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10~巡礼路の眠らぬ死者

 

 忘れ谷へ続く旧巡礼路は、進むほどに空気が変わっていった。


 最初はただ涼しいだけだった風が、いつしか湿り気を帯び、靴の裏にはぬかるみが絡みつく。

 木々の根元には、黒ずんだ苔と白いキノコが群れている。

 ところどころ、石畳の隙間から灰色の霧が、じわりと染み出していた。


「……なんか、空気がぬるいですね」

 ソルトが鼻をひくつかせる。

「腐……ってほどじゃないですけど、変な匂いがします」


「体感温度も、少し上がってる」

 ジンジャーが剣の柄に手を置きながら周囲を見回した。

「谷から吹いてくる風じゃないな。どこかで、何かが腐ってる」


「不浄域、ってやつね」

 ノーラが足元の泥を杖でつつく。

「生と死の境目が、ちょっと混ざってる感じ」


「そんな不吉な言い方しないでくださいよ……」

 ソルトの肩がびくりと震えた。


 ミントは無言のまま、指先に微かな光を灯してみせる。

 神聖魔法特有の淡い輝きが、すぐにじわりと波紋を描いて広がり――

 その縁で、ちり、と小さな黒い火花のようなものが弾けた。


「……やっぱり、ちょっとおかしい」

 ミントが低く言う。

「死んだものが静かじゃない。……魔力の痕跡があるし、どこかで動いてる気配がする」


「ふふ、いいじゃありませんの」

 フレアリスが扇子で口元を隠し、楽しげに笑った。

「火葬場に火の魔女。これほど役割の噛み合った組み合わせもありませんわ。

 どんな未練がましい死骸だろうと、綺麗に焼き尽くしてあげますわよ」


「そのテンションがいちばん怖い」

 ソルトが小声で突っ込んだ、その時――


 ぐちゃ、と嫌な音がした。


 道の脇。沼の縁の泥が、ずぶりと盛り上がる。

 泡立つようにぬかるみが割れ、その中から、四つ足の何かが這い出してきた。


「……ワイルドホルダー?」

 ジンジャーが目を細める。

「いや、違うな」


 それは、かつてワイルドホルダーだったものの成れの果てに見えた。

 骨ばった獣の体。肉はところどころ腐り落ち、代わりに黒い苔と白い菌糸が貼り付いている。

 眼窩の中では、淡い緑色の光がゆらゆらと揺れていた。


 泥から這い上がったのは、一体ではなかった。

 二体、三体、四体――

 周囲のぬかるみから、ぞろぞろと同じような半分腐った獣が姿を現す。


「アンデッド系……?」

 ソルトが青ざめる。


「アンデッドにしては、匂いが生々しすぎるわね」

 ノーラが静かに身構えた。


「でも、倒し方はそう変わらないはず。

 ――ジンジャー。前衛お願い」


「了解した!」


 ジンジャーが一歩前に出る。

 剣が鞘から抜ける金属音が、谷に短く響いた。


 腐れた獣たちが、しゃくり上げるような咆哮をあげ、一斉に飛びかかってくる。


「さっそく、出番ですわね」

 フレアリスが一歩進み出た。

 扇子がぱん、と派手に鳴る。


「迎え火よ、この不様な姿を隠す虚飾ごと――焼き払え!

 《試しの魔火プロービング・フレア》!」


 彼女の足元に赤いルーンが浮かび、空気が一気に熱を帯びた。

 指先から放たれた炎の糸は、さきほど森で見せたものとは比べ物にならない密度と数で四方に走る。


 炎の糸は獣たちの足元に絡みつき、そのまま爆ぜた。

 瞬間、沼の縁が一帯ごと火柱に包まれる。


 熱気が押し寄せ、ソルトが思わず顔を覆った。

 ジンジャーですら、目を細めて視界を遮る。


「うわ……」

 ノーラは内心で舌を巻いた。


(こないだの比じゃないわね。無詠唱じゃなく、ちゃんとルーンを踏んだときの火力……少なくとも、ジルコール周辺の魔女でここまでやれるの、他にいない)


 数瞬、炎は唸りを上げ続け――

 やがて、じゅ、と音を立てて鎮まった。


 そこに残ったのは、黒焦げになった獣の残骸と、蒸発した泥沼から立ち上る白い蒸気だけ。鼻を刺すような焦げと腐敗の匂いが、風に乗って流れていく。


「ふふん。ご覧になりまして?」

 フレアリスが勝ち誇った笑みを浮かべる。

「この程度の雑魚、わたくしの真の炎をもってすれば――」


 言いかけたその時。


 黒焦げの残骸が、びくり、と震いた。


「……え?」

 ソルトが硬直する。


 炭になったはずの四肢が、ぎしぎしと音を立てて動く。

 割れた皮膚の隙間から、白い糸のようなものがにゅるりと伸び、その先端が地面の泥に根を張る。


 黒い炭の殻の内側で、粘ついた何かが蠢き――

 ひとつ、またひとつと、燃え残った骸が立ち上がっていく。


「ちょっ……まだ動くんですけど!?」

 ソルトの声が裏返った。


 ジンジャーがすぐさま踏み込み、立ち上がりかけた個体の頭蓋を横から叩き斬る。

 骨が砕け、首が飛ぶ。

 だが、首を失った胴体は、それでも一、二歩よろめき歩こうとした。


「しつこいな……!」

 ジンジャーが舌打ちする。


「フレアリス、追加でもう一発!」

 ノーラが叫ぶ。


「言われるまでもありませんわ!

