32~知ってる魔獣
午前のジルコールは、いつも以上に騒がしかった。
市場の一角――家畜市を兼ねた広場には、馬や羊、山羊に似た魔獣たちが杭につながれ、鳴き声と藁の匂いが入り混じっている。
ルチェアはノーラの後ろを歩きながら、きょろきょろと周囲を見渡していた。
「すごい……村の牛小屋なんかと、比べ物にならない……」
「見てるだけだと楽しいけど、値札を見ると現実よ。ほら、あの働き馬なんて、銀貨30フロー」
「よ、30……!」
ルチェアの目がまん丸になる。
「銀貨30枚あったら、小さい村一つの冬越し食料が買えます……」
「そういう計算できるようになったのは偉いけど、
それを口に出すと値切りの時に顔に出るから気をつけてね」
ノーラはさらりと言いながら、手近な羊の毛並みをつまんで確かめた。
羊は嫌がるどころか、喉を鳴らすように目を細めてノーラの指に身を寄せる。
「ルチェア、あんたも触ってみなさい。毛並みと体温で健康状態くらいは分かるようになっておくといい」
「はい」
ルチェアがそっと手を伸ばすと、羊はおとなしく頭を差し出した。
鼻先をくんくんと動かし、ルチェアの指先をくすぐる。
「……ふふ、くすぐったい……」
「へぇ。やっぱりあんた、動物に好かれるわね」
ノーラが感心したように目を細めた、その時だった。
「おい、そこの嬢ちゃん! そっちには近づくんじゃねぇ!」
がなり声に振り向くと、家畜小屋の隅で一頭の魔獣がもがいていた。
鹿のように細くしなやかな脚。
猫のようにふさふさとした柔らかい毛並み。
顔つきは小鹿に近いが、目がどこか人懐っこく、耳はぴんと立ってよく動いている。
背中の毛は少し長めで、丸く縮れた毛束がふわふわと盛り上がっていた。
体格は猫より少し大きく、鹿より一回り小さい――ちょうどルチェアの腰あたりまでの高さ。
その魔獣は太い縄で杭につながれているにもかかわらず、身を捻っては地面にごろんと転がり、ときどき「ぴゃうー!」「ぴょ、ぴょぴょっ」と、妙に愛嬌のある鳴き声を上げながら杭を揺らしていた。
「あれは……?」
「さあ、 見たことないタイプね。角があるけど、あの鳴き方はたぶん草食系ね」
ノーラが目を細めて観察していると、
近くの家畜商が苦々しい顔でこちらにやってきた。
「お嬢さん方、あいつに興味はねぇだろ?
売り物にはしてるが、正直持て余しててな」
「持て余す?」
「辺境の谷の寒村の近くでうろついてた変な魔獣でよ。
人懐っこいから捕まえるのは楽だったんだが……群れも仲間もいねぇし、使い道がよく分からねぇ。
鳴き声はうるせぇし、たまに突然走り回るしで、他の家畜が落ち着かねぇんだ」
確かに、魔獣の周囲の馬や山羊は、落ち着かない様子で耳を動かしていた。
だが当の本人――いや、本獣の方はというと、縄を噛んでは「ぴゃん」と跳ね、
人間の方を見つけると、期待するように尻尾をふりふりしている。
「……ストレスで暴れてるって感じじゃないわね。
退屈して遊び相手探してるだけ、って顔よ、あれ」
ノーラが肩をすくめた時、ルチェアが一歩前に出た。
「近づいても……いいですか?」
「ダメだ。噛みつきはしねぇが、跳びつかれると転ぶぞ。
お前さん、細いし」
商人が即座に制したが、ノーラはちらりとルチェアを見てから口を開く。
「ルチェア。触る前に、やることがあるでしょ?」
「あっ……」
ルチェアは慌ててポーチを探り、小さな乾燥草を取り出した。
「村で、羊や牛が落ち着かないときに嗅がせていた草です。
少しは気分が落ち着くかもしれません」
「……なるほど。やってみなさい。危なくなったら私が水壁張るから」
ノーラの許可を得て、商人も渋々と黙り込む。
ルチェアは、ゆっくりと魔獣の前まで歩み寄った。
近づくにつれ、ふわっと乾いた草と獣毛の匂いが混ざった、どこか懐かしい匂いがする。
「ぴゃう?」
「大丈夫、大丈夫だよ……。怖くないからね」
ルチェアはしゃがみ込み、目線の高さを合わせた。
手のひらを見せるように広げ、やわらかく笑う。
「知らない場所ばっかりで、疲れちゃったよね。
知らない人も多いし、うるさいし……」
魔獣の鼻先が、そっとルチェアの手のひらに触れる。
ルチェアはその上に乾燥草を一枚そっと載せた。
「これ、村の牛さんたちにも人気だったんだ。
ちょっとだけ、楽になるかも」
魔獣は一瞬だけ躊躇うように鼻を鳴らし――ぺろりと草を舐め取った。
しばらくすると、さっきまでそわそわしていた体から、少しずつ力が抜けていく。
ふさふさの尻尾がゆっくりと揺れ、耳もやや下がった。
「……ぴゃ」
さっきまでの騒がしい鳴き声ではなく、小さなひと鳴き。
魔獣はルチェアの膝に頭をずい、と押し付けてきた。
「よしよし……いい子だね……」
ルチェアは優しくその頭を撫でた。
毛並みは驚くほど柔らかく、指の間を通るたびに、懐かしいような温もりが伝わってくる。
