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……なんでこんなところにいるのっ?!

・・・長いです。

 文化祭直後の学園全体がなんとなくゆるみきってるこの時期、定期テストまでの間に理事達が学園内を視察するのは、何年かに一度あるかないか。今年それがあるのは乙女ゲーム補正か空気読めない理事さんがいるのかどっちなんだろう?

 まぁ、私のクラスが授業風景の視察先として選ばれたのは、エンブレム持ちが多いからおかしな事でもないんだけど……、なにもこんな時期じゃなくてもいいよね?

 そんなことを思いつつ、教室の後方に現れた人の気配にちらりと視線をむけたのは間違いだったみたい。いならぶ理事達の中に見知った顔があるのに気づいた瞬間、体がこわばる。

 ダークグレーのスーツをかっちりと着こなし、眉間にしわがよっているのが基本だと言わんばかりの気配をまとった五十がらみの男――高浜幸仁(ゆきひと)。この人は……。

 そこまで考えてふと我に返る。いつまでも視察の理事を凝視しているのはまずいよね。幸い、私以外にも例の乙女ゲームの攻略対象である最年少の理事に見とれている生徒はいる。数回のまばたきでなんとかごまかして視線を戻したけれど……、その後の授業はまったく耳に入らなかった。


「篠井さん、どこか具合が悪いのですか?」

 心配そうな声に驚いて顔を上げると、柘植つげさんと視線があった。

「顔色が悪いですわ。保健室で休まれた方がいいのでは?」

 少し眉を下げた柘植さんの言葉にまばたきをする。

 ええと、……あれ? もしかしてさっきの授業終わってる?

「もしかして、授業が終わったのにも気づいていませんでしたか?」

「……そうみたい」

 うわ、終了の礼したはずなのに覚えてない……。

「保健室に行きましょう? 無理をして授業を受けてもそのご様子では意味がありませんわ」

 少し彼女らしくないきついいいように苦笑いでうなずく。確かにこの状態じゃ、席に着いていても柘植さんを心配させるだけだって、自分でも思うもの。

「ちょっと休ませてもらってくるね。――授業始まっちゃうし、一人で大丈夫だよ」

 付き添おうとする柘植さんに、なんとか笑顔を作って立ち上がる。本当は付き添ってもらうべきなんだろうけど、正直、今は心配してくれる柘植さんと話しているのすら辛くて一人になりたい。

 先生への伝言を任せて教室を出たあと、何も考えられないまま、ただ脳裏をちらつく光景から逃げるようにふらふらと歩く。

 見覚えがあるようなないような、そんな場所を一体どれくらいの間歩き回っていたのか、不意に腕をつかまれた。

 嫌な記憶と重なる感覚に、何かを考えるより早く思い切り振りはらう。手から解放された途端逃げ出しかけたところで――。

「彩香っ?」

 わずかに慌てた色のある声に呼び止められた気がして無理やり足を止めてふり返ると、()が逃げた分の距離を開けて人が立っている。

 ……ええと、誰? 制服って事は学生? 学生に知り合いなんていたっけか?

 忙しくまばたきをしながら記憶をひっくり返しても名前と顔が一致しない。……こいつ、誰だっけ?

「何があったんだ? 酷い顔色じゃないか」

 なめらかで心配気な声には覚えがあるような気もするのに、やっぱり記憶の中に思い当たる顔がない。

 そもそも、この制服、どこのだ? 西荻うちの高等部じゃないし、近隣でもこんな制服は使ってなかったはずだ。それに、私より頭一つ半以上背が高いとか何事? これでも一応身長百七十強あるんだけどな。これだけ目立つ特徴があれば、知ってるなら思い出せないはずがない。

「……誰?」

 結局、一方的に知られているんだろうと判断して短く誰何(すいか)したら、思い切り目を見開かれてしまった。

「誰って……。一体どうしたんだよ? 彩香らしくないぞ」

 微苦笑で問いかけられ再度またたく。……あやか? そういえばさっきも言ってたけど、誰かと勘違いされてる?

「私は――」

 あやかなんて知らない、と言いかけて違和感に口をつぐむ。なんだ、これ? 私の声じゃない?

 さてどういう事だ、と記憶をたどって、……凍りつく。

「――あ、れ? うそ、なんであの人が……?」

 まだ数時間とたっていない記憶の中にいるその人物は、覚えているよりも随分年をとっていて、それでも間違え様もなくあの人でしかありえない。

 嘘なんで二度と関わらないって顔を合わせる事すらないはず私殺して満足したんじゃないのなんでまたいるの――?

 忘れて思い出さないでもう私を壊さないで違う覚えていて忘れるなんて許さない私の全部を壊しておいて自分だけ幸せなるなんて酷い苦しめばいい駄目違うもう苦しんで欲しくない幸せになって。

 お願いもう何もしない視界に入らない何も伝えない嫌いにならないで苦しい助けて痛い怖いお願い私をいらなくならないで――っ。

「――やかっ! あやかっ! そんな泣き方をするな」

 不意に意識に割り込んで来た声と、鼻をつままれた感触に驚いて目をまたたく。涙がほおをつたう感触がして、景色がはっきりした。

「……ったく、いつまでたっても不器用だな。辛い時は甘えていいって散々言ってるだろ?」

 私が焦点を彼の顔にあわせたのに気づいたのか、手が離れてそのまま頭をなでる。

「こんなに泣かせるくらいなら、彩香に悪さする奴は全員まとめてつるしてやればよかったな」

 物騒な言葉をやけに優しい声に乗せ、目の前の相手が微笑む。

「俺がいる限り彩香は守ってやるから安心しとけ。相手が誰であろうと絶対に大丈夫だ。――けど、彩香の心からだけは俺では守ってやれないなぁ」

 だから限界が来る前に言えよ、とささやく声はとても優しくて暖かい。()が欲しくて欲しくてしかたがなかったものを、当然のように与えてくれるこいつは一体何者なんだろう? ――そして自然にそんな言葉を貰える彩香って人はずるい。

