車中の密談。
桂吾視点です。
ふらりと力なくかしいだ体を動きに逆らわずに引きよせる。俺の体にぶつかった軽い衝撃に、かすれた声をもらす彼女の後ろ頭を軽く叩いてやる。
「疲れたんですよ。必要な時は起こしますから寝ててください」
「……ん」
返事なのか違うのかもう一度声をもらしたものの、寝入るのを妨げるものがあるのか常のリズムに戻らない不安定な呼吸が続いた。結局、十回ばかりやりとりを繰り返してからようやく寝息がたち始めた時、ついため息がこぼれる。相変わらずといえば相変わらずだが、やっぱり見て楽しいもんじゃねぇな。
「もうしゃべっても大丈夫だよ。ただし、小さい声でね」
この人が泣き始めた時、仕草だけで黙ってろ、と指示したきり放りっぱなしにしていた坊や達に声をかけると、むかいに座る二人が息をつく気配がした。どうやらむこうはむこうでかなり緊張してたらしいな。
「眠れたんですか?」
「なんとか、ね。――というか、僕に敬語使う必要はないよ?」
「そっくり返します」
篠井雅浩のかわいげのない返事につい笑ってしまう。本当にこの坊やには嫌われたもんだな。
「まぁいいけどね。とりあえず、家に連絡してお湯とタオル、それに彼女の着替えの用意を頼んでもらえるかい? お風呂は嫌がるだろうから、体をふく準備ね」
「さっき、メールで連絡しました。――お湯に浸かった方がさっぱりすると思いますけど、いいんですか?」
確かに、あの変態に触られた場所を洗うにしても、散々吐いた胃液を落とすにも、ちゃんと風呂を使った方がいいのは目に見えている。泣きわめきながら吐いたし、そうでなくとも揺れる車内での事だ。俺もこの人も酷いありさまになっている。
「風呂場は彼女が苦手だからね。何もこんな時に無理に連れこむ必要もないと思うよ」
「そういえば彩香は昔から一人でお風呂に入るのを嫌がりますけど……。何か理由があるんですか?」
「たいした理由でもないよ」
「……本当に?」
まったく信じてない様子で聞き返されて、笑顔でうなずく。
「本当に、単純かつ当然の理由だよ。――高浜綾の遺体が発見されたのが彼女の暮らしていたマンションの浴室だった、っていうだけの話。篠井雄馬の資料を読んだんだから、もちろん知ってるよね?」
報告書を読んでいるはずなのにそれくらいの推測もできないのかと、先ほどの苛立ちもあいまってきつい口調になってしまう。
「……それはっ?!」
驚きに目を見開いて、それでも声をおさえたあたり、坊や達にしては上出来だな。
「傷は致命傷になる程深くなくて、刺した刃物も抜かれてなかったのに、どうして死ぬ事になったのか不審に思わなかったのかい?」
篠井雄馬が用意した司法解剖の結果はうまくつくろってあったが、よくよく注意すれば穴に気づける。篠井雄馬は事実をすべて知ってるあの人は見落とすだろう不自然な欠落をいくつか用意していた。これもその一つだ。
「篠井雄馬は、娘が知られたくないだろう情報は伝えない、と思わせながら、ミスリードの痕跡を少しだけ残しているんだよ。――君達が正解にたどりつけるように、ね」
「……そういえば、部屋に残された血痕が玄関周辺だけっていうのは不自然ですよね。外で刺されて家に逃げ込んだら、普通もっと中に入るはず……」
「それもだし、よく考えたら外で刺されたら、普通スマホなりで救急車呼ぶよな? 犯人は彩香を刺した後すぐ逃げてるんだ、し……?」
考えているうちに何かに気づいたのか、久我城克人が眉間にしわをよせた。
「もしかして、警察の捜査情報も操作されてるのか? 本当は室内で刺された?」
「たぶん正解だよ。この人は何も話さないけど、当時、僕は警察からそう聞いた。彼女は自宅に招き入れた知人に刺された可能性が高い。そして、犯人はわざわざ風呂を沸かして、刺されて苦しんでいる彼女を風呂に入れた上、虐待しながら死んでいく様子を楽しんでたんだろう、ってね」
一体何をどう考えたらそんな事をしようと思いたてるのか、……教えて欲しいもんだ。聞いたところで理解できるとも思えないし、したくねぇけどな。
「そこまで知っていて、先生は通り魔の犯行で落ち着くのを黙って見てたんですか?」
「そうするしかないだろう? 死者が受けた辱めを広める事にどんな意味があるんだい? 君は大切な妹が、その死に様をおかずに楽しむため、なんて理由で変態男になぶり殺しにされたって、声高に広めたいかい?」
