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やっぱり、甘やかしてもらうの大好き。

 ……や、なんか異常に空気が重い……。

 夏くらいから恒例になってるダイニングでのお勉強タイム――家にいる人は各自好きな事をしながら一緒にすごしましょう、の時間――なんだけど、今日は篠井の両親が不在で雅浩兄様と二人なんで空気がやたらと居心地悪い。

 そりゃむこうも私と一緒とか嫌なんだろうけどっ。なまじ信用されてないとか気づいちゃったら変に意識しちゃうらしくて、前は気にならなかった沈黙が重いっていうか……。

 となりの雅浩兄様も課題を広げてはいるけどさっきから進んでないみたいだし、いっそ切り上げて部屋に逃げ込もうかな……。

「瀬戸谷先生とは仲いいの?」

「……へ?」

 逃げるタイミングをうかがっているところに思わぬ言葉をかけられて目をまたたく。間抜けな声が出たのはご愛嬌って事で。

「瀬戸谷先生と私が? 何で?」

「最近放課後入り浸りみたいだし、文化祭のフィナーレのダンス、最初に踊ってたよね?」

 あぁ、そういえば成り行きで桂吾と踊ったんだっけ。最近入り浸りなのはあれこれ打ち合わせておきたい事があったからだし、仲がどうって話じゃないと思うんだけど……。この辺は話すわけにいかないしなぁ。

 というか、私がいつ現れたとか誰と踊ったとか、一々監視してたんですか?

「ダンスは行きがかり上というか、誘われたから受けただけだよ?」

「でも彩香はそれなりに親しい人から誘われた時以外断るよね?」

「まぁそうだけど……」

 だって、親しくない相手に腰に手を回されるとか、何そのセクハラ、って思わない? 私にはちょっと許せない近さなんだよね。間近で顔見続けないとだしさ。本当、あれはセクハラの大義名分与えるだけだと……。

 というか、一体何が知りたいんだかよくわからないですから。

「何を答えればいいのかわからないんだけど?」

「うん?」

「雅浩兄様は何が知りたいの? 私、篠井に不利になるような事してないと思うんだけど」

 言ってから言葉が悪かったのに気づいて眉をよせる。なんかけんか売ってるみたいになっちゃったかな、と思ったけど、雅浩兄様は気にした様子もなくて、ちょっと安心した。

 ……私の態度なんてどうでもいい、とかじゃないならいいけど。

「あぁ、そういう意味じゃないよ。ただ、なんて言ったらいいのかな……。……彩香が瀬戸谷先生のところによく行ってるのは単純に仲よくなったからなのか、相談事があって行ってるのか気になった、というか」

「……なんでそんな事が気になるの?」

 信用すらしてない他人が何してようと関係ないと思うんだけどなぁ。首をかしげていると、雅浩兄様がため息をつく。

「……まぁ、そうだよね。今の彩香からすればわからないよね」

 わからないと思ってるなら説明してくれればいいのに。それとも家族扱いしてないのがばれた以上そんな面倒な事したくないって事ですか? 思わず遠い目になったら、雅浩兄様が頭をかいた。あら? 雅浩兄様のけっこう本気で困ってる時の癖だ。

「彩香が心配だからって言ったら信じてくれる?」

「……はい?」

 え、何言ってるのこの人? 信用してない他人を心配するような博愛主義っ気は皆無だったよね? 信用できない人間は羽虫扱いでしたよね? そりゃ、篠井の跡取りとしては正しいと思うけど人間的にはちょっとあれな自覚だけはした方がいい主義、いつ変えたの? やめた方がいいと思うな。人を使う立場の人間は、味方以外はそれ相応に切り捨てられないと困るんだからね?

「その顔は絶対、他人は羽虫だと思ってる癖に、とか考えてるよね?」

「うん、思ってる」

 きっぱりうなずくと、雅浩兄様がお徳用サイズのため息をついた。

「そこでなんで、家族扱いだから心配してるって変換してくれないのかなぁ」

「え? だって他人だよね?」

「……彩香の切り替えが早いところは美点だと思うよ……。手に負えなくて困るけど」

 思いきりため息つきながらあきれられました。まったく褒めてませんよね、それ。

「嫌なら関わらなければいいのに……」

「彩香に信用してもらえないのには困ってるけど、この状態が続く事の方が嫌だから関わらないのは無理」

「うわ、ややこしい……」

 思わずつぶやいてから慌てて口をおさえる。や、いくらなんでもこれはまずいって。家族の間合いなら許されても他人に許される範囲じゃないのに、習慣って怖い。

「ま、そのくらい想定内だから別にいいよ」

 軽いため息とともに言った癖に、雅浩兄様の表情は柔らかい。絶対怒られるか嫌がられるかだと思ったんだけど……。

「ねぇ彩香?」

「うん?」

「彩香がどう思ってようと、僕は彩香が好きだよ。大切な家族だと思ってるし、いつだって幸せを祈ってる。父さん達だってそうだし、克人達久我城のみんなだって彩香を大切に思ってくれてるよ」