「……おいおい、本当に落ち着きやがった……」
商人がぽかんと口を開け、ノーラは「やれやれ」といった顔で肩をすくめる。
「動物に好かれるってレベルじゃないわね、これ」
しばらくルチェアに甘えたあと、魔獣はゆっくりと立ち上がり、
今度はノーラの方へと、ちょこちょこ歩いていった。
灰色の瞳と、つぶらな瞳が正面からぶつかる。
「……なに? 私にまで甘えたって、タダでは面倒見ないわよ?」
「ぴょ?」
魔獣は首をかしげ、次の瞬間、ノーラの腰の小袋に鼻先を近づけた。
小袋の中には、昨夜の残りのルーンバー穀物を固めた保存食が入っている。
「ちょ、やめ――」
ポリッ。
「……」
ポリポリポリッ。
目の前で、ノーラの非常食が音を立てて消えていった。
「……今、私の一週間分の保存食が、ただで消えた気がするんだけど」
「ぴゃう~♪」
魔獣は尻尾を大きく振り、まるで「おいしかった」と言わんばかりにノーラの腰に頭を押し付けてきた。
「……ノーラさん、その、怒ってます?」
「損失を計算してるだけよ」
ノーラは額を押さえながら、商人の方に向き直る。
「そこのご主人」
「は、はい?」
「この子、いくらで売るつもりだったの?」
「いやあ……正直、買い手がつかなくてな。
辺境の谷の寒村のあたりでふらついてたから捕まえたんだが、
群れからはぐれたのか、一匹きりでよ。
荷物運びに向いてるわけでもなし、肉にするのも怖いしで――
このままなら、そのうち屠殺して……って話も出ててな」
「……屠殺……」
ルチェアの顔から血の気が引く。
魔獣は、ルチェアの動揺を感じ取ったように、再びぴとっと彼女の腕に頬を寄せた。
「じゃあこうしましょう」
ノーラはさっと指を折った。
「ここ数日の餌代と手間賃として、銀貨2フロー。
それでこの子をこっちに譲ってくれない?」
「に、2フロー!? 安すぎる!」
「じゃあ逆に聞くけど――」
ノーラは淡々と言葉を重ねる。
「このまま屠殺したとして、正体不明の魔獣肉に、どれだけの買い手がつくの?
あんた、自分で食べて安全だって証明するつもり?」
「う……」
「辺境の谷から連れてきたってことは、干ばつ気味の土地よね。
そこで草だけ食べて生きてたってことは、燃費は悪くない。
人懐っこくて、暴れてもこの程度――荷台の見張りや、旅のマスコットに仕立てる価値はあるわ」
「……だがよ」
「餌代は、これからもずっとかかる。
屠殺するにしても、今までの餌代は戻らない。
私たちに2フローで売れば、今までかけた分だけは多少回収できる」
商人はしばらく頭をがしがしとかき、深々とため息をついた。
「……クソ。ああ、分かったよ。2フローで持ってってくれ。
正体不明の魔獣を長々飼うほど、こっちも余裕はねぇ」
「話が早くて助かるわ」
ノーラは素早く財布から銀貨を2枚出し、商人の手に渡した。
「――というわけで、今日からあんたはうちの経費ね」
ノーラが魔獣の額を軽く小突くと、魔獣は「ぴゃん!」と嬉しそうに鳴き、ルチェアのところへぴょん、と跳ねて戻ってきた。
「ノーラさん、本当にいいんですか? 銀貨2枚も……」
「未来の護衛代&荷物運び代込みの投資よ。
それに――」
ノーラはちらりとルチェアと魔獣を見た。
「動物に好かれる子どもと、不思議な魔獣。
その組み合わせは、商売的にも悪くないわ。看板にもできる」
「看板……?」
「その内、自分の商会を立ち上げるつもりなの。
その時に獣も人も懐く店ってね。
ほら、行くわよ。ルチェア、首紐の持ち方教えるから」
「はいっ!」
ルチェアは目を輝かせ、魔獣の首元の縄をそっと握った。
「ピョコマル」
「え?」
「この子の名前です。
村の外の丘に、よく似た子がいて……
ぴょんぴょん跳ねて、丸くなって寝てたから、ピョコマル」
ルチェアは、少し遠くを見るような目をした。
「……前にも、会ったことがある気がするんです。
あの谷で。ずっと昔に」
「ふーん……」
ノーラは、その言葉を心にとどめるように小さく相づちを打った。
「まあいいわ。名前がついたなら――」
「ピョコマル殿、ですわね」
いつの間にか、後ろから覗き込んでいたフレアリスが、微妙な顔で呟く。
「高貴さは皆無ですけれど、覚えやすさという一点においては及第点。
……よろしいですわ。わたくしが特別に、呼びやすいから認めて差し上げます」
「じゃ、決まりね。
――ようこそ、ピョコマル。今日からあんたも、うちの資産よ」
「ぴゃう!」
ピョコマルは尻尾を大きく振り、三人と一頭は人混みの中へと歩き出した。
ジルコールの喧騒の中で、
新しい日常と、かつて谷にいた小さな「友達」との再会が、静かに動き始めていた。
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