11 皮膚の下
遠くから音が聞こえる。ピロンピロンと。徐々に近付いて来るその音。
「───────はッ!!」
目を覚ました。青い草と土────と思ったら、耳元で鳴るピロンと言う音。そして青い半透明のウィンドウが視界を埋め尽くす。
『起きたか?と監視者があなたの顔を覗き込んでいます』
不思議なもので、ウィンドウに目などないのに物凄く視線を感じた。俺は「はい……」と言いながらゆっくりと身を起こし、手の甲で目を擦る。軍手だったので少し肌が痛い。ふと気になって軍手を外す。
骨と皮しかないのは変わらないが、切り干し大根とまではいかないだろういつも通りの手があった。
体力は戻っている気がする。いや、何ならより元気になった気さえする。
曖昧なのは自信がないからだ。
「……さっき、変な生き物がいたよな?魔人?」
俺は既に誰もいない場所を指差す。ピロン、とウィンドウが鳴った。
『あれは”ノックノック”と言う妖精だ。魔人とは少し違う。と監視者が答えています』
「ノックノック……コンコン、って鳴くからノック?」
『賢いではないか!その通りだ。ノックノックは主に森に棲んでいる。迷子などがいると道案内をしてくれるような善良な妖精だ。しかし、臆病で人前に姿を現す事は滅多にない。道案内もノック音で知らせてくれる。………お前が弱過ぎて、敵にならないと判断したのだろうな。と監視者が憐れんでいます』
「そこは喜んでおこう。強いと判断されてたら見殺しにされてた訳だし」
『弱過ぎる事を喜ぶなど私は許容出来ん。だが、お前の為にわざわざ”恵みの甘露”を持って来てくれた事には感謝せねばな。と監視者が頷いています』
「甘露って、さっき飲まされた葉っぱのしずく?」
『そうだ。植物から稀に採れる朝露で、一滴で体力と魔力を大きく回復してくれる特殊なエナジー素材だ。一滴と言っても、本来は葉っぱについている朝露を地道に掻き集めなければならない。ノックノックの主食が液体物だからよく集めているとはいえ、甘露は彼らにとっても希少なアイテムだろう。と監視者が妖精に感心しています』
「………大事なもんを俺にくれたって事ね」
辺りを見渡すがノックノックの姿は影も形もない。と言っても、木や雑草が多過ぎて死角も多いので見渡したとも言い難いが。
サワサワと花弁を運ぶ風が葉を鳴らす。ノックの音はどこからも聞こえてこない。自分たちの棲家に帰ったのだろう。
あまりにも広大で、まだ見て回っていないが、この牧場が森に囲まれているのは分かっている。
そのどこかに、彼らは居るのだろう。
「無理に追いかけるのは良くないか。礼くらいしたかったけど」
ピロン
『ノックノックは花の蜜も好んでいる。牧場の東に川があり、その向こう側に果樹林と花畑がある。恐らくそっちから来ているのだろう。と監視者が東を指差しています』
ウィンドウから出た手のアイコンが指を差す方向へと顔を向けた。静かに見詰める。意識すれば微かに水音が聞こえて来る。しかし、これもまた背の高い雑草や点在する木に隠れていて見えはしない。
「それって正確なん?」
『正確とは言えんが確率は高い。西に比べて、東は穏やかだ。だからノックノック達が棲むなら東の森に決まっている。と監視者が自信満々に答えています』
「めっちゃアバウト」
しかし良い事を聞いた。俺も西に行くのはやめておこう。まあ、そうでなくとも勝手に牧場の外に行くつもりはないが。
『ノックノックは蜂蜜が大好物と聞く。川を渡って来ているなら、何らかの痕跡がある筈だ。その近くに蜂蜜でも置いておいてやれば良い礼になるだろう。と監視者がアドバイスをしています』
「そか、じゃあ後でカタログで蜂蜜を探そう」
とりあえず、自分の事も進めなければ。
飛んで行ったクワを拾いに行く。軍手を嵌め直すことを忘れていて、素手で柄を掴んだ時にある疑問が湧いた。
「監視者様、俺が倒れる前に魔力がどうのって言ってましたよね。クワ使うのにも魔力がいるんですか。説明書にあった気がしないんですが…」
ちょっと素手で握るのが怖い。軍手をしている左手に持ち変える。
ピロン
『道具を使う時に魔力が必要な事など魔界では常識だ。いちいち説明書きなどしない。おまけにその黒鋼の農具の必要魔力は、魔人ならば幼児でも事足りるのだが……。監視者が困ったように唸り始めました』
「道具……道具全部に?家電は昨日聞いてたけど、カマも?オノも?全部?」
『全部とまではいかなくとも、殆どが魔力消費を前提に作られている。無論農具もな。人間界のカマで、あんなに一気に草を刈れるか?と監視者が言っています』
「刈れません…」