「……はぁ」

 まぁ後半はそうだよね。克人兄様は無理を通してムース買ってきてくれたし、私が学園を休んでる間、毎日お見舞いに来てくれた。篠井の母様は殴られた私を見て一瞬硬直した後、無言で抱きしめてくれた。篠井の父様は特に何も言わないけど、普通の食事ができるようになるまで毎日仕事帰りにおいしいスープを買ってきてくれた。久我城のみんなからもお見舞いだって本やDVDが届いた。少しでも気が紛れるように、でも笑ったら痛いだろうからって配慮なのかいろんな内容ですごく面白かった。本当、世界の凄技特集とか本当かぶりつきで見ちゃったもんね。水族館の裏側も楽しかった。

 だから、みんなが私を大切にしてくれてるっていうのはわかるし疑ってない。

 でも、雅浩兄様が私を好き? 大切? ……嘘くさいんだよねぇ。雅浩兄様が信用してない相手をそんな風に思うはずがない。

「信じてくれてないのは知ってるよ。なんで彩香が僕を信じてくれないのかも、たぶんわかってる。でもね、僕は今まで彩香に嘘ついた事ないよね? 隠し事はしても嘘は一度もついてない。――少しだけでいいから、信じてみてくれないかな?」

 そう言って雅浩兄様がためらいがちに私の頭をなでる。今までと変わらない優しい感触が嬉しいような辛いような……。さすがに最初からまったく信用されてなかったとかいう事はないだろうし、いつ何を間違えちゃったのかなぁ。

 正直、()は嫌われてる相手や信用してくれない相手はすぐに他人と割り切るタイプだ。元々周囲の人達に好意を期待する性格じゃなかったんでもないけど、そうして生きていた。だから、親しい相手に数えていた相手が手のひらを返しても、そんなもんか、としか思わなかった。こっちも相応の対応に変えるだけで、引き止めたいとかもう一度信用して欲しいだなんて思いつきもしなかった。

 でも、今回だけはうまく切り替えられてない。雅浩兄様が望んでる範囲で対応しておけばこれからもそこそこうまくやれるんだとわかってる。むこうが態度を変える気がないのならそれにあわせればいいだけの事なのに、それが苦しい。変わらない態度に都合のいい錯覚をしそうになっている自分に気づくたび、胸の奥がひきつれて泣きたくなる。

 雅浩兄様の言葉()を信じられれば楽なのに……。信じたふりをしておけばすべてうまくいくのに、簡単なはずの事がうまくできないのがこんなにも苦しい。

「……ごめん、なさい」

 結局、肯定も否定もできなくてそんな言葉が口をついた。顔を見てるのもなんだか辛くてうつむくと、目にたまっていた水滴がこぼれ落ちた。

 まずい、こんなところで泣くとか面倒すぎるよ、私。篠井の両親に見つかりでもしたら雅浩兄様が怒られる。これは部屋に立てこもるのが良策かもしれない。言い訳は落ち着いてから考えればいいや、と椅子から立ち上がって逃げ出そうとしたものの、あっさりつかまりました。

 ――そうですよね……、ただでさえ小さい私と雅浩兄様じゃ勝負にもならないって気づこうよ……。どれだけ冷静さなくしてるの私……。

 ダイニングのドアに手をかけた所で、しっかりと後ろから拘束されて脱出不可能。

「――驚かせないで」

 心底焦った、とでも言いた気な声がかすかにふるえていて、思わず目をまたたく。この人は一体何をこんなに動揺してるんだろう?

「きっかけがつかめなくて先延ばしした僕が悪かったのはわかってるけど……。頼むから最後まで話を聞いて。今一人にしたら君は何か変な覚悟を決めちゃう気がするよ」

 変な覚悟ってなんなの……? 単に雅浩兄様に一見可愛がられてるけど実は羽虫扱いされる覚悟を決めるだけだもん。

「ここで話すのが落ち着かないならどこか……、僕の部屋に行こうか」

 雅浩兄様の腕がゆるんだと思った次の瞬間、体が浮いた?!

 ……って、何がどうなったらまたもやお姫様抱っこになるの?!

