兄様達とのお話。
ベッドの中でうとうとしながら、幸兄に言われた事を思い出す。
「いいのかい? あの時俺に言った言葉を知られて――思い出してしまったら、また君の世界は壊れてしまうんじゃないのかな?」
「ねぇ、綾? 覚えているはずだよ? あの時、俺に何を望んだんだっけ? ……そう、きみは自分で言ったんだよね。俺に――」
あれはどんな意味だったんだろう? あの事件の頃、あの人に何かを頼んだりした覚えはないんだけど……。それとも忘れて――思い出してないだけなのかな?
綾はこれは思い出さない、とか、細かく指定して忘れたりってできなかったんだけど、彩香はけっこうそういう細かい指定ができるんだよね。だから、無意識のうちに忘れる事にしてる可能性はある。まぁ、思い出そうとすれば思い出せるんだろうけど……。思い出してもいいのかなぁ?
あの人の言葉を全面的に信じるわけじゃないけど、あえて思い出さないようにしてるとしたら、思い出したい内容じゃないと思う。でも、逆にたいした事でもない話をわざと思わせぶりに言ってる可能性や、ただのはったりの可能性もあるんだよねぇ……。
なんだか袋小路にはまってる感がある考えを中断して寝返りをうったら、手が温かいものに触れた。引き寄せるには重たいそれに体をすり寄せると、なんだかすごく安心で自然と笑みが浮かぶ。
あの頃の私が欲しくてたまらなかった、心地よさにまどろんでいる時間は今の幸せを再確認させてくれるから大好き。こんな幸せな場所を作ってくれたみんなのためにも、あの人とはきちんと決着をつけたいと思うのに、どうしたらいいのかわからないのが悔しい。思いつきで話をしたいって言い出したものの、何も考えずに会って話したからって解決しないのは思い知らされちゃったもんね……。
今の私にわかるのは、あの人が私に何を望んでるのか、私があの人に何を望むのか、の二つがはっきりしないと解決なんて夢のまた夢でしかないって事くらいかなぁ。
そうは言っても、あの人の望みも、私があの人に何を望んでいるかすらわからない、んだよね……。
関わりたくないのか、やり直したいのか、謝って欲しいのか、謝りたいのか、あの人がしてきた事を知りたいのか、知りたくないのか……。どの問いにも答えらしきものは思い浮かばない。
このままじゃ駄目だってわかるのに、何をするべきなのか思いつかないなんて初めてだなぁ。昔は良かれ悪かれ、答えは出てたんだけど……。それともこういうややこしい問題から無意識に逃げてたのかしら?
「君は充分がんばってるよ」
やわらかな声に、あれ、と思う。
「怖い事から逃げるのは別に悪い事じゃないと思う。だって、体調の悪い時に無理をしたっていい結果は出ないし、しんどいし、大変なだけだよね。それと同じ。色々ありすぎて心がもう無理って言ってたんだよ」
ああ、うん、きっと雅浩兄様ならそう言ってくれるよね。これからやればいいんだよ、って言ってくれるに違いないもん。
「……雅浩兄様、大好き」
いつでも優しく守ってくれて、私が折れないように支えてくれてありがとう。そんな気持ちがつい口からこぼれ落ちた。面とむかってはなかなか言えないけど、たぶん寝ぼけ半分の夢だもん。恥ずかしくないもんね。それにきっと、夢の中なら言っても平気……。
「私、最初から雅浩兄様の妹だったらよかったのになぁ……」
そうしたらきっと、こんな風に思い悩む事もなくて、雄馬父様と栞母様を巻きこむ事もなかった。私はただ甘やかされていればよくて、みんなにも余計な心配をかけないですんだんだから。
でも、そうしたら、桂吾とは出会えなかった。兄様達とだって今ほど仲良くなれなくて……。きっと、ゲームの中の彩香みたいに、大事にされてるはずなのに本当に困った時に頼れる相手がいない、なんて事になったかもしれない。
そう考えると、どっちがよかったのかわからなくなるけど……。
……ううん、違う。そう思ってなかったらくじけちゃうから、あの人との事だって無駄じゃない、悪い事ばっかりじゃなかった、って思いたいんだ。
……だって、そうでも思ってないと、また間違える。あんな事、考えちゃ駄目なのに。
「……もう、全部終わりになっちゃえばいいのに……」
そうすれば誰も苦しめないですむのに。高浜綾が生まれなければ、いなくなれば全部解決するかもしれない、だなんて考えたら駄目なのに。それでも、思ってしまう。私さえ存在しなければ何も起こらなかったのに、誰に望まれたわけでもないのに、なんで生まれて――生まれ変わってまで私でいる必要があったんだろう? あの時に全部終わらなかったのはなんでなの?