 そう思うけど、私は可愛がってもらえるような愛情を周りに渡して来なかったよなぁ、とも思うから自業自得か。

 ただ、こいつはいつまで人違いに気づかないんだろう? あれな意味でちょっと心配になってくるんだけど……。

 そんな事を考えていたらポケットで電子音が鳴る。音に驚いたのか慌てた様子で下がる相手を見て、初めて相手がすぐ側に――パーソナルスペースを無視した抱きしめられててもおかしくない程近くにいた事に気づいた。

 まぁ、今はこの音の主を確認するのが先だろう。ポケットを確かめてスマホを取り出すと電話を取る。

「はい?」

「あんた何やってんですか? 授業ばっくれて所在不明とか、らしくない」

 少し違和感のある、だけど間違いなく取り扱い要注意の後輩・桂吾の声に苦笑する。

「あぁ、ちょっと契約違反の奇襲にあって取り乱した、かな」

「……言葉遣いどうしたんです?」

「うん? 変えたつもりはないけど?」

「高浜先輩らしいけど、篠井彩香らしくねぇんだよ」

「――しのいあやか?」

 桂吾のいぶかし気な言葉に眉をひそめると、電話の向こうから変な沈黙が返る。

「――時に、そこらに高校生くらいの坊やいませんか? 篠井か久我城ってのが」

「一人いるけど名前までは知らないよ」

「んじゃそれでいいです。代わってください」

 有無を言わせぬ口調に首をかしげつつも、スマホを目の前の相手に差し出す。

「うん?」

「電話代われって。相手は瀬戸谷桂吾」

 たぶん桂吾は相手に心当たりがあるんだろうと思って言うと、やっぱりそうだったらしい。不思議そうにしながらも電話ごしの会話が始まった。

 しかし、なんかスイッチでも切れたように気分が落ち付きはじめたなぁ。こいつ、なんか変な音波でも出してるのか?

「……それは、この間と同じからかいですか?」

 冷えた、というよりも凍てつくような声に思わず声の主を見ると、苛立っているのがよくわかる程に見事なしわが眉間にくっきりと浮かんでいた。

 まぁ、相手は桂吾だしね。むしろ高校生だというならよく渡りあってると言うべきかもしれない。少なくとも怒鳴らずに会話ができてるだけでも評価に値する。

「だからなんでそんな馬鹿な事を……。――スイッチ、ですか? そりゃ、雅浩は似たような事をやってるみたいですけど、それと俺がやって許されるかは……」

 苦った声でしゃべりながら、ちらりと視線がこちらにむく。何か用かと思って軽く首をかしげて疑問を示すと、一瞬目を見開いた後、慌てて視線をそらされた。

 ……桂吾、あんた何そそのかしてんの?

「――――わかりました。要は、切り替えればいいんですよね? 忠告(・・)はありがたく受け取りますが、俺のやり方でやらせてもらいますよ。それと、後で納得のいく説明をしていただけますね? 万一、悪質な冗談であれば久我城として最高額で買い取らせていただく事になりますが、その覚悟での発言ですか?」

 うっわ、なんかただならぬ冷気が……。桂吾あんた本当何やってんの?

 一体どんな会話をしてるのか、半分しか聞き取れないけど何やら不穏すぎる。桂吾がからんでるあたり、嫌な予感しかしない……。

 もしかして逃げた方がいいんじゃないかと思って足を動かし――。

「彩香」

「うん?」

 呼びかけられた他人の名前になぜか反応してふりかえった次の瞬間、腕を強く引かれて体がかしぐ。バランスを失った体はあっけなく目の前の相手につかまって抱き込まれる。腰と背中にまわされた腕に力がこもり、密着させられて逃げようともがく事すらままならない。

「なんの――」

 つもりだ、と続けようとした言葉が、耳元に感じた呼吸の気配に喉につまった。

 ――――――っ?!

 体をかがめた相手のささやきに一瞬思考が漂白された。

「ちょっ、と、待って。人違いじゃ……」

「好きな相手を見間違えられるか」

 うわ、断言した?!

 って、待って待って! なんか首筋に触ってるんですけどっ?! 待ってったら何してるのいや何されてるかはたぶんわかってるけど認めたくないというかっ?!

 うわ、どうしよう?! 今絶対真っ赤になってる自信あるっ。というかなんでっ?! 息がかかってこそばゆいというか触れる感触がしゃれにならないというかっ?!

 何度目かにそれが触れるのを感じた時、耐えきれなくて体をすくめたらようやく気配が遠ざかって、腕が少しゆるむ。そうしたら今度は足に力が入らなくて、地面に座りこむはめになってしまった。体に回された腕が支えてくれなかったら派手に転んだか膝を打って痛い思いをしたに違いなくて。

「ありがと、う」

 地面に片膝をついて私を見下ろしている相手にお礼を言ったら、相手のほおに薄く朱がさした。

「その表情はやばい……っ」

 真っ赤だし涙目だけどそんな酷い顔ですか……?

