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声と合図とビデオの話。

 何度かしゃくりあげた後、大きく息をついたら、膝の上に何かが落ちる感触。視線をむけるとポケットティッシュだった。

「……?」

「鼻かむかな、って。いらなかった?」

 目をまたたく私の疑問に答えてくれたのは雅浩兄様だった。

 うん、鼻はかみたいですが、これはどこから出てきたの? 家の中でまでこんなもの持ち歩いてるんですか?

「あ、ちなみに提供元は克人ね」

「あ……」

 お礼を言おうとしたのに、なんだかうまく声が出ない……?

「いいからさっさと鼻かんだらどうです? 酷いありさまですよ?」

 とまどっていたら、横から桂吾に言われて慌てて鼻をかむ。

「ずいぶん泣いたんで喉がおかしいんでしょう。無理にしゃべらない方がいいですよ」

 そう言って、テーブルから紅茶のカップを取ってくれた。すっかり冷めてるけど、確かに違和感がある喉にはそのくらいがちょうどいい。中身を飲み干して一息ついたら、桂吾の手がカップを取り上げた。

「新しいのいれてきます。あんたはしばらくしゃべらないでくださいね。――お前らの分もいれるからカップよこせ」

 トレイを手にカップを集める桂吾に、笑みを浮かべてお礼代わりにしたけど、篠井の家なのに桂吾がお茶をいれる事に誰も疑問を挟まないあたり、何かおかしい気がする……。

 いや、確かに桂吾のいれてくれるお茶はすごくおいしいし、途中で人が入ってくると困るからって、茶葉とかお湯とかお菓子とか、たくさん用意しておいたのも私なんだけど。でも、この顔ぶれならお茶を入れるの私の仕事だよね……?

「最近、彩香の泣き顔をたくさん見てる気がするなぁ」

「だね。昔みたいな泣き方なのがちょっと心配だけど、我慢して隠されちゃうよりはずっといいかな」

 昔みたいな泣き方って……?

 目をまたたいていたら、ふとこっちに視線をむけた雅浩兄様が小さく笑う。

「うちに来たばっかりの頃の彩香は、よく夜中に一人で泣いてたよね。泣いてる自覚があるのかどうかすら怪しいようにぼんやりしてるか、口をおさえて必死に声を押し殺してるか、どっちかですごく心配だった」

「泣くなら泣くで、声あげて泣いてくれた方が安心なんだけどなぁ。本当、困った意地っ張りだ」

「本当だよね。目の前で泣いてくれればなぐさめようもあるのにさ」

 兄様達に言われてほおをかく。これはもう習い性というか、人前で泣いたり怒ったりするのはみっともない、って言われ続けたせいだと思う。高浜はそういうところ、変に気にする家だったから。私の事なんてゴミあつかいだったのに、外で私が高浜に相応しくないふるまいをするのは許せないらしく、ずいぶんうるさく言われたもんね。

「まぁ、多少ましになってるみたいだし、あんまり言ってやるなよ。昔のこの人は、どんな酷い顔色してても絶対に人前じゃ泣かなかったからな」

「そうなの?」

「ああ。さすがに防音室で頭から毛布かぶせて見ねぇから泣け、っつっても知らん顔された日はきれたけどな」

 紅茶をいれながら会話にまじった桂吾の言葉に思わず半笑いになる。うん、そんな事もあったよね……。

「きれたって……?」

「七味とコショウ、顔面にぶちまけてやったんだよ」

 うん、あれは痛かった……。でもその後、生理現象での涙まであれこれ言われる筋合いはないでしょう、って言って、ぎこちなく抱きよせてくれたんだよね。今思えば、そこまでしてもらわないと泣けないほど、あの頃の私は追い詰められてたんだろう。

 あの頃の私は、ほんの少しでも桂吾に弱いところを見せたら駄目だって思っていた節があった。桂吾の側は安心できる場所だけど、もろさや弱さを見せて、桂吾にとっての特別な存在でいられなくなるのが怖かったんだよね。きっと、もう少し余裕があれば、弱い部分を見せない事と、絶対に敵わない存在でいる事の違いに気づけたとは思うけど、あの頃の私にとっては同じ意味だったから。