その年頃なら当たり前だろう正義感に彩られた非難に、きつい言葉を返したのは俺自身納得がいってないからだ。本当はあの時騒ぎたててやりたかったし、そうできるだけの力もあった。それでもやらなかったのは、あの人がそれを望まないと知っていたからでしかない。
あんな目にあってなお、あの人は犯人に憎しみと恐怖以外の感情をむけている。ゆがんだ感情をむけられ続けたあの人の心もたいがいねじれてしまっていて、その自覚があるからこそ、心理学や精神医学の道に興味を示したんだろう。 そして、度重なる虐待を受ける間に自分の心理状態がどう変化していくのかを克明に記録して分析した論文を書く、なんてとんでもない事をやらかした。しかも、何を考えたんだかそれをノンフィクション作品として出版したいと言い出した出版社があって、書籍化されたんだよな。
……そういや、あれが発表された時はむこうでは大騒ぎだったよなぁ。食いついてきたのが海外の出版社だったのをいい事に、日本での出版禁止と著者の情報の完全秘匿を条件につけて、ペンネームを使っていたから国内では話題にすらならなかったが……。
俺をはじめとしたあの人と特に親しい数人は、最初の論文の時点で被験者があの人自身だと気づいた。境遇や加えられた虐待の内容――こと、顔を切りつけられたくだりは、あの人の顔の傷を見た事がある人間にはあまりにあからさまな証拠だったしな。ただ、そうと指摘してもあの人は曖昧に笑うだけだった。否定しても信じねぇよ、と言ったら、あっさり、高浜の手前言えないんだよ、と認めやがった時には殴ってやろうかと思ったけどな。
だからこそ、あの当時俺が警察の捜査に納得せず騒いだりすれば、それこそワイドショーの格好のネタにされるのが目に見えた。あの人が受けた虐待と殺しの犯人を結びつける証拠は、あの論文があの人の実体験だと証明する事しかなかったからな。そんな事をすれば、海外で騒がれていた分、多くのマスコミを巻き込んだ酷い騒ぎになったに決まってる。そして、そんな騒ぎを一番嫌うのはあの人だと、俺は知っていた。
「僕は犯人に社会的制裁を与える機会を失うよりも、あの人の死に様を面白おかしく騒がれる方が嫌だっただけだからね。篠井君が違う意見でもどうこう言う気はないよ。――ただ、闇雲に騒ぎ立てるのはやめてもらいたいけどね」
「……すみません、八つ当たりでした。彩香の事を考えたら、今日の件だって秘密裏に処理するべきなのはわかってます。――納得はいきませんけど」
「まぁ、あの変態には相応の報いをくれてやればいいよ。問題は、僕達の気持ちはそれで晴れても、彼女があれを過去として割り切るにはまだまだ時間もきっかけも足りてないって事だね」
潔く謝ってきた篠井の坊やに苦笑いで返すと、自然と視線が眠ってる人に集まる。
「……やっと終わったと思ってたのに、か」
嘔吐の合間に繰り返された言葉はあまりにも悲痛だった。昔よりはるかにはっきりと感情を表に出すようになったのはいい事だと思ってたが、こういう時だけはきついな。いや、それでも昔みたいに真っ青な顔のくせに泣き言一つ口にしないでいられるより、八つ当たりでもなんでもしてくれた方がましだな。
昔ならこんな時は浴びる程酒を飲ませて潰しちまえば、酔ってる間にわめき散らしてある程度切り替えがついてたんだが、さすがに中学生に酒を勧めるわけにもいかねぇよな。今のこの人が喜びそうなことっていうと……。
…………。激しく気乗りしないんだが、まぁ、それでこの人が浮上してくれるんなら、耐える価値はある、か。
「時に君達、明日明後日と何から何までさぼれるかい?」
「二日三日なら大丈夫ですけど」
「俺も特に問題ないですよ。……彩香をどこかに連れ出しますか?」
「察しがよくて助かるよ。僕にちょっと考えがあってね。――少しばかり、篠井と久我城のつてを当てにさせてもらった計画だけど」
「彩香のためなら何だって協力しますよ」
「俺達もかんでいいんですか? 二人の方がいいならそれでかまいませんけど」
相変わらずこの人が絡むと返事の早い坊や達だな。
本当、この人はどこまで好かれてるんだか。
「いや、むしろこの人を含めて四人でっていうのが重要だな。――それと、お前らも嫌だろうがそのかしこまった言葉遣いはやめろ。無理矢理でも身内扱いに切り替えな」
「言葉遣いだけ変えたって……」
「まずそこを変えりゃ、態度は引きずられる。そうなってくれば、自然精神的にも距離は縮まるもんだ。――あの変態が出てきた以上、こっちが内輪でごたごたしてたら守れるもんも守り損なうぞ」