「何がそんなに苦しいの?」
涙をすくい取る感触とやわらかな声に目をまたたくと、暗がりの中、誰かが私を見下ろしていた。暗さで顔ははっきりしないけど、声だけだって雅浩兄様を間違えるはずがない。
「聞いても何もできないかもしれないけど、何が君をそんなに苦しめてるのか知りたいんだ」
「……誰にも泣いて欲しくなかったのに、私がいるとみんなが泣くの」
「僕は君がいてくれて嬉しいよ? 君のために悩むのも、一緒に笑うのも、楽しいけどなぁ」
優しい声は少しだけ笑いを含んでいて、それだけの事なのになんだか無性に嬉しい。
「私、ここにいていいの?」
「むしろ、いてくれないと困るよ。君がいないとか、考えたくもない」
頭をなてでくれる手がすごく優しくて。
「だけどね、君が辛そうだと僕達も辛いんだ。だから、辛い時は素直に頼って? 君の笑顔はね、君が泣かせたって思った回数の倍、僕達を幸せにしてくれているんだから」
抱きしめてくれた腕が暖かくて安心で、また泣きそうになる。
「一緒にいる事で辛い事は一つもない、なんて嘘つくつもりはないよ。でもね、その倍以上に嬉しかったり楽しかったりする気持ちをくれてるんだ。だから、君が嫌じゃなかったらずっと一緒にいて欲しい。――いてくれないと嫌だ」
きっぱりとした言葉にさっきこらえた涙があふれた。抱きしてめくれる雅浩兄様にしがみついて何度もうなずく。
「ここにいる。雅浩兄様が私がいてもいいって言ってくれるなら、ずっとここにいたい」
「うん、ずっと一緒にいようね。これから彩香がどんな道を選んでも、もしも生活の場が離れても、僕はずっと彩香の兄様だから。いつだって甘えに来ていいんだよ。僕もその方が嬉しい」
雅浩兄様の言葉に涙がとまらない。だって、私はずっとこんな風に言って欲しかったんだもん。いい事も悪い事もふくめて受け入れて欲しかった。あの時だって、本当はこんな言葉が欲しかっただけなのに。
私の伝え方が悪かったのか、あの人の受け取り方が悪かったのか……。たぶんその両方で、どちらにしてももう今更どうしようもない。ただ、引き金を引いたのがあの人だとしたら、弾をこめた銃をさしだしたのが私自身なのは確かだった。
――――――――
「何悩んでるんだ?」
「……え?」
「さっきからまったく宿題進んでないぞ?」
苦笑いでノートをつつかれて目を落とすと、確かに真っ白のままのページが広げられているだけ。
せっかく克人兄様が宿題をみてくれてるのに、すっかり意識を飛ばしてたみたい。
「ごめんなさい」
「宿題を教えるなんてそもそも口実だから別にいいんだけどな。悩んでるなら一人で抱えこまないで話してくれるよな?」
笑いを含んだ声でうながされて、少し考える。今いるのは克人兄様の部屋で、誰かに話を聞かれる心配はない。
私を極力一人にしないって決めてるらしい兄様達と桂吾は順番に放課後の時間、側にいてくれる。とはいっても、元から習い事が多いから今日みたいにゆっくりできるのはたまになんだけどね。
桂吾は仕事があるからカウンセリングルームに行く事になるけど、兄様達は不必要に藤野さんを刺激しないためか、学園外で過ごすのがほとんど。たいていは少し遠回りで習い事の教室まで送ってもらうとか、ちょっとだけお茶をするくらいかな。
今いるのが克人兄様の部屋なのは、あんまりいつも克人兄様がうちに遊びに来てくれてると、あれこれ問題があるから。私と雅浩兄様を独り占めするなんてずるい、と笑顔で冗談だか本気だかわからない事を言う早苗姉様がすねちゃうんだそうだ。だから今日は久我城の家に遊びに来てて、早苗姉様と三人でお茶をしてから克人兄様の部屋で宿題を教えてもらってる、というわけ。
