀬戸谷先生が好きなの?』

「えっ?! でもほらっ、桂吾兄さんは兄さんだからっ?!」

『好きだよね?』

 子供にだから許される無遠慮さで問い重ねたら、真っ赤になったほおを両手で押さえた沙奈さんがこくんとうなずいた。

「……やっぱり、わかる、わよね?」

 うん、ばっればれだし、そもそも元から知ってます。本当、この相思相愛カップルはいつまですれ違ってるんだ、って思うくらいにね。……そのうち熟成させすぎで腐るんじゃなかろうか。

『沙奈さん、瀬戸谷先生と本当に兄妹?』

「……え?」

『だって、兄様って呼んでるからって、本当の兄妹とは限らないよね?』

 さらりと爆弾を投げ込んでみたら、沙奈さんがかたまった。

「なんで……?」

『私の兄様も本当は兄様じゃないけど、兄様って呼んでるもん』

 私の言葉に目を見開く沙奈さん。

「彩香ちゃんも……?」

『私ね、本当は篠井の子供じゃないの。だから、兄様も本当は兄様じゃないんだ』

 公然の秘密ネタだけど、社交の場に出てない沙奈さんには初耳だったのか、さらに目がまるくなる。そんなに見開いたら目玉が落っこちませんか……?

『私、兄様の事大好き。……それって、変かな?』

 恋愛成分はゼロですが、と心の中だけで付け足す。だって、私はソロ軍団志望だからね。

「ううん、おかしくない。……そっか、私だけじゃないんだ……」

 つぶやいて肩の力を抜く沙奈さん。まぁ、確かに多少風当たりは強くなるかもしれないけど、でも、沙奈さんってば瀬戸谷本家の籍には入ってなかったはず。法的にも問題ない間柄だと思うんだけどなぁ、何をそんなに気にしてるんだろう。

 そもそも、沙奈さんが瀬戸谷本家で育てられる事になったのって、本家兄弟の誰かと結婚してくれないか、って思惑もあったと思ったんだけど……。

『沙奈さんは瀬戸谷先生が好きなの、秘密にしたいの?』

「秘密にしたいっていうか……。桂吾兄さんは私を好きじゃないもの」

 ……はい?! 桂吾のどこが沙奈さんを好きじゃないように見えるのっ?!

 いやそりゃ確かに昔のあれはちょっとなんだったかもしれないけど……。そんなに疑われるような何をしたんだろう?

 どこか他人事に聞きながら紅茶に口をつける。

「桂吾兄さんには、その人でなくちゃ嫌だ、って言って結婚を申し込もうとしていた人がいるの。だいぶ前に亡くなったんだけど……。きっと、今でもその人の事が好きなんだわ」

「っっ?!」

 さみしそうにため息をつく沙奈さんの言葉で思わず紅茶をふくところでした。うん、なんとか粗相はせずにすんだけど……っ。

「だっ、大丈夫?!」

 慌てる沙奈さんにこくこくとうなずく。

「平気? 少し熱すぎたかしら? ごめんなさいね」

 そう言いながら沙奈さんは立ち上がって背中をさすってくれた。しばらくして咳が治ってから、一息つく。

 ……うん、ごめん。その相手って私です。しかも恋愛成分ゼロの策略でした。

『瀬戸谷先生が、今でもその人が好きって言ったの?』

 言ったはずないないだろうと思いつつ聞いたら、案の定否定の返事が。

『それって、他の人が好きだ、って決めつけてあきらめたい、って事?』

 ぶしつけだとは思ったけど、わざときつい言葉を選ぶ。ま、中学生なら許される範囲だと思う。

『それとも、好きになってもらえないと好きでいる意味ない?』

「そんな事は……」

『なら、瀬戸谷先生が誰を好きでも、沙奈さんが瀬戸谷先生を好きなのとは関係ないよね?』

 首をかしげて沙奈さんを見上げたら、眉間にしわをよせてこっちを見てる。

「彩香ちゃんは、お兄さんが彩香ちゃんを好きじゃなくても好きでいられる?」

『私は兄様が私を嫌いでも、兄様が好き』

 雅浩兄様は私を好きだって言ってくれてる。……でも、幸兄に好かれてるとはあんまり思えないんだよね。いや、全面的に嫌われてるとも思ってないけど。でも、幸兄がどう思ってようと、私はあの人を嫌いにはなれない。なんでって言われても困るけど……。あの人は特別だから、嫌われても憎まれても、きっと好きだって気持ちは捨てられないかな。

