14 大鷲の石像
そりゃ魔界だし、魔法があるなら、魔物がいたっておかしくはない。だけど説明がひとつもないのはおかしいだろ。
"暴れる巨体"なんて名前のクマの魔物が、草を掻き分けて逃げ回るノックノックを追いかけている。
彼らの必死の「コンコン!」と言うノック音(鳴き声)が、美しいダイヤモンドムーンの空に悲痛に響き渡っている。
ウィンドウは表示されているが、何故か『………』と無慈悲な記号しか映っていない。
クマ魔物の動きは遅い。いや、一歩が大きく緩慢なだけだ。ノックノックの動きは早い。ねずみのようなスピードだ。なのにぐるぐると動き回るせいで、あまり距離を取れないでいる。
クマは、パニックになり右往左往するノックノックを楽しんでいるように見えた。
知識が高いのか?それに腕から生えた刃物は何だ?トンファーかよ。
ピロン
『アビスから聞いているとばかり。と監視者が指を合わせながら申し訳なさそうに言っています』
「それはもう良いよ!それであれはどうしたら良いんだ!?」
『討ち取るのが理想だ!魔物は金にも食糧にもなる!しかし今のお前では…。と監視者が残念がっています』
「分かったから!戦う以外の手段はねぇの!?あんなのが現れるなら牧場なんて出来ねぇだろ!!」
『本来ならば魔物避けの石碑や石像を置いておくのだ。しかし今はないからな。アビスが作った家には近付けんから、中に入っていればその内諦めるだろう。…戦った方が良いのだが……と監視者が暴れる巨体を勿体なさそうに見詰めています』
「戦ったら死ぬんだろ!」
文字を読み終わる前に俺は駆け出した。
クマの方角に向かって。
ピロン
『どこへ行く!!??戦うのか!!?と監視者が嬉々としています』
ウィンドウを読む余裕などない。
ありったけの声で叫ぶ。
「ノックノック!!俺に掴まれ!!」
ガサガサと動いていた草が一瞬止まり、走り回る俺に向かって一斉に集まる。途中転び掛けるが、何とか体勢を整えて、その勢いのままクマに背を向けた。
絶対に悪手だ。
案の定、クマが唸り声を上げて走り出した音がした。
追いかけてくる。
振り向いている暇などない。
ただ必死に走り、草むらから抜けた。
体中にノックノック達をぶら下げ、そのまま家に向かって突っ切る。
ウッドデッキを駆け上り、玄関に飛び込んだ。
──────バンッッッ!!!!
扉を閉め、そのまま玄関土間に膝をついた。あちこちにしがみ付いているノックノック達も固まっている。
こんなにも走ったのは人生初だ。
こんなにも自分が早く走れると知ったのも。
俺はゼエゼエと息にならない息を何度も吐き出し、床に落ちる大量の汗を眺めていた。
一気に静かになった。
ギュッと掴まるノックノック達。彼らに重みがなくて本当に良かった。
ゆっくりと顔を上げた。何匹か降りて顔を覗き込んでくる。
「……ぜ、全員いるか?」
ノックノック達は返事をしない。代わりに家の外から激しい威嚇の声が響いた。そして暴れ回る音も。
恐怖か疲労か、ガクガク震える足を叱咤し立ち上がり、玄関横の窓から外を覗いた。
クマが突進する勢いで、ウッドデッキの柱に向かって手を振り下ろしている。長く太い爪が、見えない壁を火花を散らして引っ掻いた。それを幾度と繰り返す。
確かに、この家は守られているらしい。
ピロン
『獲物を横取りされて怒っている。しかしライガ、よく逃げ切ったな!やはり体力も魔力もちゃんと戻って来ているようだ。と監視者がうんうんと頷いています』
「……あ、あいつ…」
ウィンドウに気付いているが、それよりも気を取られる。安堵したのも束の間、クマは踵を返し、突然両手をぶんぶんと振り回し、地面に拳を突っ込む。
土が爆ぜ、ダイヤモンドムーンの光を反射しながら飛び散った。
「畑を壊してやがる…!!」
じゃがいも達が無惨に散らされていく。おまけに出来かけていたのだろう、小さなじゃがいもを引っこ抜くと、わざわざ家の前までやって来て、目の前でムシャムシャと齧り出す始末だ。
「…………こいつ……!」
完全に煽られている。
俺の苛立ちに驚いたのか、一緒に見ていたノックノック達が一斉に飛び降りた。
