泣き寝入りしちゃったらしく。
「……れは、……の……かよ?」
「え? 何の事? 僕は単に思った事言っただけだよ?」
……あれ? 雅浩兄様ご機嫌な声だけど、すっとぼけてるのばればれだよ?
「この体勢の時にその指摘は嫌がらせだろ?」
ほら、克人兄様の声も苦笑混じりになってる。
「そう? だって、彩香の実年齢考えたら微笑ましいって言うより、色っぽいの方があいそうな状況だよね?」
……雅浩兄様、年の話題出すとか鬼ですね? 精神年齢三十路半ばとか、つつかないで欲しいところなんだけど……。
眠たくてぼんやりする頭で、二人の声を聞きながらそんな事を思っていたら、克人兄様の笑う気配と一緒にゆるい振動が伝わってきた。
「まぁ、それはそうかもしれないけど。――それにしても、雄馬さんはよくここまで調べたな。高浜の横槍が入っただろうに」
「おかげで助かったけどね。さすがに藤野美智の事もあるし、並行調査を頼むのは気がひける」
露骨な話題転換にあっさりのったのは、ちょっと克人兄様をからかうだけのつもりだったのかな? それにしてもなんで彩香の父様と藤野さん?
あぁ、でも考えるにはねむたすぎるなぁ……。
「しっかし、このでたらめな成績は……。すべての定期テストで主席の上、総合点で五点以上の失点なしかよ……」
「ちょっと真面目に勉強するのが馬鹿らしくなってくるよねぇ。今の成績は悪目立ちしない程度にわざと間違えてるのかな?」
「だろうな。この問題を見る限り、明らかに藤野宮より数段レベルが高い」
……あれ? もしかして綾の成績の話題?
「わざとじゃないもん……」
「うん? 起こしたか?」
「わざとじゃないの……。計算回数減らしただけだもん……」
「計算回数?」
眠くてかったるいのをこらえて主張したら、不思議そうな返事がきた。
「昔は十回計算して一番多く出た答えを書いてたの。でも今は二回同じ答えになったらそれで書いてるから、精度落ちてるだけだもん……。ずるなんてしてない……」
あったかい何かによりかかったまま、ずるじゃない、とうったえたら、大きな手が頭をなでてくれた。
「なるほど。確かに検算の回数は精度に直結するもんな。そういう事なら納得できるか」
「ごめんね、言い方が悪かったみたいだね。全力を出さない事は別にずるじゃないと思うよ。彩香はきちんと自分を守ってるだけなんだから」
兄様達にわかってもらえたのが嬉しくて、自然と口元がゆるむ。
「……うっわ、こんな顔するんだ。これはちょっと……、かなりくるかも」
「……見えなくて残念なようなほっとするような、だな」
「見えなくてよかったと思うよ。その体勢でこれは色々きついと思う」
なんだかよくわからない話題に首をかしげたら、何かがほおをひっかいた。たいして痛くもなかったけど、気になって顔を上げたら、思わぬ至近距離で克人兄様と視線があう。
あれ? この距離感……。なんか既視感が。もしや私、抱きしめられてたりする?
「起こしたか? まだ寝てても大丈夫だぞ」
「……克人兄様?」
「うん?」
平然と返されるとつっこみにいくい……。
「…………おはよう?」
悩んだ結果、とりあえずあいさつしてみたら、いつもの笑顔で、おはよう、と返ってくる。なんか、ベッドのヘッドボードとクッションによりかかってる克人兄様の膝に横座り状態で抱っこされてる気がするんですが、体勢についてはスルーですか?
しかもここ、雅浩兄様の部屋だよね? いつの間に移動したの?
「状況がわからないよ?」
考えてもわからなそうだったんで、あきらめて聞いたら小さく吹き出す声が重なった。
「あ、雅浩兄様もおはよう」
「うん、おはよう」
忘れるところだった。危ない危ない。起きたらあいさつしないとね。
……でも、すごく微笑ましそうに笑われると複雑なんですが。
「彩香がよく眠っちゃってたから僕の部屋に移動したんだよ。あと、父さんからの差し入れ回し読みしてたんだ」
「篠井の父様?」
「うん。これだけど、彩香も見る?」
ひょいと差し出された紙に視線をむけると……。
「ちょっ?! 何これ何の嫌がらせなの黒歴史ほじくり返すとか鬼ですねてかどこで入手しましたかこんなものっ?!」
思わず叫んだ私は悪くないっ! A四の用紙一杯に印刷されたその写真は間違いなく綾の黒歴史だったんだもんっ。
「すごくよく撮れてると思うけどなぁ。これ、彩香と瀬戸谷先生だよね?」
「それは否定しないけども!」
「しっかし、どういう状況でこの構図なんだ?」
克人兄様の言葉に一つため息をつく。これは説明しないと話題が変わらないって事だよね……。
「ええと……。まぁ、若気の至りに付き合った、的な……」
「また豪華な若気の至りだね。瀬戸谷先生も格好いいけど、彩香もモデル並みじゃない?」
「これ、高等部の頃だよな? 同い年には見えないけど」
「私が一年、桂吾は中等部三年かな」
とりあえず答えやすい質問に答えてからもう一度写真に目をやる。