 言われた意味がわからなくて、小さく首をかしげたら、あごに手がかかって軽く上向かされる。

「嫌だったら押しのけろ。少しでも嫌がったらすぐやめるから――できるだけ早く逃げてくれ」

 意味わかんないよ、と言うよりも早く、ひたいにやわらかな感触が降る。

 思わずフリーズした私をよそに、左のこめかみにも同じ感触が落ちてきた。偶然なのか敢えてそこを選んだのか、そんな事はわからない。ただ、自分でもよくわからない感情に涙があふれる。

「嫌だったか?」

 間近から目をあわせて尋ねられ、小さく首をふる。少なくとも嫌じゃないのだけは確かだもの。

「ならなんで泣くんだ? どこか痛むのか?」

 心配そうなささやきにもう一度首をふる。

「嫌な事でも思い出したのか?」

 今度の問いにも否定を返すと、少しばかり困ったように目をまたたいた。

「ならどうしたんだ?」

 真っ正面からの質問に相応しい言葉を探す。嫌じゃないしもちろん怖かったんでもない。……あの人が触れた後、桂吾以外に触れられた事がない場所に感じたそれは酷く暖かくて優しくて。だから、きっと――。

「嬉しかった、の」

「……嬉しい?」

「いらないって証を消してもらったみたいで、……嬉しかったの」

 探し当てた言葉を口にしたら、驚いたのか相手の目が見開かれた。

「いらないはずないだろ。こんなかわいくていい子なのに、どこの誰がそんな馬鹿な事言ったんだ?」

 後で吊るしてやる、と本気の凄みをのぞかせる相手を見て、自然と笑みがこぼれた。

「だから、そういうかわいい顔をやたらに見せるなと……っ」

 本気で困ったように頭をかきつつ視線をそらされてしまった。なんでそんな事するんだろう? もっとたくさん、あの人にされた事が霞むくらいたくさん触れて欲しいのに。

「もっとして?」

「だからどんな罠だ……?」

 苦り切った声で言いつつ、それでももう一度左のこめかみにやわらかな感触がふる。

「……頼むから、やらかす前には逃げてくれよ?」

「かつとにいさまが怖い事するはずないもん」

 深く考えずに口をついた言葉が耳に届いた瞬間、しのいあやか(・・・・・・)が戻ってきた。

 それまでどこかちぐはぐだった記憶が一気に整合性を取り戻してすべての状況がつながる。

「彩香?」

 私の体のこわばりを感じ取ったのか、克人兄様に名前を呼ばれて目をまたたく。

「あっ?! ええと……、その……」

「うん?」

「ごめんなさい、逃げられないかも」

「どういう意味だ?」

「ちょっと……。偶然だろうけどあんまり嬉しくて、お礼になるかわからないけどなんでも好きにして? の気分かも」

 思った通りの事を言ったら、息を飲む気配がして克人兄様がかたまった。そして、一拍おいてからきつく抱きしめられた。

「馬鹿な事言うな。――本気にしかけたぞっ?」

「冗談のつもりじゃな――」

 ないもん、と言い終わるより早く、目の端に残っていた涙をすくうように唇が触れる。

「気持ちはわかったから少し黙っててくれ。これ以上は本当にまずい」

 乱れを隠すように抑えられた声がして、もう一度左のこめかみに触れる感触。

 ……どうしよう、なんかものすごく幸せかも。理由なんてわからないけど、克人兄様が私の事をすごく大切にしてくれてるのが伝わって来るみたい。

 胸の奥がふわふわとあったかくてくすぐったくて。安心できるのに、さわさわと落ち着かなくゆらぐものもある。泣きたいような笑い出したいような、ちぐはぐなものをたくさん集めて押し込んだような感覚がなんだかすごく気持ちいい。

 ずうっとこのままならいいのにって思うのに、これじゃ足りないとも思う。

 でもたぶん、こういうのは本当なら恋人にしかしないような事で……。

「ちょっと、克人兄様の恋人になる人がうらやましいかも」

 こんなに幸せな気分にさせてもらえるなんていいなぁ、と思ったのがつい口からこぼれちゃった。

「だからしゃべらないでくれと……っ」

 すごく困ったようにも、嬉しそうにも聞こえる言葉に目をまたたくと、克人兄様が今度はほおに触れる。

「逃げてくれって」

「なんで?」

「彩香が逃げてくれないと歯止めが効かないんだよ」

「歯止め?」

 何の事だろ? でも、とっても安心で幸せ気分だから、もう少し克人兄様にくっついてたいな。

 あったかくて安心で、眠気を誘われたのか少しぼんやりしながら克人兄様に抱きついたら、なんかびくっとされた。酷いなぁ……。

「……だから、一体今日はどうしたんだよ?」

「甘えたい気分?」

 あの人の顔をみたせいで体にこびりついていた怖さはもうすっかりとけてなくなってるけど、もう少し克人兄様に甘えてたい気分なんだもの。

「ね、もっと?」

「だからあおるなとっ。――ったく、知らないぞ、俺はっ」

 怒ったような困ったような声で言い捨てたのに、ふわりと優しくこめかみに触れてくれる。うん、すごく幸せ。

「克人兄様大好き」

 だから、幸せ気分なのを伝えたくて言っただけなんだけど、思い切り硬直されちゃった。……なぜ?

 そして、一拍おいて克人兄様がまたこめかみに触れる。その次はまぶた、ほお、と少しずつ場所が動く。次はどこなのかな、と思ってたら克人兄様の息が唇にかかってさすがに驚く。

 え? 何もしかしていつの間にかそういう流れ?! 学園内でライバルキャラ――彩香()に格の違い見せつけられていじけて泣いてるところを慰められるのは藤野(ヒロイン)さんの役目だよね?! やだ嘘なんで?! 私がいつ克人兄様攻略したっていうのっ?!

 でも今更ここで逃げるとかあんまりじゃないかしら克人兄様嫌いじゃないしここは我慢でいやでもそういう問題じゃないようなあれうわどうしようどうしたらいいの?!