「本当、あの家の連中はこの人にろくでもない事ばっかりしこんでくれやがったもんだ」

 紅茶のカップを配る桂吾のぶぜんとした声に、兄様達が大きくうなずく。

「本当だね」

「経緯はともかく、彩香が高浜ときっちり縁を切って篠井で暮らせるようになったのはいい事だったな」

「確かにそこに限定するならあいつの暴挙に感謝してやらなくもねぇ。――許すかどうかは別問題だけどな」

「……そ」

「だからあんたはしゃべらないでください」

 そうだね、と言いかけた瞬間、桂吾にぶった切られました……。

「……っ、……?」

 そんなにのど痛くないよ、と反論しようと口を開いたけど、うまく声が出なかった。もう一度、と思ってゆっくり口を開いたけど、声じゃなくて息がもれるだけ。

 ……どういう事?

「彩香?」

「どうしたんだ? のどがおかしいのか?」

 私の様子におかしいと気づいたのか、兄様達が心配そうに眉をひそめる。

 大丈夫、って答えたいのに、何度口を開いても声が出ない。なんでなのっ?! のどはもう痛くない。何にも変な事はしてないのに、なんでっ?! ……やだっ、もうあんなのは嫌……っ!

「……だから、しゃべらないでください、って言ったでしょうが」

 作ったとわかるあきれのまじった声にふと思考が止まった。

「昔も一回あったでしょう? 一時的なものですから心配いりませんよ。――せっかく、落ち着くまで隠しといてやろうとしたのに、こんなに早く気づかないでください」

 紅茶をすすりながら平然と言われて、記憶をたどる。

 ……そういえば昔、高浜綾だった頃に一回だけ同じ事があった。あの時は桂吾と派手などなり合いをした後で、ふと気づいたら声が出なくなってたんだよね。下手に医者にかかるとうるさい連中が多かったし、風邪だと言い張って放っておいたんだけど、三ヶ月くらいで治ったんだっけか。

 ……まぁ、それがなんでだったのか、今の私は知ってるからあまり楽観はできないんだけど……。でも、同じ原因な可能性は確かに低い。

「あんた、ここのところで感情を揺さぶられすぎたんですよ。たぶん、過負荷がそんな形で現れたんでしょう。どうせ療養名目でぐうたらし放題なんですから、しばらくまわりに甘やかされまくってればすぐに治ります。だいたい、あんたの場合、しゃべれなくて困る事なんてたいしてないでしょうが」

 まったく心配してない態度で言う桂吾の言いようについふき出してしまう。まぁ、確かに休学中で習い事も完全に自主的な予習復習だけになってるから、困る事、と言われてもすぐには思いつかない。きっと、桂吾のいう通り、単なるストレスなんだろう。悩んで治るわけでもないし、あんまり気にしないでおこうっと。

「これはそんな大事じゃねぇからお前らも変に騒ぐな」

「大事じゃない、って……。声が出ないのは大問題だよね?」

「家に引きこもってるのに声が出なくて何に困んだよ? この人のタイプ速度ならスマホ経由の会話で不自由しねぇだろ」

「……そういう問題?」

「そもそも、原因がストレスなんだぞ? まわりが変に騒いだりはれもの扱いすりゃ、余計なストレスになるだけだろうが。風邪ひいて喉やられただけだと思っときゃいいんだよ。拒食やら自傷が出るよりはるかに実害少ねぇしな」

 雅浩兄様の抗議をばっさり切り捨てる桂吾。言い方は乱暴だけど、確かにその通りなんだよね。単純にストレスが原因なら、様子を見るのが一番だと思う。

「理屈はわかるけど……」

「俺は、原因になった野郎に利子ごとつけとけ、って言ってんだよ。どこまで自覚してんのかわからねぇけど、この人自身休憩が必要だって判断してんだ。今は休ませてやる事を優先しろ」