そこに写っているのは制服を着崩して抱き合う綾と桂吾。ブレザーとシャツのボタンをすべて外してネクタイもほどいて首にかけてるだけの桂吾は、右手を私の腰にまわしてる。左手は頭を抱くようにして後ろから私の左のこめかみからひたいにかけてを覆ってる。
一方の私は、左手を桂吾のはだけた首筋にあてて右手は桂吾のほおに添えている。やっぱりネクタイはほどいてあって、ブラウスのボタンは上から三つ外してある。ブレザーは着てない。首をそらせて高い位置にある桂吾を見上げるような体勢で、薄く開いた唇から舌がのぞいてる。
ほんの少しでも動いたら唇が触れてしまいそうな至近距離まで近づいているのに、二人の視線はお互いじゃなくてカメラ――写真を見ている人物にむいていた。唇の端を持ち上げてどこか相手を挑発するような、嘲るような、そんな笑みだった。お前じゃこいつには釣り合わないんだよ、と言いたげなのに自分はよりそう相手に興味がないのが見え見えという。
……うん、いろんな意味で痛い……。
「写真部の先輩が出してきた交換条件にひかれてつい……」
「交換条件?」
「…………言わなきゃ駄目?」
「知りたいな」
「僕も教えてほしいな」
兄様達、そのうち猫と一緒で殺されちゃうよ? 一生懸命、つっこまないでってふくませたおねだりだったのに酷い。
「……コンテスト用の写真撮るのに協力したら、どうしても欲しかった限定品のペアリング交換チケットくれるって言うから……」
「ぶふっ」
視線をあさっての方向にさまよわせながらしぶしぶ白状したら、思いっきりふきだした! 酷いですから!
「だから黒歴史だって言ったのにっ! そんなに笑わなくたっていいじゃないっ!」
「いや、だって、なんか、すごくかわいい、理由だから……っ」
笑いすぎで途切れ途切れになってるよ、雅浩兄様……。
「でも、らしくないっちゃらしくないよなぁ。なんでそんなもの欲しかったんだ?」
「桂吾の妹が欲しがってたんだけど、手に入らなかったんだよね」
「瀬戸谷は男兄弟だけじゃ――って、そうか、あそこも昔娘が一人亡くなってたな」
克人兄様、さすがの記憶力。主だった家の家族構成を把握しておくのも大事だもんね。
「うん。舞ちゃんっていうんだけど、体弱くてね。桂吾も――あんな性格だからあんまりかまってはなかったけど、気にしてて。あんまりわがまま言わない子が珍しくどうしてもってねだってたらしくてね」
あの先輩がどこからその情報を拾ってきて、チケットを手に入れたのかは知らない。ただ、私にはチケットを見せられてほんのわずか、桂吾が迷う色をのぞかせたというので充分だったから、詳しい事は聞かなかったけど。
「なるほど、またずいぶん彩香らしい理由だね」
「でもなんでそんな写真持ってるの?」
私に重要なのはこの黒歴史の入手経路だよ。
「これ? 雄馬さんが父さんに――というか、彩香に遺してくれたものだよ」
「……え?」
あまりに予想外な言葉に思わず目をまたたくと、雅浩兄様が優しく笑って頭をなでてくれた。
「彩香、雄馬さん達には全てを話していたんだね。それを聞いた雄馬さんは彩香の――高浜綾の事を調べたんだ。いつか、彩香が必要とする日が来るに違いないからってね」
本当敵わないよ、と続いた言葉は苦笑混じりだ。
「で、父さんもおおよそは承知で彩香を引き取りたかったんだって。彩香をうちで預かる条件が、高浜から一切手出しさせない事と、彩香に必要になった時この資料を渡す事、だってさ」
……それってつまり。
「本当に全部承知で……?」
「みたいだね。父さんの帰りがやたらと早かったのも、今日の理事の視察で彩香と高浜がかちあったって情報が入ったからなんだって。大慌てで帰ってきたら、彩香は大泣きして寝ちゃったでしょう? あれから質問攻めの後、資料を渡してくれたんだ」
ざっくりとした説明を聞いてなんだか脱力してしまう。たぶん、間違いなく篠井の父様は事情を知ってるだろうと思ったけど、実際にそう言われるとなんかほっとしたような落ち着かないような、不思議な気分だった。
「みんな、よくこんな突飛な話を信じてくれるよね」
「父さんはそれだけ雄馬さんを信頼してたんだろうね。雄馬さんに関しては、会った事がないからなんとも言えないけど」
「だな。俺達は七年分の彩香を知ってるから、彩香が本気で信じてる事なら信じられるって知ってる。信頼とか以前に、彩香が俺達に嘘ついて騙そうとするってのがあり得ないって知ってるだけって感じだな」
二人の言葉になんだか笑ってしまう。本当、兄様達はなんでこんなに私を信じてくれるんだろう、って不思議だよ。みんなが私に信じてみよう、嘘をついたりしないでちゃんと向きあおう、って思わせてくれたから、私も応えようって思っただけなんだけどな。
「私、二人の妹でよかった。兄様達が一緒にいてくれてすごく幸せだよ。優しくて頼りになって、自慢の兄様だもん」
だから、ちょっとがんばって本心から言ったんだけど、二人とも一瞬微妙な顔になった……。なぜ?