 たぶん、私にとって相手に好かれてるかと自分が相手をどう思うかは別の問題なんだよね。大切だって思える相手限定だけど、好きになる事と好かれる事がイコールじゃなくたってかまわない……というか、そんなのよくある事だと思う。

 だって、私が好きになる人はみんな、同じ好き(・・)を返してはくれないから。似ているのに違う気持ちの重ならない部分が苦しいのなんて当たり前だもの。それが嫌なら最初から誰も好きにならなければいいとわかってる。でも、私はそんな理由で大切な人達と距離を作るのは嫌。

『だって、好きでいても、迷惑かけなければ問題ないよね? 好きになってもらえないのは、好きになった気持ちを捨てなくちゃいけない理由じゃないよね?』

 きれいごとだって言われそうだけど、嘘をついてるつもりはない。だって、無理やり自分の気持ちを変えようとしても苦しいだけだもん。なら、好きなら好きでいい、って割り切った方がすっきりする。それに、ただ好きでいるだけで、相手にも他の人にも迷惑をかけなければ、そんなの私の勝手だと思うし。

「彩香ちゃんは強いんだね」

 私の書いたメモを見て沙奈さんがうっすら笑う。どこか、子供の世界は単純でうらやましい、とでも思っていそうな、どうせわからないだろうと切り捨ててる雰囲気がある。

 まぁ、そういう考えの人なのは知ってるけどさ。

『強い? そんなことないよ』

 声が出なくてよかったな、と思いながら皮肉な気分で返事を書く。

 私が強いのなら、こんな事になってるはずがない。弱くて馬鹿な私が怖くて難しい問題――高浜の家族や幸兄から逃げ続けたせいでこんな事になってるっていうのに。今だって、声が出せなくなる、なんて方法でまわりの気をひいて、大変なの、たすけて、って泣きわめいてるようなものだ。むしろ、素直にそうできない馬鹿なプライドがある分たちが悪い。

『弱いから何もできない。って甘えてるの、楽しい?』

 だから、こんなにもいらつくのは嫉妬と自己嫌悪の裏返しなんてわかっているのに抑えが効かなかった。この人でいいなら私でもよかったじゃない、と思うし、桂吾とむきあうのを避ける理由に、自分の弱さをひけらかすのが幸兄から逃げた私のやり方と同じで嫌になる。

『そうやって逃げたければ好きにすればいいと思う。そうやってる間に全部手遅れになって、取り返しようがなくなってからちゃんとむきあえばよかった、って泣きたいのなら勝手にしなよ。でも、そんな身勝手なわがままに瀬戸谷先生を巻き込まないで』

「言うだけなら簡単よね」

 さすがに腹が立ったのか、沙奈さんの声がとがってる。でも、そんな事知った事か。

『あなたが何を考えてるのかなんて知らない。でも、そうやって逃げた結果、どうなるのかは知ってる』

「何を知ってるって言うの?」

『現状を変えるために動くのが怖くて、守ろうとしてくれる人がいるからいい、って全部その人に押しつけて逃げたらどうなるのか、私は知ってる。そして押しつけられた人は二人分の重圧を抱えたせいで壊れてしまった。たった一人の大切な人だったのに、私はその人の人生をめちゃくちゃにした。それなのに、私は安全な場所に守られて優しい人達にかこまれて幸せなの。それがどんな気持ちかわかる?』

 雑な字で書き殴った文章を目で追った沙奈さんの表情がかたまる。そりゃそうだよね。小学生にしか見えない私が言い出すとは思えない内容だもの。

『壊れてしまった人はたくさんの人を傷付けた。間違いなくこれからその罰を受ける。全部押しつけた私のせいなのに、あの人がいなくなった世界でそれでも幸せにならなきゃいけない。そうしなくちゃ、みんなが悲しむから。本当は私だって幸せになんてなりたくないのに。あの人を壊してしまった事を償いたいのに、誰もそれを許してくれない』

