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11~ノーラの過去、フレアリスの過去

 

 その夜。

 忘れ谷へ続く旧巡礼路から少し外れた、小さな窪地で一行は野営を取った。

 

 ジンジャーが手際よく焚き火の場所を選び、石を並べて簡易かまどを作る。

 ミントは無言で薪に簡単な防湿の符を刻み、ソルトは近くの泉から水を汲んで戻ってきた。


「ふぅ……ノーラさんが水を出せるのは有難いですね。水の確保は死活問題ですから」


「そうね。こういう時、水専門で良かったと思うわ。 水代かからないし」


「気にするの、そこですか」

 ソルトが小声でつっこむ。


「じゃ、鍋出すぞ」


 ジンジャーが背嚢から擦りへった鉄鍋を取り出す。

「今日の食材は……干し肉、乾燥野菜、固っい黒パン少々。あと、道中で摘んだ薬草がちょっと」


「質素」

 ミントが即断した。


「冒険者の野営なんて、大体こんなもんだろ」

 ジンジャーが苦笑する。


「腹が膨れりゃ文句はない」


「ま、贅沢は敵ってやつね」

 ノーラは焚き火の側に腰を下ろし、灰のローブを膝にかけた。

 炎の赤がすすけた布を照らし、灰色がわずかに暖色を帯びる。


「なにを仰いますの」

 そこへ、フレアリスがひらりとマントを翻して進み出る。


 扇子をぱちんと閉じ、腰に手を当てて言った。


「野営の食事こそ、心を整える儀式ですのよ? ここで妥協するなんて、ルクレール家の名折れですわ」


「じゃあ、作る?」


 ノーラが片眉を上げる。

「食材はさっきの通り。干し肉、乾燥野菜、黒パン、薬草ちょっと。調味料は塩と胡椒が少々。これで貴族様の舌を満足させられるなら、ぜひお願いしたいけど?」


「無礼ですわね。

 ――よろしい、その挑戦、受けて差し上げますわ!」

 

 フレアリスは袖をまくり上げた。

 白い腕が焚き火の明かりに照らされる。


「貴族教育の基本は、料理ですのよ。

 どんな土地、どんな貧しい食卓でも、最低限、食事の形に仕立て直すこと。

 さもなくば、お客様にお出しできませんもの」


「そんなカリキュラムなの、ルクレール家」

 ミントがぽつりと呟く。


「帝王学の一部ですわ! ……さあ、ジンジャー、干し肉を貸しなさい。ソルト、その薬草の束を全部こちらへ。ミント、灯りを少しだけ明るくしてくださる?」


「はいはい」

 ジンジャーは肉を渡しながら笑う。


「じゃあ今日は、お嬢ちゃんシェフに任せるか」


 フレアリスは干し肉を薄く削ぎ、乾燥野菜を水で戻しながら、持参していた小さなスパイス袋を取り出した。中には、砕いた胡椒や乾燥ネギ、香りの強い草の粉が入っている。


「なにそれ」

 ノーラが目を細める。


「旅用の香りの宝石箱ですわ」

 フレアリスが得意げに答える。


「スパイスは少量で世界を変えますの。ほら、ソルト、刻むのを手伝いなさい」

「えっ、ぼ、僕ですか!?」

「庶民の包丁さばき、確認して差し上げますわ!」


 ソルトは文句を言いつつも、手際は悪くなかった。

 小さなナイフで薬草を刻み、フレアリスの指示に従って鍋に放り込んでいく。

 鍋から、じわりと香ばしい匂いが立ちのぼり始めた。


「……お?」

 ジンジャーの鼻がぴくりと動く。


「なんか、いつもの煮干し靴下スープと香りが違うぞ」

「比喩がひどい」ミントが呟く。

 