「俺も彩香と一緒にいられて楽しいし、彩香が好きだよ。……妹ってのは微妙だけど」
「僕も彩香が大好きだし、優しくていい子で誰にだって自慢してまわりたいくらいなんだけどね? ……兄様枠なのがちょっと悩ましいけど」
二人ともなんか最後にぽそっとつぶやかなかった? むぅ……。
「ところで彩香はいつまで克人の膝の上にいるの?」
楽しそうに指摘されて我に返る。そうだった! 私、克人兄様に抱っこされてたんだった!
「ごっ、ごめんなさいっ」
慌てて膝から飛び降りたら、勢いあまってベッドから転がり落ちかけたのを雅浩兄様が抱きとめてくれる。
「慌てたら危ないから気をつけて」
「ありがとう、雅浩兄様。気をつけるね」
抱きとめたついでなのか、ベッドに座り直すのに手を貸してくれる。本当、雅浩兄様って優しいなぁ。
「克人兄様も長い時間ありがとう。大変じゃなかった?」
「いや、全然大変だなんて思わなかったから気にするなよ。彩香は軽いし、あったかくて抱き心地よかったしな」
少しからかうような言葉と一緒に頭をなでてくれる克人兄様。まぁ、確かに私は小動物枠だもんね。膝にのせて愛でるのもありなのかしら?
枠といえば、二人は藤野さんの事どう思ってるんだろう? さすがにもう恋人枠にはしてないと思うんだけど、文化祭以降情報が入ってこなくてよくわからないんだよね。さっきも藤野さんがなんとかって話してたみたいだし。うぅん……。雅浩兄様は殴られかけた事も知ってるし、少しくらい動向を気にしてもおかしくないよね?
「そういえば、さっき藤野さんの名前出てた?」
「あぁ、ごめんね。よく寝てたから大丈夫だと思ったんだけど、聞こえちゃってたか」
どういう事なんだろう? ちょっと首をかしげると、雅浩兄様が
「彩香は彼女に嫌な思い出しかないだろうから、名前聞かせたくなかったんだ」
笑顔で答えてくれたのはいいけど、なんだか、嫌いな人の事話題にしてる口調になってない?
「雅浩兄様、藤野さんと仲良かったよね?」
「あぁ、確かに前はそこそこ親しかったよ。でもね、僕は彩香に酷い事する人は誰であろうとしっかり後悔してもらう事にしてるんだ。だから……、ね?」
え、笑顔で言う事ですか? ……ちょっと嬉しいけど。
「この前彩香が相良文也に殴られたのも、あいつのせいだよね? 僕達がそんな奴を野放しにすると思うの?」
だから雅浩兄様、笑顔が怖いですって! しかも複数形って事は……。
「もちろん、俺もあれについては雅浩と同意見だ。万が一学内で何かあったら……、多分色々と容赦しないと思うぞ。彩香もそのつもりできっちり自衛してくれな?」
「え? 私何かされる前提?」
思わぬ言葉に目をまたたいたら克人兄様が小さく笑う。
「あいつの目的はあくまでも俺達だ。彩香はそれに巻き込まれただけだろ? だとしたらまた彩香が狙われる可能性は多分にある。しっかり気をつけててくれ」
「え?」
なんでそんな情報を知ってるの? 確かに私が藤野さんに呼び出されたのは二人の好感度調整イベントだろうけど、そんな事二人が知ってるはずがないのに。
「相良文也を問いただしたら、藤野美智がそんな事を言ってたって話が出てね」
「相良先輩から?」
完全に呪いにかかってた人にすら切られるとか……。どれだけ残念なの、藤野さん……。それとも、乙女ゲーム補正よりも魔人モード雅浩兄様の怖さが勝ったとか? ……それはそれでなんか嫌だなぁ。怖すぎるよ、雅浩兄様。
それに雅浩兄様がフルネーム呼び捨てするの、完全に敵認定してる人だけだよね。本当にあの人敵扱いになってるし……。
……高浜綾が呼び捨てなのは呼び方に迷ったか私がそう言うからだと信じたい。
思わず遠い目になったら、くすくすと楽しそうな笑いが返ってきた。
「そのちょっと後で、夏に彩香が言ってた素行調査の結果が出たのと、匿名の手紙が来てね。それに藤野美智の所業の証拠が山程入っててさ」
「しかもご丁寧にその手紙は藤野にたぶらかされてた男――俺達を含めて八人いたんだが、全員分がそれぞれの家に届いたみたいだな。今は目立たないように他の家と渡りをつけてるところだ」
「渡り?」
「藤野が何の狙いであちこちの跡取りばかり狙って籠絡しようとしてたのかわからないからな。裏を取るのと、彩香が狙われたみたいに他の連中のまわりも狙われないとも限らないだろ? 篠井からの情報提供って形で藤野の調査と制裁に賛同を呼びかけてるところだ」
「……なんかすごく大騒ぎだね?」
「何言ってるの。篠井本家の娘に手を出したんだよ? 藤野なんて家ごと潰されて当然なんだからね。相良文也みたいな信者が他にもいたら厄介だから下準備に時間かけてるだけ」
「私、本家の娘じゃ……」
「それ、父さん達に言ったら泣くよ?」
さらっと怖い事を言う雅浩兄様の言葉を訂正しようとしたら、今度は苦笑いで頭をなでられた。
「泣くって大げさだよ」
「いや、本当に泣くから。父さん、今だに彩香が、篠井のって枕詞なしで父様って呼んでくれない、ってすねてる時あるんだよ?」
「……それは、その」
「ま、彩香はしっかり雄馬さん達の記憶があるみたいだから区別してたいんだろうけどね。父様母様呼びが嫌なら僕と同じで父さん母さんでいいと思うし。ちょっと考えてあげて?」
「そういえば、雅浩は父さん母さんなのに彩香は父様母様だよな。雄馬さん達の家は父様母様なんて呼ばせる程の家柄じゃなかったし、なんでだ? 確か高浜も父さん母さん呼びのはずだよな?」
