言葉の意味と心の意味。
今回は短いです。
「……っえ?!」
呆然と眺めていたはずのスマホが急に消えたっ?!
「今のあんたにはこっちの方が似合いますよ」
桂吾の声と共に手の中に現れたのは、チョコチップ入りのチョコクッキー……?
条件反射で思わずかじると、さくりとくだけてほろ苦いクッキー生地とミルクチョコの甘さが口に広がる。
「……おいしい」
「それは何よりです。紅茶、いれかえますね」
さらりと応じた桂吾が私の前に置かれたカップを手にとって立ち上がる。
……えぇと?
状況が飲み込めなくて首をかしげつつ、クッキーをかじる。いや、これはこれでおいしいんだけども。
「そうやってるとリスみたいだね」
くすくすと笑いながらの言葉に視線をむけると、紅茶を飲んでる雅浩兄様が。
……えぇと、だから、なんだか状況がつながらないんだけども……。
「はい、どうぞ。熱いですよ」
「あ、うん。ありがと」
桂吾からカップを受け取って、息を吹きかけて少し冷ましてから一口飲む。
「しっかし、あいつは何を言いたかったんですかね? 正直、わかるようなわからないような、ってところなんですが」
桂吾の言葉に状況がつながった。もしかして、驚きすぎて混乱を避けるために記憶を遮断してた?
まぁ、意表をつかれたのは確かだけど。
「わかりにくにかった?」
なんか、私には他の意味に取りようがない言葉に思えたんだけど……。
「なんというか、抽象的でどうとでも取りようがある感じでしたからね。仮説はたてられてもそれ以上にはできない、とでも言ったらいいんですかね?」
しっくりこない、と言いたげな桂吾の言葉に、さらに首をかしげる。
「うぅん……。私にはわかりやすかったんだけど」
「……わかりやすかったですか?」
「僕にもよくわからなったかなぁ」
「俺もだな」
三人がそろってわからないって言うなら、わかりにくかったのかな……?
「ま、わかりやすさに対する是非はともかく、あんたの解釈を教えてもらえませんか?」
悩んでる私をどう思ったのか、桂吾が論点を変える。ま、確かに問題はそこじゃないもんね。
「私はあの言葉を、もう私に関わる気はない、ってとったよ。こっちから接触しなければ幸兄の方からはちょっかいかけない、って意味なんじゃないかな、って」
「その心は?」
「高浜綾に対して、あの子、としか言わなかったから、かな。今までは彩香も綾も区別してなかったのに、今回だけは違ったし」
「……そういえば、今までは昔の事を話してても、今の話をしてても、あんたを呼ぶ時は綾か君でしたね」
私の言葉に桂吾が記憶をたぐりながらの体でつぶやいた。
「そうなんだよね。これまでは幸兄にとって、高浜綾も篠井彩香も区別がなかったのに、今日は違った」
「でも、それだけで判断するのは危険じゃありませんか?」
「あとは、まぁ、今まではむこうの方が積極的に接触しようとしてたでしょ?」
「それが急にてのひらをかえしたから、ですか? そんなの、あんたを油断させるための嘘だって可能性の方が高いでしょうが」
かたっぱしから否定してくる桂吾の言葉に、そんなもんかなぁ、と、首をかしげる。
「彩香は、あの人が好きだから好意的に、いい方にとらえようとしてるところがあるんじゃないか? 俺は瀬戸谷先生の意見に賛成だぞ」
苦笑いの克人兄様にまで言われちゃった。
「僕も同じかな。それと、今さら彩香から手をひいたところで高浜を攻撃するのは変わらない。ああいう人間が組織の上の方にいるっていうのは危険だよ。高浜の体質自体もどうかと思うし、あそこは首のすげ替えをしないとまずい、っていうのが篠井の総意だからね」
「まぁ、その点では私もあの人をかばうつもりはないけど」
「本当に?」
雅浩兄様に聞き返されて、思わず首をかしげたら、小さなため息が一つ返ってきた。
「だって、彩香はあいつにずいぶん同情的――というか、好意的だよね。あいつが生活に困るようになる、ってわかって見過ごせる?」
「……う」
「高浜の首をすげ替えるっていうのはそういう事なんだよ。さすがに生きていけないほど追い詰めるつもりはないけど、今まで通りの生活なんてできなくなる。あいつだってそのくらい気付いてるはずだよ。彩香の言うように手を引くつもりだとしても、僕には、篠井の矛先を避けようと彩香を懐柔するための芝居としか思えないけどね」
きつい指摘に返事ができないでいたら、桂吾が苦笑いで私の頭に手を置く。
「また言いにくいところをずばっと指摘したもんだ」
「だって、僕はあいつがまかり間違って改心してようとつぶしてやるって決めたからね。彩香に文句言われてもやめる気はないよ。あいつはそれだけの事をしたんだから、報いはうけてもらう」
