7~強欲魔女と紅蓮の魔女2
見上げるほど高く伸びる針葉樹の森。朝の光は木々の隙間を縫い、幾筋もの光線となって差し込む。露に濡れた枝葉がきらめき、小鳥のさえずりが近くから響く――実に穏やかで清々しい朝だった。
ここはジルコールの街からも近く、石も根も少ない歩きやすい森。魔物も少なく、澄んだ泉も湧いている。世界各地を渡り歩いてきたノーラにとって、この森は久々に住めると思える場所だった。
――背後から響く、フレアリスの喚き声さえなければ。
せっかくの朝の静寂は、彼女の甲高い声で台無しだった。ノーラは内心舌打ちしながらも歩を進める。市場の鐘が鳴れば、書籍商で立ち読み、そして昼は市場で食べるつもりだったのに。フレアリスはどこまでついてくる気なのか。
枯葉を踏みしめる自分の足音。その一拍遅れて聞こえていたフレアリスの足音が、ふいに止まった。諦めたか――そう思い、ノーラが何気なく振り返った瞬間。
「……フフ、フフフフフ……フフフフ」
含み笑い。手で顔を覆い、うつむいて不気味に笑うフレアリスの姿。ノーラは背筋に冷たいものが走るのを覚えた。笑い終えた彼女が、憎悪を貼りつけた表情で鋭く見据えてくる。
「……いい度胸ですわね。私をこうまで無視するなんて。フフ……最近久しくいなかった。私、高貴な家柄ですけど気は長くありませんの。舐められると……神経が……無性に苛立つ!」
朝露に濡れた光景を裂くように、フレアリスは腕を振り上げる。魔法陣が浮かび、手のひら大の火球がノーラに向かって放たれた。速度は鈍い。ノーラは余裕をもって身を翻し、火球は彼女の髪を揺らして通り抜ける。枝葉が焦げ、煙がかすかに上がる。
(……無詠唱。けん制、それとも警告? 激情家の割に小技で様子見とは……冷静さは残ってるみたいね)
無詠唱は威力と精度を落とす代わりに即時発動できる。
火遊び程度の魔法――そう判断し、ノーラは挑発めいた笑みを返した。
「で、次は? 火遊びで野兎でも丸焼きにするつもり?」
「ええ、人間を骨まで焼き尽くすくらい朝飯前ですわ!」
フレアリスが高らかに詠唱する。
「迎え火よ、汝の虚飾、焼き払え!――試しの魔火!」
瞬間、彼女の指先から細糸のような炎が幾筋も走った。
赤橙の光線は生き物のように空気を縫い、蜘蛛の巣のごとく広がっていく。
ノーラは身を低くして後ろへ跳ぶ。枝葉が焦げ、火の粉がはぜる。だが炎の糸は誘導されるように軌道を変え、蛍火の群れのようにしつこく追いすがる。
(ッ――誘導型……! 範囲が広い、避けきれない……!)
ノーラは無詠唱で《ウォーターボール》を連射。
いくつかを打ち消すが全ては消せず、白炎が弾けて水蒸気が一帯を覆った。
煙の向こうで扇子を広げたフレアリスが、冷ややかに告げる。
「ふぅ……スカっとしましたわ。本気など全然出していないのに、これでジルコールで1~2位と呼ばれる魔女? 笑わせますわね」
水蒸気の帳が晴れると、そこにノーラがいた。氷盾で魔火を防ぎ切った姿で。
「なら、早々に本気を出すことね。油断すると死ぬわよ」
「なっ……!」
ノーラの余裕にフレアリスは歯噛みする。苛立ちと焦燥が混ざった瞳。ノーラは逆に冷ややかに観察を続ける。
(火・爆・誘導・精密……ルーンを四つ同時に制御か。派手好きに見えて、相当な手練れね)
「そうそう今の反応。庶民染みてるリアクションで少し可愛かったわ」
「……生意気ですわね。人を食ったその態度、私を怒らせ気を反らせる作戦なんでしょう? けどね火に油を注いでるだけってお分かり? なら、ご希望どおり本気で焼きつくしてあげますわ!」
「それはいいけど……足元は見えてる?」
ハッとして、足元を確認するフレアリス。
ノーラの足元から、粘り気のある冷たい水銀状の液体が広がり、
フレアリスの足元を、絡め取るようにまとわりついていた。
「これは……!? いつの間に……!?」
