12 心地の良いもの
買っておいたじゃがいもの種を耕したばかりの土に植えた。20センチ四方のふかふかの土が2マス(分かりやすく言うなら)並んでいるから、その中央にひとつずつ植えた。
人間界ではじゃがいもの種───種いもは、様々な検査をクリアした一見普通のじゃがいもに見えるものだったはずだ。
しかし魔界ではくるみサイズの種だった。確かに色はじゃがいもの皮と同じではあったが、どう見ても俺の知ってる種いもではなかった。
まあ、小学生の頃に種いもを見せて貰ったことがあるだけで、正確に形を覚えている訳でもないが。
だがひとつだけ人間界とは違うとはっきり言える事がある。それは───
「……7日で収穫出来るってホントなのか…?」
じゃがいもの成長速度だ。
ジョウロで水を上げた後、畑(と呼ぶにはあまりにも小さいが)の前に座り込み、昼食のホットドッグを食べながらカタログを開き、じゃがいもの種の説明を読んでいた。
他の種も同様に、信じられないくらい早く育つようで、春の作物として並ぶ玉ねぎで6日、いちごは8日。一番長いもので、コーヒー豆が15日だった。
「………コーヒー豆?コーヒー豆って、簡単に栽培出来るもんか?」
俺は目を疑った。
カタログを食い入るように見ていると、耳に馴染んだピロンという音が鳴り、目の前にウィンドウが現れた。
『魔界の土壌はそれほど作物を選ばない。大切なのは気温と水だ。この地方では四季がある。季節を間違えず、水を欠かさず与えればしっかり育つ。と、監視者が新しい机を磨きながら言っています』
引き摺られて行っていたが、いつの間にか戻ってきたらしい。壊した机も新調して。
「おかえり監視者様。魔界の土、凄過ぎるな。……それならコーヒー豆植えたい。継続収穫って書いてあるし、何度か収穫出来るんだろ」
ゲームみたいに。
「あ、いちごも継続収穫か。……いや、でもコーヒー豆だな。コーヒー飲みたいし」
当面は自分の口に入る物だけを選ばなければ。
ピロン
『見てない時も独り言多いのか?と監視者が窺い見ています』
「なんすか。不審者みたいに……これは監視者様が戻って来たからつい……流石に1人じゃ喋んないですよ」
とは言え、はたから見れば独り言に違いない。
人間界では、休みの日など一言も発さずに一日を終えることも珍しくなかったのに。
ここに来てからは確かによく喋っている気がする。
これも元気になって来た証拠なのだろうか。
だが気をつけよう。1人でぶつぶつ言うのは、魔界でも怪しい認定されるようだし。
俺は気を取り直し、残りのホットドッグを口に捩じ込み、カタログで蜂蜜を検索した。
ページが捲れる。ボトルに入った物から瓶まで、人間界と同じようなパッケージの蜂蜜が並んだ。
ほんのりとピンクだったり、オレンジが強かったり、青みがかっていたりするが、概ねハチミツ色をしている。
「へえ、花によって色味が変わるのか」
詳細ページには蜜源が記載されている物もあり、色の違いには納得出来た。
しかし味の違いは写真や説明だけでは分からない。
「ノックノックって、どんな蜂蜜が好きなんですかね」
ピロン
『何でも良いだろう。と監視者が言っています』
「知の神なんですよね」
ピロン
『食の好みは人それぞれだろう!と監視者が怒っています』
真っ当に怒らせてしまった。「すみません」と即謝って、蜂蜜は馴染みのあるハニーゴールド色で、大きな瓶に入っているものにした。
14,000円もするが、命の恩人に渡すのなら安い方だろう。
目の前がパッと光り、地面スレスレに箱が現れた。ほっといても割れることはないのだろうが、両手で掴んだ。
箱は段ボールで中に緩衝材がちゃんと入っている。
そう言えば、ゴミ箱を買うのを忘れていた。
大量のゴミ(ほぼ包装紙や紙)が部屋の隅に寄せられているので、後でゴミ箱も買おう。
そんな事を考えながら、箱から蜂蜜の瓶を取り出そうとして、動きを止めた。
「………思った以上にでかい…」
金魚鉢のような瓶は片手では持てない。出しかけた瓶を箱に戻し、箱ごと脇に抱えて立ち上がる。
ピロン
『花畑がある場所には畑を横断した方が早い。疲れたら休め、足元には気を付けろ。ほら!木の根があるぞ!と監視者が指を差しています』
「心配はありがたいけど流石に見えてるよ…」
ウィンドウから伸びる手のアイコン。なんだか過保護になってる監視者を、少しだけ懐かしく思った。
自分と親しくなる人と言うのは、大体が過保護になるか、虚弱を揶揄うようになるかで分かれていた。
揶揄われる方がマシなのだが、揶揄う奴らはすぐに飽きて居なくなるので、結局過保護が残る。