 フレアリスは真剣な目つきで鍋の中を見つめ、

 木べらでかき混ぜながら指先で味見をした。


 ほんのわずか塩を足し、砕いた黒パンをちぎって入れ、とろみをつける。


「――よし。

 ルクレール家野営式、貧者のポタージュ、特別版の完成ですわ!」


「名前のセンスはさておき、うまそうな匂いではある」

 ジンジャーがごくりと喉を鳴らした。


 木椀に盛られたスープは、思ったよりも色が豊かだった。

 乾燥野菜の赤と緑、刻んだ薬草の淡い緑、パンの白。

 表面には、薄く浮いた油とスパイスの黒い粒。


「まずは――そうですわね、経済顧問候補のエレアノーラ。

 毒見、よろしくて?」

「毒見って言ったわね今」


 ノーラは苦笑しながら木椀を受け取る。

 熱いスープをふうふうと冷まし、一口、口に含んだ。

 ――舌に、驚きが走る。


 干し肉のコクと塩味。

 乾燥野菜の甘みがスープに溶け、薬草のほろ苦さと香りがそれを引き締める。

 黒パンは溶けかけてとろみとなり、舌触りを柔らかくしていた。


「……うん」

 ノーラは無言で、二口、三口と続けた。


「ど、どうですの?」

 フレアリスがそわそわと身を乗り出す。


「――めちゃくちゃ美味しいわね、これ」

「即答!?」とソルト。


 ジンジャーも椀を一口すすり、目を見開いた。

「……ああ、これは……やべぇな」

 がしがしと頭を掻く。

「干し肉と乾燥野菜で、こんな味出るのか。いつもの俺の煮込みと別物だ」


「認めるの、早い」

 ミントも、静かにひと匙。


 そして、表情をほとんど変えないまま、もうひと匙。

「……うまい」


「一番説得力あるやつ来たわね」

 ノーラが笑う。


「で、でしょう!? でしょうとも!」

 フレアリスは胸を張った。

「ルクレール家の教育を受けたこのわたくしを舐めていただいては困りますわ!

 魔法術も学問も料理も芸術も、すべて一流。これぞ高貴の証!」


「そこまで言うなら、毎日作ってくれてもいいのよ」

 ノーラがさらりと言う。



「料理番として雇う契約、考えましょうか。報酬は一日ごはん一杯」

「安すぎますわ!! わたくしの腕を何だと――」


「冗談よ」

 ノーラは笑い、椀を抱えたまま火を見つめた。

 焚き火のぱちぱちという音。

 静かな夜の森に、フレアリスの自慢話がほどよく混ざる。


「……でも、さっきの話、ちょっと興味あるわね」

 ノーラが言った。

「そのルクレール家の教育ってやつ。あんた、どんなふうに育てられたの?」

 


 フレアリスは一瞬だけ黙り込む。

 扇子を閉じ、視線を火に落とした。


「――世界は、敵でしたわ」

 さっきまでの軽さが消えた声だった。

 淡々と、しかし誇りを抱くように、彼女は口を開く。


「ルクレール家は、二百年ものあいだ、各地を渡り歩き、隠れて生き延びてきました。町に滞在すれば高慢な魔女貴族と蔑まれ、従者には裏切られ、民衆には棒で追われ……追っ手から逃げるため、夜の港から船で脱出したこともありましたわ」

 

 焚き火の火が、彼女の横顔を照らす。

 赤い影が頬をなぞり、橙の瞳に揺らめく光が宿る。


「けれど私たちは、家という形を崩さなかった。

 資産を守り、知を守り、誇りを守る。

 帝王学も、魔法術も、料理も、語学も、体術に舞踊。

 滅びを免れたことで、むしろその技と心は磨かれていったのですわ」

 

 ソルトはじっと聞き、ミントも目を伏せたまま耳を傾けている。

 ジンジャーは腕を組み、何度か焚き火に薪をくべながら黙っていた。


「……だから、私には使命がありますの」

 フレアリスの声が、少しだけ低くなる。


「魔女がただの怪物ではなく、民草が搾取されるだけでなく、

 本物の高貴さによって導かれる――そんな世界を、この私の手で築いてみせますの」


「魔女も民も、私の配下として取り立てて差し上げましょう。

 衣食住、教育、魔法の庇護、すべて私が与える。

 必要なのは、忠誠と礼儀、そしてほんの少しの美的感覚だけですわ!」



 ミントがぽつりと、「……革命でも、起こす気?」とつぶやく。


「革命? そんなもの、汚らわしい血の宴にすぎませんわ」


 フレアリスは首を振る。


「私が起こすのは――高貴の回復。

 灰より蘇ったルクレール家が、再び世界に君臨する、その第一歩……ですわ!」

 少しの沈黙。


 ノーラはしばらく黙って火を眺め、それからやれやれと肩をすくめた。

「……まぁ、あんたが国を作る日が来たら、私は経済顧問で雇ってね。

 給料が高いなら、協力してあげるわ」


「当然ですわ!

