29~忘れ谷の後始末
谷間の夜明けは、ひどく静かだった。
盗賊のアジトから連れ帰った荷車には、縛り上げられた盗賊たちと、奪われていた穀物袋、家畜用の干し草、そして金品の詰まった木箱が積まれている。
その一番後ろ――麻袋にくるまれた小さな木箱の中には、
赤い光を宿した魔石がひっそりと眠っていた。
(再生魔石……これは、これは人前でする話じゃない)
ノーラは意識的に視線を逸らし、村の門へと顔を上げた。
忘れ谷の寒村。
昨夜見た時よりも、朝靄の中の村は一層くすんで見える。外柵の丸太は腐りかけ、家々の屋根には藁の継ぎ接ぎが目立っていた。
荷車の音に気づき、村人たちが広場へと集まってくる。
肩を寄せ合う年寄り、土埃まみれの子どもたち。彼らの視線は、荷台の盗賊たちと、その隣を歩くルチェアへと釘付けになった。
「……戻ってきた、のか」
誰かがぽつりと呟いた。
それが、ルチェアを指しているのか、盗賊を指しているのかは分からない。
広場の奥から、村長と例の貴族風の男――この村に越してきた雇い主が現れる。
二人とも顔色は悪く、だが取り繕うように背筋を伸ばして歩いてくる。
「お、お前たち……その有様は……」
村長は縛られた盗賊を見て、あからさまに顔を引きつらせた。
隣の男は、逆に目を細めて状況を値踏みしている。
「討伐は完了しました。ご安心を」
ジンジャーが淡々と告げる。
肩には包帯が巻かれ、ミントが施した簡易回復術の光がまだわずかに残っていた。
「依頼どおり盗賊の被害原因の調査と対処は完了。……ついでに、ここから売られる予定だった女の子も回収しました」
ノーラはルチェアの肩に軽く手を置き、村長を見据える。
「ねぇ、村長さん。説明してくれる?」
その声音は静かだったが、広場にいる誰もが、そこに漂う冷たさを感じ取った。
「そ、それは……だな……」
村長の額に汗が滲む。貴族風の男が一歩前へ出て、代わりに口を開いた。
「勘違いしてもらっては困る。これは契約だ。
この村は度重なる不作で貧しく、税も重い。そこを私が立て替え、仕事を斡旋してやっていた。その対価として娘を預かる――紙の上では雇用契約だが、行き先が少々荒事に近いことは、互いに承知の上だ」
男は肩をすくめ、あたかも当然のことを言っているように微笑む。
「盗賊のアジトと繋がっていたのは、あくまで向こう。私は仕事を紹介しただけだ。
……まぁ、貴女方が盗賊を片付けてくれたなら、むしろ感謝すべき立場かもしれないな」
「よく回る口ですわね」
フレアリスが、扇子をぱん、と鳴らした。
「少々荒事などと耳障りのいい言葉で誤魔化してますけど、この村から子どもを売っていた事実は変わりませんわ。高貴を騙るには、いささか下衆が過ぎると思いませんこと?」
ざわ、と村人たちがざわめいた。
「子どもを売る」
「盗賊」
――それらの単語に、ようやく点が線になった人間も多いのだろう。
ノーラはカバンから、洞窟で見つけた帳簿と契約書の束を取り出した。
「盗賊のアジトから、こういうものが出てきたわ。
忘れ谷村より、健康な女子一名――引き渡し済。支払い金額、金貨1枚。仲介手数料として銀貨2枚……」
ノーラはさらりと読み上げ、視線を貴族男へと向ける。
「仲介手数料の欄に、あなたの印がある。
あと、ルチェアの売買契約書もね。村長名義で」
村長の肩がびくりと震えた。
貴族男は一瞬だけ目を細めたが、すぐに笑みを貼りつけ直す。
「それがどうした? 貧しい村が生き延びるためによくある話だ。
彼女一人を売れば、何人もの子どもが冬を越せる。その判断を、外野が裁けるのかね?」
広場の空気が重く沈む。
誰かが震える声で呟いた。「本当に……売るつもりだったのか?」
ルチェアが、ぎゅっとノーラの袖を掴んだ。
指先が、小さく震えている。
「……いいわ。感情論は後」
ノーラは息を吐き、いつもの調子で言葉を並べた。
「まず事実の整理から。
一つ、この村の名で、人身売買に相当する契約が結ばれていたこと。
二つ、その引き渡し先は盗賊団と結託した裏仕事だったこと。
三つ、依頼を受けた私たちは、盗賊団を討伐し、証拠と被害者を保護したこと」
淡々と、しかし一言一言を村人の耳に刻み込むように言う。
「ギルドの規約上、これは重大な違法斡旋と人身売買に該当する。
報告はギルド経由で王都にも上がるわ。あなたがどう言い繕おうと、帳簿と契約書のコピーがあれば十分」
貴族男の顔から、さすがに笑みが消えた。
「……っ、冒険者風情が――」
「それでもね」
ノーラは一歩だけ彼に近づき、声を落とした。
「ここで全部ぶちまけて、村を丸ごと焼き直しにするのが、一番正しいとは限らないのよ」
村人たちが、はっと顔を上げる。
「この村が今どれだけギリギリで生きてるかは、昨日の宿屋と、倉庫の中身で十分分かったわ。盗賊に穀物を抜かれ、税も重く、冬を越せるかどうか――そんな場所で、いきなり村長を逮捕して、外から兵をどかどか送り込めばどうなると思う?」
