16~ジルコールへの帰還、新たな依頼
ジルコールの街門が見えた頃には、空はすでに薄い橙色に染まり始めていた。
石畳の道には早朝の荷馬車が行き交い、露店の準備に追われる商人たちの声が飛び交う。金属のきしむ音と、パンを焼く香り。街はいつも通り、今日も金の匂いで満ちていた。
ただ――ノーラたちだけが、煤と血の匂いをまとって帰ってきていた。
「ふぅ……やっと帰ってきたぁ……」
ソルト=シオが腰を伸ばして大きく息を吐く。彼の肩には、ギルドから預かった聖遺物用の木箱が括りつけられていた。ジンジャーはその横で、肩に担いだ大盾を軽く叩く。
「文句言う元気があるなら上等だろ。ミント、肩は大丈夫か?」
「平気。矢はかすっただけだし、治療済み」
ミント=ノエルは淡々と答え、包帯の上から軽く押さえて見せる。表情はいつも通り眠たげだが、その足取りはしっかりしていた。
その後ろを、ふわりと金髪が揺れる。
「まったく……煤と血で台無しですわ。わたくしのこの高貴なるドレスが……」
フレアリス=ヴァン=ルクレールは、裾の焦げた部分をつまんで恨めしげに見つめていた。
「でもまあ、オーガの顔面に直撃したあの《バーン・ブレイク》は見事だったけどね」
ノーラは灰色のフードを軽く上げ、淡々と評する。琥珀色の瞳は、すでにギルドの建物と、その先にある「報酬」という文字を見据えていた。
「当然ですわ。火の一矢で仕留める、ルクレール家の面目躍如ですもの」
「その面目躍如の巻き添えで、ソルトの上着が炙られてたけどね」
「うっ……」
ソルトは苦笑いを浮かべ、自分の焦げた袖を見下ろす。
「ともかく、まずはギルドに報告。話をまとめるのは――ノーラさん、お願いします」
「はいはい。話すことは整理してあるから、任せときなさい」
ノーラは肩にかけた布袋を握り直した。
(ギルドへの納品は依頼にあった品目だけ。メダイは副産物。
どこから来たかだけ覚えておけば、後でどうでも活きる)
そう心の中で確認しながら、一行は「冒険者協会ジルコール支部」の重い扉を押し開けた。
朝だというのに、ギルドのホールはすでに熱気で満ちていた。
掲示板の前では若い冒険者たちが依頼書を取り合い、カウンター前には報告待ちの列ができている。片隅では徹夜明けらしき魔術師がテーブルに突っ伏し、奥の方では酒場担当の女将が大鍋をかき混ぜていた。
「皆さん、どうやら無事帰還したようですね。」
カウンターの内側から声が飛ぶ。声の主は、ギルド受付嬢のルカだった。栗色の髪を後ろでまとめ、疲れの色を隠さないながらも、業務用の笑顔を崩さないベテランだ。
「廃教会の調査依頼、でしたね。予定より一日早いのは珍しいですね」
「死にかけたから、とっとと帰ってきたのよ」
ノーラがさらりと言うと、ルカの眉がぴくりと上がる。
「……冗談ですよね?」
「半分ね」
ノーラはカウンターに身を乗り出し、簡潔に報告を始めた。
忘れ谷の廃教会までの道中、ゴブリンとワイルドホルダー、それにオーガが軍隊のような編成で現れたこと。魔術で統率された気配があったこと。そして、谷の上からそれを眺めていた黒衣の召喚士――クリオの存在。
「名前は?」
「本人は名乗らなかったけど……魔力波形からして熟練の召喚士。黒いルーンを使ってたわ。ああいうのは、野良の魔術師ね」
ノーラは淡々と続ける。
「廃教会本体は――魔物の巣にはなってなかった。
内部はほぼ無人。祭壇と記憶石は健在。
……あとは、事情あってこの場では伏せたい居住者が一組」
「居住者?」
ルカが目を丸くする。
「魔物じゃなくて、生身の人間。
教会を荒らさず、記録を守りながら静かに暮らしてる。