 内心大慌てしてたら小さく笑う気配がして、克人兄様が唇のすぐ側に――本当ぎりぎり唇同士は触れてないって位置にキス――うん、冷静になってみればそれ以外の何物でもないよね――をして、体を離す。

「やあっと危機感持ったか?」

「いったっ?!」

 言葉と同時に結構な勢いでひたいを弾かれ、思わず悲鳴を上げる。

「まったく……。俺だったからあの程度で済んだんだぞ? 他の奴――雅浩も含めて、他の男の前ではあんな事したら駄目だからな」

「……はぁい」

 雅浩兄様は兄様だからそんな心配ないんじゃないかな、と思ったけど、克人兄様の目が真剣だっからおとなしくうなずく。

「酷いなぁ。なんでそこで二人して僕まで危険人物扱いなの?」

「雅浩っ?!」

「にゃわっ?!」

 突然かけられた声に驚きすぎたのか、変な声が出たっ。しかも、べりっ、って効果音つけたくなるような勢いで引きはがされたんだけどっ?!

 声のした方に視線をむけると、落ち葉を踏みながら近づいてくる雅浩兄様。あぁ、ちょうど大きな木があってこっちからは死角になる位置に立ってたのかな?

「今更そんな慌てなくていいよ?」

「……いつから見てたんだ?」

「泣いてる彩香を慰めようと克人が必死だったあたりからかな?」

「そんなところからかよ……」

 楽しそうな雅浩兄様に、克人兄様が苦った声で応じる。雑に頭をかいてため息をつく克人兄様が妙に色っぽく見えるのは……気のせい?

「のぞこうと思ったわけじゃないんだけどね。なんだか声かけにくくってさ」

 軽く肩をすくめた雅浩兄様は私の隣まで来ると膝をついて視線をそろえてくれる。

「克人に何か酷い事されなかった?」

 笑いを含んだ質問に、なんて答えていいのか……。何かはされたけど酷い事じゃないし……。

「全部見てたくせに何言ってるんだよ?」

「彩香が嫌だったかどうかは本人にしかわからないからね」

「……雅浩、お前、彩香にあんな事されて冷静でいられる自信あるのかよ?」

「ないに決まってるじゃない。何当たり前の事確認するのさ?」

「……それ、いばって言う事じゃないと思うの」

 そんなに私が泣くのは緊急事態ですか? 思わず遠い目になった私は悪くないと思うの……。

「でも、すっかり落ち着いたみたいだね。顔色も普段よりいいくらいだし。教室の窓から見かけた時はどうしたのかと思ったけど、これなら安心かな」

 いつもの優しい笑顔で頭をなでてくれる雅浩兄様にあいまいな笑みを返す。だって、顔色は絶対赤くなった名残りでいいだけだと思うし。

 ~♪♪~♪♪~♪

「あれ? スマホ……?」

 自分のスマホの着信音にポケットを探るけど、見つからない。音は近くからしてるのに。

「あぁ、悪い。俺が借りたままだった」

 わたわたとスマホを探してたら、克人兄様がさし出してくれた。

「ありがとう」

 お礼を言って受け取って画面を確認すると相手は桂吾だった。

「もしもし?」

「さっさと出てくださいよ。篠井の坊やじゃあるまいし、まさか久我城の跡取り君に押し倒されてたわけじゃないでしょう?」

「……瀬戸谷先生? さすがに私の忍耐にも限界があるんですけど?」

 あんまりな台詞に開口一番文句を言うと、電話の向こうで桂吾が笑う。

「や、素直な感想なんですけどね。篠井の坊やはそういうところ、変に素直っていうか年相応に自制が甘いですけど、久我城の跡取り君はそこら辺信用できそうですからね。その場で押し倒してひんむけって言ったところでキスすらできないでしょう」

「ちょっ?! 克人兄様に何けしかけたのっ?!」

「だからできないって確信があったからですよ。そのくらい言えばお堅い久我城の跡取り君も多少の事はすると踏んだんですが?」

 おかしそうに笑いをかみ殺しながらの返事を聞いて思わず遠い目になる。まぁ、カウンセラーモードで話してたんだろうからここまで露骨な事は言ってないんだろうけど……。事態の収拾四割面白さ六割で言ったのばればれだからね?

「さすがに怒っていいですか?」

「なんでです? あんただってそこそこ楽しめたでしょう?」

「それとこれとは別問題っ!」

 何をしゃあしゃあと言いますかっ?!

「すっかり落ち着いたようで何よりです。そして、篠井兄妹と久我城克人に捜索願が出てますよ? とりあえず俺の部屋にいる事にしておいたんでさっさとこっち来てください。在室証明書きますから」

 笑いながらも必要事項の連絡に戻った桂吾の言葉に、そういえば保健室に行くって言って出てきたんだった、と思い出す。

「あ、うん。ありがとう、助かる」

「いえいえ。ちゃんと坊や達も連れて来てくださいよ? 話が食い違うと困るんで。それじゃ、待ってます」

「はぁい。すぐ行くね」

 相変わらずそつのない対応で助かるなぁ、と思いつつ返事をして通話を終える。

「瀬戸谷先生? なんだって?」

「在室証明書いてくれるから、カウンセリングルームまで来てって。兄様達の分も書いてくれるから、一緒にって」

「ふぅん? ……助かるけど、何かありそうでちょっと怖いなぁ」

「あの人だからなぁ……。何か他の目的もありそうな気はする」

「……ま、まぁ、大丈夫じゃないかなぁ……?」

 なんとなく疑う口調の兄様達に苦笑いを返す。好意の裏に何かありそうなのが桂吾だしね。私も警戒してるからフォローも今ひとつ微妙になっちゃった。

「ま、ここで悩んでてもしかたないし行こうか。在室証明は確かにありがたいからね」

 僕達はともかく彩香は授業さぼったりしたら駄目だよ、なんて言いながら立ち上がる雅浩兄様。

「……兄様達だってさぼったら駄目だと思うの」

「俺達は適当に言い抜けられるけど、彩香はそういうの苦手だからな。それに、俺達は多少の事じゃ今更評価が下がるわけもないけど、彩香は違うだろ? ――あぁ、制服汚れちゃったな。帰ったらクリーニング出した方がいいぞ」

