36~フレアリスの差し入れ
フレアリスがバスケットカゴにサンドイッチをぎゅうぎゅうに詰め込み、鼻歌まじりに森の小道を進んでいく。
ジルコールの街外れ。
針葉樹が並ぶ小さな丘の中腹――土を掘り、枝と石で補強した、ノーラのアナグラがぽつんと口を開けていた。
ギルドの宿舎とは別管理の、きちんとした一軒家に住むフレアリスからすると――アナグラ暮らしは、もはや物語に出てくる可哀そうな庶民そのものに見えてならない。
「……何度見ても、信じ難い光景ですわね……」
フレアリスは扇子で鼻先をあおぎながら、半ば呆れ、半ば興味津々といった顔で穴の入口を覗き込んだ。
中では、ノーラとルチェアが向かい合って座り、土の上に描かれたルーン文字を指でなぞっている。
「……風のルーンはここを少し長くね。そこだけ曲げちゃうと切るに近い意味になっちゃうから」
「は、はいっ……えっと……こう、ですか?」
ルチェアがおそるおそる指を動かす。
横で丸くなっていたピョコマルが、「ぴょ」と一声鳴いて、その線の上をちょこんと踏んだ。
「おお、ちゃんと風の気配が乗ってるじゃない。ピョコマルのお墨付きね」
「本当に分かってるんですか、それ……?」
「雰囲気よ、雰囲気」
そんな会話のところへ――
「おーっほっほっほ! 庶民の地下室に、高貴なるお客さまがご来訪ですわよ~!」
派手な笑い声とともに、金髪が穴の入口から差し込んだ。
アナグラの空気が、瞬間だけサロンみたいな空気になる。
「……ああ、今日の試練が来た」
「試練って何ですの!? まったく、朝から失礼にもほどがありますわ」
ノーラがわざとらしくため息をつくと、フレアリスはつかつかと中に入り、アナグラの内部を一望して目を細めた。
土の壁。
石と木で組んだ簡易の棚。
古い毛布と、修理した椅子が一脚。
帳簿と魔術書が詰め込まれたアンティーク缶。
奥には、ルチェア用にノーラが分け与えた小さな寝床。
「……やっぱり、何度見ても信じられませんわね。
住まいというより、避難壕とか隠し通路とか……」
「文句はあと。で、そのカゴは?」
ノーラが顎をしゃくると、フレアリスは待ってましたと言わんばかりに胸を張る。
「当然、わたくしのお手製のサンドイッチですわ!
高貴なる者は、たまには庶民にも慈善を施さなければなりませんの!」
「……慈善、ねぇ」
ルチェアの目がきらきらと輝いた。
「あ、サンドイッチ……! すごくいい匂い……!」
「ふふん、ありがたく思いなさいな、小さき祝福印の娘よ。
今日はわたくしが本物の味というものを教えて差し上げますわ」
バスケットを広げると、きちんと仕切られた中に色とりどりのサンドイッチが並んでいた。
ハーブ風味の卵サンド。
スモークチーズとハムのサンド。
少し甘めのキャロットラペとナッツのサンド。
そして、果物を挟んだデザートサンドまで。
「……相変わらず、変なところだけ妙に本気出すのよね、あんた」
「失礼ですわね。変なところではなくすべてが本気ですわ。
さ、座って。食べる前に、まず美しさを堪能しなさいな」
「食べ物は冷める前が最優先でしょ。はいルチェア、こっち座りなさい」
「は、はいっ!」
三人と一匹は、アナグラの中で小さな輪になって腰をおろした。
ピョコマルは当然のようにルチェアの膝に顎を乗せ、じぃっとサンドイッチを見つめている。
「では――いただきます、ですわ」
「いただきます」
「いただきます!」
一口かじったルチェアの目が、ぱぁっと見開かれた。
「おいしい……! やわらかい……。パン、ふわふわで……卵も、なんか、森で食べたのと全然違う……!」
「まあ、森で拾った卵と一緒にされても困りますわね」
フレアリスはどこか誇らしげに、でも少しだけ照れくさそうに微笑む。
「ルクレール家は、逃亡と隠れ住まいの歴史でしたからね。
馬車の中でも、船底でも、森の中でも、最低限の道具で最高の食事を作る――
そういう訓練は、嫌というほどさせられましたの」
「……それだけは、本当にありがたいわね。節約家として心から感謝する」
「今のは褒めてますのよね? ね?」
ノーラはパンの端をちぎりながら、ふとフレアリスの服装に目をやる。
高級な生地のブラウス。
繊細な刺繍の入ったベスト。
足には、旅用にしては明らかに上等すぎるブーツ。
「で、そんな上物の服を着てる人が、どうしてアナグラまでわざわざ?
