24~祝福印の少女ルチェア
ずんぐりとした中年男――
村の誰よりも上等な上衣を着たその男は、ノーラの声に振り返った。
旅装の男も同じくこちらを見る。昨夜、水の耳越しに聞いた、あのねっとりとした声の主だとノーラは確信した。
「……ギルド、だと?」
村長らしき男の眉がぴくりと動く。
ソルトが胸元からギルド認証札を取り出し、掲げて見せた。
「冒険者協会ジルコール支部所属、ソルト=シオです。
こちらは臨時協力のノーラさんたち。――砕石魔石採掘場の事故調査の件で」
旅装の男は一瞬だけ目を細め、すぐににこりと作り物めいた笑顔を浮かべた。
「おやおや、これはこれは。こんな辺鄙な谷まで、わざわざご苦労さまです。
私は谷の資源管理を任されております者でしてね」
ノーラの視線が、男の指輪に吸い寄せられる。金の細工に、砕けた石を模した紋章。ソラリア王国の正規貴族ではない。けれど、地方領主か、それに準じる商家の印章だ。
フレアリスが一歩前に出た。
扇子を優雅に広げ、すっと顎を上げる。
「ご挨拶が遅れましたわ。
わたくしは、フレアリス=ヴァン=ルクレール。
この地方で、ささやかながら冒険者としても活動してますの」
男の目がわずかに揺れた。
ルクレールの姓は、没落したとはいえ、貴族の間ではまだ記憶に新しい。
「これはこれは……古き名家の末裔殿ともあろう方が、こんな湿っぽい谷になど。
いえ、失礼。――本日はあくまで、砕石魔石の件だけを」
「そうですわね」
フレアリスの視線が、じり、と男の手から少女へ移る。
「砕石魔石の事故調査。それがギルドからの依頼。
ですが――」
扇子の先が、すっと少女の印を指した。
「祝福印付きの少女の、夜明け前の移送は、依頼内容に含まれていましたかしら?」
空気が、ぐっと冷えた。
村長の顔色が、目に見えて変わる。
「こ、これはだな……谷の負債の整理で――」
「砕石魔石の採掘に関する債務整理、ですわね?」
ノーラがさらりと口を挟む。
村長の言葉が喉で止まる。
「ギルドに上がっている報告では、砕石作業中の事故負傷者多数採掘効率の急落までは共有されてます。けれど――祝福印持ちの少女を、一人まるごと支払いに充てます”なんて一文は、どこを探しても見当たりませんでしたけど?」
旅装の男は、なおも笑顔を崩さなかった。
「それはつまり、ギルドへの報告が不十分だった、ということに他なりませんな。
しかしご安心を。契約書はすべて合法です。――ねぇ、村長さん?」
村長は、脂汗を浮かべながら乱暴に頷いた。
「あ、ああ。村の総意だ。砕石魔石が取れなくなりゃ、村は干上がる。
そこで、谷の外の御方が特別な子一人で借金を帳消しにしてやると……!」
「特別な子一人、ね」
ミントが低く呟く。
その声には、いつになく冷たい棘があった。
「じゃ、その他の子どもたちは、普通だから売れないってこと?」
「そ、そんなつもりじゃ――!」
村長が青ざめて手を振る。
少女はうつむいたまま、指先だけが震えていた。
ノーラはひとつ息を吐き、あえて軽い調子で口を開いた。
「――法の話をしようか」
旅装の男の目が、ぴくりと細まる。
「この谷はソラリア王国領。未成年の祝福印保有者を、出自と詳細な契約条項の記録なしに外部へ移送するのは……人身取引の疑いありと見なされる」
「ほう?」
「それだけなら、ただの疑い。でも、ギルドの調査隊の目の前でそれを強行したとなれば――」
ノーラはにっこり笑って肩を竦めた。
「報告書ひとつで、ここは危険地区の指定を受ける。