 うん、言ってる内容はすごくまっとうなのに言葉遣いのせいか、カウンセラーの言葉とは思えない。でも確かにこういうストレスからくる症状は原因を取り除いた環境でゆっくりと過ごすのが効果的なんだよね。だから、幸兄に関わる話題とか、ストレスの原因を排除して、みんなに側にいてもらうのはいい選択だと思う。私が桂吾の立場でも同じ事を言うもん。

 そういところちゃんとわかってくれているのが嬉しい。ありがとうって言いたいけど、声が出ないんだよね……。

 なんで、桂吾の服の袖をつんつんとひっぱって注意を引いた後、少し顔をよせてから嬉しい気分に任せて笑みを浮かべる。

「礼を言われるような事じゃありませんよ。でも、あんたが喜んでくれたなら悪い気しませんね」

 いつも通りかわいげのない返事がなんだか嬉しくて笑みを深くすると、つと視線を動かした桂吾がにんまりと笑う。

「それに、この人、しゃべれねぇとこんな感じでおもしれぇぞ?」

 面白いって何?!

「無意識なのは知ってますよ? でも、この体勢、一歩間違うと中々に扇情的だと思うんですが?」

 言われて首をかしげる。桂吾の腕と肩につかまって、ソファに膝立ちになって顔のぞきこんでるだけだよね?

「何首かしげてるんですか。あんた、自分の服装考えてます?」

 今日は百合子母様が選んでくれた、ミニ丈のプリーツスカートにニーハイソックス、ブラウスをインナーに薄地のニットですが何か?

「克人、お前写メ撮って俺に送れ」

 さらに首をかしげたら、桂吾が楽しそうにそんな事を言い出した。

「……まぁ、それしかないだろうな」

 一拍分悩んだ克人兄様はそう言ってため息をついた後、スマホをこっちにむけてシャッターを切る。そして、送られてきた画像を桂吾が見せてくれた。

 …………。うん、なんか……。私が克人兄様を気にしてふりかえったもんだから、黒歴史写真と同じ分類の写真にしか見えないんだけど……?

 冷静に他人の視点から見ると、桂吾といい子には秘密なあれこれをしようとしてたところを目撃された、なんて状況にしか見えない上、スカートの中も見えそうだし……。

「前から思ってたんですけど、あんたの場合、外見が子供でも仕草と表情が完全に成人のそれなんでかえっていかがわしい雰囲気に見えるんですよね。本人には色気もくそもねぇのにとんだ詐欺だと思うんですが」

 ちょっなにそれ酷いの私のせいですか?!

「いいですか? 甘えるのはいいですけど、下手な事してそこのさかりのついた二匹にくわれないようにだけは注意してくださいよ?」

 誰がだっ?! どの口がそれを言うか平然としてる桂吾に言われたって危機感なんて生まれるわけないでしょうがそういう事は少しくらい動揺してから言ったらどうなの?!

「というわけでそろそろどいてください。俺だって一応は正常な成人してる男なんで、あんまり長くやられるとくるんですよ」

 手のひらでひたいを――右側なのが桂吾のこまやかなところだと思う――軽く二連打されて、いまいち納得がいかないまま体を起こしたら……桂吾、しれっとした顔してるけど、うっすらほおが赤い?

「ったく、これがあんたじゃなかったら、でなければ相手が俺じゃなかったら、おいしくいただかれてますよ?」

 ……あぁ、うん、なんかごめん?

 時々兄様達が硬直するのもそういう事なんだろうしなぁ……。

 外見九才の私にそういう反応しちゃうのが正常かどうかはものすごく意見の分かれるところだと思うけどね。意見が分かれて欲しいけどねっ。

「苦情はただの九才に見えない自分のふるまいを、日本海溝並みの深度で反省してからにしてください」

 その規模の基準はなんなの……?

「あんたの場合、それで他の人間の普通程度の反省です。この方面に関してはそのくらい鈍いんですから、自覚してくださいよ。ったく……」

 ……いや、いい。もうつっこむまい……。口で勝てる気しないわ……。

 一つため息をついてソファに座りなおす。でもまぁ、一応気をつけよう。桂吾が言うんだから、気をつけた方がいいんだし。

 ふぅ、と息をついた時。

「ね、克人、その写真僕にも送ってくれる?」

 雅浩兄様のとんでもないセリフが聞こえてきましたしっ?!