私が言葉につまったのを見てか、克人兄様が笑って私のおでこをつつく。
「彩香は頭がいいから、教えるなんて完全に口実だけどな」
「まぁ、どうしても自力じゃ解けないって事はないけど、教えてもらうの好きなんだもん」
「そうなのか?」
「うん。どう説明したらわかりやすいか、私のために考えてくれてるのが嬉しいの。それに、解けた時頭なでてくれるのも好き。一人でやってると問題解けたからってどうとも思わないけど、克人兄様に教えてもらってる時はなんだかすごく嬉しくなるの」
「だからそういう嬉しい言葉をそんな顔で言うなって……」
言って視線を外した克人兄様、なぜか顔が赤いです。なにゆえ……? というか、嬉しい言葉とかそんな顔とか、どういう意味ですか?
「これが自分だけのものだって思ったら、踏み外す気持ちもわからなくはないな」
苦笑いでのつぶやきはなんだか意味がわかりませんって。
「克人兄様?」
「あぁ、悪い。ちょっと考え事してた。それはともかく、宿題が進まない理由、教えてくれるんだろ?」
あれ? いつの間にか話すの決定?
「彩香がこんな風に悩んでるのがあの人と無関係とは思えないしな。なんでも相談してくれる約束だろ?」
頭をなでながらうなされ、ついうなずいてしまった。だって、こんな風に優しく聞かれたら黙秘なんてできないよね?
寝ぼけ半分の夢だと思いながら雅浩兄様とした話を伝えると、克人兄様は眉間にしわを寄せて考え込んでしまった。
「彩香が自分のせいだって思ってるのはわかったけど、俺は悪いのはむこうだと思う」
「そう、かな?」
「ああ。その時の詳しい状況をがわかるわけじゃないから、推測した上での意見だけどな。まず第一に、ひとまわり以上年下の子供が衝動的に死にたいって匂わせる言葉を口にしたからって、いい大人が真に受けて殺すとかありえないな」
ため息まじりにそう言って、克人兄様の手がもう一度私の頭をなでてくれる。
「間違いなく、彩香が俺にそういう類いの事を言ったら、篠井と久我城全員に本気の雷落とされたくなかったらもう一度よく考えろ、って言うしな」
克人兄様の言葉に思わず体がこわばる。なにそれ、怖すぎる……。雅浩兄様と克人兄様は手加減してくれててもあんなに怖いのに。この前の百合子母様もものすごく怖かった。それなのにさらに政孝父様と久我城のおじ様とおば様と早苗姉様まで本気ですか……? ……想像するのすら恐ろしいんだけど……。
「だってそうだろ? 俺達はみんな彩香が大好きで一緒にいたいんだから、勝手にいなくなろうとしたら怒るに決まってるよな?」
「……うん」
「きっと、みんな怒った後にはすごく悲しむな。彩香がそこまで思いつめてるのに気づけなかった、もっと早く話をしてればそんな事考えさせないですんだのに、って、自分の迂闊さが許せなくて、悲しくて悔しくて、すごく辛いと思うぞ」
「……うん」
説明してくれる克人兄様の声が普段と変わらないのがなんだかかえってこたえる。だって、少しだけ眉をよせた表情を見れば、克人兄様が感情を押し殺して普段通りの声でしゃべってくれてるのがわかるから。
「だから、そんな風に思いつめる前にどんな事だって話して欲しいんだよ。話し合って、たくさんたくさん時間をかけても、どうしてもそれしかないって時には、俺も同じ結論を出すかもしれない。でも、一度くらい言われたからって、じゃあしかたない、って実行したりはしない。――いや、できないな」