克人兄様の何気ない言葉に思わずかたまる。確かに高浜も父様母様なんて呼ばせない。彩香も綾の記憶が戻るまでお父さんお母さん――言葉が遅かったらしく実際はおとしゃん、おかしゃん、に近い発音だったらしいけど――と呼んでいた、と父様が言ってた。
「……ええと、その……。父さん母さん呼びが嫌で、雄馬さん栞さんって呼んだら本気で泣かれて、父様母様呼びにしたんだよね」
ほおをかきながらそう白状したら、そろって首をかしげられてしまった。
「その、ね? 高浜の両親とはなんていうか……、色々複雑だったんだよね。それで、私としてはあんな人達と一緒にしたくなくて名前呼びにしたんだけど」
「親だと思われてないみたいで嫌だって?」
「ううん。親をそんな風に言わずにいられないくらい辛かったんだね、って泣かれちゃって。それで、父さん母さんが嫌なら父様母様って呼ぶのはどう、って言われて、そうしてたの。だから、父さん母さん呼びは嫌かなぁ」
私の説明に兄様達がなんとも微妙な表情になってしまった。
「……そっか、そういえば高浜幸仁の事は幸兄で他の人達は兄さん姉さんだったから、僕達は兄様なのか」
「うん」
「そうなると確かにきついよな」
高浜の家族とはうまくいってなかったからよくしてくれている人達を同じ呼び方で呼びたくない、という微妙なこだわりなんだけど、兄様達はわかってくれたみたい。
「そういう理由なら、前に名前つけて呼びわけたら? うちの両親は政孝父様百合子母様で、彩香の両親は雄馬父様と栞母様。両方名前つけて呼ぶなら父さんもすねないだろうからね」
「あ、なる程。それいいかも」
雅浩兄様のアイディアにうなずきながらも、そんな事ですねないで欲しいよなぁ、と思ったのは秘密。篠井の……政孝父様って案外子供っぽいところあるよねぇ。
「ま、呼び名の話はともかく、だ。久我城としても今回の件は篠井と協力して動くからな。ただ、学園内では藤野の興味が彩香にむくのを防ぐためにもこれまで通りあいつに付き合う事にするけど、表向きの事だから心配いらないからな」
「う、うん?」
なんで心配ないとか言われたのかな、と思ってたら克人兄様が笑う。
「調べてみたら学園内でかなり酷い噂になってたみたいだから、彩香も知ってたんだろ? 俺達にやたらまとわりついてたのも、藤野の邪魔するためじゃなかったのか?」
質問の形だけど、答えを確信してる口調になんて返事をするか悩む。否定しても肯定してもまずい気がするのは気のせい?
「それに加えて、教室にいたがらない理由として便利だから敢えてまわりの悪さを見逃してたんじゃないかと思ってるんだけどね?」
「……え、ええと……。それは素で興味なかったからなんだけどね?」
「そう? ならそういう事にしておくけど、克人の質問を否定しないって事はおおよそ当たってるのかな?」
「はめられたっ?!」
さらりと言われてつい叫んでから、今の言葉こそが罠だった事に気づく。だって、兄様達がそろってふきだしてくれたからねっ。
「二人して酷いっ」
「ごめんごめん。でも僕、彩香のそういう素直なところ大好きだよ」
「ほめてないからっ」
「彩香といると、高浜綾とはイメージが繋がらないよな。彩香は素直で可愛い感じだけど、この報告書を読む限り、高浜綾は冷静で何事にも斜に構えてる印象が強いし」
「どうせ頭悪くなったもんっ」
ぷぅ、とほおをふくらませてすねると、克人兄様が苦笑いで頭をなででくれた。
「そういう意味じゃないって。なんていうか……。人間味が強くなったと言うのか、子供っぽくなったというか?」
「だからほめてないよ……」
「悪い意味じゃないんだけどな」
本当は困ったようなつぶやきの意味がわからないわけじゃない。昔の私は、とにかく他人に隙を見せないように、高浜の娘らしくふるまう事に必死だったからね。社交的な篠井や久我城と違って、高浜は他の家を見下しているところがある。だから、あまり気安く他の人と付き合ったりもできなかったし……。
そういう意味での枷があるかないかは大きくて、たぶん今の私が本来の個性なんだとは思うけど、同一人物に思えなくても仕方ないと思う。桂吾にも酷い言われようだったし。
「まぁ、私の脳みその劣化具合はどうでもいいとして」
「いや、別に劣化したとは思ってないけどね」
「そんな事よりも、他の家に賛同を呼びかけてるってどうして?」
雅浩兄様の指摘を軽く流して質問すると、少し困ったような笑みが返って来た。
「その事? 途中で変な横やり入れられても面倒だし、どうせなら足並みそろえた方がいいだろうっていうのと、先頭きって動く事で変な言いがかりつけられないようにするため、かな」
「うまくいきそう?」
「うぅん……。関わる七家のうち、相良はこっち側だからいいとして、田上はまだノーリアクション。瀬戸谷は別に動く理由もないから協力する気も邪魔する気もないって感じかな。綾瀬は微妙なところ。他は様子見してる」
「ちょっと旗色悪い?」
「だね。あと一家こっちについてくれればまとまりそうなんだけど」
「さすがに藤野――藤野宮相手に事を構えるのは嫌だっていうのが本音だろうな。あそこは姓こそ違うけど高浜の有力な分家だし」
克人兄様の言葉に、そういえばそうだった、と思い出す。……というか、高浜の分家筋って事は……。
「幸兄説得できたら一発?」
「「却下っ!」」
瞬殺で両側から否定された……。なんで?