「ちょ何なんでいきなりこの体勢なの待っておろして歩けるからっ」

「また逃げられたら嫌だから駄目。この前克人がした時はおとなしくしてたんだよね? 僕だと嫌だとか言うわけ?」

「何わけわからない理屈こねてるのあれは緊急事態だからだし克人兄様が無理矢理っ」

「じゃ、僕が無理矢理抱き上げたんだから同じでいいじゃない」

 言い合う間にも器用にドアを開けて廊下を歩く雅浩兄様。だからいくら私が小さくて軽いからって荷物扱いは酷いよ?!

「どこが同じですか私怪我してないし見られて困るような事なかったよね?!」

「泣き顔隠したかったんだよね? すっかり泣きやんで目的達成したね」

「達成したならおろして高いし不安定だから怖いの逃げないし歩けるからお~ろ~し~て~っ!」

「僕が彩香を落っことすわけないよ。怪我なんてさせないから落ち着いて。ほら、さすがに階段はちゃんとつかまっててくれないと危ないよ?」

 私の文句をどこ吹く風で受け流す雅浩兄様が、さすがに階段の前で足を止める。確かに階段は危ないよね……。

「おろして?」

「却下」

「即答?!」

「はやくつかまってくれればすぐ着いて降りられるよ?」

 笑顔で言われ、ため息をつく。こういう時の雅浩兄様と言い争っても勝てるわけがないんだから、確かに言う通りにした方がいいはず。……でもつかまるって……どこに?

 思わず首をかしげると、首に腕回して、とうながされた。

 ……はい?!

「他のどこにつかまるつもりなの?」

「いやでもっ」

「はやくしないと誰かに見つかる可能性も上がるよ?」

 おかしそうにうながされて返事につまる。確かに雅浩兄様の言うとおりなんだけど……っ。なんだか異常に 恥ずかしいのは私だけっ?

「彩香?」

 笑いをふくんだ声に覚悟を決めて雅浩兄様の首に腕をまわす。必然的にこれまで以上に体が密着するし、なんだか緊張する。

「すぐ着くからちょっとだけ我慢してね」

 私の反応をどう思ってるのか、すごく柔らかい声がして、雅浩兄様が動き出した。さっきは怖いとか言ったけど、雅浩兄様はバランスをくずす気配すらない。落ち着いてれば本当は怖くもなんともないんだよね。

 ……でも、克人兄様の時は平気だったのになんでこんなに恥ずかしいかな……?

 部屋に着くと雅浩兄様は私をベッドにおろしてくれた。

「顔真っ赤だよ?」

「雅浩兄様のせいだからね?!」

 楽しそうにほおをつつかれ、ついかみつくと、一層おかしそうに笑われてしまった。

「今までこのくらいなんともなかったくせに」

 からかっているか違うのか、軽く頭をなでて雅浩兄様が離れる。なんとなく動きを追うと、机の側に置いてあるミニ冷蔵庫からカフェインレスのお茶のペットボトルを取り出して、一本を渡してくれた。

 一度キャップを開けてこぼれない程度にしめなおしてから渡してくれるあたり、行き届いてる。信用してない相手にまでそこまで気を遣って疲れないのかな?

 騒いだしなんだか喉が渇いてたからありがたくお茶をあおる。飲み終わると必ずふたをしめるのは篠井の両親に言われている事だ。こぼしたらみっともないし、まわりに迷惑だからそういうアクシデントを防ぐ対策も必要だって、何度も言われているのですっかり染みついている。

 となりに座った雅浩兄様は自分もお茶のペットボトルを開けて少し飲んでから、困ったような笑みを浮かべた。

「さっき彩香が泣いてた理由を聞いてもいい?」

「……なんで?」

「だって、僕が考えてる理由が違ってたら困るから。ちゃんと彩香の口から僕の何が悪くて傷つけちゃったのか教えて欲しいんだ」

 思わぬ返事に目をまたたくと、雅浩兄様が苦笑いになった。

「酔狂だとか暇だとか酷い事考えてそうな顔してるけど、どっちでもないからね?」

「信用してない相手にここまで時間をさくのは酔狂以外の何物でもないと思う」

「なんでそんなにかたくなに僕に信用されてないって思うの?」

「……だって」

 言いかけて思い出した光景にまた涙がにじむ。なにもあんな風に優しくしてくれた直後に気づかせなくたっていいじゃない。

 そりゃ、ああいう態度は雅浩兄様にとって武器になるんだというのはわかる。実際私だってのまれて話すつもりのなかった情報を口にしちゃったくらいだ。浮かれたおば様方から情報を集めるのには最適なんだろう。でもそれはつまり、あの表情をむけられるという事は単なる情報源扱いって事だから。雅浩兄様はちゃんと信頼している相手やそこまでじゃなくても能力を評価している人に対してあんな態度はとらない。