「ま、俺も同意見だけどな。あの手のタイプは表面がどれだけ変わろうと、中身は変わらねぇよ。――その程度、あんただって知ってるはずですよね?」
桂吾にまでだめ押しされたら反論の糸口が見つからない。
だって、本当はわかってるから。あの人がそんな簡単に変わってくれるはずがない。ああいう風にゆがんでしまった人は、カウンセラーや周囲の人間の協力があってすら立ち直るのがいかに難しいか、私は知ってる。そして、まったく手助けがなくて、むしろ助長するような環境に置かれた幸兄ならば、本人が望んだとしても――おそらく変わる事なんてできない。
そんな事、桂吾に言われるまでもなくわかってる。わかってるけど……。
「それでも、変わってて欲しかったんだもん」
言葉と同時に涙がにじむ。私にとって幸兄は特別な人だから、幸せになって欲しいというのは嘘じゃない。やってしまった事の意味を理解して、やり直そうとして欲しかった。
……そうであってくれれば、私の気が楽だから、なんて理由だとしても、だ。
「私がやり直せたみたいに、あの人にもそのきっかけになるような出会いがあって欲しかったの。だって、そうすれば、あの人に全部押しつけて私だけ幸せになった、って、後ろめたく感じなくてすむもん」
にじんだ涙を雑にぬぐいながら口にする言葉は、ものすごく身勝手な本心だ。
結局のところ、私は自分の抱えた後悔を軽くしたくてあの人に好意的な事をしてたにすぎないんだから。あの人を憎んで対立するより、特別だから、という理由で好きなふりをする方が楽だった。逆らえない相手から強制される行為に逆らえないんじゃなくて逆らわないんだと自分をごまかすために、行為を受け入れる理由をつけるためだけに、私はあの人に対する恋愛感情をねつ造したんだから。
幸兄を憎んでるって自覚が生まれてすぐにそんなからくりにも気づいた癖に、自分の醜さを認めるのが嫌で知らんぷりをした。……あの言葉はむしろ、生まれ変わってすら変わらない私の卑怯さに愛想をつかした、という意味だったのかもしれない。
「……やっぱり、私、みんなが望んでくれるみたいないい子にはなれなかったなぁ」
やり直したいと願って、努力もしてきたつもりだった。それなのに現実の私は何一つ変わってなくて、……ううん、むしろ下手に隠すのが上手くなった分余計悪くなったのかな?
泣きそうなのをごまかしたくて、無理やり笑みの形に口元をゆがめたら、頭の上に置かれたままだった手がゆっくりと頭をなでた。
「俺はあんたのそういう自虐のすぎるところ、嫌いじゃないですけどね」
指先で髪をすくってはこぼす、という仕草を繰り返す桂吾の声はひどく柔らかい。
「あんた、自分がカウンセリング受けなけりゃいけない患者の立場なの、忘れてるでしょう? あんたは虐待の被害者で、本来なら治療中なんですよ? ――まぁ、見誤った俺も悪かったんですけどね」
最後で苦笑めいた気配をまとわせた言葉の終わりと同時に、桂吾の腕が私の頭を抱くように胸元に引きよせる。逆らわないでされるに任せたら、視界が桂吾のシャツだけで埋まってしまった。
「あんたにとってあの男は親に等しくて、親から虐待を受けた子供の常で、自分が悪いから虐待されるんだと思いこんでるんですよ。それに、恋愛感情なんて心拍数次第でねつ造されるんですから、恐怖のせいでのそれと混同するのは当たり前の事ですからね? あんたは、あんたにできる方法で自分を守っただけで、それを責めるのはたとえあんた自身であろうと間違いだと思いますが」
感情のこもらない、どこか講義めいた口調のくせに、なだめるようにやわらかく頭をたたく手の感触が優しい。
泣き出しそうになるのをごまかしたくて口から息をはいたら、忍び笑いの気配が服越しに触れる部分から伝わってきた。
「必要な時に自分の弱さを認められるのも、強さでしょう。あんたにはそういう意味でも敵わないと思ってたんですが? ――俺だったら墓場ひきよせてでも認めないですけど、あんたは違うでしょう?」
いつもと同じ、素っ気ないのになれるとわかる気遣いのこもった声。泣いていいと許されてるはわかってるのに、無理に押さえつけた声は音になりきらないまま唇からこぼれ落ちた。
「……そういう不器用なところ、わりと嫌いじゃないですよ」
声をあげない私をどう思ってるのか、そうつぶやいたきり桂吾は何も言わないで、ただゆるく頭を抱いたままいてくれた。
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