伊藤の4月3日②
新人研修の3日目が終わった。時計は17時40分、帰ってNETFLIXで見ているドラマの続きを見ようと荷物をまとめる。隣で眠っていた男が「駅の近くで飲まないか」と誘うと同時に後ろの席の女性にも声をかけていた。
講義の中でグループワークをした4人、同じ会社の社員ではあるが、ここが地元なのか違う土地から来たのか、探りながら話をする。男は佐藤と言った。誰とでも話ができ、どんどん情報を引き出していく。女性は鈴木さんと高橋さんだった。
佐藤くんはこの会社のある地域の国立大学の理系大学院卒であることを早い段階で伝えた。そうすることで自分がこの土地に詳しいこと、学部卒に比べると年上であるということを伝えたいのかなと思いつつ、伊藤と鈴木さんは県外出身で困ったことがあれば佐藤くんに聞けばいいとうなづいた。
駅の近くのこじんまりしたお好み焼き屋は他のお客もいないのでテレビの音が響いていた。店員さんが注文を取るとすぐにお好み焼きの小麦粉の生地に肉が乗ったお椀、シーフードが乗ったお椀、少し遅れて完成した焼きそばが出てきた。
佐藤くんは6年間のアルバイトで磨いたお好み焼きづくりの腕を存分に発揮して、完璧なお好み焼きを作った。
すごいねーと褒められこんなの誰でもできるよ、とニヤニヤする様子を見ると、わかりやすい奴だと感心した。
お互いの話、会社の話をしながらそういえば先輩が言ってたんだけど、と鈴木さんは言う。
「今日の午後の講師の人、社長の弟だって」
「ああ~確かに名字が一緒」
高橋さんが納得する。
「あんな地味なのが社長の弟なの?社長はもっとギラギラしてるじゃん」
佐藤くんは納得いかない様子だ。
「先輩から聞いた話だと、社長のお父さんの会長が子連れの女性と再婚したんだって」
「えーじゃあ玉の輿?シンデレラ?は奥さんの方か、子供は…なんだろう」
きゃあきゃあ騒ぐ女子を遮るように
「コネ入社ってこと?若いのにチヤホヤされて、ずるい」
ぎゃあぎゃあ佐藤くんは言う。
「そんな若くないらしいよ、もう30代後半だって。10歳くらい若ければチャンスがあったかもしれないね」
ばかだな、と佐藤くんは噛みつく。
「それって結婚してないってこと?」と質問すると独身貴族だって、とケラケラみんな笑った。
こんな飲み会のネタにされて気の毒に思いながら今日午後の講義を思い出した。確かに指輪はなかったな、とホッとした気持ちになる。安堵したところで何があるわけじゃないけど、と、佐藤くんの完璧なお好み焼きを食べた。