 思わず全力で首をふって拒否したのに、駄目、の一言で片づけられました……。なんで……?

「今日の服、母さんの見立てだよね? よく似合ってるけど、少しスカートが短いと思うんだよね。こういう事になるから、って母さん説得してそのくらいの丈のスカート買わないようにしてもらおうかと思ってさ」

 待ってそれはさっきの写真を百合子母様に見せるって事ですか?! 駄目駄目あり得ないやめてっ?!

「予想はつくけど、何言ってるかわからないや。ごめんね?」

 いやそれ確信犯の言い逃れだよね絶対わかってるでしょ雅浩兄様酷いからというか克人兄様何さくっと送信してるんですか肖像権侵害だよっ?!

「ま、俺も雅浩の意見に賛成、って事だな。……ところで、瀬戸谷先生とのやりとりは会話として成立してたのか?」

 克人兄様の質問に首をかしげたら、桂吾が小さく笑う。

「正確なところはともかく、おおよそ成立してたんじゃねぇか? この人の考えてる事に対してちぐはぐな返しをしてりゃ、今みたいに首かしげんだろ」

 さらりと返す桂吾の言葉にうなずく。うん、その通り。

「……なるほど」

「ま、さっきみたく感情的になってりゃ、かなりわかりやすいな。昔はしれっとした顔のままなんで、ちょっとした仕草で読むしかなかったからほとんど意味不明だったけどな」

 ん? でも桂吾は最初からそんな的外れな反応した事なかったよね?

 桂吾の服の袖を軽く引いてから、指先で二回、腕をつつく。

「そりゃ、必死にあんたが何を言ってるのか考えてましたからね。下手な反応ばっかり返したら、あんた面倒がって意思疎通の努力を放棄しかねませんでしたし」

 相手が桂吾なら、そんな事しないけどなぁ。

 桂吾を見上げて二回まばたきした後、小さく首をふる。

「そりゃ光栄です。――おかげで専属通訳あつかいになるところでしたけどね」

 だって、一々筆談するの面倒だったんだもん。

 文字を書くふりをして肩をすくめたら、桂吾がふき出す。

「まぁ、あの頃はスマホなんて便利なものはなかったですからね。一々メモ帳とペンを取り出す手間を考えると、しかたなかったかもしれませんけど」

 だよねぇ。本当、機械物の進歩って素敵。

 桂吾のスマホを指して表情を緩めたら、少し意地悪な笑みが返ってくる。

「あんたのお蔵入りしてるスマホがようやく役に立ちますね?」

 ……まぁ、あんまり持ち歩いてないのは認めるけど。

 つと視線を外すと桂吾がおかしそうに笑った。

「……本当に会話成立してるみたいだね?」

「だなぁ」

 不思議そうな雅浩兄様と少しあきれ気味の克人兄様の声がしてふりむいたら、二人とも苦笑いだった。

「さっきの、彩香の仕草が返事になってたの?」

 雅浩兄様の確認にうなずく。ずいぶん昔の事なのに桂吾が正確に覚えてたのには少し驚いたけどね。

「最初に袖をひっぱったのが、合図開始、腕をつついてきたのが質問したい事がある時で、直前の言葉のいくつ目の文で疑問があったのかを示してんだよ。あれは二回――つまり、意味がわからなかった、に対する疑問。通じてただろ? とでも言いたかったんだよ。

 俺を見たのは次の合図の意味を俺に限定するためで、二回まばたきをしたのは二つ目の文を指定、首をふったのはまんま否定だ。つまり、俺相手なら意思疎通をやめる気はなかった、って意味だな。

 後のはわかりやすかったろ? 文字書くふりで肩をすくめたんだから、書くのが面倒。流れ的に、筆談がかったりぃ、ってところか。

 その次はスマホを見て笑ったから、俺の言葉に対する肯定込みで、スマホ便利、って感じのはずだ。最後の目をそらしたのは、悔しいけど反論できない、って感じだな。

 ――あってますよね?」

 さくさくと説明した桂吾の確認にうなずく。本当、相変わらず桂吾相手だと声が出なくてもほとんど困らないよねぇ。

「一応言っておきますけど、あんたが困らなくても俺は四六時中クイズやらされて疲れるんですからね?」

 それはそうなんだけど……。でも、桂吾はやってくれるよね?