 書きながら涙がにじんでくるのを感じて、唇をかむ。この人の前で泣くなんて嫌だ。

『あの人だって、本当は私の幸せを望んでくれているってわかってる。だから、無理矢理でもなんでも、幸せにならなきゃいけないの。こんな気持ち抱えて生きてきたいって言うならとめないから好きにすればいいんだよ』

 書くだけ書くとあいさつもせず立ち上がって逃げ出す。

「彩香ちゃん?! 待ってっ!」

 呼び止める声が聞こえたけど無視して庭に走り出る。そのまま闇雲に走り回って、迷い込んだ庭の一角で足を止めた。

 一時の興奮が冷めると、なんだかどっと疲れた気分になって、目についた池の側にしゃがみ込む。和室か茶室でも近いのか、この辺りは日本庭園風になっていて落ち着く雰囲気だった。水面の下では鯉がのんびり泳いでる。

 年下相手に感情にまかせて怒鳴りつけるような事やるとか……。我ながらみっともないなぁ。一つため息をついたら、気分に任せてずぶずぶと沈み込みそうだった。いくら幸兄の事があって情緒不安定だからっていってもあれはないよ。なんだって桂吾はあんな人がいいんだろ……。

 ……って、これも完全に八つ当たりだし。

 もう一度ため息をついて頭をかく。

 戻る前に少し頭冷やそう。たぶん、沙奈さんは自分の部屋からそうそう出られないし、庭なんてもってのほか。それに、来客と面談中だとわかってるのに桂吾に助けを求めたりもできないだろう。桂吾が私を庭に出して、沙奈さんと会わせるつもりだったのなら、この時間、使用人が庭にいる可能性もほとんどない。誰に見咎められる事もないはず。

 ちょっとまわりを見回すと座るのに手頃な石があったんで腰を下ろす。つま先が触れるか触れないか、という距離にある水面の上で足をぷらぷらさせ、後ろについた手に体重を預けて空を見上げる。色の薄い空はなんだか白っぽくて作り物めいていた。

 やけに寒いな、と思ってからコートも靴も置いてきてしまった事に気づく。コートはともかく靴までって……。どれだけ取り乱してるの、私……。

 自分の醜態に思わず苦笑するしかない。でもまぁ、風邪をひく前に戻ればいいだろうし、今はこのままでいいや。冬の冷たい外気に熱を奪われていく感覚は馴染みのもので、意識を外してしまえばいいだけのもの。

 そういえば、高浜の屋敷にもこんな雰囲気の池があったっけ。幸兄にもらった髪どめを別の兄さんがむしり取って池に投げ捨てた時は途方にくれたなぁ。赤いビーズと小さな造花で飾られたそれは、髪を結いてる事すらまれな私が身につけていると目立って、だからこそ兄さんの目にとまっちゃったんだろう。幸兄がくれた宝物だったのに、もらったその日に起こった事件だった。

 ……そういえば、あの髪どめは結局どうなったんだっけ?


「いいかい? あの池はとても深いから、拾おうだなんて考えちゃいけないよ。もし拾えたとしても、もう汚れて使えないだろうからね。それに、髪どめだけですんでよかったよ」


 半泣きで謝りに行った私の頭をなでて、幸兄はそう言って笑った。そして何日かしてから、捨てられた髪どめとよく似た飾りのついたキーホルダーをくれたんだ。学校のロッカーの鍵なら誰もいたずらしないだろうから、って。

 嬉しかったけど、私は最初にもらった髪どめが気になってしばらく池のまわりをちょろちょろしていたっけ。あれは今でも池の底に沈んでるんだろうか?

 そんな風に思ったら、なんだか池の底が気になってついのぞき込む。ここが別の場所だなんてわかってるけど、そうせずにはいられなかったんだ。体を乗り出していたら、不意に体がひきさらわらた。

「っ?!」

 ちょっなになになにっ?! 何なんですかっ?!

 慌ててもがくけど、背後から私を抱え上げた相手はそのまま数歩下がる。やだなに何なの誰……って、この手、もしかして桂吾?