 立つのを手伝ってくれた後、制服のスカートと靴下についた泥を軽く払ってくれる克人兄様。その後で自分のズボンをざっとはたくとか、何気なく私優先なんだね。ちょっと……、ううん、かなり嬉しいかも。


 桂吾の部屋(カウンセリングルーム)に着くと、いつも通りドアを施錠してソファで落ち着く。奥のソファに桂吾、手前に私が真ん中で右に克人兄様、左に雅浩兄様。桂吾と向かいあうのは克人兄様って並びなのは、ひっそり兄様達が桂吾の正面を押し付けあったからだったりして。

 本当、桂吾は何してこんなに警戒されてるのかしら?

 普段と違って、紅茶と一緒に学食のテイクアウト用ランチボックスが出てきた。さらにクッキーとポテトチップスとケーキが並ぶとか、色々どうかと思います。

 まぁ、生徒会室とかの一部の委員会室をのぞいたほぼ全ての教室は食事禁止だけど、テラスがたくさんある藤野宮ではランチボックスは人気のメニューなんだよね。

 でも、なんでこんなものがあるの?

「もう四限が終わりそうだからね。少し早いけど食べながら話す方がいいんじゃないかな」

 表情から疑問を読んだらしい桂吾の言葉に目をまたたく。

 ……なんか、記憶が飛んでる気がするんだけど……?

「まぁ、とりあえず食べよう。特に篠井さんは血糖値上げないと辛いんじゃないかな。どれだけ脳に負担かかったのかちょっと心配だしね」

 面倒な話は後で、とでも言いたげに桂吾がランチボックスを開ける。

「ま、せっかくだからいただこうか」

 続いてランチボックスを開けた雅浩兄様にうながされて私も手を伸ばす。あ、サンドイッチとチキンとサラダのやつだ。私、これ好きなんだよね。

「いただきます」

 ほくほくと手をふいて早速野菜サンドをぱくつく。うん、おいしい。いい家の子供ばかりが通う学校なだけあって、藤野宮の学食はへたなレストランよりもずっとおいしいんだよね。お値段も相応だけど。

「あぁ、やっぱり篠井さんはそれ好きなんだ? 食べ物の好みはほとんど変化なしなのかな?」

 雑談というよりもデータを検証する口調が気になったけど、確かに高浜綾が(むかし)好きだったものはほとんど今も好き。ただ、わさびとか唐辛子みたいな刺激の強いものは少し苦手になったかも。年齢が下がって刺激物への耐性が下がったと言われたらそこまでの気はするけどね。

 ちょうど口の中に物が入ってたから返事の代わりにこくりとうなずく。

「そう考えると、現象としては解離性同一症に近いのかもしれないね」

 同じくサンドイッチをかじっている桂吾の爆弾発言に、私と兄様達がそろってかたまる。

「どちらの記憶や知識をメインに使うかでかなり言動に違いが出るみたいだしね。記憶の齟齬そごは防衛本能かもしれないけど、これ以上不安定になる前に治療した方がいいよ」

 無茶しいなのは相変わらずだね、とカウンセラーの顔で桂吾が苦笑した。

「それはどういう意味ですか?」

 私よりも早く硬直がとけた克人兄様の質問に、相変わらずサンドイッチをぱくついている桂吾が肩をすくめてみせた。

「この先は篠井さんの許可が出たら、かな」

 ここまで来てそれを言うの?! もうあれこればらす気満々だよねっ?! というか、ごまかしつかないところまでばらしてくれてるよね?!

「別に意地悪でもなんでもなく、カウンセラーとして篠井さんの状況はこれ以上放置できないだけだよ。治療するならどうしたってスイッチを握ってる君達の協力は不可欠だろうし。だからまずは外堀から埋めてしまおうかと思っただけなんだけどね」

 苦笑いで言われて少し考えてしまう。自覚はなかったけど、桂吾がここまで言うって事はまずい状態なんだと思う。こういうところで変な嘘つくような人じゃないもの。

「そこまで危険だと思う?」

「俺の見立てではあと一~二回何かあったら取り返しがつかなくなると思いますよ。――正直言って、あんたは過去を引っ張り出した分だけ安定を欠いてるように見えます。不安定ながら均衡を保っていられたのが幸運だったんですよ。たぶん、あんたにはその均衡を保つだけのフォローがあったが、藤野にはそれがなかった。だからあの思い込みがよりどころだったってのもあったんでしょう」

 さらりとカウンセラーの画面を脱ぎ捨てた桂吾の言葉に思わず眉をよせる。

「……そこまでわかってたなら、なんで()を動かすような事を言ったの?」

「そりゃ、あんたが坊や達にばれでもしない限り本気で何とかしようだなんて思わなかったに違いないからでしょうが。何のきっかけもなくカミングアウトできたとでも言いますか?」

 反論できるならしてください、とでも言いたげな桂吾の言葉に苦笑するしかない。確かに私はどうしようもない事情でもない限り、高浜綾(過去の記憶)について兄様達に話すつもりも、知られるような態度を取るつもりもなかったから。二人とも転生とか乙女ゲームとかのフィクションネタを現実に持ち込むような人とは相容れないタイプだしね。下手に話したら嫌われるんじゃないかとか、嫌われなくても痛い子あつかいにならないかとか、考えちゃうとどうしてもね……。