「……だって、雅浩兄様、パーティでどうでもいい人達あしらってる時と同じ顔してたもん」

 自分で口にした言葉が痛くて、また涙がこぼれそうになる。

「そうだね。僕はあの時、確かに彩香のいう通りの態度だったよ」

 うわ、認められた?! わかってたけど本人に肯定されると威力が違う……っ。

「……って、うわ、待って! 泣かないのっ! そんなに目を見開いたまま泣いたら目までこぼれ落ちちゃうからっ!」

 ペットボトルを投げ捨てた雅浩兄様が大慌てで私のほおをこする。

「ちゃんと理由があるから! 彩香を信用してなくてあんな事したわけじゃないから泣かないでっ!」

 珍しい事に声を荒らげた雅浩兄様の言葉にまばたきをすると、それで私の疑問に気づいてくれたらしい。

 今口を開いたら絶対泣き声しか出ない自信があるし、助かった。

「自覚してかなったと思うけど、あの時の彩香はすごく顔色が悪かったんだよ。最初に彩香の方に手を伸ばしたのも、気づいてないみたいだったからシートベルトしてあげようと思っただけで」

 ……言われてみればあの時シートベルトしてなかったような……?

「でもそれだけの事であんなパニック起こすくらい怖かったんだよね。……彩香の様子が落ち着き始めたら、犯人をどうしてくれようかって本気で腹立ってさ。社会的に抹殺してやろうかとか、本気で思ったし」

 ちらりと魔人様の気配がして体をすくめると、雅浩兄様が、思い出したらまた腹立ってきた、と苦笑いでつぶやいてから一つ深呼吸した。

「びっくりさせてごめん。彩香は僕達が怒った気配、怖いんだよね。わかってるからいつも気をつけてるんだけど、やっぱり自制しきれてなくて」

 ……確かに魔人様は怖いけど今なんて言った? あれでも自制してるんですか?! 本気だしたらどんだけなんですかっ?! 想像するのも拒否したいんですけどもっ?!

「うん、大丈夫。絶対彩香の前ではやらないって約束するからそんな怯えた顔しないでくれる? わかってはいたけど地味にこたえるから」

 柔らかく頭をなでながらのお願いに、思いっきり顔に出てたと気づいて慌てる。でも、雅浩兄様は特に怒った様子でもない。ほんの少しだけ困ったような――他愛ないわがままを聞きいれてくれる時と同じ表情だ。この表情を他の人にむけてるところ、見た事がない。雅浩兄様が私だけにくれるものの一つ。

 ……まだこんな表情を見せてくれるって事は、雅浩兄様が言うように少しくらいは私の事を気にかけてくれているのかな?

「あの時、僕が怒ってるのが伝わったら彩香が怖がって、下手をしたらまたパニックを起こしちゃうかもしれないって思ったんだよね。とっさにそう思って隠そうとしたら、やりなれてるせいかあの表情が出ちゃったんだけど……」

 ……とっさにあれが出るとか、ちょっとどうかと思います。

 しゃくりあげながら内心でしたつっこみが伝わったのか、雅浩兄様が小さく肩をすくめる。

「……ごめん。感情を隠すにはあれが最適なんだよね。ああやってる時は絶対内心出さない自信があるから」

 そう言ってもう一度私のほおをぬぐってくれる。その指先の優しさは今までと何一つ変わらない。

「でもそれで彩香を傷つけちゃったらなんにもならないよね。……たくさん辛い思いさせちゃってごめん」

 雅浩兄様の言葉に目をまたたく。今の話ってつまり……。

「まだ信じてもらってるって思って……、いいの?」

「僕は彩香を信じてるし、大好きだよ」

 言葉と同時にゆるく抱き寄せられた。

「あの時、彩香は僕が態度を変えたのに気づいて、わざと反応を見るような言い方したよね。それで失敗したってわかったんだけど、なかなかうまく切り出せなくて……。もっとはやくちゃんと謝らなくちゃいけなかったのに、遅くなっちゃってごめんね」