高級一軒家暮らしからしたら、ここなんて耐えられないんじゃない?」
「確かに、床は土。天井は低い。壁は……触るとぽろぽろしてますし」
「余計な実況いらないから」
フレアリスはサンドイッチを一つ口に運び、もぐもぐと咀嚼してから、きりっとした顔つきで言った。
「ですが――ここは、鍛錬場としては悪くありませんわ」
「鍛錬場?」
「ええ。
魔女が身につけるべきは、魔力の制御、知識、そして環境への適応力。
わたくしの家は快適すぎて、気を抜くとすぐ怠惰に流れますもの。
こういうストイックな巣穴で過ごす時間も、案外悪くありませんわ」
「巣穴て言ったわよね今」
ルチェアがくすっと笑った。
「でも……なんか、分かるかも。
ここにいると、ちょっとだけ、怖いこと忘れられるんです。
ノーラさんもいるし、ピョコマルもいるし……」
ピョコマルが「ぴゃ」と返事をして、ルチェアの指をぺろりと舐める。
フレアリスはそれを見て、ふっと表情を和らげた。
「そうでしょうとも。本来ならば、わたくしの広い寝室と豪奢なベッドが、あなたの居場所にふさわしいのですけどね」
「えっ」
「冗談ですわよ。半分だけ」
「半分は本気なんだ……」
しばし、サンドイッチとおしゃべりの時間が続く。
やがて、バスケットがほぼ空になったころ、ノーラが帳簿を指でとんとんと叩いた。
「で。ここからが本題なんだけど」
「出ましたわね、商売人の顔」
ノーラはにやりと笑い、ルチェアの前に帳簿を開いて見せた。
「ルチェア。あんた、今日から正式にうちの弟子兼、共同生活者ってことでいい?」
「え……あ、はい! 私ちゃんと働きますから!」
「そう。それじゃあ――これは今月のアナグラ家計簿」
そこには、びっしりと細かい字が並んでいた。
パンと干し肉の代金。
ルーンバーの原材料費。
市場で買った古物の仕入れ値。
ギルド依頼の報酬。
そして、ノーラがたまに投資している魔石買い取りの記録。
「わぁ……こんなに、細かく……」
「生きるってことは、数字と一緒に歩くってことよ。
あんたの食費、灯り代、魔術教材費――全部、どこから出て、どこに消えるか。
それをちゃんと自分で見て、考えて、納得して、必要なら稼ぎを増やす。いい?」
「……はいっ」
フレアリスが頬杖をつきながら、半分面白がるように口を挟む。
「ふふ。出た、銀刻の値踏み姫の本分ですわね。
魔女である前に――商人としての教育」
「そっちも大事でしょ。
魔法だけ使えても、生活が破綻したら元も子もないし」
ノーラはさらさらと数字を書き込み、ルチェアにペンを渡した。
「じゃ、まずは今日の収支ね。フレアリスが持ってきたサンドイッチ――市場で同じクラスのを買うとしたら、一つ何コルくらいだと思う?」
「えっ、ええと……」
「材料原価と、労力と、あいつの変な矜持をセットで計算して」
「変なは余計ですわ!」
ルチェアが真剣に考え始める。
フレアリスはむくれながらも、なんだか楽しそうにそれを眺めていた。
アナグラの中に、土の匂いと、パンの残り香と、笑い声が混ざり合う。
貴族の屋敷とも。
ギルドの宿舎とも。
忘れ谷の寒村とも違う――
ジルコールの片隅の、小さな穴ぐらの中で。
ノーラたちの日常が、少しずつ形を持ち始めていた。
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