沈黙。
ミントが横目でノーラを見る。
(やり方だけ見れば、ノーラはかなり冷たい。けど——)
ノーラは、縛られた盗賊たちを見やる。
「だから、折衷案を出すわ」
ノーラは帳簿をぱさりと開き、貴族男と村長に見せる。
「まず――ルチェアの売買契約は、不履行として破棄。
彼女を買った金貨1枚分は、盗賊から取り返した金品と、あなたがせっせと貯めていた隠し金庫から立て替える。利息も含めてね」
「な――っ!」
貴族男が顔色を変えた。
ノーラは洞窟戦利品の木箱をコン、と足先で叩く。
「盗賊の保管庫にあった金貨と宝飾品、あれ全部出所不明ってのは通らないわよ。
ギルドへの報告では、村への被害返還と罰金として徴収って扱いにする。
あなたに残るのは、最低限の路銀だけ。ここから先は、別の土地で真っ当に稼ぎなさい」
フレアリスが扇子で口元を隠しながら、くすりと笑う。
「処刑ではなく国外追放――いえ、村外追放、というところですわね。
高貴なる私にしては甘すぎる判決ですが……ノーラの情けに感謝することですわ」
「ふ、ふざけるな! こんな辺境の村一つのために、わた——」
「……黙りなさい」
普段は小声の多いミントが、珍しくきっぱりと言い切った。
三白眼に冷たい光が宿る。
「これ以上、ルチェアの前で言い訳したら、私、本気で殴るからね」
貴族男はその目を見て、思わず言葉を詰まらせる。
ジンジャーが小さく苦笑した。
「次に、村長」
ノーラの視線が、今度は村長に向く。
「あなたの名義で結ばれた契約は、全部ギルドに情報を送る。
事情はあったが、犯罪行為に署名したという事実は消せないわ」
村長は歯を噛みしめ、膝を震わせた。
「だが、今すぐ縄をかけて連行する気はない。
盗賊の被害からの立て直しと、冬支度を整える責任は、まだあなたにやってもらう」
ノーラは村人たちをぐるりと見回した。
「盗賊から取り返した穀物と家畜、道具の一部は、この村に置いていく。
代わりに、村として今後一切人身売買に関わらないって誓約書を書いて。
破ったら――次は本当に、村ごと裁かれることになるわ」
誰も、反論しなかった。
雨でしみ込んだ地面に、村長が膝をつき、小さく頭を下げる。
「……分かった。誓おう。
ルチェアも、その……今後はこの村の責任として……」
「いいえ」
そこでノーラがぴしゃりと言葉を切った。
「ルチェアは、私が預かる」
広場の空気が、再びざわめいた。
「は、預かるって……!」
「身売りじゃないわよ。私の助手見習いとしてね。
魔術と読み書き、計算と、旅のやりくり。全部叩き込んでやる。
その上で、彼女自身がどこで生きていくかを選べるようにする」
ノーラはルチェアの肩から手を離し、本人に問いかけた。
「ルチェア。あんたはどうしたい?」
ルチェアは一瞬、村の方を振り返る。
冷たい雨の日、石打ちされそうになった土間。
売られる話を聞いた夜の、母代わりの女の人の泣き顔。
そして、あの洞窟で、震える自分の手を取ってくれたノーラたちの姿。
しばらく唇をかみしめていたが、やがて小さく言った。
「……行きたい。ノーラさんたちと、一緒に行きたいです」
その声は、か細いけれど、はっきりしていた。
村長は目を閉じ、深く、深く息を吐いた。
何人かの村人が、申し訳なさそうに、そしてどこかほっとしたような顔でルチェアを見つめていた。
「……分かった。 行きなさい。……ルチェア。いつか、本当に胸を張って帰ってこられるようになったら、その時は……」
最後の言葉は、雨音とざわめきに紛れて聞こえなかった。
「じゃ、そういうことで」
ノーラは帳簿をまとめ、フレアリスに目配せをする。
「盗賊と貴族風のこの人間は、ギルドの支部まで護送する。
村との取り決めは文書にして、ジンジャーたちに証人署名してもらうわ」
「了解。面倒な仕事ばかり押しつけるね」
「これでも依頼料の交渉、ギルドで上げといてあげるから我慢しなさい」
ソルトが苦笑し、ミントはため息をつく。
「また書類仕事……でも、まぁ、こういう後処理しないと全部台無しなんだよね」
「そういうこと」
ノーラは頷き、最後に一度だけ村全体を見渡した。
「――この谷が、本当に忘れられたままになるかどうかは、これから次第よ。
せめて、次に来た時に、誰も売られてない村であることを祈ってる」
そう言い残し、ノーラたちは荷車を引き、広場を後にした。
ルチェアは一度だけ立ち止まり、振り返る。
藁屋根の家々、雨で黒ずんだ土、繋がれたままの痩せた牛。
それでも、あの寒い夜に比べれば――ほんの少しだけ、世界が広がった気がした。
(ここが、全部じゃない)
彼女は両手で荷物の紐を握り直し、ノーラたちの後を追った。
忘れ谷の寒村の朝は、重い雲の下で、静かに幕を閉じた。
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