そこでいったん言葉を切った克人兄様が頭をかく。
「わがままかもしれないけど、俺は彩香に長生きして欲しいんだよ。確かに生きてると辛い事はあるよな。もう嫌だって思うのも、彩香の経験してきた事を考えるとしかたないのかもしれないって、思わないでもないよ。――でも、生きてればそういうのが全部ひっくり返るくらい楽しい事があるかもしれないだろ?」
「……そう、だね。あの頃の私には、こんな幸せな時間が待ってるだなんて想像もできなかったけど、今ものすごく幸せだもん」
こんなに幸せでいいのかなぁ、って、何度思ったのかもうわからない。それくらい、たくさんの幸せがある。私がこれから先の時間を投げ出したら、この幸せをくれた人達を悲しませてしまうのなら、そんな事は絶対にしたくない。だって、幸せにしてもらうだけしてもらって、傷つけていなくなるなんて最低だもん。
「彩香がそうやって幸せだって言ってくれると、俺も嬉しいよ。……まぁ、もっともっと幸せになって欲しいんだけどな」
私の頭をなでて克人兄様が小さく笑う。
「前に雅浩が言ってたけど、彩香が喜んでくれるならどんな事だってしてやりたい、って思うよ。そりゃ、彩香が間違った事を望んだりしないから簡単に言える面はあるけどな」
「間違った事?」
「極論すれば、誰かを傷つけてくれ、とか、殺してくれ、とかそういう事だな。――まぁ、今ならともかく昔の彩香がそれを望んだのが間違いだったかどうかまでは俺にはわからないけどな」
「……そうなの?」
「詳しい事情もわからないし、それに、やっぱり辛い状況が終わらない、って苦しい事だと思う。だから、他に助かる方法がわからなくてそう望んだんだとしたら、間違いかどうか判断できるのは彩香自身か――事情を知ってそうな瀬戸谷先生くらいじゃないか?」
やわらかな声でのフォローにうなずくと、克人兄様にほおをつつかれてしまった。
「悩んでるのはわかるけどな。今は悩むよりも、誰かに甘やかしてもらって気分変えるべきだぞ?」
彩香はなんでも一人で背負いすぎだ、と笑われちゃった。
「甘えるって言ってもなぁ……」
普段からかなり甘えまくってるから、これ以上とか言われても思いつかないんだけど……。
「彩香は甘えたに見えて実は甘え下手なところがあるもんな。難しく考えないでいいから、俺にして欲しい事言ってみな?」
克人兄様にして欲しい事、と言われて思いつく事はあったけど、それをおねだりしていいのか悩ましい。だって、前の時怒られちゃったもんね。それに、冷静な時にあれをねだるのはなんだかすごく勇気がいる……。
「何か思いついたなら言ってみな。彩香が何をして欲しいのか知りたいし、迷惑とか考えなくていいからな」
「本当になんでもいいの?」
「ああ。まぁ、絶対きいてやれるって約束はできないけど」
無理な時はちゃんと断るから心配するな、と含ませてるみたいな言葉に、それならちょっと勇気を出して言ってみようかな、という気分になった。
「あのね?」
「うん?」
「この前してくれたあれ、して欲しいな」
自分のひたいを指さしておねだりしたら、克人兄様がちょっと首をかしげた後、目をまたたく。
「……あれ、は……。……色々グレーゾーンな気がするぞ」
視線を明後日の方向に逃がした克人兄様のつぶやきに、やっぱり駄目かぁ、とちょっとしょんぼり。いや、無理なのはわかってたけどね?