 ……でも、私には守りたい約束がある。記憶が戻った時の混乱で洗いざらい全部話してしまって苦しめた父様と母様は、それでも私の幸せを願ってくれていたんだもの。それに、事情を知っているはずの篠井の両親や、大好きな兄様達に話せないでいるのは人を信じるのがいまだに怖いからかもしれない。だとしたら、やっぱりちゃんと話した方がいいんだと思う。こんなによくしてくれてる兄様達ですら根っこの部分では信用しきれないんだとしたら、この先他の誰かを信用する事なんて絶対にできないだろうから。

 ……桂吾は愉快犯の気質が強いから能力は信用できてもそれ以上はちょっとねぇ……。なんていうか、桂吾は信用していい時と悪い時が本当はっきりわかれてるから、全面的に信じるのはお馬鹿さんのする事だと思うんだよね。本人もそう言いきってるあたりがなんとも表現しがたいけども。

 まぁ、桂吾の事はともかく。これ以上の逃げは本当に危険だというのなら、篠井彩香になりきれないでふらふらとしているわけには――高浜綾の抱えた傷を理由にどっちつかずでいるなんてよくないね。

「わかった、桂吾の判断を信じる。――確かにそろそろ決着をつけなくちゃいけない事から逃げるのはやめなくちゃね」

 考え込み始めた私を見つめる、桂吾の探るような視線を正面から受け止めて微笑むと、桂吾がふっと笑う。

「――相変わらず、本気出せばなんでもできる癖に腰上げるのがおせぇな」

「ごめんね? 安売りしない主義なの」

 すまして苦情を受け流すとサンドイッチをかじる。うん、おいしい。

「とりあえずの問題はここのところどれくらい昔の記憶に引きずられてたかだよね?」

 野菜サンドが後一口だから、紅茶飲んでから次はハムチーズかな。

「あと、兄様達にどう説明するかも考えないとね。ひとまずざっと説明して、後は物的証拠集めて納得してもらってから、がいいかなぁ? まぁ物証はここにもあるけどね」

 あ、やっぱり先にエビアボカドにしよっと。紅茶飲んだら気が変わったかも。

「後は桂吾の発言のフォローと、名前出しちゃったから藤野さんの件もフォローして。とりあえず篠井の両親は後回しでいいよね? あ、私と桂吾の関係も説明しないと駄目かしら?」

 うん、エビアボカドおいしいなぁ。本当、学食のサンドイッチ大好き。

「というわけで、兄様達は私が説明するのと桂吾から聞くの、どっちがいい? ……って、きょとんとしてどうしたの?」

 サンドイッチを片手に完全にかたまってしまっている兄様達。私が首をかしげて尋ねたら、桂吾がおかしそうに笑った。

「並列処理も相変わらずですか。さすがにいきなりそれは坊や達が追いつけませんよ」

「え? だって桂吾は最初からついてきてたよね? 処理速度的には桂吾と兄様達、同じくらいだと思うんだけど」

「俺は最初から、あんたが規格外だって噂を聞いてたんです。でも坊や達は今までごく普通の範囲に抑えてたあんたを見慣れてるんですから、ペース落としてやらないと」

「私があの(・・)高浜綾だって証明にならないかなぁって思ったんだけど、桂吾がそう言うならやめるね」

「……ごめん、彩香、何がどうなってるのか説明してもらえる?」

 こめかみをもみながらため息をついた雅浩兄様の言葉に、ちょっと悩んでしまう。ええと、これは、並列処理の話題か、桂吾の解離性同一症発言か、そもそも今日私の態度がおかしかった原因か、私と桂吾の関係についてか、桂吾が克人兄様に電話でそそのかしたんだろう内容についての弁明か、藤野さんの話題か、それとも全部について最初から説明してって言ってるのか、どれなのかなぁ? 他の選択肢は可能性低いから除外するにしても、これ以上しぼるのはちょっと難しいかも。

「とりあえず、あんたは回転数を今の半分まで落としてください。坊や達も、できるだけ意味を限定して複数の解釈ができる言葉は避けな」

 笑いをかみ殺しながらの指示に、五割減、と頭の中でつぶやく。昔は誰といるかで、無意識に情報を処理するペースを変えていたから切り替えも簡単だったんだけど、久々なせいかちょっとうまくいかないみたい。これは手間取りそう。

「だいたい十分から十七分かかるかも」

「了解しました。んじゃ、その間は俺がしゃべってるんで、あんたはどうしてもこらえられない疑問がある時以外は黙っといてくださいね」

 遅いと文句をつけるでもなく、さらりと答えた桂吾が視線を兄様達に移す。

「さて、何から説明して欲しいかな?」

 あ、カウンセラー言葉に戻った。桂吾の反応に戸惑ったのか、目をまたたかせたけど、克人兄様はすぐに苦笑めいた表情になった。そして、雅浩兄様と視線をかわす。任せるよ、とでも言いたげな仕草を受けて克人兄様が口を開く。

「とりあえず、今先生と彩香の態度が普段と違う理由からお願いします」

「僕の態度については、あっちが彼女と話す時の普段通りだよ。今のこれは仕事用だね。篠井さんの言葉遣いはそう極端に変わってないと思うけど、僕を名前で呼び捨てるのが気になるって意味かな? それなら呼び捨てが普段通りで、瀬戸谷先生って呼ぶのは猫かぶりだよ、っていうのが答え」