 声に含まれる苦さと触れる部分から伝わってくる暖かさが雅浩兄様の言葉に嘘がないのを教えてくれた。こんな声で嘘をつける人じゃないのを私は知ってる。

「……本当?」

 それでも確認してしまうのは、次は絶対に耐えられないと思うくらい、雅浩兄様に他人扱いされたと思ったのが辛かったからかもしれない。

「本当だよ。不安なら隠さないでいいからね? 彩香が納得できるまで何度でも確認して?」

 優しい言葉に雅浩兄様の顔を見上げると、見慣れた私を甘やかしてくれる時の笑顔。

「言葉で確かめてもいいし、何かわがままを言ってくれてもいい。彩香のやりたい方法で好きなだけ確かめて」

 彩香が納得してくれるまでいくらでも付き合うからね、と言って殴られた側のほおをそっとなでてくれた。

「もう痛みはひいた?」

「うん、もう大丈夫」

「夜はちゃんと眠れてる? 彩香は元から眠りが浅いし、何かあるとすぐ眠れなくなっちゃうからずっと心配してた」

 一つ目の確認にはすぐうなずけたけど、今度は微妙に視線をそらす。ここのところいろんな(・・・・)夢を見ては夜中に起きちゃってたから寝不足気味なんだよね。桂吾のところに入り浸りだったのも何割かは仮眠のためだったし。

「眠れてないんだね?」

「……ええと、まぁ、毎晩二〜三回起きちゃう程度、かな?」

 私の返事に、しかたないなぁ、と言いたげに軽くため息をつかれてしまった。雅浩兄様が言うように、私の眠りはかなり浅い。ささいな物音でもすぐ目を覚ますし、ストレスがすぐ悪夢になって眠りを妨げるのだ。昔から――高浜綾だった頃からこうだからそういう体質なんだろう。

 だけど、雅浩兄様はこの体質をすごく心配してくれていて、私が眠れないでいるのに気づくと、内緒だよ、と言いながら時々添い寝してくれる。これは私が篠井に引き取られてきた直後から、三年ばかり一緒に寝てた名残だと思う。雅浩兄様と寝てた頃は夜中に目を覚ますなんて滅多になかった――というか、雅浩兄様が抱きしめくれてる間に変な夢を見て起きた事は一度もない。そうと知ってるから、薬に頼るよりいいと思うよ、と言って付き合ってくれてるんだよね。

「今日はこっちで一緒に寝る? あれからちゃんと眠れてないならだいぶきついんじゃない?」

「……でも怒られないかな?」

 私としてはありがたいけど、さすがにここ何年かは篠井の両親があまりいい顔をしない。そのせいで雅浩兄様が怒られちゃうのは嫌だもの。

「大丈夫。父さん達もここのところ彩香の様子が少しおかしいのは気づいてるし、しばらくは目をつぶってくれる約束になってるからね」

 ひっかかっていた事をあっさり解決してみせられ、それならいいか、とペットボトルを転がして雅浩兄様に抱きつく。うん、やっぱりなんか落ち着くなぁ。

 一番居心地のいい場所を探し当てた私が体を落ち着けると、雅浩兄様がゆっくり背中をなでてくれる。懐かしくて安心できる体勢に早速眠気を誘われた私があくびをすると、小さく笑う気配がした。

「本当、彩香は小さい頃から変わらないね。抱っこしてあげるとすぐ眠たくなっちゃう」

「だって雅浩兄様は特別だから」

「うん?」

 ここのところの寝不足と、雅浩兄様に疑われたんじゃなかったとわかった安心感からか、スイッチが切れたように眠たくなってきてぼんやりした頭でした返事に問い返された気がして答えを探す。

「…………て、くれたから」

「え? 僕そんな事言ったっけ?」

 やっぱり忘れてるなぁ、と思ったけど別に残念だとは思わない。いくら私でも七歳児の言葉を本気にする程馬鹿じゃないもの。

 それでも、あの時雅浩兄様が真剣に言ってくれたのは確かだと思うし、その時だけだとしても別によかった。たぶんこんな風に側にいてもらえるのはあと少しだけ。雅浩兄様に好きな人ができるまでの間だけだと最初からわかっているんだから。

「雅浩兄様が幸せになってくれたら、それでいいの」

 だって、父様と母様を亡くしてひとりぼっちになっちゃった私の家族になってくれた人だから。私にたくさんの幸せをくれたこの人にも、抱えきれないくらいの幸せがあればいい。

 暖かくて心地いい場所でうとうとと目をとじる。

「雅浩兄様大好き」

 寝ぼけ半分のたわごとだって忘れてくれないかなぁ、と思いながらつぶやいたら、雅浩兄様が一瞬硬直した……?

「僕も彩香が大好きだよ」

 返してくれた声が普段通りだったから、たぶん気のせいかな……。

「相変わらず無自覚に可愛いんだから……。知らないところで何人籠絡してるのか心配になっちゃうよ」

 そろそろ限界になってきた眠気に負けて眠りに引き込まれながら、雅浩兄様の声を聞いた気もするけど意味まではわからなかった。

お読みいただきありがとうございます♪

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