伊藤の5月8日
1ヶ月の新入社員研修が終わり、正式な職場に配属された。歴史ある職場は古めかしい社屋にあり、働く社員は比較的見た目も考えも保守的なタイプが多い。
仕事内容を覚えるので精一杯の中、新入社員歓迎会があった。部全体、課、チーム単位と毎日ではないが歓迎会は続いた。人員の入れ替わりが少ないこの職場は今年の新入社員は1人だった。
立場の上の人から挨拶があり、こちらも一言挨拶をする。ビールとウーロン茶のピッチャー、または瓶を持ちお酌をしてよろしくと挨拶して回らなければならない。そして自分のコップを持ちお酌をされたら飲み干せ、と。ここでお前の印象は決まる、と。4月のうちにフットサルサークルの先輩からアドバイスをもらった。
そんな体育会系のくだらない、形式的で、見栄の張り合いのような行為に意味があるのか。
しかし効果はてきめんでビールを流し込むほど、上司は喜んだ。ザルである体に感謝したい。
興奮した直属の上司は3次会として行きつけのスナックへ連れていった。これまで行ったスナックは大学教授に送別会で連れていってもらった、和風料亭を思わせるお店で、品のある着物の女性が丁寧に日本酒を出してくれた。
一方、上司が息を荒くして入った「スナック 恋歌」は、薄暗い店内にひときは大きなカラオケ画面が光っていた。
「ママ、10年に1度の逸材が入った!酒が強い、早稲田、しかもママが好きな若いイケメン!」
一気に上司に幻滅した。
あらー!とママも上機嫌で答える。笑って挨拶しろと肩を叩かれる。最悪だ。
上司が気持ちよさそうに「栄光の架橋」を歌うのをぼーっと眺める。このお店でなにを話したか思い出せない、いや話していないのだ。ぬいぐるみのようにダークレッドのベロアのソファに座っていただけなのだ。
ただ唾を飛ばしながら上司が話すのに相槌を打つ機械になった。こんな日を超えた先に栄光の架橋はあるのだろうか。