「彩香を高浜と関わらせるくらいなら、瀬戸谷先生に頭下げて協力してもらう方が万倍ましだから」
「でも、私ならたぶん説得できるよ? 高浜が今回の件は分家の末端がやらかした事だから本家は関知しない、って言えば綾瀬はこっちにつくよね? 綾瀬が態度決めかねてるのって、篠井と久我城がかたまってるから、バランス的に高浜よりにならざるを得ないだけでしょ?」
経済界の四強である四家の中で下手に均衡が崩れるのがよくない事くらい、私にもわかるもん。だから、対立の構図から高浜の文字が消えればそれで解決すると思うんだけどな。
「駄目なものは駄目」
「彩香にそんな事させてみろ。俺達が瀬戸谷先生に何されると思う?」
「むぅ……」
確かに桂吾がどんな反応をするかは怖いんだけど、藤野さんの問題はきっちりけりをつけた方がいいと思うんだよね。
「まぁ、今はそんな不愉快な話題は置いておこうか。――瀬戸谷先生のところで話してた物証の件だけどね」
やたらと強引に話題を変えられちゃった。
「雄馬さんが用意してくれた資料の中に、彩香のカルテがあったんだよ。顔の痣をとる治療前の写真もあった。それに司法解剖の結果も一部だけどあるね」
「ちょっ?! なんでそんなものがっ?!」
まずいって、司法解剖とか想定はしてたけど結果入手済みとかあり得ないですって! しゃれにならないからね?!
「まぁ、公開請求で教えてもらえる範囲なんだろうけどね。――みたい?」
さしだされた数枚の紙をひったくる勢いで受け取ると急いで目を通す。新旧の傷の位置や死因、死亡推定時刻なんかが写真付きで書かれているけど……。うん、セーフ。やばい情報はなかった。考えてみたら、一度父様――雄馬父様が目を通して大丈夫だって思った物しか入ってないんだから、心配する必要なかったよね。情報を一部削除したような不自然さもないし、慌てすぎたかも。
「……自分の死に顔とか見る事になるとは……」
我に返るとなんだか非常にあれな気分に……。なんか人相違うし変な気分……。
「……まぁ、滅多にない体験だよね」
「でも、彩香はなんでそんなに慌てて確認したかったんだ?」
克人兄様の当然といえば突然の疑問に、思い切り眉をよせてみせる。
「だって、古傷がほとんどだけど、結構傷痕ばっかりだし。あられもない姿の写真でもあったら嫌だもん」
ごまかし半分でそう言ったら、兄様達があさっての方向に視線をそらす。
「……まぁ、なんだ? そういうのはなかったぞ?」
「……だよね。そんな写真なかったから安心して?」
「…………二人とも、顔が赤い理由を説明してくださいますか?」
ついジト目で指摘したら、すごく困った様子のうなり声が。ちょっと待って! 冗談で言ったのになんなの、そのリアクション?!
「何想像してんですか、あなた達っ?!」
「先に彩香があおるような事言うのが悪いんだよ……っ」
「というか、どれで想像してんのっ?! そこが一番問題なんだからね?!」
「どれって?」
「黒歴史写真と司法解剖の写真と今の私に決まってんでしょっ?! 黒歴史以外とか言ったら性癖に問題ありすぎだって自覚しなさいよ?!」
思わずかみついたら、またしても微妙な沈黙が……っ。
「ちょっと待ってなんで黙るかよもやの死体愛好家とか言うつもりっ?!」
「ちょっ?! 彩香、君どこでそんな言葉っ?!」
「綾の知識だから心配無用! それよりどっち?! 回答次第ではあなた達に対する評価を大幅修正するからね?!」
「――まぁ、落ち着け」
ぽふ、と頭に手のひらの感触が降ってきて、その温もりにか頭にのぼっていた血が下がる。
「すっかり言葉遣いが綾になってるぞ?」
「……あ、あれ?」
「雅浩も彩香がすっとんきょうな事言い出すのはたまにあるんだから真に受けすぎるなよ」
「克人兄様、酷い……」
「で、だ。俺も雅浩も死体見てどうこうって性癖はないけど、今の彩香で想像したら問題ありなのはなんでだ?」
……冷静なようでいて混乱してるでしょ? 一番につつくのそこですか?