「この前の時も思ったんだけど、彩香は何がそんなに気に入ったんだ?」
頭をかきながらの質問に今度は私が目をまたたく。
「……変、かな?」
「いや、変とかじゃなくて、なんでそんな気に入ったのかと思ったんだよ。そこ、触られるの嫌いだよな? 昔、誰かにおでこなでられて大泣きしてたろ?」
「……あぁ、うん。そんな事もあったよね」
思わず遠い目になってしまった。
克人兄様が言ってるのは、私が篠井に引き取られて来てまだ半年たったかどうか、という頃の話。
篠井の家でパーティが開かれていたその日、私は兄様達に連れられて会場の隅っこにいたんだよね。目立たない位置でお菓子を食べていた私達に話しかけてくる大人も結構いたけど、兄様達と話をするだけで私はせいぜいが、初めまして、篠井彩香です、とちょっと笑ってみせるだけだった。もちろん、事故で両親を亡くしたばかりの可哀想な女の子、という補正があったから許された事なんだけどね。
そんな中親子連れ――老婦人と若夫婦でも親子は親子――が現れたんだ。老婦人は私達に挨拶をしてくれた後雅浩兄様と話し始めて、若旦那さんは克人兄様と、残った若奥様が私に話しかけてくれた。
そして話の中、子供を亡くしたのだと言い出した若奥様。幼児にそんな話しないでよ、と思いながら理解できないふりであいまいな笑みを返していたら……。
「まいも生きていたら彩香ちゃんくらいだわ」
と、言って私の顔をなでた。大人が幼児のほおをなでるのは単純な親愛表現だから、とされるに任せていたんだけど、その手がほおからひたいの方に動きかけた瞬間、思い切りそれをふりはらっていた。
そう。近くにいる兄様達があっけに取られる程高い音を響かせてしまうくらいの勢いで。
「彩香っ?!」
雅浩兄様の慌てた声を聞くまでもなく、しくじったのには気がついていたけど、あの人に切りつけられた――首をしめられた時の事を思い出してしまった私にできるのは、床にへたりこんであえぐ事だけで。
「大丈夫、もう怖くないよ。僕達が側にいるからね。――いい子だね、ゆっくり息をして。そう、ゆっくり、吸って、吐いて……。上手だよ」
私を抱きしめてくれる雅浩兄様の声と。
「すみません。彩香はまだ事故から立ち直れてないみたいで……。突然混乱して取り乱す事があるんです。どうか許してやってください。これ以上ご迷惑にならないうちに奥に連れて行きますね」
硬直している大人達に謝りながら暇乞いをしてくれている克人兄様の声がやけに遠く聞こえて。
克人兄様に抱きかかえられて雅浩兄様の部屋――関係のない大人に聞かれる心配のない場所まで連れて行ってもらえるまで我慢したのが限界だった。
ドアが閉まるなり大泣きしたんだよね……。そりゃもう、思いっきり。理由を聞かれても、おでこ触られるの嫌、としか言えなくて。でも、兄様達は、彩香がそんなに嫌なら二度とさせないよ、って約束してくれた。そして、大人が気軽に頭をなでようとしなくなるまでの数年間、パーティでは後ろに隠れるみたいにしてるといいよ、って二人で私を背中に隠してくれていた。二人の後ろに隠れるみたいして、ジャケットの裾をにぎって背中にはりついてれば、誰も無理に彩香をかまったりしないから、って。
間違いなく、篠井本家の娘としてはかなりまずい対応なんだけど、兄様達は――篠井の両親と久我城のみんなも、パーティで私がそうやって隠れるのを認めてくれた。事故と生活環境が変わったせいか人見知りが酷くて困りますよ、なんて言いながら、大人が私の態度をとがめない事で、私に変にかまうとにらまれる、とまわりを牽制してくれていたんだよね。
「あれを見てきた身としては、触って欲しいっていうのがわからないっていうか……。納得できないんだよな。彩香が触られるの嫌いな理由を知ったら特に」
ため息をついた克人兄様の言い分に、ほおをかく。確かにあれをやらかした後で同じ場所に触って欲しいだなんて変に聞こえるかも。
「あのね、確かに他の人に触られるの嫌なんだけど、この前はね、なんだかすごく幸せ気分だったの」
「……うん?」
「ふわふわあったかくてすごく安心で、わさわさ落ち着かない感じもするのにそれがなんだか気持ちよくて……。ずっとこのままならいいのにって思うのに、もっとして欲しいって思っちゃうし……。なんだかうまく説明できないんだけど、すごく嬉しくて」
「悪い、その辺にしてくれ」
あの時の事を思い出しながら説明していたら、克人兄様にさえぎられちゃった。
「克人兄様、顔赤い?」
「……誰のせいだと……。……ったく、相変わらず無自覚にやたらかわいいんだからたちが悪い……」
口元をおさえて視線をそらす克人兄様が、なんだか妙に色っぽく見えるのは気のせい……?