フレアリスは一歩引こうとするが、粘着性の液に足を取られ、動きが鈍くなる。
魔火が命中する距離を保てず、弾道が逸れた。
「水銀の罠話に夢中で気づかない方が悪いの。これ、戦闘の基本だから」
「……水魔法の一種か」
「そう私ほぼ水魔法専門なの。水魔法は元素魔法の中でも一番弱い、世間ではそんな印象だけど千変万化こそ水魔法の神髄。使い方次第で如何様にも化けるのよ」
フレアリスは足元に向かって勢い良く手をかざす。
ボンっと小気味良い爆発音。
粘り気のある水銀状の液体が蒸発し、フレアリスは火傷しそうな熱波を浴びるが実に平然としていた。
「……思ったよりやるようですね。でも、まだ私の実力はこんなもんじゃない――って顔してるように見えますわね。それは余裕?」
ノーラはその問いに答えない。
「加減などするようでは私には勝てなくてよ。ルクレール家は代々、火の魔法を修練し知と技術を受け継いで来た高貴なる一族。有象無象の魔女ごときに遅れはとらなくよ! さあ来なさい本気で!」
「ふぅ……いいわ。ならこっちも、全力を見せてあげる」
思えばフレアリスが最初にノーラの噂を聞いたのは、ギルドのパーティーに頭を下げ勧誘され、冒険者として活動し始めた頃。冒険者として片手間で行動しながら、商人として活動する同い年の魔女。盗賊に襲われた馬車を一人で救った話。その洞察、その計算。一連のその行動は実に鮮やかだった。救助後にはしっかり撃退料まで要求する強欲っぷり。
冒険者でもないのに名声を得ていくノーラに、フレアリスは内心嫉妬していた。そして、どんな魔女なのか興味があった。
だが金稼ぎに奮闘してる魔女が自分より、名家にして火の魔法に特化した自分より才能が上ということはない。そんな思いを胸中に隠しながら、フレアリスは再度魔法を放った。
「……私の方が、魔女としての資質に優れているはずですわ!」
次の瞬間、2人から放たれた火の奔流と水の奔流がぶつかり、白い水蒸気が爆ぜた。
その時、森の奥からばさばさと茂みをかき分ける音が響いた。
「ノーラさん! あ、あの……変な魔力を感じたんですけど、大丈夫ですか!?」
走り寄ってきたのはソルト。
必死で走ってきた様子だった。
「ちょっ……来ちゃダメ! 危ないって!」
ノーラが叫ぶと同時に、魔火のひとつがふらふらとソルトの方向へ飛んで――
「わっ!? あっつ!!」
ソルトの裾に火の粉が触れ、軽く焦げた。即座にノーラが水魔法で打ち消す。
火の粉が散った瞬間、ソルトの裾がじりっと焦げる。
「わっ!? あっつ!! わ、わ、燃えてる!?」
必死でバタバタするソルトに、ノーラはため息をつきながら水魔法をひと振り。
しゅうっと音を立てて煙が消えた。
「……まったく、何してるのよ」
腕を押さえたソルトは顔をしかめ、普段の温厚さからは想像できないほどの剣幕でフレアリスをにらむ。
「街の近くで! しかも森の中で火魔法!? 協会に報告しますからね!!」
「はぁ!? 火傷程度で大げさな……それにこれは立派な決闘で――」
「決闘!? 僕の腕が炙られてるんですけど!? アウト! 完全にアウトです!!」
「くっ……! ぐぬぬ……っ。決闘は……貴族のたしなみですのに……!」
フレアリスは悔しそうに唇を噛みしめ、扇子で顔を隠す。だが赤くなった耳まで隠せてはいなかった。
「……庶民のくせに、高貴なるわたくしに容赦なく説教するなんて……なんて無礼な」
「庶民とか関係ありません! 火事になったらどうするんですか!」
わーわー言い合う二人を横目に、ノーラは焚火の煙を追い払うように手をひらひらさせた。
「はいはい。もうやめ。朝っぱらからギルドに魔女同士の喧嘩と森火事未遂なんて報告が上がったら、私まで巻き添えになるんだから。……ほんと、面倒くさいわね」
ノーラの呆れ声が木々に吸い込まれ、緊張に満ちていた森はすっかり脱力した空気に包まれた。