ピロン
『おお…やはりアビスの子だなお前。と監視者が複雑そうに感心しています』
めらめらと怒りが湧いてウィンドウの文字など見えていない。窓越しに睨みつける事しか出来ない。
クマも分かっているのか、じゃがいもを全て食べると「へっ」とでも吐き捨てるように踵を返し、更に畑と草むらで暴れ回っていた。
「く、くそ……」
しかし怒りも持続しない。俺はへろへろと床に座り込んだ。どっと疲れてしまった。
固まっていたノックノック達がそろりと寄ってくる。
「………はー…怖かったな。まだあいつ外にいるし、嫌じゃなけりゃ今晩はここにいろよ。俺はもう怖くてドアを開ける気にもならないぜ」
情けない事を平然と口にして、ブーツを脱いで上がった。
「汗すげぇかいたけど、もう無理…寝る…」
ふらふらとベッドへと向かう。
数歩後ろからノックノックの塊がついて来た。
もうクマは知らん。
朝には消えているだろ。
明日になったら魔物避けの石碑だか石像だかを調べよう。
倒れるようにベッドに入り込み、まだドキドキとうるさく跳ねる心音に眉を寄せつつ、必死に目を瞑った。
殆ど現実逃避だ。
最近は疲労感ですぐ眠っていたが、流石に今夜は寝付きが悪かった。
ようやくうとうとと眠気が訪れた頃、布団の中に何やらモチモチした感触がある事に気付く。それがささくれ立っていた気持ちを和らいでくれて、俺は深い眠りに落ちた。
灯りがついたまま、静まり返った寝室に響くピロンと言う音。
『暴れる巨体には負けたが、ノックノック達の信頼は勝ち取ったようだな。と監視者が物珍しそうに眺めています』
監視者の目には、ライガの布団に潜り込み、彼に寄り添って眠るノックノック達の姿が映っていた。
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朝起きてびっくりしたのは、ノックノック達が一緒に寝ていた事だ。体を起こすとコロコロと落ちていく。
「コンコン!」と鳴きながら、もそもそと布団の上を動き回る奴から、まだ寝ているのか転がったままの奴がいる。
寝起きでぼんやりしていて、何が何やら。ふと右手に気持ちのいい物を握っている事に気付いた。
スクイーズのようなもっちりとした感触だ。
持ち上げてみると、ノックノックだった。
くたりとしているノックノックに一気に眠気が覚める。
握り潰してしまったのかと思ったが、顔に近付けてみるとクークーと言う寝息が聞こえてきた。
単に寝ているだけだと分かって全身から力が抜ける。
ピロン
『懐かれたようだな。と監視者が面白がっています』
「……ノックノックって懐くんだ」
『有り得ないとは言わないが、滅多にない事だろう。長い事生きているが、ノックノックが他種族と戯れるのを見るのは初めてだ。と監視者が言っています』
「へえ………」
そんな事を言われると情が湧いてしまう。ちょろちょろと布団の上を動き回るノックノック達。手の中で眠るノックノックを布団に下ろし、ベッドからそっと抜け出した。起きていたノックノック達は付いて来て、まだ寝たい連中は布団に残ったままだ。
服も着替えずに俺はブーツを履いて外に出た。
爽やかな春風が桜色の花弁を舞い上げ、青く澄み渡る空の下で、じゃがいも畑は無残な姿を晒していた。ご丁寧にひとつずつ土を掘り返し、葉も根っこもぐちゃぐちゃにされている。
盛大な溜息を止められず、しゃがみ込んだ。悲惨な現実を受け止めようと目元を擦り、気を取り直す。
畑もだが、まだ手を付けていなかった荒れ地も暴れ回った跡がありありと残っている。草は乱雑に散らされ、点在していた木々のいくつかが倒木されていた。
どう見ても一撃で倒されている。
怒りも湧いてこない。
むしろ良く逃げられたものだと、自分を褒めたくなってきた。
「アビスにも感謝しねぇとな。家が安全なのは本当に助かる」
立ち上がり、家を見上げた。ウィンドウは反応しない。詳しい理屈などは教えてくれないのだろう。まあ、魔神であるアビスの力が篭ってるとか、そんなものだろうと勝手に解釈しておこう。
家に戻ろうとすると開け放しのドアから覗いているノックノックが数匹いた。