……そういえば、克人兄様ってゲームではこんな風に不意をつかれて照れてるようなシーン、なかったんだよね。ちょっと驚いてもすぐ余裕の表情に戻っちゃって、それも動揺を隠してるっていうよりは、さほど驚いてない事を隠すために見えたし。だから、ゲームやりながら、この人人生楽しくないだろうなぁ、なんて思ってたんだよね。綾と一緒で本当に驚く事なんてほとんどないんだろうな、って気がしたから、実はあんまり好きじゃなかったんだ。
裏ルートもどこか彩香を助けるのは義務だからって感じがあったし、どういう性格なんだろうなぁ、って思ってはいたんだけだけど……。まさかの、本気で動揺させられる程内側に入れてなかった説浮上? だとしたら、別に彩香でもヒロインでも、どっちでもよかっただろうに、なんで大騒ぎしてまで婚約解消なんてしたんだろ?
「ふむぅ? それはそれで興味深い……」
「興味深いって……」
「いや、動揺させられる程気を許してすらいない相手のために犯罪に走ったり、自分の立場を危うくしてまで婚約解消やらかす心理について少しばかり考察を」
「……おいおい」
「なんか、私と結婚するのが嫌で藤野さん利用したって考えるには、なんだか不自然な感じだったしねぇ。まぁ、扱いやすそうには見えたんだろうけど、でも、私のスペックとか篠井との関係考えたら、仮面夫婦するのが一番な気がするし。あの状況ならたぶん、私もその程度織り込んで婚約者の立場にいたと思うんだよねぇ」
そう。そもそも彩香自身が婚約者に対して好きだと思っているような描写がなかった。あくまでも、信頼できる従兄、であって、恋人、とは思ってなかったはず。だとしたら、結婚前の火遊び程度、彩香は見逃すだろう。だいたい、そこに目くじらたてたらこういう家の跡取りとは結婚できないって。兄様逹だってそういうの教わってるんだろうし、放置されてた綾ですらその辺の事情は教養として教わってる。そう考えると本当、あれは一体何の茶番だったんだ、と。
まぁ、ゲームなんだから気にしても仕方がないって言われればその通りなんだけど……。あのゲーム、妙に出てくるキャラが実在の人物とそっくりだから気になるんだよね。ゲームの久我城克人が抱えてる何かを克人兄様も抱えてて、悩んでたり苦しんでたらやだな、って思っちゃう。
でも、じゃあそれがなんなのかって聞かれると……。
「むぅ……。わからない……」
「何を急に悩んでるんだ?」
ちょん、とほおをつつかれて我にかえると、克人兄様が私の顔をのぞき込んでる。
「何か心配事か?」
「ええと……。某ゲームの克人兄様そっくりさんの心理についての考察なんかを少々?」
少し首をかしげてつぶやくと、克人兄様がなんとも言えない表情になった。
「また微妙な事を……」
「だって、ゲームの克人兄様って、私の事好きだったわけじゃないし。でも、冷静に思い返してみると、さっきの克人兄様みたいに藤野さんといて赤くなったり意表つかれて照れたりってシーンがなかったんだよね。だから、藤野さんの事もさほど好きじゃなかったとしたら、なんであんな騒ぎ起こしたのかな、って」
私の疑問に、克人兄様は少し考えてから小さく笑う。
「そりゃ、彩香を好きだったから、だろ」
「……え?」
「俺がやったのは最初の方だけなんだろうけど、それでも篠井彩香は何度も出てきたよ。確かに、本当に中等部一年か疑いたくなるような早熟な子供だよな。……だからこそ、確かめたくなったんじゃないか?」
「確かめるって、何を?」
「彩香が自分の事を男として見てくれてるのか、をだな」
「……はい?」
思わぬ言葉に首をかしげると、克人兄様は、しかたないなぁ、とでも言いたげに笑う。