「一、生物学的に無関係でも世間的には兄妹に等しい扱いの相手にそういった感情をむけるのはどうかと思われます。
二、異性とはいえ外見からも明らかに未成熟だとわかる個体に欲情するのは性的嗜好に偏りがあると言わざるを得ません。
三、将来においての可能性まで全面否定する意図はありませんが、現状私はあなた方にその手の興味や好意はないので、その手の感情をむけられても困ります。
四、あなた方が私を性的な対象として認識しているのであれば相応に態度を改める必要がありますが、現状が非常に居心地がいいので変えるのは不本意です。――つまることろ、このような事情において問題ととらえましたが、反論異存はありますか?」
つい、思い切り高浜綾の外面モードでつらつらと長台詞をはいてしまった。いや、だって、ねぇ?
「というか……。彩香の婚約者候補として今最有力なの克人だよ?」
「はぃぃ?!」
ほおをかきながら雅浩兄様がつぶやいた言葉に、それ以上のリアクションができなくてかたまってしまう。うん、いや、まぁ、篠井とか久我城くらいになると高校生くらいで婚約者が決まってたりする事もあるけど……。ええと、何、なんで?
「まぁ、まだ久我城に打診してるわけじゃないけど……。父さん達はそう思ってるはずだよ?」
「……うちの親も俺の婚約者には彩香を第一候補にあげてるんだけどな?」
「……えっ? ……えぇっ?! ……なんでっ?!」
二人して怖い事言わないで?!
「なんでって……。これだけ幼馴染みとして仲良くしてるのも珍しいしね。彩香が一定以上に親しくするのって、家族以外だと克人だけだからじゃないかな?」
「うちの親は彩香を可愛がってるし、篠井本家で雅浩と同水準の教育受けてる上成績優秀とか、パーティやら出るようになったらすぐ取り巻きができるレベルだからな? 先に唾つけときたいんだろ」
「そうなんだ……。というか、克人兄様の相手が私って……。本人にまったく知らせずに……」
そもそも克人兄様との婚約フラグは折ったはすじゃ……?
しかも能力的には高浜綾の劣化コピーでしかないわけだしねぇ。確かに私にとっては克人兄様が側にいてくれるのは利点が多いけど、うぅん……。何か久我城に――というか、克人兄様にとって私が側にいる利点ってあるのかな?
「ま、そんな難しく考えるなよ。一緒にいると楽しいだとか気楽だとか、そういう理由でいいんじゃないか?」
「それ言ったら桂吾が一番だと思うんだけど……」
「それを言われると確かにそうなんだけどね。だいぶ年が離れてるから少し心配というか、あの人が家族になるとかちょっと勘弁して欲しいというか……」
ため息混じりの言葉についふき出した私は悪くないと思うの。
「ま、とりあえず私は今のところ誰かと婚約とか考えてないかなぁ。別に、それで篠井が困る事はないよね?」
「それは問題ないけど、僕の個人的な意見を言わせてもらえれば、高浜とその分家は避けて欲しいかな。……あと、本当に瀬戸谷先生とって考えるなら早めに予告してね。覚悟決めるのに時間かかりそうだから」
「はぁい」
どれだけ桂吾苦手なの、と思ったけど黙ってうなずいておいた。なんだかつついたらとんでもない大蛇が出てきそうな話題だし。
「ま、彩香の婚約者の話題はこれくらいにするか」
なんとなく話をたたみたそうな克人兄様の声に同意しかけてふと首をかしげる。
「そういえば、兄様達の婚約者とかどうなってるの?」
聞いた事ないなぁ、と思って質問してみたら、またもや微妙な沈黙が。これはどっちが先答えるか押し付けあってるの?
「……ま、俺の方は今のところ彩香が第一候補みたいだぞ。他にっていうと、高浜本家の――現当主の姪とか綾瀬の四女とか何人か候補はいるけど、正式に打診してる相手はいないな。最終的には俺が好きになった相手でいいって言われてるから、二十五までに恋人できなかったら、の話だしな」
「僕は、彩香の八割のスペックが最低ラインだからみあう相手見つけてきなさい、としか言わないんだよね。なんか、かえって難しくて。母さんなんて冗談なのか本気なのか、別に彩香さんを口説いてもかまいませんけどね、なんて言ってるしさ」
「……だからなんで私が候補に入るんですか……?」
「「それは彩香がとても優秀ですごくかわいいからだと思うよ(ぞ)」」
「……はぃ?」
いや、学力的に合格点なのはわかるんだけど、かわいい? かわいいとか言いました? ……私が?
「どこがなんでどうしてっ?!」
「そういう無自覚なところとか、ちょっとした事にも笑顔でお礼言ってくれるところとか?」
「というか、彩香はかわいいだろ。なんにでも一生懸命だしまわりの事よく考えて頑張れるし」
「っ?! ――ほめ殺してもなんにもでないよ?!」
二人してなんなの一体っ?! 絶対今真っ赤になってる。自信あるよっ。
「そうやって照れて真っ赤になってるところとか、すごくかわいいよね」
「だからやめてって! なんなの、本当にっ」
「彩香はもっとまわりに好かれてるんだって自信持った方がいいよって話かな?」
楽しそうに笑いながらさらっと何言いました?!