 ほおをかいた後笑ったら、桂吾は苦笑いでうなずく。

「そりゃやりますよ。あんたのためですからね」

 桂吾のそういうところ、好きだなぁ。

 嬉しくてつい笑みがこぼれる。

「なんか、瀬戸谷先生がたいした事じゃないって言った意味がわかった気がする……。二人にとってはたいした問題じゃない、って意味だったんだね」

「彩香が普通にしゃべってる時と会話のペースもほとんど変わらないみたいだし、これなら本当に、たいした問題じゃない、よな」

 だからそのあきれ混じりの生暖かい視線はなんなんですか、と。

 手近にあった桂吾のスマホを奪ってメッセージを送る。兄様達相手ならこの方が早くて確実だもんね。

「使い分けとしては的確なんだけど、ちょっと悔しいなぁ」

「この人の合図はパターンが多い癖に、会話の間合いが崩れるなら筆談の方がいらつかなくていいみたいだからな。昔も俺以外には筆談か、俺を通訳に使ってたぞ」

「理屈はわかるんだけど、やっぱりちょっと、瀬戸谷先生だけ特別扱いなのが悔しい」

 桂吾のとりなしに納得がいかないのか、眉間にしわをよせる雅浩兄様。

「教えてもらって覚えようかな?」

 いや、桂吾にそのまま習っても無理だから。通じませんて。

 思わず顔の前で手をふって、その後桂吾を指してうなずいた後、雅浩兄様を見て小さくバツを作る。

「それは、瀬戸谷先生には通じても僕には無理、って事?」

 ええと、そうじゃなくて……。

 こめかみに人差し指をあてて首をかしげて見せた後、自分を指した指をそのまま桂吾に滑らせ、タップする仕草を入れてうなずく。

 その後、桂吾から雅浩兄様に指を滑らせてタップ。今度は首をふる。

「……えぇと……?」

「この人から俺には通じるけど、それを俺がお前らに教えても通じねぇ、って言ってんだよ」

 桂吾の助け舟に何度かうなずく。

「この人の合図は完全に独自のもんで、手話でも下敷きにしてりゃまだしも、完全に俺と意思疎通する事に特化してんだ。俺が自覚してる癖やらこの人の癖なんかをおりまぜて仕草に意味を込めてある。例えば、疑問の合図、ありゃ、俺がこの人と話してて、質問したい時によく机を指先で叩いて合図してたからだ。そんな風に感覚的な部分が多い。つまり、お前らと合図で意思疎通すんなら、この人はそれぞれにあわせたパターンを組み直すようだ。いくらなんでもそれはこの人に負担が大きすぎんだろ。どうせ、やるな、っつってもこの人はやっちまうだろうし、大雑把な内容ならともかく、細かいところはおとなしく筆談しとけ」

「あぁ、なるほど。そういう理由なら彩香に負担かけたくないしやめておくね」

 納得してもらえてよかった……。……って、そういえば克人兄様あんまりしゃべらないなぁ。何か心配事でもあるのかな?

 なんだか考えこむ風情の克人兄様の視線に割り込む位置で手をふってみたら、克人兄様が驚いたように目をまたたいた。

「悪い悪い、ちょっと考え事してた」

 うん、それはわかってるけども。何を考えてたのかな、って。

 ちょっと首をかしげたら、克人兄様が、なんでもないよ、と笑った。

 なんでもないならあんな真剣な顔になるかなぁ?

「いや、本当にたいした事じゃないんだ。ちょっと、気になっただけで」

 だからちょっとの気配じゃないですからね? きりきり白状しないと、桂吾けしかけるよ?