 有能な金の亡者には、それなりの報酬を用意するものです!」


 ぱっと場の空気がゆるむ。

 ソルトが苦笑し、ジンジャーは「いい国になりそうだな」と冗談めかして言った。


 ミントはふと、ノーラの灰のローブに目をやる。

「……ノーラは?」

「ん?」

「あんたの、そのローブ。

 ずっと前から持ってるって言ってた。

 ちょっと不思議な気配を感じる。

 それに――どこでも生きてける感じするけど、最初は、どんなだったの」

 

 ノーラは少しだけ目を細めた。

 ローブの裾を指先でつまみ、布を撫でる。


「……あんまり、楽しい話じゃないわよ」

「聞いておきたい」

 ミントが淡々と続ける。


「今から、あんたの過去に関係ありそうな、廃教会に行くわけだし」


「え……そうなんですか?」

 ソルトが驚いた顔をする。


「匂いが似てるって、さっきちょっと言った」

 ミントが焚き火を見つめたまま言った。


「火と、灰と、止まり損ねた何かの匂い」

 ノーラは小さく息を吐いた。

「……そうね。

 じゃあ、少しだけ」


 焚き火の音がやけに大きく聞こえた。


「十年前。

 私の住んでた村に、教会の旗を掲げた部隊が来たの。

 魔女狩りはもう下火になってたはずの頃にね。

 異端の疑いがあるって理由で、村ごと包囲して――」

 

 言葉が一瞬詰まる。

 灰のローブから、あの夜の匂いがふっと蘇る。


「――火を、つけた」

 ソルトが息を呑む音がした。


「父さんは、抜け穴の場所を教えてくれて、母さんと私を押し出して。

 背中を向けて、振り返らないで行けって、そう言った。

 ……だから私は、この布だけ巻いて逃げたの」


 ノーラはローブの胸元を軽く握りしめる。

「この灰色の布は、もともと母さんが肩にかけてたもの。

 すすで汚れてて、安物で、でも変なところだけ丈夫でね。

 何度も縫い直して、こうしてローブにして――

 気がついたら、いちばん落としたくない物になってた」


「それからは?」

 ジンジャーが静かに聞く。


「最初の数年は、何も考えてなかったわね」

 ノーラは苦く笑った。


「ただ、働ける場所を渡り歩いて、安宿や馬小屋で寝て、たまに盗賊に絡まれて。

 スラムで数年暮らしてから一人旅に出て……運よく、ちょっと変な師匠に拾われて、魔法の基礎とか薬草の知識、それから魔術書の写本手伝いとかお金の数え方を叩き込まれて」


「お金の数え方も一緒なんだ」

 ソルトがぽつりと言う。


「師匠はそこだけやたら教育熱心だったのよ。

 魔法だけ上手くても、世の中には搾取される天才が山ほどいるってね」


「名言」

 ミントが小さく頷く。


「だから私は、魔法より先に損しない生き方を覚えた。

 情に流される前に条件を詰めること。

 値踏みは一瞬で済ませること。

 借りは作りすぎないこと。

 ――全部、もう焼かれないための癖みたいなものよ」

 


 フレアリスが、珍しく黙っていた。

 扇子を膝の上に置いたまま、火を見つめている。


「……その村はは?」

 彼女が低く問う。


「滅びましたの?」


「ええ」


 ノーラは首を振る。


「名前も場所も、公記録には残ってないでしょうね。

 ああいうのは、いつもそう。

 火をつけて、証拠を消して、別の名目で建て直す。

 再生って言葉は、そういうときにも使われる」


 焚き火の火が、ぱち、と音を立てた。


「だから――」

 ノーラは火の向こうの闇を見つめた。


「今回の再生の噂も、正直、あまりいい予感はしてないの。

 でも、放っておくと、また誰かの村が燃えるかもしれない。

 それなら、ついでに儲け話を拾いながら、元を断っておく方が効率的でしょ?」



「……最後の一文さえなければ、すごくカッコよかった」

 ソルトが肩を落とした。


「強欲魔女だからね」

 ノーラは肩をすくめ、笑ってみせた。


 フレアリスはしばし黙っていたが、やがて扇子を取り上げ、いつもの調子に戻る。

「――いいでしょう」

 ぱん、と軽く扇子を鳴らす。


「ならば今回の再生とやら、このフレアリス=ヴァン=ルクレールが、

 高貴なる火で焼き払い、その元凶を暴いて差し上げますわ」


「ついでに、私の取り分も増やしてくれるなら歓迎するわ」

 ノーラが返す。


「討伐報酬はちゃんと山分けですわ! 経済顧問にだけ強欲させませんからね!」


「はいはい」

 ジンジャーが笑い、鍋を片づけ始める。



「じゃあ今日はもう寝るぞ。明日が本番だ」

 ソルトは地図とメモを片づけ、ミントは簡単な防御結界の準備を始めた。


 ノーラは灰のローブを肩にかけ、焚き火から少し離れた場所に腰を下ろす。

 夜風が冷たい。


 布の内側で、あの夜の灰の匂いと、今日の焚き火の匂いが混ざり合う。

(……明日は、少し夢見が悪くなりそうね)

 そんな予感を抱きながら、ノーラはゆっくりと目を閉じた。

閲覧いただきありがとうございます。


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