1話 失敗作
「……っ」
重い瞼が開く。薄暗い試験管の中で、私はかすかに息をする。冷たい液体が身体を包み、泡がユラユラと揺れる。頭上から差し込む光が、まるで私を嘲笑うように冷たく映る。
「管理長、被験体が目を開きました。」
なにかの音が、遠くで響く。
「はぁ……目を開けるだけでも大きな成果か。今ある物全部詰め込んだから失敗だと困ったが何とかなりそうだな。」
揺らぐ影は報告を聞くと、低い声で答えた。重い足音が近づき、試験管の前に立つ影が見えた。彼の目は、まるで道具を値踏みするようだった。
「流石は、天界にまで手を出し手に入れた子。神獣、魔獣……長所が飛び抜けた物のデータを全て血液と体内に入れた。」
「……」
震える身体で、ただ静寂を求める。痛みも、恐怖も、何もない場所へ逃げたい。だが、試験管のダイヤルが回され、液体がざわめく。
「――っ!―――――!!」
「見せろ。化け物、」
身体を突き刺すような痛みが走る。苦し紛れに叫び、試験管にヒビを入れるほどの力を振り絞る。皮膚が裂け、骨が軋む。やがて、身体は目の前と同じような姿に変わっていく。
「はぁ髪の色が中途半端だな。黒に青が混じってる、完全に混ざりきってない証拠だ。」
その声は冷たい。後ろにみえる影が小さく声を震わせる。
「そんな……」
「しかもオスか。まあいい獣化を試す」
彼は鼻で笑い、深く息を吸った。
「命令だ。獣化しろ。」
「――! ぎ、ぎ、ぎしっ、キシャアアアア!!」
頭を貫く痛みに、悶絶する。叫びながら、頭上に角が生え、背中から翼が試験管を突き破る。液体は一瞬で血に染まった。身体が勝手に動く。自分の意志など、どこにもない。
「獣化も不完全か。……完全に失敗作だ。」
その様子をみて呆れたような声が暗闇に響く。後ろの影が慌てて何かを操作する音が聞こえる。
「戦争兵器としては使い物にならない。人間の姿では囮にすらならんぞ。」
「管理長……もう少し、試してみても……」
「無駄だ。あとは任せる。メスなら薬でどうにかなるが、オスは生殖器を物理的に取り除く必要がある。実験が終わったら火葬場で処分しろ。いいな。」
目を開けた日から、苦痛だけが続いた。「失敗作」と呼ばれ、手足を拘束され、窮屈な箱に押し込まれた。
「失敗作だ。好きに解体していい。」
染み付いた声が、頭の中で反響する。
足が、腕が、心臓が、頭が、目が――壊されては勝手に再生する。痛みだけが私を縛る。
「獣化のなり損ないの姿だと、痛みをより強く感じるようです。」
声が遠くで響く。
「そうか。」
彼の無関心な返答。自分の心は擦り切れ、ただ速く楽になりたいと願う。
――心が入れ違い、擦れ合う感覚。速く楽になりたい。今日も何かが待っている。ただ痛みだけが生を押し付ける。
「が……ハッ」
息が止まる。なのに、すぐに血液が繋がっていく。身体が熱くなり痛みと共に息が始まる。
「キリイシャアアアア!!」
泣き叫びたいのに、身体が勝手に動く。敵意すら向けられない。失敗作と呼ばれたあの日から、すべてが苦痛だった。
「これで以上になります。十分なデータは取れたかと」
「あぁ、十分だな。いい材料だったが仕方ない、殺せ」
そんな毎日はある日突然に終わった。目の前の液体がひび割れて壊れた。ずっとユラユラしていたものがハッキリ見えた。初めて呼吸が軽く吸えた。
「許可のサインだ。終わったら次やるぞ。」
「はっ」
影は自分を地面に押し付けた。
「命令だ。初期に戻れ」
「……」
身体は声に反応する。ただ無の自分の身体は小さくなった。すぐに何かを塗られ切り落とされた。
その後、鉄格子で閉じ込められ知らない場所に連れられて動き始めた。どれだけの時間が過ぎたのか、わからない。冷たい金属の感触と、揺れる音だけが響く。
「見ろ……この子」
「失敗作の話は聞いたことある。売れ残りで捨てられた私たちより可哀想ね」
「……ピィ?」
体に冷たい液が流れてくる。次第に身体を叩きつけ、表面の傷へと入り込む。
「今日は雨か。ついてないね。最後に綺麗な空でも見れれば良かったのに」
「まあ、君も楽になれるのね」
「だな」
その人達は上を見上げていた。自分も同じように上をむく。
ソラ……?ってなんだろう。
「……」
その人の目は同情のように見えた。何を言っているか分からないけど、苦しい日々が終わったのだからどうでもいいか。ただ目を閉じる。
――つかの間
身体が激しく揺れた。身体が挟まったように動かない。次第に身体が下に傾いていく。
「運転荒っ! ま、待って!あの子鉄格子から」
身体が激しく揺れる。鉄格子が軋み、茶色の液体に沈む。手足が動かない。目を開ける気力もない。
ただ、闇に溶けていく。
「君大丈夫?」
「君、大丈夫?」
声と同時に、温かな手が私の身体を引き上げる。水から出された瞬間、見たことのある影がそこにあった。また、痛みが始まるのだろうか。震えが止まらない。
だが、その影は私を引き裂く代わりに、そっと抱き寄せた。
「可哀想に……捨てられたの?」
「……ぴ……」
声にならない声しか出せない。
「使い魔? 主はどこ?」
彼女の声は柔らかった。濡れた髪が私の頬に触れ、初めて感じる温もりに身体が震えた。
「そう。じゃあまずは私の家に行こっか」
彼女の瞳には、どこか遠くを見るような光があった。雨が止み、雲の隙間から光が差し込む。その光の中で、彼女は微笑んだ。
これが、私とこの世界の頂点に立つ姫との出会いだった。
読んで頂きありがとうございました!
自署って言い方があっているかは分かりませんが、地平線の仲介者のサブキャラ過去編になります。
単品でも面白い物語を書けるよう励みますので、よろしくお願いします。秋まで不定期になります。