 脇の下に腕を通して抱え上げる、だなんて事をしてる腕は、さっき桂吾が着ていたのと同じ、焦げ茶色のジャケットだった。

「なにやってんですか、あんたは……っ」

 私を宙づりにしたままの桂吾の声は、どなりつけたいのをこらえているような、変な感じだった。

 何って、池をのぞいてただけですが。この体勢じゃ合図しようもないし。ひとまず降ろして、という意味をこめて、桂吾の腕を軽く叩いて足をぱたつかせる。

「納得いく説明が先です」

 いや、だから合図しようにもこの体勢じゃ……。スマホはコートのポケットだったし、メモ帳もない。せめて向かいあわせならまだしも、これじゃまばたきとか触れる場所で意味を特定する合図は全部使えないじゃない。

 話すから降ろせって……。

 わざとらしくため息をついて降ろしての合図をくり返す。そうしたら、あろう事か、桂吾は宙づり体勢から勢いをつけて私を放り投げるみたいにして抱え直す。

 あまりの事に硬直してる私をよそに、すたすた歩き出した。

「とりあえずコートも着ずにこのくっそ寒い場所で話しこみたかないんで移動しましょう。……存分に靴もはかずに飛び出した自分のうかつさを呪ってくださいね?」

 体勢に関する文句は聞かない、と言外に断言されて、もう一度ため息をつく。まぁいいけどさ……。確かに失態だし、薄手の靴下だけで庭を歩き回りたくないし。

 そのまま雅浩兄様達のいる応接室にむかうのかと思ったら、桂吾は手近な掃き出し窓から屋内に入ると、そのまま奥にむかう。連れて行かれたのは昔何度か来た覚えのある、桂吾の部屋だった。

 桂吾の部屋はベット周辺だけ、ドアからの視線をさえぎるようにパーテーションが置かれてる。桂吾らしいな、と思うのは、ベットに入ると天井以外は窓と壁とパーテーションしか視界に入らないあたりだ。時計や本棚を視界からしめ出すのは悪くない。

 桂吾は椅子じゃなくてベッドに私を降ろすと、床に膝をついて私の靴下を脱がせにかかる。

 まてこら何する気なのっ?!

「泥まみれの上、濡れてんですよ。おとなしく脱がされてください」

 返答次第で顔を蹴ってやる、と思いつつ手をふりはらったら、そっけない返事が来た。……言われてみれば確かに。これじゃ室内を歩ける状態じゃないかも。

 あきらめてされるに任せる事にしたら、桂吾は私の足から抜き取った靴下をお湯と洗面器とタオルを届けてくれた人に渡す。そうしてから、お湯で丁寧に足を洗ってくれた。

 自分で思ってたよりも冷えていたのか、お湯につけられた足先がじんわりと痺れたような感じがした。それに、傷でもできたのかぴりぴりとした痛みがいくつか。

「こんなくだらない事で怪我なんてしないでくださいよ。こっちの身がもたない」

 ……いや、今回のは桂吾のせいだよね? 八割くらい桂吾のせいだよね?

 桂吾に取られていない右足で少しお湯をはねかしてやったら、桂吾が眉間にしわをよせる。

「……それで? 自殺でもしそうな雰囲気で池をのぞきこんでたのはなんでなんです?」

 ……はいっ?! 自殺とかなんなのなんの言いがかりっ?!

 完全に意表をつかれてかたまったら、足を洗い終わったのか洗面器を押しやって、柔らかなタオルで水滴をぬぐい取りながら、桂吾がため息をついた。

「このくそ寒い日にコートどころか靴すらはかずに飛び出した子供が、完全に魂飛ばしてる体で池のぞき込んでたんですよ? 他にどう見えるんです?」

 だからそんな寒い日に庭に出したのはあんたでしょうが……。

「泥と池の水ですから、小さな傷ですけど消毒しておきましょうか。ちょっと待っててください」

 抗議の視線をさらりと無視した桂吾が立ち上がる。パーテーションのむこうに消えて、でもすぐに救急箱を抱えて戻ってきた。

 足の裏の傷を順番に消毒しながら、桂吾がまたもやため息をついた。

「……そんなに怖いんですか?」

 うん? 突然の言葉の意味を特定しきれなくて、足先で桂吾をつつく。……手が届かないからだからね?

 だけど、先をうながされていると気づかないはずもないのに、桂吾は黙ったまま何も言わない。手当てのためにうつむいてるから表情も見えないし、困ったなぁ。

「思い当たらないならいいですよ。たいした事じゃありません」

 消毒し終わった足にばんそうこうをはりながら、桂吾がなんでもないように言う。でも、なんでもないならこんな思わせぶりな事言わないよね? 何か桂吾が気にするような案件でもあったかな、と首をかしげてから、不意に気づく。

 ……ただこれは……。確かめていいのかな……?