 ――《熱界焦断バーン・ブレイク》!」


 彼女の足元に、今度は鋭い線で構成されたルーン陣が走る。

 前方の一点へ向けて、極端に圧縮された火の奔流が放たれた。


 焼け残っていた獣の群れが、まとめて蒸発するように吹き飛ぶ。

 地面には黒い影だけが焼き付いた。


 ……それでも。


 その黒い影の中心で――ぽうっと、緑がかった光が再び灯った。


 まるで、黒いシミが内側から膨張するように。

 焼き尽くしたはずの場所から、再び粘ついた肉片と菌糸が、じわじわと盛り上がってくる。


「これでまだ動きますの!?」

 フレアリスが目を見開く。

「わたくしの《熱界焦断バーン・ブレイク》!は、岩盤すら割れる高温なのですわよ!?

 肉も骨も灰もろとも、蒸発して当然ですのに!」


「火力は十分。問題は……」

 ノーラは目を細め、緑の光を凝視した。


 黒い肉片の奥。

 骨と骨の隙間、または心臓のあったあたりに、小さな結晶のようなものが埋まっている。

 それがひび割れながらも、かすかな光を放ち続けていた。


「あれね」

 ノーラがぽつりと呟く。

「火で焼いても、あの核だけが死んでない」


「核……?」

 ソルトが震える声で繰り返す。


 ノーラは短く息を吸い込み、地面にルーン文字を描いた。


「水よ、濁りを剥ぎ、底をさらえ――

 《アクア・スプラッシュ》!」


 地面の泥水が一気に吸い上げられ、焼け跡の上に透明な水の刃となって叩きつけられる。

 焦げた肉や菌糸がざぶりと洗われ、粘ついたものが削ぎ落とされた。


 露わになった核――緑黒い結晶が、むき出しのまま震えている。


「ジンジャー!」


「任せろ!」


 ジンジャーが跳び込み、剣を振り下ろす。

 鈍い音。結晶が砕け散り、緑の光が霧散した。

 その瞬間、周囲でうごめいていた肉片も、糸の切れた人形のように力を失う。


 倒れ込んだ獣の残骸は、今度こそ、二度と動かなかった。


「……なるほどね」

 ノーラが小さく頷く。

「この再生の仕組み、火じゃなくて核をどうにかしないと止まらない」


 ミントが一歩前に出る。

 掌に淡い光を灯し、砕け散った結晶のかけらに向けて、短く祈りの言葉を紡いだ。


「穢れよ還れ――《浄化》」


 光が静かに広がり、結晶片を包む。

 黒ずんだ表面がぱりぱりと崩れ、中身はただの濁った石へと変わっていった。


「……これでよし」

 ミントが短く言う。

「さっきまで、どこか別のところから細い糸みたいなものが繋がってたけど、今ので切れた」


「別のところ?」

 ソルトが息を飲む。


「教会かもね」

 ノーラが軽く肩をすくめた。

「あるいは、そのさらに奥。

 どっちにしろ、再生をばらまいてる親玉がいる」


 フレアリスはしばらく黙ったまま、焼け跡を見つめていた。

 やがて、ふぅと大きく息を吐く。


「……認めたくはありませんけど」


 扇子で自分の頬を扇ぎながら、悔しそうに言う。


「さすがのわたくしの炎でも、核そのものを狙わなければ、完全には止められないようですわね」


「火の威力自体は、十分すぎるくらいよ」

 ノーラがあっさり言った。

「問題は相性と、狙いどころ。

 今みたいに“水で洗って、核を露出させてから焼く”とか、やりようはいくらでもある」


「……つまり、わたくしの炎をもっと研ぎ澄ませ、と?」


「せっかく岩盤すら割れる火力があるんだから、

 全部まとめて焼き払うだけじゃなくて、一点だけ正確に穿つ練習もした方がいいってことね」


 フレアリスはむっとした顔をし――

 だが、すぐに少しだけ口元を緩めた。


「いいでしょう。

 わたくしの炎が、ただの暴れ火と一緒にされるのは心外ですもの。

 この再生の核とやら、火で焼き切れることを証明してみせますわ」


「その意気は買う」

 ジンジャーが笑い、剣を拭う。


「……あの、皆さん」

 ソルトが控えめに手を挙げた。

「今のやり取り、すごく心強いんですけど、一つだけ言っていいですか」


「なに?」とノーラ。


「さっきの獣たち、普通に死んで普通に埋まってたのを、誰かがわざわざ起こしたってことですよね……?」


 その言葉に、しばし沈黙が落ちる。


 風が、湿った草の匂いを運んだ。

 遠くで、教会の鐘に似た音が、かすかに響いた気がした。


「――先を急ぎましょう」

 ミントがぽつりと言う。


「今のは、多分前哨戦。もっと前から続いてる。再生も、死者の不満も」


「そうね」

 ノーラは灰のローブの裾を握り直した。

 布の奥で、熱とも寒気ともつかないざわめきが、ほんの少しだけ強くなる。


(焼けた村の夜と、今の匂いは――ほんの少しだけ、似ている)


 その感覚を胸の奥に押し込み、ノーラは前を向いた。


「行きましょう。

 死者を再生してる元締めから、どれくらいふんだくれるかを――確かめないとね」


「最後の一言で全部台無しですわ!」

 フレアリスの抗議が、湿った谷に軽く響いた。


 こうして、火が効きづらい奇妙な獣との初遭遇は、

 フレアリスの火力とノーラたちの連携によって、ひとまず幕を閉じたのだった。

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