38~マスターの提案
翌朝――。
ジルコールの街の上空には、
薄い雲がまだらにかかり、柔らかい陽光が森の木々を斑に照らしていた。
アナグラの前では、ルチェアが薪を抱えてよろよろと歩いている。
その横を、ピョコマルが「ぴゃう」と鳴きながら小走りでついてきた。
「ルチェア、薪は一度に詰め込みすぎない。三回に分けて運んだ方が、トータルで早いわよ」
ノーラはアナグラの入口に腰かけ、小さな帳簿を広げたまま、さらりと忠告した。
「は、はい……!」
「ぴょ」
薪を半分地面におろしたルチェアは、息を整えながら苦笑した。
「ノーラさんって、なんでも効率で考えますよね」
「当たり前でしょ。黒パン一斤5コルよ? 無駄に体力と時間を削るのは、黒パンを捨ててるのと同じ」
「黒パン……」
ルチェアのお腹が、正直にきゅるると鳴った。
「じゃあ、まずは朝ご飯にしましょう。今日は贅沢に黒パン一斤を二人で山分けね。ピョコマルは……草をどうぞ」
「ぴゃう!?」
不満そうに鳴くピョコマルを横目で見つつ、ノーラはポーチから小さな巾着袋を取り出した。
中には昨日、ルチェアと一緒に買ってきた黒パンと、安い干し肉が少しだけ。
「黒パン5コル、干し肉100グラムで25コル。昨日の出費は合計30コル。
それに小型ロウソクを二本で10コル、火打ち石の替え布を20コル。――合計60コル」
帳簿にさらさらと数字を書き込んでいく。
「昨日も結構使っちゃいましたね……」
「生活費はちゃんと使うところには使う。
それができる人間だけが、お金を貯められるの」
「う……はい」
「で、今日は――ギルドに報告ついでに顔出し。ルチェアは後ろからついてきなさい。ピョコマルも」
「ぴゃっ」
小さな魔獣は、嬉しそうに尻尾をふりふりさせた。
ジルコール冒険者ギルド。
いつものがやがやとした喧騒――の、はずだった。
扉を押し開けた瞬間、ノーラは空気の違いをすぐに察した。
視線。
カウンター前の冒険者たち、依頼板の前でうろつく新人組、奥のテーブルで賭け事をしている連中――その何人かが、こちらをちらちらと見ると、耳打ちを交わし、すぐに視線を逸らしていく。
(……ふぅん。もうここまで回ってきたのね、噂)
ノーラは特に表情を変えず、受付カウンターへと向かった。
ルチェアはそんな空気に少し萎縮し、抱きかかえるピョコマルの首元にぎゅっとしがみついている。
「ノーラさん、おはようございます」
受付嬢のリザが、どこか含みのある笑みを浮かべて頭を下げた。
「おはよう。忘れ谷の報告書、追記があったらと思って来たんだけど――」
「その前に、ギルドマスターがお呼びです」
「……あら。朝から直行でお説教?」
「いえいえ、そういうわけでは。ただ、少し相談があるそうで」
リザはちらりとルチェアに視線を送り、続けた。
「ルチェアちゃんと、ピョコマルくんは、待合のイスで待っててもらえる? すぐ終わると思うから」
「は、はい……」
「ぴゃう」
ルチェアは不安そうにノーラを見上げる。
「大丈夫よ。何かあったら叫びなさい。ピョコマルが全力で鳴いてくれるわ」
「ぴゃっ!」
少し笑いがこぼれたところで、ノーラは奥の扉へと案内された。
ギルドマスター室。
壁には各地の地図と、冒険者ランク一覧。
机の上には酒と書類が雑然と並んでいる。
壮年の男――ギルドマスターのバルロが、顎髭を撫でながらノーラを迎えた。
「来たか、銀箱女」
「ノーラで結構。朝から仰々しいわね」
「こっちも好きで呼んでるわけじゃねえさ。座れ」
ノーラは素直に椅子に腰掛けた。
ガルドは一枚の紙を取り出し、机の上にぽんと置く。
「これが何か、分かるか」
そこには、簡潔な文と、商会印が三つ押されていた。
一つは、見覚えのある紋章。
――カーシェル商会。
この街でも勢いのある新興商会だ。
もう一つは、老舗のトーネル行商組合。
最後の印は、王都に本店を構える中規模商会のものだった。
「三件まとめて、ギル宛の相談だ。
『銀箱女エレアノーラが、極めて特異な魔石を所持している可能性がある。
その真偽を確認したく、ギルドを介して面会の場を設けたい』……とよ」
ノーラは、ふっと目を細めた。
「仕事が早いわね。まだ値踏みしてから、日も変わってないのに」
「ジルコールは商売の街だ。金貨30枚級の話なら、一晩で城壁ひと回り噂が回る」
「……三十枚は、誰にも言ってないはずだけど?」
「そういう数字は、勝手に膨らむもんさ。30がいつの間にか50になり、王都に届く頃には100になってる」
バルロは肩をすくめた。
「で――だ。ギルドとしては、お前が何を持ってようが勝手だ。
だが、ギルドの看板の前で、商会同士の取り合いだの強奪だのやられちゃ、たまらん」
「巻き込まれたくないってことね」
「正確には、ギルドの秩序を守るために最低限の口出しはするだな」
「提案がひとつある。もし本当にとんでもない品を持ってるなら――ギルド経由で保管と交渉をやらないか?」
「ギルド預かり?」