「そりゃ雅浩兄様は家族だからっ」
「俺は家族じゃないけどな?」
「克人兄様は家族同然だもんっ」
「喜ぶところか悲しむところか悩むなぁ」
「だからなんで二人ともそんな楽しそうに意地悪言うのっ?!」
心底楽しそうにからかわれるとか、怒るに怒れないじゃないのっ。二人が楽しそうなのは嬉しいけど、遊ばれるのは困るんだけどっ。
「なんでって、たぶん彩香が無意識だからこそ意地悪な事言ったから、かなぁ」
雅浩兄様の言葉に思わずかたまる。え? 嘘、私変な事言った?! 空気読めない発言は綾の十八番だけど、彩香はすごく気をつけてるのに……。
「えっと……、ごめんなさい」
思い当たらないのが情けなくて、肩を落として謝る。何が悪かったのかわかればもっと謝りようも弁解の余地もあるのに、なんにも思いつかないとか駄目すぎるよ……。
「そんなしょげなくていいから。俺達がわかってた事実を再認識して軽くへこんだってだけだ」
「……でも、私が何か余計な事言ったんだよね?」
うつむいた私の頭をなでてくれる手の感触は普段通りに優しいけど、それが余計こたえる……。
「って、こらっ。べそかくほどの事じゃないだろ?」
「だって、兄様達はいつもすごく優しくしてくれるのに……。なんにもできないどころか嫌な思いさせちゃうとか……」
自分で言ってて情けなくなってきた。いつもたくさんよくしてもらってるから、私にできる事はなんでもしたいのにへこませるとか……。
「というか、泣きそうな顔がやたらかわいいとか末期だな……」
「……彩香よりかわいく思える相手見つける自信なくなったかも」
何冗談ひきずった事言ってるの? 今はそんなの問題じゃないんだからね?
「何がいけなかったのか教えて?」
二人を見上げてお願いしたら、そろって一瞬フリーズした後、視線をそらされちゃった。……うそ、そんな嫌われるほどやらかしたの……っ?!
「あ~……。ここまで無自覚なのも危ないからいい加減指摘するか?」
「だね。ほら、泣かないの。彩香があんまりかわいくて、直視するのは理性の敵だったから視線そらしただけだからね」
笑顔で涙をすくい取ってくれた雅浩兄様の言葉に目をまたたいたら、微苦笑でひたいをつつかれた。
「涙ためた目で上目遣いにおねだりとか、僕達以外にやったら駄目だよ。男はみんなそういうのに弱いんだからね」
「……どういう事?」
「彩香があんまりかわいくて、悪い事したくなるって意味。気をつけてないとおいしく食べられちゃうよ?」
こんな風にね、と言った雅浩兄様の唇が目元をかすめる。
「っ?!」
驚きのあまり硬直する私をよそに雅浩兄様が上機嫌で笑う。
「わかったら気をつけようね?」
「気をつけるって何をどうしろって言うのっ?!」
「うぅん……。まぁ、僕達が視線そらして黙ってもあんまり気にしないでくれればそれでいいよ」
「確かに、気にしてかわいいところを見せてくれなくなったら残念だしな」
「いや、かわいくないからね?!」
ここ大事だから! なんだったらもう一度言いますよ?!
「なんで彩香はそんなかたくなにかわいくないって思ってるの?」
素朴な疑問の調子できかれて、思わず言葉に詰まる。
「彩香が言われたくないなら言わないようにする努力はするけど、理由は知りたいな」
「…………あぁ、うん。まぁ、その……。ちょっとその言葉に嫌な思い出が?」
曖昧な事をつぶやいたら二人そろって首をかしげちゃった。うぅん……。これは話しても平気な範囲かなぁ?
「まぁ、たいした理由じゃないっていうか……。あの人によく言われたんだよね。だからなんかちょっと嫌な気分になるかなぁって」
「あの人って、高浜幸仁か?」
「うん。私は中学に上がった時、西荻がわりと遠かったからそれを理由に家を出たんだけど」
「出たっていうか、出されたんだよね? 寮には入らなかったみたいだけど、何か理由があったの?」
雅浩兄様の確認に小さくうなずく。私は寮でかまわなかった――というか、親も最初はそのつもりだったみたいなんだけどね。その方がお金もかからないし、悪目立ちもしないから。
だけど、なぜかあの人が反対した。あの頃のあの人は私が見てもわかるくらい精神のバランスを崩していて、私を無視する事もあればやたらとかまってくる時もあった。ひどい時にはつい数秒前まで機嫌良く私と話していたのに突然暴力をふるわれるなんて状態。だから本当は、高浜の親は私とあの人を完全に隔離したかったんだと思う。私だって、そんな状態で一緒にいたいとは思わなかったもの。
それなのに、私がいろんな理由をつけた外泊を続けるとあの人はどんどん不安定になっていった。さほど顔を合わせなくても、あの人の気が向いた時にすぐ私をかまえる環境なら、私に関する事以外は以前通り。高浜の跡取りとして充分やっていけてるのに、入院や短期留学という名目での海外旅行で家を離れてしまうと、あの人の様子がおかしくなっていったそうだ。私はそれを実際に見たわけじゃないけど、私が半月程家を空けて戻った時のあの人は明らかにおかしかった。別の部屋にいれば一時間に何回も様子を見に来るし、かといって同じ部屋にいると落ち着かないと追い出される。かと思えば体温が気持ちいいからと抱きかかえられたりもする。そうでなければ嫌味を言われるし、些細な事にでも嫌がる気配を見せればお仕置きと称した暴力だ。