 少し迷って、でも結局はっきりさせる事にする。だって、疑っちゃった以上、あいまいにしておく意味がない。それに、桂吾一人に背負わせるのは嫌。

 体をのりだして桂吾の頭に手を置いたらさすがにいぶかしげな視線がむけられたけど、そのまま雑に髪をなでる。うなじに滑らせた手に少し力を入れると、意図が伝わったのか、床に膝をついたまま桂吾が顔を近づけてきた。

「なんです?」

 問われて、返事代わりに淡く笑みを浮かべる。両手で桂吾の頭をひきよせて肩に乗せさせたら、逆らわないくせに不満そうに鼻を鳴らした。

「なんなんですか? こんな体勢じゃ合図が……」

「……必要?」

 声を出すんだって意識してのどに力をいれたら、思ったよりも簡単に声を出すことができた。しばらくしゃべってなかったからかすれてはいるけど、聞き取れると思う。

「あんた、声が……っ?!」

「大丈夫、今だけだから」

 驚きよりもあせりの濃い叫びにしれっと返す。

「今だけって……。……あんた、気づいてたんですか?!」

「触れて楽しい話題じゃないし、思い出したのはつい最近。それにまだ時間があると思ってたから言わなかっただけ」

「言わなかっただけ、って……。そういう話こそしてくださいよっ」

「だから、もう少ししてから――この騒動が治まってからで間に合うと思ってたの。前だってここまで症状が進むのに二十年ちょっとかかったでしょ?」

 桂吾の後ろ頭をゆったりとなでながらつぶやく。

 ……そう。昔、声が出なくなったのって血管腫の影響だったんだよね。直接的な原因はもちろん違うんだけど、私は無意識のうち脳に――つまり、大量の血液を送りこむ場所にかかる負荷を減らそうと、比較的影響の少ない発声に関わる部分を凍結させた。以前は自然と治ったんじゃなく、その程度の時間稼ぎが無意味になった事で、無意識の制限が解かれた、というわけ。

 だから、私が声を出した事で、桂吾はそこまで悪化したのかと慌てたんだ。

「少しでも疑ってたなら、最初に言ってくださいよ……」

「だ・か・ら、確証はなかったんだって。例の発作だって突き落とされた時までなかったし、雄馬父様が受けさせてくれた検査では異常が見つからなかったの。だから、あれは先天的な――遺伝的にその因子を持ってたか、突然変異か、どちらかの確率が高いと思ってた。それに、彩香は小さい頃から回転数をかなり制限してたから、過負荷で血管腫ができるにしても、進行するにはまだまだかかるはずだ、って無意識に思ってたんじゃないかな。でも、思ったよりもずいぶんはやかった」

 最後のくだりで小さく笑ったら、桂吾が盛大なため息をついた。

「そういう問題じゃないでしょうが」

「だいたい、私、言ったはずだよ? 死ぬ前日に例のゲームしながら論文書いてた、私を殺した相手を覚えてる、って」

 そう。前日の夜に何をしてたか、なんて、死んだ日がいつでその時に何をしてたか記憶になければ言えない。それに殺された相手を覚えてる、って事は死ぬ直前の記憶がある、って意味でもあるんだからね。

「――って、あれ、かまかけだったんですか?!」

「そういう事。あの時桂吾が怪しんでたら話したかもしれないけどね」

「あんたじゃあるまいし、そんなの気づくわきゃねぇだろっ?!」

「耳元でどなったらうるさいよ?」

 わめく桂吾をいなして軽く背中をたたく。

「まぁ、死ぬ直前数時間の事はさすがに少しあいまいかな。幸兄に馬鹿な事ほざいたのを思い出したのはみんなでお風呂入ってた時だし、それ以降の記憶は思い出そうとすると、防衛反応なのか吐き気が酷いからあえて触ってない」

 苦笑いでつぶやいて、だけど、すぐに悪役笑いを浮かべて桂吾をつつく。

「ま、この前の発作があんまり酷かったから疑ってはいたよ? でも、私が聞いてる範囲の病状だとここまでの症状が出るはずなかったからね。あんたがボロ出してくれなければ確信はできなかったかな」