ギルドとして関わるなら、少なくとも商売目的や、好奇心の観光はやめておいた方がいいわ」
ノーラの声には、わずかながら熱がこもっていた。
「……その人たちが危険な存在、というわけではなさそうですね」
「むしろ逆。危険なのは、あそこを狩場にしようとする外側の連中」
ルカは小さく息を吐き、報告書用の紙にペンを走らせた。
「分かりました。召喚士クリオとやらは、ギルドからも王都側に情報を上げておきます。
廃教会については、当面立ち入り制限区域として扱い、勝手な探索依頼は受理しません」
「助かるわ」
ノーラは軽く頷く。
ジンジャーが横から口を挟んだ。
「聖遺物の方は、ちゃんと持ってきた。燭台二本と聖水杯ひとつ。依頼票の品目と一致してるはずだ」
ソルトが木箱を差し出すと、ルカは中身を確認し、刻印と照合する。
「……刻印良し。欠損もなし。
うん、正式な聖印院登録番号とも合致してるわ。依頼完了です」
カウンターの下から、じゃらりと小袋が出てきた。
「廃教会調査と聖遺物回収、合わせて報酬は銀貨40フロー。パーティーでよしなに分けてください。それと、ギルドからの危険手当として、追加で10フロー。これはソルト隊長名義で」
「おお、太っ腹じゃないか」
ジンジャーが笑い、ソルトとミントもほっとした表情になる。
「ふふん、わたくしの華麗なる魔火の功績も入ってますわね?」
「……そこはオーガをちゃんと倒した分だけね」
ミントがぼそりと突っ込み、フレアリスは扇子で頬を叩いてごまかした。
ノーラは横目で報酬袋を確認しながら、小さく呟く。
(40+10フロー。今回の経費と照らせば……悪くないわね。
それに、教会の燃え残りについては、これで一旦線を引けた)
そう思った矢先――ホールの奥から、耳障りなほど賑やかな声が近づいてきた。
「おおっと、朝っぱらからカウンターが混んでると思ったら――おやおや、ソルトくんたちじゃないか!」
振り返ると、四人組の冒険者パーティが入ってきていた。
先頭に立つのは、茶色の短髪に派手な羽根飾りをつけた槍使いの青年。背中には長槍、胸元には「Dランク」のプレートがぶら下がっている。その後ろには、弓を背負った細身の男、ローブ姿の女魔術師、軽装鎧の女斥候が続いていた。
「灰風の牙か」
ジンジャーが小さく呟く。
「知り合い?」ノーラが問うと、ソルトが苦い顔をした。
「ええ……同じランク帯のパーティです。よく依頼の取り合いになります」
槍使いの青年が、にやりと笑って近づいてきた。
「Dランク隊隊長、ハール=ドリス様のお通りだ。
おいおい、廃教会の依頼って、お前らが行ってたのか。てっきりウチに回ってくると思ってたのになぁ?」
ルカが業務スマイルのまま答える。
「ハールさんのところは魔物討伐系専門でしょう? 今回は調査と聖遺物回収が主目的でしたから」
「それにしたって、野良の魔女と組んだ半人前パーティより、実績のある俺たちの方が――」
ハールの視線が、ノーラの灰のローブと、その肩の煤に落ちる。
「――ずいぶん汚れてるな。そんなぼろローブ着てる魔女に任せるなんて、ギルドの人材不足も深刻だねぇ?」
ノーラは一拍置いて、にこりと笑った。
「そう? これでも、さっきまでオーガを一体、煮えたぎるお湯に浸けて来た帰りなのだけど」
「は?」
「おかげで、血と煤と脂の匂いがしみついちゃってね。
あなたのその羽根飾りにも、少し分けてあげましょうか? 実戦の香りとして」
ハールの顔がぴくりと引きつる。後ろの女魔術師が思わず吹き出した。
「やめときなよ、ハール。そういうの、あんた苦手でしょ」
「うるさい、リナ! ……とにかく」
ハールはわざとらしく咳払いをし、ソルトたちをぐるりと見回した。