 私が余計な疑問を挟まないためなのか、丁寧な説明をした桂吾もサンドイッチをかじる。

「俺が知る限り、彩香と瀬戸谷先生は半月程度の付き合いのはずですが、そんな短期間でそれ程親しくなったんですか?」

「いや、僕達は十二年弱付き合いがあるよ」

「彩香が篠井に引き取られる前からの知り合い、という事ですか?」

「より正確に言えば、篠井さんが生まれる前の知り合いだね。――いや、彼女が殺される前の知り合い、かな?」

 にこにことつっこみどころ満載な台詞をはく桂吾。あんまりな発言に雅浩兄様はため息をついちゃったし、克人兄様は眉間にしわがよってる。でも、本当にそう言うしかないのがたちが悪いところだと思うの。

「悪質な冗談はやめて欲しいんですが?」

「篠井君、酷いねぇ。僕はいつだって真面目だよ?」

 うわ、白々しい……。桂吾が真面目なのは一日十五分だけでしょう……? 余計なコメントしたら怒られそうだから黙っておくけど、絶対嘘だよね。

「じゃあ言い方を変えようか? 僕は篠井さんの前世と知り合いで、彼女もその記憶がある。僕達の付き合いはその頃のもので、現在に限れば確かに知り合ってから半月に満たないよ」

 うわ、いきなり核心ですか?!

「……前世、ですか?」

「くだらない冗談に付き合うためにここにいるわけじゃないんですけどね?」

 いぶかしげに眉をよせる克人兄様と、露骨にあきれた様子の雅浩兄様。……うん、そういう反応するよね……。それが怖くて話そうとも思わなかったんだけど、実際やられるとこたえるなぁ。

「おやおや、篠井君はなかなか意地悪な反応をするねぇ」

「当然の反応かと思いますが?」

「雅浩、そのくらいにしとけ」

 よっぽど桂吾が嫌いなのか、発言が気に食わなかったのか、――たぶん両方だろうけど、雅浩兄様の険のある言葉を克人兄様がいさめる。

「中学生をこじらせたような話題は嫌いなんだ。克人だってそうだよね? 藤野美智に続いてなんなんだって言いたくもなるよ」

 盛大なため息とともにはき出された言葉につい体をすくめると、克人兄様の手が軽く頭をなでてくれる。

「だから落ち着けって。彩香が怯えてるぞ。それに――」

「僕の事が信用できないのはしかたないと思うけど、君は篠井さんが僕の発言を一切否定しない意味をよく考えた方がいいよ」

 克人兄様の言葉を遮るように、桂吾が苦笑いで口をはさむ。

「君の妹さんは真面目な話の最中に与太話をするのを見逃がすような子かな? 自分の身の上をくだらない冗談にされて、ただ黙って好きにさせておくような子かい?」

 カウンセラー仕様のいかにも人の良さそうな笑顔でざくざくと痛い所をつくのは桂吾の得意技だけど、今日は何か機嫌悪い?

「まだ高等部一年だし色々甘いのはしかたないと思うけどね。そんなんじゃ妹さんを守れないよ? 久我城君は気がついて余計なコメントはしなかったのにね?」

 同意を求められた克人兄様はあいまいな笑みを浮かべるだけで何も言わない。うん、どう反応しても微妙だもんね……。

「そもそも今君がここにいるのは篠井さんのためだろう? それなのに僕にかまけて彼女の様子を見落としてどうするのかな?」

 うぅん……。やっぱり何かおかしいなぁ。しゃべるなって言われてるけど、なんだか違和感があって落ち着かない。

 克人兄様はどう出るのかな、と隣をうかがったら、基本的には桂吾の意見に賛成なのか口をはさむきっかけが見つけられないって様子。まぁ、ものすごく正論だもんね。

「桂吾、やりすぎ」

「どこがです?」

「自分で言ったでしょう?」

 鉄壁のカウンセラー笑顔で返されて、そのまま投げ返したらさも嫌そうに顔をしかめられちゃった。

「言いにくいところを肩代わりしてくれてありがとう。でも、高一の桂吾が違う反応したとは思えないからね?」

「それとこれとは別ですよ。あんたを守れないような奴が隣にいるのを許せる程俺はおめでたくないんです」

「うん、知ってる」

 どこかふてくされたような言葉を笑顔で肯定したら、予想外だったのか桂吾が軽く目を見開く。

「どれだけたちの悪いいたずらしかけてきても、根っ子の部分ではいつだって私の事を考えてくれてるって、ちゃんと知ってる。しかけてくる事だって、私が対処しきれる範囲を計算して安全な範囲でしかやってないのもわかってるよ」

 それがわからない程私は鈍くないんだよね。だから、桂吾がわざと雅浩兄様を怒らせようとしたんだとしても驚かない。たぶんここの所の私の不調で桂吾はかなり神経をすり減らしてたんだと思う。……雅浩兄様に八つ当たりせずにいられないくらいに。

 だけど、良くも悪くも気づいてるのを匂わされて続けられる程弱くも馬鹿でもないんだよね。

「だからいつも桂吾の好きにさせてたんだし、私もそれで楽しんでるからね。二人ならそれでいいと思う。でも、篠井にけんか売るようなまねはやめて。私のために桂吾の家族に迷惑かけるような事はしないで?」

「……卑怯ですよ」

「うん、ごめんね」

「それが卑怯だって言ってるんです」

「知ってる。ありがとう」

 ちょっと不満そうだけど、引き下がってくれるのがわかったんでお礼を言ったら桂吾は面白くなさそうにサンドイッチにかぶりついた。

「……ったく、結局どうしたってあんたにゃ敵わないな」

「それはそうだよ。だって、桂吾は私の方が上じゃなきゃ嫌なんでしょ? 追いつかれないようにわりと必死だもの」

 桂吾には自分より上だと思える相手にしか心を許せない理由があるから、私はいつだって桂吾より上手であり続ける。普段どれだけふりまわされても何をされても、重要な所では必ず桂吾に敵わないと思わせるって、それだけのものを維持し続けるって決めてるんだから。