「ああ。保管料と仲介手数料は取るが、その代わり、ギルドの正式依頼として、商会との交渉に冒険者をつけられる。商会側と一対一でやりあうより、抑えにはなるだろう」
ノーラはしばし沈黙し、机の上の紙を指先で叩いた。
「魅力的な提案ね。表向きの安全装置としては」
「裏向きは?」
「ギルドにも情報が全部入る。私と三商会の関係も、丸見えになる。
将来、何かあった時、ギルドがどっち側につくか……その判断材料にもなる」
ガルドの口元がわずかに吊り上がる。
「さすがだな。やっぱりお前は、ただの魔女じゃねえ」
「お世辞はいいわ。で、ギルドとしては――どうしてほしいの?」
「正直に言う。お前が勝手にやるなら、それはそれで構わん。ギルドは中立だ。ただし、その場合、表で喧嘩が始まっても、ギルドとして守れる範囲は限られる」
「つまり、表で刺されて死んでも自己責任?」
「……だいたい、そうだな」
ノーラはくすりと笑った。
「了解。……答えは保留」
「ほう?」
「再生魔石は、今のところ使うかどうかも決めてない。 売るか、貸すか、隠すか、餌にして利用するか。手の内を見せるには――まだ情報が足りないのよ」
ノーラは椅子から立ち上がる。
「ただ、ギルドに一つ貸しを作るのは悪くない。今は保留だけど、もし本当に売る気になったら、あんたに最初に相談するわ」
「口約束は嫌いなんだがな」
「その代わり、今、私が何を持ってるかは聞かないで。
ギルドが知らないことは、守らなくてもいいことでしょ?」
バルロは大きく息を吐き、片手を上げた。
「……分かった。今んとこは、その程度で手打ちにしておく。
ただし、気をつけろよ。噂を完全に止めることはできない」
「それは、慣れてる」
ノーラは振り返らずに扉へ向かった。
「そうそう、もう一つ」
バルロの声に、ノーラは足を止める。
「今朝、ライバルパーティーがひとつ登録された。 別にお前を狙ってるってわけじゃないが……変な火種にならなきゃいいがな」
「……ふぅん。そのうち顔を見に行くわ」
ギルドのホールに戻ると、ルチェアとピョコマルが椅子の上で待っていた。
ルチェアは、周囲の視線が気になるのか、少し落ち着かない様子だ。
「お待たせ」
「ノーラさん、怒られてませんでした?」
「いいえ。ちょっとお金の話をしただけ」
「お金……」
ルチェアの表情が、ほんの少しだけ険しくなる。
忘れ谷の寒村で、金貨一枚がどんな意味を持ったか――それを思い出したのだろう。
ノーラは、わざと明るく話題を変える。
「さ、次は市場ね。今日は風の訓練よ、ルチェア」
「市場で訓練……?」
「人混みの中で、ピョコマルの耳をそっと撫でるくらいの風を起こす。書き取りしたルーン、覚えてるわね?」
「は、はい!」
「ぴゃう?」
ピョコマルはきょとんとした顔をした。
「もちろん、ピョコマルが嫌がるようなら即停止。
風の魔法はね、相手の嫌がるギリギリ手前を見極める訓練にもなるの」
「……それって、いつものノーラさんの交渉みたいですね」
「正解。魔法も交渉も、加減を間違えると、すぐ敵を作るのよ」
ギルドを出て、石畳の大通りへ。
露店の呼び込み、荷車の軋む音、焼き立てのパンの香りが混ざる。
「ルチェア」
「はい」
「まずは、ピョコマルの足元にそよ風を。指ルーン、三文字。――やってみせて」
ルチェアは深呼吸をして、指先で空中に小さなルーンをなぞり始めた。
ピョコマルは首をかしげて見上げる。
「……えっと、“流れ、軽さ、触れる……」
ささやかな風が、ピョコマルの足元をくすぐった。
「ぴゃ……ぴゃう!」
驚いてぴょんと跳ねるピョコマル。だがすぐに、楽しそうに尻尾を振り始めた。
「成功。……8点」
「8点!?」
「通行人の裾が少し揺れたの、見えたでしょう? あれが余計な魔力。風の魔法は、気付かれずに使えて初めて一人前」
「む、難しい……」
「大丈夫。難しいから価値があるの」
ノーラがそう言って微笑んだ時――。
通りの向こうで、誰かが小さく舌打ちする音がした。
カーシェル商会の紋章が刻まれた紺色の外套を羽織った男が、こちらを遠巻きに見ている。
ノーラは、その視線に気づいていないふりをしたまま、ルチェアに声をかける。
「さて、今日の買い物メモ。
ロウソク、塩、ランプ油少量。それから――情報を少々」
「情報は、どうやって買うんですか?」
「人の噂話は、たいてい酒かパンで口が軽くなるわ。今日は黒パンじゃなくて、白パンを一斤ね。15コル。投資としては、悪くない出費よ」
ルチェアは目を丸くした。
「白パンを、情報に……」
「そう。お金はただ貯めるんじゃなくて、増えるところに投げる。それができる人間だけが、本当に豊かになれるの」
ノーラは肩越しに一瞬だけカーシェルの男へ視線を送り、すぐに逸らした。
男の眉がわずかに動く。
(さあ――噂を聞きつけた連中。あなたたちは、どう動く?)
ジルコールの一日は、いつも通り賑やかに始まっている。
だがその裏では、銀箱女と再生魔石をめぐる、静かな駆け引きの幕が、確かに上がりつつあった。
閲覧いただきありがとうございます。