「かわいくねぇ……っ!」

 顔を上げない桂吾が悔しそうにはき捨てる。

「そんなの当たり前でしょうが。私を誰だと思ってんの?」

 笑いぶくみにいなすと、小さなため息が返ってきた。そして、何か言いかけて飲みこむような気配。

「なに?」

 うながすと、相変わらず顔を上げない桂吾の片手が、私の髪にもぐる。ためらいがちに探るのは血管腫があると言われた場所の近くだ。

「あんたがあんな事言い出したのは、これのせいですよね? ……あの時、俺が違う答えを出してたら、あんたは……」

「ばっかじゃないの?」

 予想通りの言葉を思いきり切り捨ててやる。

「仮に桂吾があの時私を抱いたとしても、私は同じ事をした。今の桂吾ならともかく、あの頃の桂吾にそこまでできたわけないでしょうが。うぬぼれもたいがいにしたら?」

「うぬぼれって……。あんた口悪りぃぞ?」

「事実でしょうが。どう考えてもあの頃の桂吾に、私に最大の価値を失ってもあんたの関心がそれない、って信じさせられたとは思えないんだけど?」

「……否定できないのが腹立つっ」

 本当に悔しそうな声につい笑ってしまう。

「私はね、幸兄に全部話した時、側にいて欲しいか、って言われてわざと曲解した返事をしたの。いつ破裂するとも知れない爆弾を抱えて生きる恐怖から逃げたんだよ。あの人ならやってくれるかも、って思ったのも確かだけど、本当は最後まで生きろ、って言って欲しかった。あの人にとって私の価値は私である事だから、能力を抑えても関係ないし、もしかしたら、って期待したんだけどね。結果はあの通り。……ま、私は桂吾が期待してくれてるほど強くもなくて、その程度を読み違える程度だった、ってだけの話ね」

「二十歳過ぎの小娘が突然余命宣告されて冷静だったら、即刻カウンセリングルームに連行ですよ」

「なら、桂吾がそこまで気づかなかったのだって当たり前なんだからくだらない自虐はやめなさい」

 引き寄せた頭を軽くなでながらたしなめると、苦笑いと一緒に、はい、とだけ返事があった。

「ま、今回の失声症はあいつのせいでのストレスもあると思いますよ。退院時の検査ではそこまで酷くはなかったんです。……ただ、国内には手術を成功させれられる医者がいない程度には厄介な状況ですけどね」

 もう隠せないとわかったからか、桂吾がざっくりとした説明をしてくれた。

「というか、ちゃんと説明しますからむかいあうか隣に並ぶかで座りませんか?」

「あら? この体勢は気にくわない?」

「そうじゃなくて、しゃべるのが心配なんですよ」

「体温気持ちいいのに」

「はいはい、善処しますから言う事聞いてください」

 そう言って立ち上がった桂吾は、ベッドに上がると私を後ろから抱きかかえるようにして座る。そして、私の手に桂吾のスマホを持たせた。

「これなら文句ないでしょう?」

 私の肩越しにスマホをのぞき込んでいる相手に苦笑いでうなずく。確かにこれなら、私はメモアプリにでも言いたい事を入力すればすむし、背中があったかくて気持ちいい。

「とりあえず、あんたの病状に関しては、少なくとも後数年は安全だろうというのが片野教授の判断です。ただ、手術を急ぐに越した事はありませんからね。今、海外の専門医に依頼を出してる所です」

『という事は、学園を休む指示もそのからみなの?』

「はい。いくら現時点では心配ないと言われても、あんな事の直後ですからね。それに……」

 そこで少し言いあぐねた桂吾の腕をつついて急かしたら、一つため息が。

「あんた――高浜先輩が殺されたのが、告知を受けて半月もたたないうちですからね。詳しい事情を知らない篠井の当主も無関係じゃないと踏んだんでしょう。心配で手元から離したくないんですよ。詳しい話を伝えなかったのも、あんたを案じての事です」