俺だって不本意なんだよ、と鼻を鳴らすと、坊や達が目をまたたいた。
「……彩香のため、ですか?」
「他にどんな理由があんだよ?」
認めるのは癪だか、あいつのやり口はいまいち読めないし敵にまわしたら恐ろしく厄介だ。だから、打てる手はどんな些細な効果しかなくても打っておくべきだろう。
「その……。瀬戸谷先生はなんで彩香のためにそこまでしてくれるんですか?」
「理由がそんなに気になるかよ?」
「理由もなく協力的な相手、というのはどうしても警戒したくなりますから」
さらりと失礼な台詞をはいた久我城の坊や――克人の言い草に思わず笑う。確かにそりゃそうだ。まぁ、ざっくりとなら説明してやってもいいか。
「俺にとってこの人は特別なんだよ。俺はこの人に救われた。――細かい事はプライベートだから詮索すんな。お前らだって簡単に口にできないものはあんだろ? それに何よりも、絶対に敵わない、って思わされたのはこの人だけだしな。そんな人が血のつながりなんてくだらねぇ理由で壊されるのは納得いかねぇ。だから、俺に出来る範囲では確実に守るって決めてんだよ。――まぁ、問題ない範囲で遊ばせてもらってるのも否定しないけどな」
話している間にも少しずつ眠りが深くなったのか、すっかり寝入っている人の頭を軽くなでる。覚えているよりもはるかに小さくて頼りない体は、助けを求めて泣いている中身そのままの幼さだ。
「どんな体験でも必ずプラスになる、なんて言ってるこの人には悪いが、俺はこれ以上この人が苦しむのを見るのも嫌だし、あの野郎に壊させるつもりもない。だから、そのためならなんだってしてやるよ」
気にくわない相手と仲良しごっこするぐらい屁でもねぇ、と吐き捨てると、坊や達がいくらか鼻白んだ様子になった。
「そんなに気にくわないですか?」
「当たり前だろ。高浜先輩――彩香の一番近くにいるくせに詰めが甘くてやらかしてばっかりだ? ふざけんな。お前らがしっかりしてりゃ防げた事件がいくつあると思ってんだ? 今日の事にしたって、雅浩が彩香との面会制限をきっちり親を通して通達しとけば防げたんだからな? 克人もだぞ。お前だって篠井本家から、学園内で彩香の保護者同等の権利が認められてるよな? お前からも彩香の面会制限を申し入れときゃ、抑止力になったんだからな」
事を大きくしたくない、と内々の依頼としてだけの面会制限は、むこうが理事としての権力を使ってきた事で無視された。きちんと篠井本家当主の依頼として学園側に申し入れていたら、この人は事前に会うか会わないかの選択肢を与えられたはずだ。久我城の跡取りの正式な申し入れだって、最低限事前に情報をもらえるくらいの効果はある。打てる手をすべて打っていれば面会自体を断れなくても俺達の誰かが最初から同席できたのは間違いない。
苛立ちまぎれに指摘すると、二人が唇をかむ。今更ながら自分の甘さを痛感したってところか?
「……瀬戸谷先生」
「なんだよ?」
「足りないのは改めて痛感した。だから、少しでもそれを補いたい。虫がいいのはわかってるけど、力を貸して欲しい」
挑みかかってるような強い視線をむけられて、へぇ、と思う。あれだけ言われて内心折れてるだろうに、すぐ動くか。
「僕からもお願いするよ。彩香を守りたかったらなりふりかまってられないって、本当痛感した。手を借りるのは癪だけど、我慢はお互いさまって事にして欲しい」
こっちはこっちで妙にふっきれたか? きっちり敬語やめてきたし、指摘は受け入れる覚悟を決めたって意思表示なんだろう。ま、年齢差もあるし呼び名は大目に見てやるか。
「覚悟決めんのがおせぇんだよ。やるからには容赦しねぇからな?」
雑な返事を返すと、二人がほっとしたように笑う。
……なんか、犬二匹手なづけた気分だな……。
――ん? ゲームの方で因縁の相手に手酷くやられた後、学園さぼってみんなで慰めデート、なんてイベントあったよな? 確かあれは篠井の坊やを普通に攻略した時の隠しイベントだったっけか?
……いや、違うな。逆ハーレムルートで坊や達の好感度が最高値で、他の連中の好感度が二人以上九割越え、残りは初期値――好きでも嫌いでもないレベルの時だけ発生するやつだ。
あのイベントは発生したが最後、絶対坊や達とのエンディングにはならなくなる、友情エンド確定の罠イベントだったか?
……つまり、それがここで起こるって事は、……あんた、あのゲームのヒロインの位置のっとってねぇか?
お読みいただきありがとうございます♪