37~伝播していく噂
ノーラは、アナグラの片隅で小さな木箱を開けた。
布にくるまれた石をそっと取り出す。
親指の先ほどの大きさ。
内部で、うっすらと緑金色の光が、呼吸するみたいに明滅している。
(――再生魔石。盗賊アジトの戦利品の中で、ひときわ異様だった子)
指先に、ごく薄く魔力の揺らぎが触れる。
傷を塞ぎ、壊れたものを「元に戻す」力を宿した、稀少な魔石。
後ろから、ルチェアがそっと覗き込んだ。
「それ……すごく、綺麗……」
「触っちゃダメ。これはね、普通の魔石とは桁が違う」
ノーラはきっぱりと言い、石を布で包み直した。
「今日はこれを――いくらで売れるかの実地調査に行ってくる」
「売っちゃうんですか?」
「まさか。今売るには惜しすぎるわ。
でも値段が分からない商品は、武器にも餌にもならない。
まずは相場を知らなきゃ、交渉の土俵にも上がれないのよ」
ルチェアは、何となく重さを感じて、小さくうなずいた。
「……わかりました。私、ピョコマルとお留守番してます」
「いい子。ピョコマルの魔力感覚も、たまには観察しときなさい」
「ぴゃう」
ノーラは再生魔石を掌サイズの木箱に入れ、その上からさらに布を巻いて腰のポーチにしまう。ローブの襟を立て、いつものように、気配を街の喧騒に溶かし込むようにしてアナグラを出た。
――ジルコール 商店街通り
午前の陽が斜めに差し込み、露店と常設店舗がぎっしり並ぶ大通り。
ノーラは人の流れを外から観察しながら、一軒の店の前で足を止めた。
木製の看板には「ベリオ雑貨・魔石買取」とある。
店構えは小さいが、魔石の目利きに関してはそこそこ信用できるとノーラは踏んでいる。
――大商会ではない。だからこそ、まずここで実験する価値があった。
(いきなり大物に持ち込むと、こっちの手札を全部晒すことになるからね)
鈴を鳴らして店に入ると、棚には安物の魔石や古い魔道具が並び、奥のカウンターには髭面の店主が座っていた。
「おや、あんたか。銀箱女さんじゃないか」
「こんにちは。今日は箱じゃなくて、中身の値踏みをお願いしたいの」
ノーラはにこりともせず、カウンターに小さな木箱をそっと置いた。
中身が何かを悟らせないよう、動作はあくまで自然に。
「なんだい……また拾い物か?
この前買い取った、銀細工ブローチはうちの儲けにもなったが」
「似たようなもんよ。ただし今回は、少し桁が違うかもしれないけど」
店主ベリオは鼻を鳴らし、木箱を開けた。
布をめくり、再生魔石が姿を現した瞬間――彼の目が細くなる。
「……ふうん」
無言で、ピンセットのような金具を取り出し、石を持ち上げる。
光にかざし、重量を指先で確かめ、魔力計測用の小さなルーン板にそっと乗せた。
青い線が、じわりと濃く浮き上がる。
「回復系……いや、再生に近い波だな。
外傷、構造物……対象は限定されていない、と。
なるほど、これは……」
ノーラは、ベリオの表情だけをじっと見ていた。
(目の色は変わった。けど、声は抑えてる。――経験値はある)
店主は石を布で包み直し、慎重に箱へ戻すと、低い声で言った。
「……これは、うちの店じゃ扱えない品だ」
「そう。じゃあ――もしあんたが、扱えるとしたらいくらをつける?」
ベリオはしばらく黙り込んだ。
カウンターの上で、指がとん、とんと一定のリズムを刻む。
「前提を置こう。
これは本物だ。魔力量、性質、傷の再現と修復の反応速度。
仮に、王都の医師団か、貴族の後ろ盾ありの魔術商会に持ち込まれたとする」
ノーラは頷く。
「普通の上級魔石――例えば、豊穣魔石グロウルビー級なら、サイズや質により銀貨50枚から100枚。だがこれは命の延長に関わる。貴族が喉から手を出す。……安全に取引できる場が確保できるなら――」
店主は、唇の端を引きつらせて笑った。
「金貨30枚までは、現実的に動くだろう。いや……買い手が殺到すれば手を挙げる度に金貨が10枚ずつ積みあがる。これは、それだけの代物だ」
ノーラの眉が、僅かに跳ね上がる。
(最低でもソル30枚……フロー換算で360フローってところね。さすが魔石の中でも最上級のレア魔石)
「ただし――」
ベリオは続けた。
「誰が持っているかが一番の問題だ。
銀箱女、あんたがこの石を持ってると知れたら……
買い手より先に、奪いに来る連中の方が早いかもしれない」
「それは、よく分かってるわ」
ノーラはさらりと言い、木箱を手元に引き寄せた。
「つまりあんたは――この石を、うちみたいな小さい店が扱うのは危ない、と。そういうことね」
「そうだ。
正直に言うが、今ここで買うなんて言ったら、俺の首が飛ぶ。
あんたの顔も売れてるし、俺のところにそんな金貨はない」
「ありがと。期待したより、ずっと大きい数字が聞けたわ」
ノーラは立ち上がり、軽く会釈をする。
「今日のところは、ただの市場調査ってことで」
「一つ忠告しておく。
その石は、あんまり人目のあるところで出すんじゃない。
……ジルコールは、耳の多い街だ」
「ええ。身に染みてる」
ノーラは店を後にした。
――が。
店の隅、帳簿棚の影では、見習いらしき青年が、じっと耳をそばだてていた。
先ほどの会話の断片が、頭の中で渦巻いている。
(金貨30……再生魔石……銀箱女……)
彼はごくりと喉を鳴らし、小走りで裏口から外に出る。
(親方は黙ってろって顔してたけど……こんな話、黙ってられないって!)
