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強欲魔女の経済学~銀刻交易連合記~  作者: 彩栗ナオ
忘れ谷と祝福印の少女
20/38

20~良くない噂


 ジルコールの街を出て半日。

 

街道はしだいに細くなり、畑と牧草地はいつの間にか姿を消し、代わりに低い潅木と岩肌ばかりが目につくようになっていた。

 

空は晴れているのに、谷の方からは冷たい風が吹き上げてくる。ジルコールよりわずかに高地になるだけで、肌に刺さる空気は一段と鋭かった。


「さむ……風、冷たくなってきましたね」

 ソルトが肩をすくめ、マントの前をかき合わせる。


「これで寒いなんて、軟弱ですわね」

 フレアリスはそう言って胸を張る。


 豪奢なマントの裾をひらりと翻し、頬にあたる風をむしろ楽しむように目を細めた。


「高地の風は、貴族育ちのたしなみですのよ。冬の別荘での狩猟会、雪原の舞踏会――」

「……そんなもん、どこの世界に実在するのよ」


 ノーラは呆れ気味に言いながらも、灰色のローブの襟元をきゅっと閉めた。

 彼女の足取りは相変わらず軽い。荷物も他の面々より少ない。


「しかし、道が狭くなってきたな」

 前を歩くジンジャーが、慎重に足場を確かめながらつぶやいた。

 街道はやがて、片側が切り立った崖、もう片側が低い谷になっている細道へと変わる。


「忘れ谷っていうくらいだからね。『人が忘れた場所』って意味合いもあるんだろうし」

 ノーラは谷底を覗き込みながら、なだらかな斜面と小川の筋を確かめた。


「人が忘れるってことは、税も監視も、ちょっと緩むってこと。……その代わり、何かあった時に真っ先に切り捨てられる場所でもあるけど」


「物騒なこと言いますわね……」

 フレアリスが扇子で口元を隠す。

 が、その表情にはほんのわずかに、かつて追われる側だった者にしか分からない緊張の影が差していた。


「庶民の村はどこだってそうだよ」

 ミントが肩をすくめる。

 眠たそうな目つきのまま、杖を肩に担いでいた。

「税が軽いところは、見捨てられるのも早い。

 そういう場所に、儲け話ですよ~って顔して入り込んでくる貴族とか商人が、一番タチ悪いの」


「珍しく饒舌ね」とノーラが返す。

「寒いと文句が出るだけ」

 ミントはそっけなく言ったが、その視線は前方の谷の奥をじっと見据えていた。


 どれくらい歩いただろうか。

 斜面の向こうから、ガラガラと車輪のきしむ音が近づいてきた。


「……荷車?」

 ジンジャーが立ち止まり、手を上げる。

 ほどなくして、谷のカーブから一台の荷馬車が現れた。

 馬は痩せ気味だが毛並みは悪くない。幌の布は補修だらけ――けれど、こまめに綻びが繕われているあたり、それなりに大事に使われていることが分かる。


 御者台には、四十代半ばほどの男が座っていた。

 人の良さそうな笑みと、商人特有の素早い目の動き。

 冒険者たちの姿を見るや、男は手綱を引いて馬車を止めた。


「おおっと、こりゃまた賑やかな一行だね。ジルコールの冒険者さん方かい?」

「そうよ。あんたは?」

 ノーラが一歩前に出て応じる。


 男は軽く帽子を押さえて頭を下げた。

「俺ぁマットン。行商やってる。忘れ谷の手前の村ん中で、しばらく商いしててね。いま戻るところさ」


 ノーラの眉がわずかに動く。

「忘れ谷の、手前の村?」


「おう。谷のいちばん奥じゃなくて、その手前の広がった土地に、ちょいとした集落があるだろ。あそこさ。砕石魔石の採掘で、最近ちょっとした景気だったんだが……」

 

マットンは言葉を濁し、肩をすくめた。


「だった? 過去形ですの?」

 フレアリスが首をかしげる。


 マットンは苦笑いを浮かべ、唇を歪めた。

「いやね、最初はよかったんだよ。砕石魔石の買い付けに、王都から商会の人間がちょくちょく来るようになってさ。村の連中も、安い日当じゃねぇがっぽり稼げるようになった、って喜んでた」


