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強欲魔女の経済学~銀刻交易連合記~  作者: 彩栗ナオ
経済短編~ジルコール市見聞録2
32/39

32~知ってる魔獣



 午前のジルコールは、いつも以上に騒がしかった。


 市場の一角――家畜市を兼ねた広場には、馬や羊、山羊に似た魔獣たちが杭につながれ、鳴き声と藁の匂いが入り混じっている。

 ルチェアはノーラの後ろを歩きながら、きょろきょろと周囲を見渡していた。


「すごい……村の牛小屋なんかと、比べ物にならない……」


「見てるだけだと楽しいけど、値札を見ると現実よ。ほら、あの働き馬なんて、銀貨30フロー」


「よ、30……!」


 ルチェアの目がまん丸になる。


「銀貨30枚あったら、小さい村一つの冬越し食料が買えます……」


「そういう計算できるようになったのは偉いけど、

 それを口に出すと値切りの時に顔に出るから気をつけてね」


 ノーラはさらりと言いながら、手近な羊の毛並みをつまんで確かめた。

 羊は嫌がるどころか、喉を鳴らすように目を細めてノーラの指に身を寄せる。


「ルチェア、あんたも触ってみなさい。毛並みと体温で健康状態くらいは分かるようになっておくといい」


「はい」


 ルチェアがそっと手を伸ばすと、羊はおとなしく頭を差し出した。

 鼻先をくんくんと動かし、ルチェアの指先をくすぐる。


「……ふふ、くすぐったい……」


「へぇ。やっぱりあんた、動物に好かれるわね」


 ノーラが感心したように目を細めた、その時だった。


「おい、そこの嬢ちゃん! そっちには近づくんじゃねぇ!」


 がなり声に振り向くと、家畜小屋の隅で一頭の魔獣がもがいていた。


 鹿のように細くしなやかな脚。

 猫のようにふさふさとした柔らかい毛並み。

 顔つきは小鹿に近いが、目がどこか人懐っこく、耳はぴんと立ってよく動いている。


 背中の毛は少し長めで、丸く縮れた毛束がふわふわと盛り上がっていた。

 体格は猫より少し大きく、鹿より一回り小さい――ちょうどルチェアの腰あたりまでの高さ。


 その魔獣は太い縄で杭につながれているにもかかわらず、身を捻っては地面にごろんと転がり、ときどき「ぴゃうー!」「ぴょ、ぴょぴょっ」と、妙に愛嬌のある鳴き声を上げながら杭を揺らしていた。


「あれは……?」


「さあ、 見たことないタイプね。角があるけど、あの鳴き方はたぶん草食系ね」


 ノーラが目を細めて観察していると、

近くの家畜商が苦々しい顔でこちらにやってきた。


「お嬢さん方、あいつに興味はねぇだろ? 