結局、その状態がある程度落ち着くのにひと月近くかかって、高浜の親は元からどうでもよかった私がどうなるかより、あの人が跡取りとしてやっていける方がいいと判断した。私が家を出るのは、医者と児童相談所からの指示――あの人に殺されかけた時の怪我が虐待と判断されて、医者が通報してくれたらしい――だったから、あの人がその気になればいつでも私を訪ねられるように、マンションに一人暮らしという事になったんだよね。
「……中学生で一人暮らしって……」
「掃除洗濯料理は通いの家政婦さんがやってくれてたの。学校終わって帰ると温めるだけになった夜と朝の食事が冷蔵庫に入ってて、昼は学食だったし、お菓子とか飲み物なんかも用意してもらってたから特に困らなかったよ」
「だからってそれは……。通いじゃなくて住み込みにしてもらえなかったのか?」
「あの人が嫌がったんだって。まぁ、どうせ高浜が雇った人じゃ、主家の人間と一緒に食事したりおしゃべりしてくれたりはしなかったと思うからどっちでも同じだったと思うよ。防犯的な意味なら、私の隣の部屋に警備の人が詰めててくれたしね」
私の説明に、兄様達が盛大なため息をつく。
「高浜はそういうところうるさいって聞くけど、中学生にしかならない娘をその扱いとかあり得ないよ」
「だな。――とりあえず、高浜の縁者とは距離置く方が良さそうだな。そういうのが当たり前だと思ってるような奴とは深く関わりたくない」
そろって苦々しげにため息をつく兄様達。本当、あの環境が当たり前だと思ってた私には、今のこの生活――惜しみなく愛情を注いでくれる人に囲まれてすごせる毎日はものすごく幸せ。
「こら、なんでここでそんな嬉しそうなんだよ?」
克人兄様にひたいをつつかれて、なんだかくすぐったい気分で笑う。
「だって、すごく幸せだなぁって」
「うん?」
「昔は別に自分が不幸だとは思ってなかったけど、今ならわかるんだよね。あの頃の私は、幸せだった事がないから不幸だって――幸せじゃないんだってわからなかったんだろうなって。だから、今はたくさんの人が私のために怒ってくれたり心配してくれたり、すごく幸せだなぁって思ったの」
雄馬父様栞母様、政孝父様百合子母様、雅浩兄様、克人兄様、久我城のおじ様とおば様、早苗姉様、と、他にもたくさんの人が私の事を気にしてくれていて。それがとてもありがたくて幸せな事なんだって、今の私は知ってる。だけどそれは昔の記憶があるからこそなんだよね。何も覚えていなかったら、私は与えられる愛情を当たり前だと思って感謝するって発想すらなかったかもしれない。兄様達がほめてくれる、小さな事でも笑顔でお礼を言う習慣は、みんなが私にむけてくれる思いに少しでも応えたくて始めたから、綾の記憶がなかったら今の私にはなってない。
「確かに辛い事が多かった人生だったかもしれないし、思い出しちゃったせいでみんなに迷惑かけてるんだけど……。でも、私は覚えてて――思い出せてよかったと思うの。そうじゃなかったら、みんなに優しくしてもらえてすごく幸せなんだってわからなかったもん」
こんな素敵な環境でやり直す機会をもらえるなんてすごい事だよね、とつぶやいたら、突然抱きしめられたっ?!
「うわっ?!」
「君はもうっ。どうしてそう……っ」
「ま、雅浩兄様?!」
突然の事にあわあわしてたら、克人兄様が抱きしめられたままの頭をなでてくれた。いやあの、そうじゃなくて助けて?
「彩香は嫌なんだろうけど、なんかもう、かわいいとしか言いようがないよなぁ」
そんなわしわしなでたら痛いよ、克人兄様。
「二人ともどうしたの?」
「彩香があまりにもかわいい事を言うから。こういう気分を他になんて表現したらいいのかわからないから、雅浩は行動で示しているんだと思うぞ」
「まぁ、二人がほめてくれてるのわかるから嫌じゃないよ? おんなじ言葉でもずいぶん印象が違って聞こえるなぁっとは思うし、少し落ち着かないけどね」
「そうなんだ?」
「うん。たぶん、あの人が私にかわいいって言うの、暴力ふるわれてる最中かその前後だけだったせいだと思うけど」
「……そりゃ、微妙な気分にもなるな」
言ってる克人兄様の方が微妙な表情になっちゃった。
「でも、私今すごく幸せだよ。それに、かわいいって言われるのもね、昔より大丈夫なの。昔は相手が誰でもものすごく嫌だったけど、最近は兄様達に言われるのは嫌じゃないよ。ちょっと変な感じだけど、嫌な感覚じゃないから。――ただ、同意してって言われたら全力で否定しちゃうけど」
「じゃあ、まわりからはそういう風に見えて、色々な意味で好意を持たれるから注意した方がいいっていう事は覚えといてくれ」
「はぁい」
克人兄様の注意にいい子のお返事をしたらまた頭をなでてくれる。気持ちいいけど、一体いつまでこの体勢なんですか?
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