1 未遂
俺の人生は、このポンコツな体に産まれた時点で詰んでいた。
神威雷牙、25歳、フリーター。
小学生の頃のあだ名はライガイコツ、中学になったらイコツになった。名前の方を取られてしまい、恐らく卒業アルバムで初めて本名を知った者も多かっただろう。
高校に入ったら、仰々しいこの名前のせいで、厨二病とシンプルな悪口へと変化した。骸骨も遺骨も十分に悪口なのだろうが、左程気にならなかったのだ。
事実、俺の外見は骸骨のようだから。
食べる事は好きなのだが食が細く、食べても肉にならない。いや、栄養にならない。おかげで筋肉はもちろん、脂肪もない。骨と皮だけの体で、目は窪み唇は常に青紫だ。
なのに身長だけは異様に伸びて、20を超えても成長が止まらず、今や192センチと言う日本人ではなかなか見ない大台に乗っている。
職質は最早日常茶飯事。就職は悉く失敗。友人らしい友人もおらず、肉体同様の細々とした金銭で暮らしている。
─────チーン
小さな仏壇の前で正座し、おりんを鳴らして手を合わせる。
「母上様、俺は多分、人間向いてない。近い将来、そっちに行くと思います」
遺影の中で笑う母親に向かって断言する日々。
母は美人だ。マザコン発言ではなく、自他共に認める美人なのだ。
そう、自他共に、だ。
『ライちゃん、私が死んだら遺影はこれにしてね』
俺が高校に上がってから、年に一度はベストショットをわざわざ印刷して渡してくるような母親だった。我が母ながら、変な人だった。
今思えば、早死にする予感でもあったのだろうか。
俺が19の時、母は死んだ。難しい名前の病死だ。まだ44だった。祖父母も既に亡くなっていたし、親戚も知らないし、父親は居ないし、俺は1人で役所や葬儀屋を駆け回り、小さな葬式をあげるので精一杯だった。
涙が出たのは四十九日が終わった後だ。
遺影の中の母は、最期に見た母とは似ても似つかない。
病気になって急速に痩せ細ったからだ。入院中、鏡を見た母は笑いながら言った。
『やだ、雷牙ってば私に似てたんだね』
今まで似てないと思ってたんかい。と突っ込んではみたものの、俺も似てないと思っていたから異論はない。
だからちょっと驚いた。本当に痩せた母と俺は似ていた。
肉がつけば、俺もそれなりの顔になるのかもしれない。
「うーん……どうかな。あんま期待しない方が良さそう」
俺のスマホの中の母の画像を見ていた男が、目を隠す俺の前髪を撫で付けるように掻き上げ、視線を合わせて半笑いで言った。セフレのケイだ。マチアプで出会った大学生の彼は、若々しい可愛い顔を悪戯っぽく歪めて笑う。
「………夢を見るのは自由だろ」
ケイの手からスマホを奪い取る。彼の方が体は小さいのに、俺の方が手は薄い。骨がぼこぼこと浮いていて、本当に骸骨のような手だ。
その手を掴んでくる彼の手。
「冗談だよ、ライ君。そうだよな、肉さえつけばかなり良い感じになると思うよ」
手を引きながら、甘えたような軽口で気休めを言う。
蛇のように擦り寄ってくる腕に誘われるまま、ベッドに潜り込んだ。
「でもさ、かっこよくなくても俺は気にしないよ」
ケイの両手が俺の髪を掴んだ。ボリュームのある癖毛が掴みやすいのか、よく掴まれる。
可愛いことを言ってくれるが、心にはまるで響かない。
ケイは恍惚と頬を染めながら、名の通りに軽薄そうな笑みを浮かべて言った。
「うめーから」
こんなもんだ。俺の人間関係。友人はいないのにセフレだけは途切れない。
それで萎えたのではないが、俺の体力に限界が来て2ラウンド目は中途半端に終わった。
「萎えるー」と言いながら俺の部屋から出て行く背中を手を振って見送る。
みんな大体萎えて帰るが、呼べば来るし、誘いも来る。
だからあんまり不満はない。
ヘッドボードに置いたスマホを取る。俺の顔で開いたら、母と目が合った。画像を閉じていなかったのか。急激に気まずい。手にスマホを挟んで天井に祈る。
「お母様、俺が男と会った時は頼むから見守らないで下さい。出来ればもうどっかに輪廻転生して、幸せになっててくれ」
部屋の隅に置いている母の遺影がある仏壇には、男を入れる時は必ず段ボールを被せている。
結局、ゲイである事をカミングアウトする事も出来なかった。
守護霊になってから息子がゲイだと知ったと思うと申し訳ない気持ちになる。
俺は勝手に居た堪れなくなり、逃げるようにベッドから降りた。夜食でも買いにコンビニに行こう。