「もう大丈夫みたいだぞ。お前らも自分ちに帰ったら?まあ、まだ居ても良いけど」
ノックノック達は顔を見合わせ、ちょろちょろと出て行った。まだベッドに残っている奴らがいるから、ドアは開けたままにして、俺はシャワーを浴びる事にした。昨日草むらに突っ込んで、そのままベッドに入った事をちょっと後悔している。
シャワーを浴びた後、ドライヤー(悩んだが髪を乾かさずに寝ると高確率で風邪を引くので買った)で髪を適当に乾かし、外着に着替えた。
「………俺より寝坊助だな。ほら、お仲間は帰ったぞ。お前らもそろそろ起きろ」
ベッドに戻り、まだ寝転がっているノックノック達を転がしながら、掛布団を剥がす。「コンコン!」と鳴くが、どこか弾むような響きで、シーツを抜く時には自ら転がっていた。楽しそうで何より。
昨夜聞いた悲痛な鳴き声がまだ頭に残っていたのか、彼らの陽気なノック音に知らず胸を撫で下ろす。
洗濯物を掻き集め、外のウッドデッキに設置されている洗濯機へと繋がるキッチンの裏口から出る。裏と言っても、家の横だが。洗濯物を回している間に、リビングで朝食(と昼食の間)を食べながら、カタログで『魔物避け 石碑 石像』を検索した。
俺は吹き出しそうになる。
「一番安くて109万………」
安い物ではないだろうと思っていたが、ここまでとは。
ピロン
『あまり安物を買うべきではない。範囲も狭く、効果も薄い。魔物避けの石碑などはそうそう壊される事はない物だ。出来ればケチらん方が良い。だが、カタログで買うと割高になるのは確かだ。しかしまだお前は直接店舗に行けない。と、監視者も悩んでいます』
「店舗か……直接行けないってのは、やっぱり体力的な問題?」
『分かっているではないか。と監視者が褒めています』
「褒めてるかな、それ」
兎にも角にも体力か。
手元のカタログを捲る。監視者の言う通り、魔物避けの効果範囲は値段と比例していた。牧場全体を包めるような広範囲の物になると数千から数億だ。
馴染みのない物だから余計に悩む。
ぺらぺらと意味もなくページを行ったり来たりしていると、ふと疑問が湧いた。
「…………魔物って、やっぱ空飛べる奴もいるんじゃねぇの?魔物避けの範囲って空まで有効なん?」
ピロン
『よい視点だ。魔物避けの範囲は高さに制限がある。鳥であれば入って来れるな。と監視者があなたの気付きに感心しています』
「…………空は無防備か。まあ、もうその辺は後で考えよう。とりあえず、西と南の出入り口を防げる物にしようかな。北側は結構高い崖になってるから、飛び降りてくる魔物が居ない事を願おう…」
『お前が強くなれば良いのだ!!全てが解決するぞ!!と監視者が拳を握っています』
「なりたいですね。今すぐにでも」
『あなたの返事に監視者がしょんぼりと項垂れました』
無茶を言ったと自覚したのか、ウィンドウまで縮こまっている。俺はバレないように小さく笑う。
「いずれは、追い払えるくらいには強くなりますよ。川も渡ってみせるし、買い物も店舗でしてやる」
昨夜、全力疾走したにも関わらず、俺は筋肉痛になっていないし、具合が悪いなんて事もない。いまだに朝起きれないでいるが、午前中の間に目は覚ます。俺からすれば凄まじい成長率、快進撃と言っても良い。
口にする目標は、他者からすれば小さいものだろうが、俺からすれば大きな決意であり、希望だ。
ピロン
『よく言ったぞ!この私が見ているのだ!お前ならば成し遂げられると信じているぞ!と監視者が目を煌めかせています』
それにしてもこの監視者は熱い。そして少しチョロイ気がする。
俺は応援に応えるように深く頷き、ギリギリ出せる金額の石像を2つ買った。
動物(と言っても魔物)型の石像があったので、大鷲にした。空には効果がない癖に鳥と言うのがすごくそそった。
目の前に落ちてきたアンカーシールを握り、朝食を口に押し込んで立ち上がる。
「魔物の侵入はとりあえず抑えられるとして、問題は、これだけじゃないんだよなァ」
石像の設置の為に畑の前を横切る。悲しい残骸と化した食糧に溜息が出てしまうのは仕方ない事だろう。