『まぁ、やらかしてるからそれに関しては当然の判断だと思う。ただ、今は昔ほど絶望的な気分ではないから心配ないよ?』

「本当に、ですか?」

『そりゃ、ショックだし怖いよ。でも、いつかそうなるかも、って思ってたからね。心構えがあった分違うのもあるかな。だから』

 そこまで打って、でも続けようと思ってた言葉は打てなかった。だって、大丈夫なんかじゃない。今だって、泣き出しそうなのを必死に我慢してるのに。

 打とうとして何も打てないまま指が止まる。

「相変わらず素直じゃねぇな」

 そんな私の内心を知ってか知らずか、桂吾が苦笑まじりにつぶやいた。そして、いったいどんな手品なの、と問いただしたくなる手際の良さでベッドに押し倒された。

「ともかく今は回転数の制限をきつくしておとなしくしててください」

 動きを封じるように体の上に乗ったくせに、あまり体重をかけないようにしてくれているから苦しさはない。伝わってくる体温と体の感触が酷く心地いいだけ。

「何を制限しようが、あんたがあんたである限り、俺にとってあんたは特別なんです。だから、余計な雑音に気を取られないでください。俺達が望むのはあんたが生きて幸せになってくれる事だけなんですから」

 やわらかな声で言った桂吾の手が顔にかかる前髪をはらって、今はもうない傷痕をたどる。

「あんたの方が上だってのは、処理速度の問題だけじゃないんですからね? ……まぁ、今のあんたならそのくらいわかってんでしょうけど」

 笑いを含んだ声と同時に今度は唇がひたいに触れた。とろりとした眠気を誘う感触につい笑みがこぼれる。

 桂吾のそばはいつだって安心だったけど、昔よりもずっと、今の方が心地いい。変な意地をはらなくても大丈夫、って安心感があるからなのかな?

「だからいい加減、あんたは自分の気持ちを自覚してくださいね?」

 突然変わった話題に目をまたたいて桂吾を見上げたら、苦笑されてしまった。

「ゲームの中の篠井彩香もたいがい自分の気持ちにうとかったですけど、あんたも相当ですね」

 だから脈絡がわかんないって。

「逆ハーレム脱線裏ルートの克人編、あれ、どう考えてもハッピーエンドでしょうが。それがわからないと言ってたあんたに自覚しろって方が間違いですかね?」

 しかたねぇなぁ、とでも言いたげな言葉にさらに首をかしげてしまう。だからなんでそんな話題になるの?

 というか、あれハッピーエンドなの? 他の女を逆ハーレムしてる婚約者に無理やりやられた上、ねちねちやられて、そんな冷え切った関係のまま結婚するのが? 確かに途中から彩香(・・)克人兄様(・・・・)にほだされてたような雰囲気だったけど……。

「あのルート後半で克人が、やっと全部俺のものだ、って彩香に言うシーンがあったでしょう?」

 うん、あったね。やっとも何も散々どうよってやり方で無理やり抱いただろうが、って、つっこみどころだよね?

「じゃ、その直前の会話はどうです?」

 ……ええと、確か、あれは二人の結婚式の後のシーンだったよね。場所はホテルで、例のごとくかたい表情でむきあう彩香と、その態度に少し不機嫌そうにしてる克人兄様の会話だっけ。確か、こんな感じ。


――――――――


「相変わらず、俺といるのは嫌そうだな」

「嫌がられるだけの事をしてる、という自覚がないんですか?」

「……まぁ、好かれるやり口じゃなかったな」

 冷たい切り返しに苦笑するしかない、という体で応じてから、彩香の頭をなでてこようとする。でも、人目がある所ではおとなしくされるに任せる彩香が、体をこわばらせた。まぁ、二人きりの時に触れられるのが何を意味するのか知ってれば当然の事だ。露骨な拒否反応をしかたないと思っているのか、やられた方は淡く自嘲めいた色のある笑みを見せるだけで咎めない。

「彩香がどう思ってようと、俺はお前が欲しかったんだよ。――手に入らない事なんてとっくの昔に思い知らされてるけどな。いつだって、彩香が見てるのは久我城の跡取りで、俺じゃない」

 言われて彩香は不思議そうに目をまたたいた。

「……克人さんに必要だったのは、久我城当主の妻にふさわしい人間でしょう?」

 そう。ゲーム内の彩香は仲の良かった従兄から、久我城当主の妻の役目を安心して任せられるから、という言葉で婚約を申し込まれた時、相手に望まれているのは理想的な妻(・・・・・)を演じる人間であって、自分である必然性はない、と理解した。だからこそ、彩香は久我城克人を恋愛の対象から外した、というわけだ。確かに婚約者がいようと、大勢の女性に囲まれるとわかっている相手と恋愛なんてすれば、見逃さなくてはいけない事を見逃せなくなるだろうし、正しい判断だと思う。