売り物にはしてるが、正直持て余しててな」


「持て余す?」


「辺境の谷の寒村の近くでうろついてた変な魔獣でよ。

 人懐っこいから捕まえるのは楽だったんだが……群れも仲間もいねぇし、使い道がよく分からねぇ。

 鳴き声はうるせぇし、たまに突然走り回るしで、他の家畜が落ち着かねぇんだ」


 確かに、魔獣の周囲の馬や山羊は、落ち着かない様子で耳を動かしていた。

 だが当の本人――いや、本獣の方はというと、縄を噛んでは「ぴゃん」と跳ね、

 人間の方を見つけると、期待するように尻尾をふりふりしている。


「……ストレスで暴れてるって感じじゃないわね。

 退屈して遊び相手探してるだけ、って顔よ、あれ」


 ノーラが肩をすくめた時、ルチェアが一歩前に出た。


「近づいても……いいですか?」


「ダメだ。噛みつきはしねぇが、跳びつかれると転ぶぞ。

 お前さん、細いし」


 商人が即座に制したが、ノーラはちらりとルチェアを見てから口を開く。


「ルチェア。触る前に、やることがあるでしょ?」


「あっ……」


 ルチェアは慌ててポーチを探り、小さな乾燥草を取り出した。


「村で、羊や牛が落ち着かないときに嗅がせていた草です。

 少しは気分が落ち着くかもしれません」


「……なるほど。やってみなさい。危なくなったら私が水壁張るから」


 ノーラの許可を得て、商人も渋々と黙り込む。


 ルチェアは、ゆっくりと魔獣の前まで歩み寄った。

 近づくにつれ、ふわっと乾いた草と獣毛の匂いが混ざった、どこか懐かしい匂いがする。


「ぴゃう?」


「大丈夫、大丈夫だよ……。怖くないからね」


 ルチェアはしゃがみ込み、目線の高さを合わせた。

 手のひらを見せるように広げ、やわらかく笑う。


「知らない場所ばっかりで、疲れちゃったよね。

 知らない人も多いし、うるさいし……」


 魔獣の鼻先が、そっとルチェアの手のひらに触れる。

 ルチェアはその上に乾燥草を一枚そっと載せた。


「これ、村の牛さんたちにも人気だったんだ。

 ちょっとだけ、楽になるかも」


 魔獣は一瞬だけ躊躇うように鼻を鳴らし――ぺろりと草を舐め取った。


 しばらくすると、さっきまでそわそわしていた体から、少しずつ力が抜けていく。

 ふさふさの尻尾がゆっくりと揺れ、耳もやや下がった。


「……ぴゃ」


 さっきまでの騒がしい鳴き声ではなく、小さなひと鳴き。

 魔獣はルチェアの膝に頭をずい、と押し付けてきた。


「よしよし……いい子だね……」


 ルチェアは優しくその頭を撫でた。

 毛並みは驚くほど柔らかく、指の間を通るたびに、懐かしいような温もりが伝わってくる。


「……おいおい、本当に落ち着きやがった……」


 商人がぽかんと口を開け、ノーラは「やれやれ」といった顔で肩をすくめる。


「動物に好かれるってレベルじゃないわね、これ」


 しばらくルチェアに甘えたあと、魔獣はゆっくりと立ち上がり、

 今度はノーラの方へと、ちょこちょこ歩いていった。


 灰色の瞳と、つぶらな瞳が正面からぶつかる。


「……なに? 私にまで甘えたって、タダでは面倒見ないわよ?」


「ぴょ?」


 魔獣は首をかしげ、次の瞬間、ノーラの腰の小袋に鼻先を近づけた。

 小袋の中には、昨夜の残りのルーンバー穀物を固めた保存食が入っている。


「ちょ、やめ――」


 ポリッ。


「……」


 ポリポリポリッ。


 目の前で、ノーラの非常食が音を立てて消えていった。


「……今、私の一週間分の保存食が、ただで消えた気がするんだけど」


「ぴゃう~♪」


 魔獣は尻尾を大きく振り、まるで「おいしかった」と言わんばかりにノーラの腰に頭を押し付けてきた。


「……ノーラさん、その、怒ってます?」


「損失を計算してるだけよ」


 ノーラは額を押さえながら、商人の方に向き直る。


「そこのご主人」


「は、はい?」


「この子、いくらで売るつもりだったの?」


「いやあ……正直、買い手がつかなくてな。

 辺境の谷の寒村のあたりでふらついてたから捕まえたんだが、

 群れからはぐれたのか、一匹きりでよ。

 荷物運びに向いてるわけでもなし、肉にするのも怖いしで――

 このままなら、そのうち屠殺して……って話も出ててな」


「……屠殺……」


 ルチェアの顔から血の気が引く。

 魔獣は、ルチェアの動揺を感じ取ったように、再びぴとっと彼女の腕に頬を寄せた。


「じゃあこうしましょう」


 ノーラはさっと指を折った。


「ここ数日の餌代と手間賃として、銀貨2フロー。

 それでこの子をこっちに譲ってくれない?」


「に、2フロー!? 安すぎる!」


「じゃあ逆に聞くけど――」


 ノーラは淡々と言葉を重ねる。


「このまま屠殺したとして、正体不明の魔獣肉に、どれだけの買い手がつくの?

 あんた、自分で食べて安全だって証明するつもり?」


「う……」


「辺境の谷から連れてきたってことは、干ばつ気味の土地よね。

 そこで草だけ食べて生きてたってことは、燃費は悪くない。

 人懐っこくて、暴れてもこの程度――荷台の見張りや、旅のマスコットに仕立てる価値はあるわ」


「……だがよ」


「餌代は、これからもずっとかかる。

 屠殺するにしても、今までの餌代は戻らない。

 私たちに2フローで売れば、今までかけた分だけは多少回収できる」


 商人はしばらく頭をがしがしとかき、深々とため息をついた。


「……クソ。ああ、分かったよ。2フローで持ってってくれ。

 正体不明の魔獣を長々飼うほど、こっちも余裕はねぇ」


「話が早くて助かるわ」


 ノーラは素早く財布から銀貨を2枚出し、商人の手に渡した。


「――というわけで、今日からあんたはうちの経費ね」


 ノーラが魔獣の額を軽く小突くと、魔獣は「ぴゃん!」と嬉しそうに鳴き、ルチェアのところへぴょん、と跳ねて戻ってきた。


「ノーラさん、本当にいいんですか? 銀貨2枚も……」


「未来の護衛代&荷物運び代込みの投資よ。

 それに――」


 ノーラはちらりとルチェアと魔獣を見た。


「動物に好かれる子どもと、不思議な魔獣。

 その組み合わせは、商売的にも悪くないわ。看板にもできる」


「看板……?」


「その内、自分の商会を立ち上げるつもりなの。

 その時に獣も人も懐く店ってね。

 ほら、行くわよ。ルチェア、首紐の持ち方教えるから」


「はいっ!」


 ルチェアは目を輝かせ、魔獣の首元の縄をそっと握った。


「ピョコマル」


「え?」


「この子の名前です。

 村の外の丘に、よく似た子がいて……

 ぴょんぴょん跳ねて、丸くなって寝てたから、ピョコマル」


 ルチェアは、少し遠くを見るような目をした。


「……前にも、会ったことがある気がするんです。

 あの谷で。ずっと昔に」


「ふーん……」


 ノーラは、その言葉を心にとどめるように小さく相づちを打った。


「まあいいわ。名前がついたなら――」


「ピョコマル殿、ですわね」


 いつの間にか、後ろから覗き込んでいたフレアリスが、微妙な顔で呟く。


「高貴さは皆無ですけれど、覚えやすさという一点においては及第点。

 ……よろしいですわ。わたくしが特別に、呼びやすいから認めて差し上げます」


「じゃ、決まりね。

 ――ようこそ、ピョコマル。今日からあんたも、うちの資産よ」


「ぴゃう!」


 ピョコマルは尻尾を大きく振り、三人と一頭は人混みの中へと歩き出した。


 ジルコールの喧騒の中で、

 新しい日常と、かつて谷にいた小さな「友達」との再会が、静かに動き始めていた。

閲覧いただきありがとうございます。

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