魔法薬専門店は仕込中
外泊から戻ってきたトトは、ツン、と鼻を刺激する匂いに、おや、と目を大きくした。
刺激臭の元をたどれば、奥の部屋に家の主の背中を見つけた。彼女の手元からは、ごりごりと何かをすりつぶす音が聞こえる。
「めっずらっしいっすねえ。ミュウイが帰宅早々調剤室に籠もっているなんて」
「喜んでやっているように見えたら、医者に行くことをお勧めするわ」
心の底から驚くトトに、ミュウイが作業の手を止めて振り返った。目線がそのまま床まで落ちる。
トトは全長が彼女のくるぶしほどまでしかないコロボックルだ。自分の何倍もあるミュウイと話すときは、自然声を張り上げることになる。
そのことを知っているミュウイが、自然な仕草でトトをすくい上げ、作業台の上に移動させた。
その時トトから見た彼女の顔は、お世辞にも機嫌がよいとはいえないものだった。
全身で面倒くさい、と語っているミュウイに、トトはありゃりゃ、と頬をかいた。
一日自分が留守にしている間に、彼女の機嫌を損ねることが起きたのだろうか。一昨日の夜遅くに帰宅した直後は、いつもと変わらないように見えたから、原因があるとすればその時としか考えられない。
「誰もそんなこと言ってないっすよ。にしても、今回の遠出は成果がなかったんすか?」
触らぬミュウイに祟りなし。
気にはなるが、うっかり地雷を踏んで被爆したくはない。これ以上ミュウイを刺激しないようにトトは、あからさまに話題を転換させた。
それに気づかないほどミュウイは鈍くはない。それでも、不快な会話を続けるよりはましと考えたのか、あっさり話に乗ってきた。
「おもしろそうなキノコを見つけたわ。使いすぎれば幻覚作用をもたらすのだけれど、適切に使えば一級の咳止めになるのよ。ああ、もう。早くいじりたいわ」
「今回はキノコっすか」
「ええ。他にもいくつか持ち帰ったけど、今回一番の収穫はそれね。マゼッタ山の中腹まで登ってきたの。あそこにはまだまだおもしろそうな植物が生えているみたいだから、また行くつもりよ」
先ほどまでと打って変わり、うきうきとした様子で、ミュウイは言った。
気持ちは手元のすり鉢から離れ、手に入れたというキノコに飛んでいっている。
彼女の視線を追ったトトは、その先にあるものを見てう、と怯んだ。
部屋の隅の机の上に、毒々しい緑とまぶしい白でできた縞模様の傘を持つキノコが山積みになっていた。食べたら一口であの世にいきそうなまがまがしい色彩だ。一つ一つが、トトよりも一回り以上大きい。
あれが薬になる、と判断できる者はそういないだろう。森の事に詳しいコロボックルのトトも見たことがないキノコだった。
一体ミュウイはどこからあんなキノコの存在を知ったというのか。いつだってトトには彼女の知識の深さは見当がつかない。
「あなたの研究馬鹿も大概っすねえ。間違っても、新薬開発したからってお客さんで試しちゃだめっすよ?」
「当たり前じゃない。事故があって訴えられても鬱陶しいだけだもの。ちゃんと自分で実験するから大丈夫よ」
「それはそれで不安なんすけどね。加減間違えてぽっくりってのは勘弁っすよ」
昔からミュウイは新しい薬の原料を見つけた、古い魔法を発見したと言っては、自分の身体を使って実験をしている。
近くで見ているとはらはらさせられることこの上ない。
「そのときはそのとき。まさに自業自得。作る楽しみの前には、危険すら霞むわ」
かすかに頬を紅潮させて笑うミュウイからは、方針を変えようという心意気は感じられない。逆に、ますます趣味に没頭する方向に転がっている。
止めて聞く性格なら、初めからやらないだろう。トトはため息を吐く代わりに、そうっすか、と元気のない返事をした。何を言っても無駄なこと、というのは世の中いくらでもある。
それにしても、ミュウイはどうしてすぐにキノコいじりに入らないのだろう。
間違いなく彼女が今作っている薬は、普段店で扱っている安全性の高い魔法薬。怪我によく効く、と評判で店一番の売れ筋商品だ。うきうき状態の彼女が、正規の仕事に精を出しているなど、今夜あたり雨が降る可能性がある。
トトの疑問を感じ取ったのだろう。浮上していたミュウイの機嫌が、再び下降した。
しまった、と後悔しても遅い。ヒヤリ、とした空気を纏って、ミュウイが忌々しそうに顔を歪めた。
「ガインの阿呆が閉店中だってのに押しかけてきたのよ。おかげで帰ってきたのが近所にばれたわ」
「ああ。そうすると、間違いなく客がくるっすね」
威勢のよい青年貴族を思い出して、とうとうトトはため息を吐き出した。毎度毎度ミュウイの機嫌を損ねるガインには、トトも頭を痛めている。
いっそのこと出入り禁止にしたいくらいだった。彼の場合たとえ出禁にしても、押しかけてきそうなところが、問題だ。
「そういうこと。薬のストックはほとんどないから補充しなきゃならないのよ。ああ、もう。幸先悪いわ。間違いなく今回は忙しくなるわ」
「客商売をしている人のセリフじゃないっすね」
「やらずに済むならやりたくないもの」
――魔法に携わる者。例外なく人々の益となることをするべし――
この国の魔法使いに定められた絶対の決まりだ。破れば、何らかの罰を受けることは避けられない。
どのような形で人々に貢献するのかは、個人の自由だが毎年監査はある。形だけでも店を続けて、人の役に立っているという体裁をとる必要が、ミュウイにはあった。
そうでなければ大好きな実験を安心してやる事が出来なくなる。
「魔法使いってのも、柵が多くて面倒っすね」
「柵のない生き物なんて少ないわ」
残念なことにね、と嗤うミュウイに、トトは確かにそうだ、と頷いた。
「おいらに手伝えることはあるっすか?」
「あれの選別」
手伝いを申し出たトトに、ミュウイはトトの手の平より少し大きな茶色い種の入った器を指さした。
間違いなく自分の身長よりも高く積まれている種の山が、五山ある。予想以上の重労働に、トトはわずかに後ずさった。一日かけても終わらせる自信はない。
「鍋洗いとかの方がマシっす……」
「逃げちゃ駄目よ」
暗に他の仕事にしてくれ、と言ったトトに、ミュウイは容赦ない笑顔を向けたのだった。
こうして魔法薬専門店ウッディの一日は過ぎてゆく。