「俺たちは今から、砕石場警護の依頼を受けに来たところなんだ。
忘れ谷方面の砕石魔石の話、聞いてるか?」
ノーラの眉が、わずかに動く。
「砕石魔石?」
ルカが咳払いして口を挟んだ。
「はいはい、依頼票の前情報をペラペラ喋らない。
まだ正式に掲示してない依頼なんだから、黙っててください」
「チッ、ケチ臭いな」
ハールは肩をすくめる。
「ま、いいさ。どうせ俺たちが先に受ける。
お前らは……そうだな、街道掃除とか薬草採集あたりでコツコツ頑張るといい」
ソルトが悔しそうに眉を寄せた。
「ぼ、僕たちだって……!」
その横で、フレアリスが扇子をぱんと鳴らした。
「何ですの、あの羽根男。見た目だけで中身の薄い鳥頭って感じがしますわね」
「聞こえてるんだけど!?」
「高貴なるこのわたくしを差し置いて半人前呼ばわりとは……いいでしょう。今度どこかの依頼で鉢合わせしたら、どちらが真の実力者か、はっきり教えて差し上げますわ」
「やめてフレアリス。ここ屋内だから。火の魔法は外でね」
ノーラがさらりと袖を引っ張る。
ルカはため息をつきながらも、どこか楽しそうに二組を見比べていた。
「……とにかく、廃教会の件はこれで完了です。
みなさん、お疲れさまでした。今日はもうゆっくり休んで――」
そこで、彼女は手元の書類にちらりと目を落とし、言葉を継いだ。
「……と言いたいところですが。
実は一つ、廃教会帰りのパーティー向きの依頼が、ちょうど上がってきていましてね」
「それ、さっき言ってた砕石場のやつだろ? 俺たちが――」
「ハールさんのところは、武力護衛だけ。
調査と交渉を含めた本件の本隊には、別の人材が必要なんです」
ルカの視線が、ゆっくりとノーラたちに向く。
「忘れ谷の奥にある寒村。砕石魔石の産地のひとつです。
最近、そこからの出荷が止まり、逆にジルコールには妙に安い砕石魔石が流れ始めている。
村の状況調査と、砕石魔石の取引先の確認――
できれば、人の出入りも含めて、見てきてほしい」
ノーラは一瞬だけ黙り、すぐに計算を始める。
(砕石魔石の産地、出荷停止、安売り。
利権の匂いがするわね……。
三商会あたりが絡んでいても、おかしくない)
「もちろん、すぐに決めろとは言いません。
ひと晩休んでからでも――」
「受けるわ」
ルカの言葉を遮るように、ノーラが即答した。
ソルトが目を丸くする。
「ノーラさん、早っ」
「こういうのは早い者勝ちよ。
現場を先に押さえた方が、情報も取引材料も有利になる」
ノーラは薄く笑い、報酬袋を指で弾いた。
「せっかく命懸けで廃教会まで行って稼いだんだもの。
この勢いのまま、次の金の匂いがする場所へ行くのが、強欲の正しい使い方ってものよ」
ハールが舌打ちした。
「……へっ。せいぜい、村の空気にやられて帰ってくるなよ」
フレアリスは勝ち誇ったように顎を上げる。
「庶民ごときに心配されるほど落ちぶれてはおりませんの。
忘れ谷? 上等ですわ。火の道はどこまでも、わたくしについてくるのですから!」
「はいはい。じゃあ一晩ちゃんと寝てからね。
寝不足で魔法暴発されたら困るから」
ノーラはフードを被り直し、ギルドホールをぐるりと見回した。
ここから先――忘れ谷の寒村で、砕石魔石と祝福印の少女、そして三つの商会が絡み合う騒動が待っているなど、まだ誰も知らない。
ただ一つだけ、ノーラにははっきり分かっていた。
(――次も、儲かる匂いがする)
その直感だけが、彼女の足を、また新しい依頼へと軽く押し出していた。
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