――商人宿 共有食堂
「なあ聞いたか? ベリオの店に今朝、銀箱女が来てたって」
「またゴミ拾いの鑑定だろ?」
「いや、それがよ。どうも――特別な魔石を持ち込んだらしい」
「特別?」
小商会の若い主が、酒杯を揺らしながら眉をひそめる。
「見習いの奴が言ってた。
親方の顔が真っ青になって、うちじゃ扱えないって突き返したってな。
値踏みだけして、金貨30枚は下らないって」
「金貨30!? バカ言え、王都の競りでもそんなの滅多に出ねぇぞ」
「だから再生魔石じゃないかって話さ。
ほら、昔、魔女狩りが終わってすぐの頃、王都で一度だけ噂になったろ?
領主の首をつなぎ止めたとかっていう――」
ざわ、と周囲の空気が揺れる。
「おいおい、再生だなんて教会連中が聞いたら、発狂しそうな代物じゃねぇか」
「それを銀箱女が持ってる……? 本当なら――」
「……教会に売るか、王都に売るか、それとも……」
ささやき声が、徐々に方向性を失って広がっていく。
その片隅で、「カーシェル」の紋章が刻まれた書類鞄を持つ商人が、静かに席を立った。
(銀箱女が、そこまでの物を握ってる……?
これは――放っておくには、少々もったいない話だな)
――冒険者ギルド 受付前
「おい、聞いたか? 銀箱女がまたやらかしたらしいぞ」
「今度は何だ、また銀箱でも拾ったのか」
「そうじゃねぇ。とんでもねぇ魔石を持ってるって話だ。
再生だとか、傷を一瞬で塞ぐだとか……」
「マジかよ。そりゃ、どんな無茶しても死なねぇってことか?」
「馬鹿言え。石は一個きりだ。
誰に使うかで、命の値打ちが試される。
――普通なら、貴族か王族のとこに並ぶシロモノだ」
カウンター越しに、受付嬢が眉をひそめる。
「そんな危ない噂、あんまり広めないでよ。
変な連中が集まってきたら、ギルドまで巻き込まれるじゃない」
「でもよ、俺たちみたいな下っ端には、せめて噂話くらいしか楽しみがねぇんだ」
「……あんたたちが余計なこと言うから、いつも面倒事が増えるのよ」
――路地裏の酒場
「銀箱女が、再生魔石を持っているらしい」
「へぇ。それはまた、そそられる話だな」
薄暗い席で、フードを深く被った影が、グラスの縁を指でなぞる。
「奪うなら、今のうちかもしれないな。
噂が王都まで届く前に、事故に見せかけて――」
「やめときな。
銀箱女の噂、あんたも聞いてんだろ。
銅貨のためなら魔物の巣にも首突っ込むが、命の危険はギリギリまで値切る女だ」
「値切る……?」
「ああ。命の値段も、ちゃんと計算してるってことさ。
そういう手合いは、追い詰めてからが厄介だぜ」
――アナグラ前の森
その頃、噂の渦中の本人は、いつものアナグラの入口に腰かけていた。
ルチェアが薪を運び、ピョコマルがその後をてとてとついていく。
「ノーラさん、ただいまです!」
「おかえり。ロウソクと黒パンと……塩ね。ちゃんと家計簿につけときなさい」
「はい!」
ルチェアが駆けていく背中を見送りながら、ノーラは空を仰いだ。
街の遠くから、微かに人々のざわめきが風に乗って届く。
(……早いわね。ベリオの顔を見た時点で、ある程度は覚悟してたけど)
再生魔石の入った木箱に、そっと触れる。
薄い布越しに、脈打つような魔力の感触が伝わってくる。
「噂ってのは、丁寧に扱えば宣伝になる。
けど、放っておくと火事になるのよね……」
ノーラは小さく笑い、肩をすくめた。
「――さあ、ジルコール。どこまで私の存在価値をつり上げてくれるかしら」
琥珀色の瞳が、いたずらっぽく細められる。
銀箱女が再生魔石を持っている――その噂は、
まだ静かな焚き火の火種に過ぎない。
だがやがて、それは三つの大商会、王都、教会、魔女同盟――
数多の思惑を巻きこむ、大きな炎へと燃え広がっていくのだった。
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