「で、今は?」

 ノーラの声は淡々としている。



 マットンは周囲を見回し、少しだけ声を潜めた。

「……見ねぇ顔の連中が増えた。

 綺麗な服着て旦那様だの領主代理だの名乗ってるくせに、支払いの銀貨は妙に軽い。契約書も、村の連中は読めねぇからって、口約束のまま話を進めちまってな」

 ミントの目つきが鋭くなる。


「典型的なやつね」

「典型的ですのね」

 フレアリスまで同じタイミングでつぶやく。


 マットンはにが笑いを浮かべた。

「お嬢様方はよく分かってらっしゃる。

 最初は旅の労働者だって言ってたんだが、そのうち、若いのが何人かまとめて連れて行かれてな。季節が変わっても、戻っちゃこねぇ」


 ソルトが若干青ざめた顔で尋ねた。

「事故……とかじゃなく?」


「事故なら、遺体くらい帰ってくるさ。

 何も帰ってこねぇから、たちが悪い」


 マットンはそう言ってから、ふとノーラたちの装備に目をやる。

 ギルド札、武具、ローブ――そしてフレアリスの扇子。


「……あんたら、もしかしてギルド経由で?」

「さぁ、どうでしょう」


 ノーラはぼかすように笑い、うまく肯定も否定もしなかった。

 だがそれで十分だったのか、マットンは小さく頷く。


「なら、一つだけ忠告しとくよ」

 男の声色から、商人特有の軽さが少し消えた。


「村長には気ぃつけな。

 あの人自体は昔からいる普通の村のまとめ役だったんだが……

 最近べったりくっついてる貴族様がな。あれぁ、ろくでもない」


「ろくでもない、とは?」

 ジンジャーが尋ねる。



「笑ってる顔だけ見りゃ、育ちの良い優男に見えるさ。

 けど、目がな。人間じゃなくて、品物を見る目をしてやがる」


 マットンは、何かを思い出すように一瞬黙り込む。


「……人間を買う商売は、昔からなくならねぇ。

 俺みてぇな端っこの行商人にだって、時々そういう話が流れてくる。

 砕石魔石と一緒に、別の商品を積んでる匂いがするんだよ、今の忘れ谷は」

 

 ソルトは喉を鳴らした。

 ミントも表情を変えずにいるが、杖を握る指先には力がこもっている。



 ノーラはしばし黙考し、それからあえて普段通りの調子で言った。

「それだけの話を、タダで教えてくれるわけ?」


「おっと、商売人にタダ話はねぇと思ったかい?」

 マットンは肩を揺らして笑い、御者台の横の小箱を開けた。

 中から、小さな布袋をひとつ取り出す。


「……この先でまともな値段で物を売ってくれる奴が、俺以外にいなくなったら困るからよ。村が潰れたら、俺の商売も縮む。あんたらが、ちょいとでも状況をましにしてくれるんなら――それが俺にとっちゃ投資みてぇなもんだ」


「投資、ね」

 ノーラの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。



「だったら、利回りをよくしてあげられるといいわね。

 あんたの商売相手が、ちゃんと自分で売値を決められる村人でい続けられるように」

「そいつは頼もしい。

 ……そうだ、お近づきのしるしに一つ買ってってくれ」

 

マットンは小袋をノーラに差し出した。

 中身は乾燥ハーブと干し肉の詰め合わせだ。質は悪くない。


「ハーブは疲労と冷えに効く。干し肉は……味は保証しねぇが、日持ちはする」

「値段は?」

「5コルって言いてぇところだが――4コルでどうだ」

「3コル」

 即答するノーラ。


 マットンは目を丸くしてから、噴き出した。

「ははっ、こりゃ噂どおりだ。

 ジルコールの銀箱女ってのは、あんたで間違いなさそうだな」


「値踏みは仕事だからね。4と3の間を取って――3コルと半端の乾パン、でどう?」

「……話の分かるお嬢さんだ。そいつで手を打とう」

 

二人は笑い合い、小袋と銅貨が行き交う。

 そのやり取りを見ていたソルトが、ほっとしたように息をついた。


「なんか……少し、普通の旅の会話に戻りましたね」

「普通じゃない話は、村で山ほど聞かされそうだしね」


 ノーラは肩をすくめ、小袋を掲げて見せる。


「さて、と。投資元からああまで言われた以上、失敗はできないわよ」

「もちろんですわ!」

 フレアリスは胸に手を当て、大仰に宣言した。


「このフレアリス=ヴァン=ルクレール、不届きな貴族も、村人を搾取する輩も――見つけ次第、華麗に成敗して差し上げますわ!」



「成敗の前に、まずは話を聞いて状況整理だからね?」


「……検討しますわ」


「検討じゃなくて遵守」


 ミントがすかさず突っ込み、ジンジャーは苦笑しながら剣の柄に手を添えた。

 馬車がすれ違い、マットンは軽く手を振る。


「道中、気をつけな! 谷の天気は変わりやすいからな!」

「そっちもね。次に会うときは、もう少しマシな銀貨使ってることを祈ってるわ」


 ノーラもひらひらと手を振り返した。


 荷車のきしむ音が遠ざかり、再び、谷に五人の足音だけが響く。


 風はいよいよ冷たく、どこか湿り気を帯びてきた。

 忘れ谷の寒村は、もうそう遠くない――

 その先に待つものの重さを、まだ半分も知らないまま。

 一行は谷の奥へと、歩みを進めていった。

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