 だけど、その返事に言われた方が凍りつく。そしてしばしの沈黙の後、盛大なため息をついた。

「……俺が欲しかったのは篠井本家の娘でも、久我城の跡取りの妻にふさわしい人間でもない。俺が風邪をひいた時、冗談を真に受けて手をばんそうこうだらけにしてまで、うさぎりんご作ってくれた子なんだよ」

 この言葉に今度は彩香がかたまる。手に怪我をするから、という理由で料理はまったくやらされていなかった彩香が、料理というほどのものじゃないとしても、初めて作ったのが目の前の男に請われて作ったものだから。自分で見ても不恰好なそれを嬉しそうに食べてくれたのを今もはっきりと覚えている。


――――――――


 と、まぁ、大雑把に説明するとこんなシーンだった。この後は例のごとくよい子にはお見せできないシーンに続く。ただ、それまでと違ってあんまり無理やりな雰囲気じゃないし、彩香は初めて怯えてたり痛がったりする以外の反応を見せた。そして、その反応を見た克人兄様(・・・・)が口にしたのが、さっき桂吾の言った、やっと全部俺のものだ、ってセリフ。ちなみにストーリー自体もこのシーンで終わってる。

 ……これってハッピーエンド?

 首をかしげていたら、桂吾が小さく笑った。

「あの二人、要するに変な見栄はった上、婚約申し込んだ時に克人が言葉を選び損なったせいですれ違ってただけで両思いだった、って事でしょうが。彩香は自分自身じゃなくて篠井本家の娘が克人に選ばれたと思い込んで、克人に恋愛感情をむけないようにしてただけなんでしょうね」

 ……そういうものなのかなぁ?

「じゃあ、俺と沙奈みたいな関係だった、といえばわかりますか?」

 ……はたから見れば相思相愛なのにすれ違ってるバカップル?

 つい、手に持ったままだったスマホにそう打ち込んだら、桂吾がふき出した。

「まぁ、否定はしませんよ。いまだに沙奈は、俺があいつを好きだってのを信じてませんからね」

 うん、疑ってたよね。本当、なんであんな風にすれ違えるんだか……。

「でも、はたから見てるとあんたと克人もそう見えますからね?」

 っ?!

 予想外にすぎる発言に思わず目を見開いて桂吾を見上げる。

「あんたが恋愛をしたくないのは知ってます。そういう気持ちを相手にむけたら悪い事が起こる、って信じ込んでるのも知ってますよ。……だからあんたはあそこまで切羽詰まってすら、好きだと言えなかったんでしょう?」

 後悔の混じる言葉とともに桂吾の唇がもう一度ひたいに触れる。

「なんで、嫌なら無理に自覚しろとは言いません。でも、同じ事をされてるのに、俺にされるのと克人にされるのじゃ違うでしょう? 克人は俺とは別の意味であんたにとって特別なんだ、ってのだけは忘れないでください」

 最後に軽く頭をなでて桂吾が起き上がる。離れていく体温が名残惜しかったのか、考えるより先に手が動いて、引き止めるように袖をつかんでいた。

「大丈夫ですよ」

 そんな私をどう思ったのか、困ったように笑った桂吾の腕が私を引き起こすと腕の中に抱き込んだ。

「必ず手術を成功させられる医者をとっ捕まえて来ますから。あんたは暇にあかせて俺達にわがまま言ってりゃいいんですよ。――他の連中の前でしれっとしてたいなら、今のうちに泣いといたらどうです? あんたが弱いのなんて、とっくの昔にばれてんですから」

 平然とした声で言うくせに、桂吾の手がかすかに震えてる。自分だって不安なはずなのに、それを隠して支えてくれる優しさが嬉しいのに、悲しい。

 色々ありすぎて混乱する心に任せて涙をこぼしたら、桂吾の腕に力がこもった。

「好きなだけ泣いてはき出してください。……でないとあんた、また壊れちまう」

お読みいただきありがとうございます♪

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