 思いきり眉間にしわをよせて桂吾の服をひっぱったら、桂吾がふいた。

「白状しねぇと俺が本気で問いつめんぞ? やりあう覚悟はできてんだろうな?」

「なんで瀬戸谷先生がっ?!」

「この人のご指名だからしかたねぇよ」

 まだ喉の奥で笑ってる桂吾の言いように、克人兄様がため息をつく。

「いや、彩香の声が出なくなったの、本当にストレスだけなのか、少し心配になったんだよ。頭打った後、遅れて症状が出る、なんて話も聞くしな」

「あり得なくはねぇが、今回は無関係だろ。第一、この人は例の頭痛が治まってから、数日おきに何度もCTやらMRIやら散々やっただろうが。もし、転落して頭を打った時に微細な出血があったとしても、あればとうに見つかってる。発見されたものはすべて経時的な変化を観察してるはずだ。万が一まだ進行中のものがあれば退院の許可が出るはずがない。つまり退院してる現在、脳内の出血はすべて止まって、かつ、入院での安静を義務づける必要がない程度に安定して回復軌道に乗ってる事になる。だから、今さら外傷由来で新たな症状が出る可能性は限りなくゼロに近い。――以上、反論はあるか?」

 つらつらと長ゼリフをはいた桂吾から、ちらりと視線を私にむける克人兄様。これは私の意見を聞いてるのか、もしくはこの前克人兄様に話した内容を桂吾も知ってて言ってるのか、どっちかを聞かれてるんだろうな。

 答えはどっちもイエス。桂吾は精神科での私の主治医扱いだから、病院でカルテを見せてもらってたもん。嘘はつきようがないし、隠す必要もない。

 だから、ほんの少しだけ口元をゆるめてゆっくりとまばたきをした。合図が通じたのか、克人兄様がやっと肩の力を抜く。

「瀬戸谷先生がそこまで言うなら、俺の取り越し苦労だったか」

「まぁ、そういう事を気にすんのは悪かねぇよ。特に克人は久我城の従兄が一人、頭を打った後しばらくして急変して大騒ぎになった事があるからな」

 え? それ、私初耳かも。

 篠井と久我城の本家同士は仲がいいのに、私は他の久我城の人――つまり、克人兄様の従兄弟とか、伯父様の兄弟とか、会った事がない。たまにパーティの席で見かけて挨拶をする事はあるし、藤野宮に通ってる人もいるから完全に会わないわけじゃないんだけど、ろくに話をした事がないんだよね。

 なんでなのか、百合子母様に聞いた事もあるんだけど、彩香さんが大人になったら説明しましょうね、としか答えが返ってこなかった。たぶん、何か家同士のからみがあるんだろうな。

「とりあえず、急ぎで確認しないといけない案件は以上だな?」

「僕は特にないよ」

「俺もとりあえずないな」

 兄様達の返事の後、私もうなずく。

 やっとひと段落、だね。

「じゃあ、気分転換がてら軽くなんかして終わりにすっか」

「あ、じゃあビデオ見ようよ。彩香の好きなやつ、新作あるから」

 雅浩兄様の言葉に思わずぴこんっとなる。

 なんだろ、ドラマかな? 凄技特集かな?

「うん。面白映像特集。この前放送してたんだけど、彩香入院中だったから録画しておいたんだ」

 うわ、見たい見たいっ。

「決定だな。見ろ、このわくわくした面」

 苦笑いの桂吾に言われても気にならないもんっ。わーいっ。雅浩兄様大好きっ。

「こういう外見相応なリアクション見せられると、なんか安心しますね」

 いいじゃない、面白いんだから。

「俺もけっこう好きですよ、ああいうの。うちの団らんの定番です。家族そろって笑い転げる、なんてそうないですからね」

 確かにねぇ。……ん? そしたら桂吾はもう見たのかな?

「何度見ても面白いもんは面白いでしょう。それに、あんたとそんな番組を見る、ってのはそうある機会でなし。面白そうなんでぜひやりましょう」

 な~んか、楽しみにする方向性が違う気もするけど……。指摘するだけ野暮――やぶへびかな。

 せっかくだし、細かい事は置いといて楽しんじゃおっと。

お読みいただきありがとうございます♪

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