砕石魔石の取引は全面凍結、周辺の商人も出入りを控える。……谷ごと、経済的に死ぬわ」
村長の顔から、血の気がサッと引いた。
「ま、待ってくれ! そいつは困る! この村は、ただでさえ――」
「それは困りますねぇ」
旅装の男が、ようやく笑顔をわずかに薄くした。
「ですが、お嬢さん。あなたはギルドの受付官でも、王国の判事でもない。
あくまで冒険者。少々、話を盛りすぎではありませんかな?」
「盛ってないわよ?」
ノーラは即答した。
「ギルドの調査隊には、現地状況を判断の上、必要とあれば危険通告を出す裁量が与えられている。
私はまだ正式な隊員じゃないけど、こっちの彼は違う」
ソルトがびくりとしながらも、一歩前へ出て認証札を掲げる。
「ぼ、ぼくたちは、ギルドから正式に依頼を受けてます。
ここで見たことは、すべて支部に報告しなきゃいけないんです」
「報告するかどうか決めるのは義務”で、どう書くかは裁量よね」
ノーラがさらりと続ける。
「だから――いま、この場で少女を連れていくのをやめるなら、
私は報告書の文言を少し柔らかくしてあげる。たとえば、砕石魔石採掘場にて安全管理に不備あり。改善を要すとかね」
旅装の男の笑みが、一瞬だけ完全に消えた。
「つまり、お嬢さんは……ギルドの権威をちらつかせて、私の商いを邪魔するというわけだ」
「邪魔、というのは少し違うわね」
ノーラは首を傾げた。
「危うい橋から引き返すチャンスを提示してるだけよ。
ここで無理を通しても、得をするのは最初だけ。――最終的に損をするのは、あんたとこの村、どっちもよ」
沈黙が流れた。
フレアリスが扇子をぱちんと閉じ、男を睨み据える。
「それに――高貴なるわたくしの美的感覚から見ても、今の取引は醜いですわ。
祝福印は、未来への贈り物。それを鎖にするような真似、見逃せませんわね」
ジンジャーが一歩前に出る。
その目は静かだが、獣じみた圧があった。
「悪いが、今この場で無理にでもその子を連れて行こうっていうなら――
こっちは、護衛としてギルド依頼を遂行する」
ミントも、ため息混じりに付け加える。
「治療は仕事。でも、誰かを壊すための取引は、仕事じゃない」
旅装の男は、しばし全員の顔を見回した。
やがて――ふっと肩の力を抜くと、わざとらしい大げさなため息をついて見せる。
「まったく……これだから、善良な方々は」
彼は少女の肩から手を離した。
「分かりましたよ。今回は、あなた方の顔に免じて、取引を延期しましょう。
ただし――」
目だけが、氷のように冷たくノーラを射抜く。
「この子の価値が消える前に。
谷の借金が、さらに膨らむ前に。――必ず、誰かが支払いを求めに来る」
ノーラは、挑発に乗らずただ笑ってみせた。
「その時は、もっとマシな売り方を考えなさいな。
人の価値を一括で売り払うのは、素人のやることよ」
「……あいにく、私は素人ではないんですがね」
旅装の男は帽子のつばを少しだけ持ち上げ、形式だけの一礼をした。
「それでは諸君。砕石魔石の調査、頑張ってください。
谷の資源は、扱い方ひとつで宝にも呪いにもなりますからね」
そう言い残し、男は馬車の御者台に跳び乗った。
馬車はゆっくりと向きを変え、村の外れへと走り去っていく。
残されたのは、村長と、少女と、濡れた地面だけだった。
「……っくそ、あの野郎……!」
男の姿が完全に見えなくなった瞬間、村長が足元の石を蹴り飛ばした。
その顔には、怒りとも後悔ともつかない歪みが浮かんでいる。
「ギルドの連中なんぞ、来やがって……!