「だってそうだろ? 完璧なくらい能力の高い相手が婚約者なんだぞ? 五才差っていうのは大人になればともかく、俺達の年だと大きいしな。年が近くて似合いの相手が他にいるんじゃないか、ずっと一緒に育ってきたから兄以上に思われてないんじゃないか、って不安だったんだろ」
その点俺は彩香が兄様としか思ってないの知ってるから割り切れるけど、と笑ってお茶を飲んだ。
……まぁ、確かに克人兄様は兄様で男の人だとは――恋愛だの結婚だのの対象にする相手だとは思ってないけども……。というか、恋愛も結婚もノーサンキューですって。私はソロ軍団に入って無敵になるんだから。
……って、それはともかく。
「でも、彩香が私と同じ教育を受けてたとしたら、なおのこと、学生時代の火遊びの一度や二度、見とがめると思えないんだけど?」
「だよな。でも、嫉妬して欲しかったんじゃないか? 怒らなくてもちょっとやきもち焼いて甘えて欲しかったんじゃないか、って気がするよ」
克人兄様の言葉がわかるようなわからないような、微妙な感じ。なんとなくしっくりこないというか……。
「納得いかないか?」
「だって、好きだったなら逆ハーレムルートの好感度調整のあのイベントはないよ……」
そう。逆ハーレムルートで雅浩兄様の好感度調整イベントに克人兄様を連れてこられた時のイベントはかなりあれなんだよね……。
「そんな酷いのか?」
「う、ん……。絶対欠席できないパーティが夕方からある日、午前中に約束して無理やりとかちょっと……」
「ぶっ?!」
「しかも、写真撮ってばら撒かれたくなければ――って脅してるし、一緒に出席だからねちねち言われ続けだし、あげく、パーティ後に二回目とか、鬼だよね……」
「…………」
かいつまんだ説明に克人兄様が反応できないのか妙な沈黙が落ちる。
「……やばい。その心理がわかるような気がするな……」
「えぇっ?!」
「やり方が間違ってるのは確かなんだけど、要は手頃な言い訳ができたのをいい事に、自分でくっちまいたかっただけだろ……。断れば別の奴が何かするってわかってて、むざむざやらせるのも嫌だったんだろうし。写真なんてネタつかんどけば自分から婚約解消しない限り彩香からは絶対できないだろうし、確実に自分のものにした上で、傷つける事で相手の内側に食い込みたかっただけじゃないのか……?」
半分ひとりごとみたいな説明の後で、克人兄様が大きくため息をつく。
「彩香には難しいかもしれないけど、そういうやり方でしか愛情を示せない人間もいるんだよ。――俺だって、もしかしたら彩香が嫌がるような怖い事、するかもしれないぞ?」
「克人兄様が? ないない」
思わず瞬殺で否定したら、なんだか複雑そうな笑みが返ってきた。
「兄様としては嬉しいけど、男としては複雑だな」
「克人兄様が私が本当に嫌な事するわけないもん。もし克人兄様が兄様じゃなくても、克人兄様はそういう意地悪できる人じゃないと思うの」
「どうしてそんな簡単に言い切れるんだよ?」
「克人兄様は優しから、親しい人が悲しむってわかってる事、するはずないもん」
そうなんだよね。口でどう言おうと、克人兄様は身近な人を傷つけるような事ができる人じゃない。これは間違いないと思うの。だから、きっぱり断言したら、なんだか克人兄様の視線が泳ぐ。
「変な事言った?」
「……いや、信じてくれてありがとな」
リアクションが微妙な気もするけど……。少し雑に頭なでてくれる手があったかくて、克人兄様も機嫌よさそうだからまぁいっか。
お読みいただきありがとうございます♪
克人さん、結局、彩香におねだりされた事はやってあげたんでしょうか?(笑