軽い気持ちとは裏腹に、体は重く怠い。セックスの疲労すら俺の体には大敵だ。悲し過ぎる生態。
のろのろとシャワーを浴び、湯当たりを起こして1時間ほど廊下で横になってから、服を着替え、ようやく外に出た。
春の夜は予想より寒い。
うっかりすると風邪を引く。
俺は気を引き締めてコンビニへと向かう。
途中の角を曲がり、俺は「あ」と思わず呟いて引き返した。
この先にもコンビニはある。先月まで俺のバイト先だったコンビニだ。
無意識に馴染んだ道を選んでいたが、流石に辞めたばかりのバイト先に行くのは気まずい。
『仕事ぶりに問題はないんだけど、神威君が来てから変なクレームが増えてね…』
人の良さそうな店長が申し訳なさそうに言って来た。
深夜帯にいれば幽霊と間違われて、日中に入れば店が陰気臭いと言われ、品出しをしていれば向かいの棚から悲鳴が上がる(急に頭が出て来るから)
俺が働き出してからと言うもの、客足が遠のいたと店長が裏で嘆いていた事も知っている。
その上、体調不良で動けなくなる事まであるのだから、店長はかなり譲歩してくれていたと思う。
今までのバイトの中で最長記録を出せたのは、他でもなく店長のおかげだ。だから辞めた。
そんなバイト先にのこのこ顔は出せない。店長は俺の顔を見たら、また申し訳なさそうにするだろうし。
少し遠くはなるが別の所にあるコンビニへ行こう。
大きめの道路に差し掛かったが、人も車も少ない。横断歩道の信号が、丁度赤から青に変わった。
ライトが近付いてきているが車側は赤なのだから止まるだろうと、俺はいつも通りに遅い足取りで渡り出した。
────なのに、ライトの灯りは猛スピードで迫って来る。
止まる気配がない事に気付いた時にはもう遅い。強過ぎる逆光で車体は何かよく分からなかったが、大きい事だけは分かった。
心臓が止まる気がした。
同時に奇妙な期待感が込み上げた。
これでやっと、と。
そんな思考を掻っ攫う、空気を引き裂く重低音が鼓膜を叩く。
音を棚引く何かがトラック脇から飛び出して来た。
バイクだと認識するかしないかで、すれ違いざまに体が浮いて、大きく揺れた。恐らく片腕で抱き上げられたのだろう。引きずられたとも言える。
そのまま勢いよく路肩に投げられるように転がった。
アスファルトにぶつかる瞬間、身体が軽く浮いた気がしたが、何が起こったのかイマイチ分からない。
そして激しい急ブレーキの音。
目の前にあるバイクのタイヤが邪魔で良く見えないが、横断歩道を塞いで止まっていたのは、大型トラックだった。
俺は今、トラックに轢かれかけ、バイクに助けられたのだと理解した。
理解したのに、喜びも感謝も湧かなかった。
それよりも先に、生きている事を残念に思ったのだ。
そんな自分に吐き気がする。
だけど、どうしても願ってしまう。
「…………あのままトラックで轢かれてたら、転生したかもな…」
終われないのなら、どこか別の世界に行きたい。そっちならもっと上手くやれるんじゃないか。そんな思いが口に出た。
俺はいつもこんな事ばかり考えている。轢かれたら転生ではなく、普通に昇天するに決まっているのに。
やっぱり俺は、夢を見過ぎだろうか。
ああ、体中がズキズキと痛む。まだまだ生きろと言われてるようでうんざりする。
「おい、大丈夫か兄ちゃん。正気か?」
上からの声にハッとする。
「あ、す、すみません。ありがとうございます…」
ようやく礼を口に出来た。しかし、変な独り言を聞かれたかもしれないと恥ずかしくなり、早くこの場を立ち去りたくて慌てて立ち上がろうとしたが、急激な動きに体がついて来れず、眩暈がして再び地面に手をついた。
その時、路肩に投げられた割には怪我がない事に気付いた。
普通でも擦り傷裂傷青痣コースだと思うのだが、俺の場合は骨折するくらいが標準だから不思議だ。
自分の身体に集中している俺を不思議に思ったのか、再びバイク乗りが声を掛けてきた。
「オイオイ、どっか悪いのかよ。って、あれ?お前よく見たら……」
大丈夫です、と言おうとして顔を上げると、ゴーグルを上に外したバイク乗りがマジマジと凝視してくる。どうにも心当たりを探るような目だった。
「…………何ですか?」
知り合いだったりするか?いや、絶対ない。
巨大なハーレーに乗った、ハーフキャップヘルメットにゴーグルをしたサンタのようなジジイだぞ。
髭が豊か過ぎる。しかもデカい。それも、俺よりも。
男は大した感情も乗せずに言った。
「お前、俺の息子じゃねぇか」
「は???」