過保護な人達には、常に申し訳なさが付き纏っていた。
だが相手が無機質なウィンドウ越しだからか、監視者への罪悪感は薄い。
ピロン
『もう少し1時の方角だ。と監視者が案内しています』
監視者の切り替えが早いからかもしれない。
川に近づく程、畑の雑草は雑草なのか?と思うほど密集していた。腰の高さまで育っている物もある。
事実として転ぶ可能性が出て来た。
気を付けながら、草を掻き分ける。もう耳には川のせせらぎが聞こえてくるし、キラキラと反射する水面も見え始めていた。
川沿いは細い砂利道になっていた。歩きやすい。
「……川、広いな。深さもありそうだし」
目の前に横たわる川。透明度が高く、清流と言った感じだ。水草も、岩に生える苔も青っぽい。この辺りの植物の葉は、概ね青いようだ。
ピロン
『そうだな、今ならばウグイやイワナなどが釣れる。畑がひと段落したら次は釣りだな。と監視者がうきうきしています』
「ウグイってまずいんじゃなかったっけ?食うの?」
『まずい……?この世にまずい魚などいるのか…?と監視者が瞬きもせずあなたを見詰めています』
「いません。釣り楽しみです」
唐突に凄まじい圧を感じた。
監視者の釣り好きが飛び抜けているのか、魔界だからまずい魚がいないのか、いずれ分かることだろう。
俺は川にそって南に下る。向こう岸には確かに果樹の林が見えた。所々、何か実っているようだ。
果樹の林が切れる頃、花が咲き乱れている場所が見えた。
花畑だ。
監視者の予想通りに、花畑に向かって丸太が橋代わりに置かれている。人間では絶対に渡れない細さだ。
しかし、あの小さな謎生物が用意したにしては長い。
「……前の牧場主が用意してやったとか?」
ピロン
『いや、自分達で頑張って運んだのだろう。ノックノックは魔法が使えるからな。と監視者が言っています』
「自分よりデカい木を?どんな魔法…」
彼らは俺の手よりも小さいのに、遥かに大きな木を遥かに大きな川に掛けたのか。
偉いな。
妙に感心してしまう。
箱を地面に置き、中から金魚鉢のような瓶を取り出す。丸っこい瓶に、大きなコルクの蓋。
「蓋は………開けられるか。こんな木を運べるだけの魔法があるんだし」
開けて砂など入ったらもったいない。気にするかは知らないが。
橋の近くに瓶を置き、箱を掴んで立ち上がる。
帰りは畑ではなく、川沿いを上る。砂利は舗装された跡のある道まで続いていた。
そのまま家に向かい、ウッドデッキに箱を置いた。
一度伸びをする。まだ体が動く。人間界で付き纏っていた怠さが嘘のようだ。
魔界の空気のおかげなのか、ノックノックがくれた甘露のおかげなのか。
少しだけ空を見上げた後、ふと口を開いた。
「監視者様、クワやカマは自動で魔力消費しちゃうんですか?オンオフ切り替えられたりは出来ませんかね」
俺の問いかけにピロンと軽快な音がする。
『出来んな。使用を検知したら自動発動する術式が組み込まれている。オフにしたいのか?と監視者が不思議そうに首を傾げています』
「まあ、そうですね。オフに出来るのなら、素振りでもしようかなって」
出来ないのならば仕方ない。何か別の方法を探そう。
ピロン
『良い心掛けだ!素振りで腕を鍛え、歩いて足を鍛えろ!念の為にカタログは常にそばに置いておけ。牧場内で遭難してもカタログがあれば生き延びられるだろう!と監視者があなたの向上心を喜んでいます』
「ちょいちょい脳筋なの何…?」
ウィンドウからもテンションの上がり具合が伝わってくるようだ。
それにしても流石に敷地内で遭難するとは………ありえない事でもないか。
体力をなくし歩けなくなれば危険だ。
カタログを脇に抱え(意外と重い)俺は西に向かって歩き出した。畑の前を端まで歩くと、だだっ広い敷地に出た。
建物の残骸が残っていたので、家畜小屋があったのだろうと推測出来る。北側には壊れた柵が草まみれの土に並んでいる。
放牧地か。
そちらには行かず、南に向かって曲がる。
また建物の残骸がある。こっちは鶏小屋だろうか。
その前まで歩き、俺は立ち止まった。
しんどい。
本気で広い。
ピロン
『体力がなさすぎる…と監視者が涙ぐんでいます』
「すんません…」
休憩を挟みつつ、何とか遭難せずに家の前に戻ってきた。しかし忘れてはいけない。
俺はまだ、家の裏、放牧地が広がっていた北側は見ていない事を。
口にはせず、カタログをウッドデッキに置き、途中で拾った長い枝を握って素振りを始める。
ピロン、ピロンと監視者の応援の声だけが、日の沈む夕空に響き渡った。
その音が、随分と心地良い。