こっちは村を守るためにやってんだ! 谷の外の連中は、何も分かっちゃいねぇ!」
「分からせてくださいな」
ノーラはあくまで穏やかに言った。
「砕石魔石の事故、負傷者、失踪した若い労働者。
そして、祝福印の子を売ろうとした理由。――全部、話してもらわないと」
「話して……どうなる。助けてくれるのか? 金でもくれるのか?」
「金は出せないわ。金を出すのは、いつだって利害のある誰か。
でも、村に利する契約と村を食い物にする契約の見分けくらいは、つけてあげられる」
ノーラの声は、どこまでも現実的だった。
「それに――」
彼女の視線が、少女へと向く。
「その子の話も、ちゃんと聞きたい」
少女はびくりと肩を震わせた。
だが、ゆっくりと顔を上げる。瞳は、思ったよりも強かった。
「……あたしは、どっちでもよかった。
ここにいても、谷の外に行っても、どうせ働かされるなら同じだと思ったから」
その声は掠れているが、芯があった。
「でも、あの人が言ってた。お前だけだ。お前だけがこの村を救えるって。
だから――」
「だから、売られることを受け入れた?」
ノーラの問いに、少女はゆっくりとうなずいた。
「……でもね」
ソルトが、そっと少女の前に出る。
「お前だけが救えるって言葉、ぼくは嫌いです。
それって、お前が全部背負えって意味でもあるから」
少女はきょとんとした表情をした。
ソルトは苦笑する。
「ぼくたちは調査隊だけど、ただの他人でもあります。
でも――勝手に通りすがって、勝手に見過ごして、あとは好きにしてって去るのは、もっと嫌です」
「……じゃあ、どうするの?」
少女の問いに、ソルトは一瞬言葉に詰まり、困ったようにノーラを見る。
ノーラは肩を竦めた。
「選択肢を増やす。
――それが、商人と魔女と冒険者の、できることよ」
彼女は少女に手を差し出した。
「名前は?」
「……ルチェア。ルチェア=フィロス」
「ルチェア。いい名前ね。光の子、って感じ」
ノーラは小さく笑った。
「ルチェア。今すぐ谷を出る必要はない。
けど、このまま黙って村に置いておくのも危ない。あの男、きっとまた来るから」
ルチェアの指先がぎゅっと握りしめられる。
「だから――暫定的に、ギルドの保護対象にならない?」
ルチェアだけでなく、村長も目を見開いた。
「ほ、保護対象?」
「ええ。砕石魔石事故の“生き証人であり、祝福印保有者。
ギルドの調査に同行し、必要な証言と協力をする代わりに――少なくとも、調査が終わるまでは、誰も勝手に売買できなくなる」
ノーラはさらりと言う。
「ギルドの報告書に、ルチェア=フィロスを保護対象とし、調査隊同行とするって一文を書くだけでいい。その代わり、彼女には危険もある。砕石場にも一緒に行くかもしれないし、村長やあの貴族と直接話してもらうこともある」
「それは……この子を危ねぇ場所に連れていくってことじゃねぇか?」
村長が唾を飲む。
「もともと、この子を危険な売買に差し出すつもりだったのは誰だっけ?」
ミントが、容赦なく刺した。村長は言葉を失う。
ルチェアはしばらく沈黙し、それからぽつりと呟いた。
「……あたしに、選ばせてくれるの?」
「当然でしょ」
ノーラはあっさりと返した。
「嫌なら断っていい。
ただ、何もしないで箱に入るよりは、何かを見て、選んでから決める方が、あたしは好き」
ルチェアはじっとノーラの顔を見た。
あの灰のローブ、琥珀の瞳――その奥に、どこか自分と同じ売りに出されかけた日々の匂いを感じる。
「……行く。 あたし、行く。箱に入れられる前に、この谷で何が起こってるか、自分で見たい」
ノーラはにやりと笑った。
「交渉成立ね。ようこそ、ルチェア。
臨時――見習い協力者さん」
フレアリスがふふんと鼻を鳴らす。
「わたくしの配下候補が増えましたわね。
よろしい、ルチェア。ルクレール式の貴族教育と礼儀作法、そして革命……いえ、高貴の回復論を――」
「まずは荷物の軽量化からね」
ノーラがぴしゃりと遮る。
「調査は明日から本格的に砕石場。今日はギルド報告と、村の聞き込み。
――ルチェア、余計な荷物は持たなくていい。必要なのは、目と耳と、印だけ」
「うん」
ルチェアは小さく頷いた。
その右手の祝福印が、朝の淡い光を受けて微かに輝いたように見えた。
忘れ谷の空は、まだ重い雲に覆われている。
だが、その雲のどこかには、必ず光の筋がある――と、誰かが信じていなければ、世界はとうの昔に折れていた。
強欲の魔女と、ポンコツ高貴魔女と、ギルドの三人。
そして、一人の祝福印の少女。
――忘れ谷の寒村を巡る、砕石魔石と三商会の騒乱は、まだ静かに動き出したばかりだった。
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