『そうだろう!便利な物にはそれなりに対価が必要だ。魔界ではそれが魔力であると言うだけの事。…そう、便利なだけなのだ、本来ならば…と監視者があなたを悲しげに見詰めています』
血の気が引いてきた。
まさか、ここまで魔力が必要な世界とは。
じわじわと危機感が募る。
「…俺の魔力は5歳児以下とか言ってませんでした?クワ一回振っただけで、あんななるのに日常的に魔力を使うとか無理ゲーでは…」
『先程のはカマを複数回使った後だったから、クワがトドメになっただけだろう。今後は様子を見つつ使っていくしかあるまい。と監視者が溜息を吐いています』
俺は右手を開いて見下ろす。
血管が見える程に青白く、手相すら薄くて見え難いデカいだけのガリガリの掌。
「………結局」
低い声が、勝手に溢れる。
「ここでもポンコツかよ」
キラキラと優しい陽光が、今は俺を余計に暗くする。
5歳児にも満たない魔力で、魔力を当たり前とする生活が出来るとは思えない。
ましてや、牧場経営など。
ピロン
『弱音を吐くな!!!と、監視者が怒りの余りタオルを投げました』
ウィンドウがあまりにもデカくて、トゲトゲしたフォルムになり驚いた。変幻自在過ぎるだろ。
驚いたせいで、思考も止まった。
『確かに今はポンコツだ!!お前は思う以上に弱っている!!私ですら見誤ったくらいだ!!それについては謝罪する!!だが力が戻ればカマやクワくらい好きに振り回せるようになるだろう!!と監視者が騒いでいます』
凄まじい勢いを感じ、俺は自分の目がまん丸になったことが分かる。
『己を信じろ!!お前はハーフとは言え魔神の血を継ぐのだぞ!!それでも自分を信じられないと言うのなら体に流れる血を信じろ!!と監視者が拳を机に叩きつけました』
だんだんウィンドウが赤くなって来た。熱くなってると言うことか?それとも本気で怒ってるのか。
「お、おう、信じる。信じます」
本当に力が戻るのかとか、戻ったところであまり変わらないかもしれないとか、ネガティヴが過ぎったが、今の監視者には言えなかった。
それに、何となく『血を信じろ』は、心に響いた。
過ったのは溌剌とした母と、豪快な祖父と、優しい祖母。そしてハーレーに乗った時に見た、アビスの後ろ姿だ。
『その調子だ!血を信じ、己を信じ、空気をよく吸い、よく食べ、よく寝ろ!と監視者が壊れた机について均衡者に叱られながら言っています』
勢い余って机を破壊したらしい。しかも新たに出て来た均衡者と言う人物に怒られている。まあ、多分神様の1人だろう。三柱と言っていたから、最後の1人。
俺は色々と慌ただしい雰囲気に笑ってしまった。
笑うと、ふっと気持ちが軽くなった。
「……そうですね、とりあえず俺が出来る事を精一杯やります」
『よく言った!!見守っていてやるからしっかりやるんだ!一先ず畑の続きをやれ!ノックノックの甘露で力は戻っているだろう!私は少し離れるが、すぐに戻る!と監視者が引き摺られながら言っています』
青一色に戻ったウィンドウが本当に何かに引き摺られるように小さくなっていく。
そしてピロンと音が鳴った。
『監視者がログアウトしました』
随分とシステムチックな表示だ。本当にこの世界の仕組みが分からない。ウィンドウはすぐに消えた。
完全に1人になったのだと、何となく感じた。
手を開き、今度は太陽に透かすように掲げた。血管が見える。先程よりはっきりと。グッと拳を強く握った。
皮膚の下に流れる血を、掴むように。
「…………うん、頑張ろ」
軍手を嵌め直し、クワを握り直す。
先程草を刈った部分に向かって振り下ろす。問題なく、鍬平が土に刺さった。───ボコッと沸騰した水が溢れるように土が盛り上がった。
鍬平の刺さった場所から20センチ四方がふわふわの土に一瞬で変わった。
成程、鋤く必要などない。
この楽さの代償に魔力がいるのは納得がいく。
魔力が先天的に決まるのか、後天的に鍛えられるのか、そもそも自分が今どの程度持っているのかも分からないが、確かな事がひとつ。
「……魔力ゲーか、ここ」
どれだけ豊富な魔力を持っているかで今後の生活が大いに変わる。力が戻ると言うのなら、是非ともよくある転生チート主人公レベルの魔力をくれと願いながら、俺はもう一振りだけ畑を耕した。
硬かった土に食い込む鍬平。柄を通して伝わる、一瞬で柔らかくほぐれた感触。じわりと感じる腕の怠みが、魔力消費の証だろうか。
倒れなかった事に安堵し、俺はしゃがみ込む。土を触った。ふわりと土の匂いが鼻をくすぐる。
なんだか嬉しくなってしまう。
ここには、じゃがいもを植える予定だ。