「はいはい。わりと必死程度で俺の本気をさらっと超えてくれるのはあんたくらいですよ、本当」

「私に十割出させたかったら、それこそ雅浩兄様と克人兄様を巻き込むんだね。篠井と久我城と瀬戸谷が組んだらさすがに本気出さないと荷が勝つかな」

「考えときます。……あんたならそれでも、結構本気出したよ? とか言いながらしれっと切り抜けるんでしょうけどね」

「もちろんそうなるよ。――何があっても私は桂吾に負けたりしないから、心置きなく本気でおいで?」

「本っ当、可愛くねぇな」

「あら、自分の悪食とうとう認めるの?」

 笑い混じりに返したら、安心したような悔しいような、どっちつかずの沈黙が返ってきた。

「そうしてると、本当に信頼しあってる仲間同士にしか見えないな」

 声に視線をむけると、とまどったような安心したような克人兄様と目があう。

「彩香と瀬戸谷先生がそんなに親しいはずがないってわかってるから違和感があるけど、親しいふりで出せる空気じゃないしなぁ。どう判断したものか悩ましい」

「さすがに君は冷静だね。守るべき相手にフォローされちゃうようなうっかりはやらかせない、かい?」

「俺の方が年上ですからね。その分でしょう」

 さらりと嫌味を言う桂吾をいなす克人兄様。うん、やっぱりこういう所では雅浩兄様より克人兄様の方が冷静だしそつがないよねぇ。雅浩兄様は少し頭に血が上りやすいところあるし。

「でも篠井さんもそうやってかばってあげるのが本人のためとは限らないよ? 久我城君もそう思うだろう?」

「……まぁ、俺達以外ならどちらでも問題ないでしょうけどね」

 桂吾の指摘を苦笑いで肯定する克人兄様。つられて雅浩兄様に視線をむけると、なんだか難しい顔をしてる。

「別に無闇に手を出したんじゃなくて、雅浩兄様だからかばったんだけどね」

「そうなの?」

「うん。雅浩兄様なら私にフォローされる方がこたえるだろうと思ったからこそ割り込んだんだもん」

 笑顔で答えたらなんだか空気が……。あれ? 失言?

「相変わらずきついですね、あんた」

「そうかな?」

「ま、反省を次回に活かせると判断したからこそのきついフォローって事ですか。――あんたが伸びそうだからって叩いてみるの、珍しいですね?」

「そう?」

「俺が知ってる範囲では、俺込み五人目です。他人に興味ないあんたらしくはないけど、兄様大好きな篠井彩香ならそのくらいはしてやって当然ですかね」

 紅茶を飲みつつしれっと言う桂吾の発言は、私の言葉へのフォローかしら? 本当にそつがないなぁ。

「つうか、あんたまた高浜綾に傾いてませんか?」

「ん~……、あぁ、もしかして回転数の問題かもしれない。基本的に彩香の回転数って、綾が同じ年だった時の四割減をベースにしてるから思考に引きずられた振る舞いだったのかも」

「なるほど。そう考えるとあんたが高浜綾の知識を使う程そっちに傾くのも当然っちゃ当然ですね」

 納得がいった、とばかりにうなずく桂吾と、首をかしげる兄様達。見事な対比だね。

「で、次は何を説明しようか?」

「雅浩、何かあるか?」

 桂吾の言葉を丸投げする克人兄様。うん、ちょっと意地悪だね。このタイミングで桂吾とやりあわせるとか、スパルタですか?

「聞きたい事はたくさんありますけど……。たかはまりょう(・・・・・・・)というのは?」

 あ、地雷行った。たぶん、地雷話題だとわかって踏み込んでるよね。

 サンドイッチをもぐもぐしながら様子を見る事にした私が特に何も言わなかったら、桂吾もそれでよしとしたのかサラダを飲み込んでから口を開いた。

「君なら少しくらいは知ってるんじゃないかな? 高浜本家の先代当主の末娘が、現当主である当時跡取りだった長男と折り合いが悪くて家を出たあげく、暴漢に襲われて死んだって話」

 って、ちょ、え、なにそれ?! そんな話になってるの?!

「――まぁ、噂程度ですけどね。確か、家を出てマンションで一人暮らしをしていた彼女は一人で歩いていたところを変質者に刺されたんですよね? そこで誰かに助けを求めればよかったのに、なぜか部屋に戻って閉じこもってしまったために失血死した、というくらいしか知りません」

 うわぁ、事実とかなり違くなってる……。さすが高浜。もみ消したんだね……。警察の捜査までごまかすとか、間違ってるよ……。

 あきれるべきなのか、そこまでしてでも跡取りを守ろうとした滑稽さを笑うべきなのか、――そんな事をしてまでも重圧を背負わされたあの人に同情するべきなのか、私にはわからない。正直、わかりたくもないけれど。

「その、不可解な死に様の末っ子の記憶を、君の妹さんがそっくり持っている、というわけなんだよね。――まだ社交界では風化してないし、それになにより、高浜綾はとんでもない論文をいくつも発表した研究者として学会の寵児だったからね。多少つついても危なくないよ。調査会社に依頼すれば、人となりも詳しい経歴もそうかからずに調べがつくはずだから調べてごらん。その結果を元に彼女に質問すれば、疑いようもなく本人だと証明してくれるんじゃないかな」

 笑顔で爆弾を落とした桂吾の発言に、予想はしていたはずの兄様達が硬直しました。

お読みいただきありがとうございます♪


みんなやらかしまくりw

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