翌年の2月8日
「君、用心棒って呼ばれてるよ。」
「なにそれ、昭和の映画かよ。」
伊藤桜月は嫌そうに笑った。
「王子様を守るのは騎士とか衛兵とかあるじゃん。そう呼ばれるのも嫌だけど。」
不満のつぶやきは冬の冷たい空気に溶ける。
「ほんとセンスないな、律の会社は。」
そうだね、と律は小さく同意する。
駅に向かう道は今朝の雪が溶けて湿っている。街灯が地面をピカピカ照らす。
2人は別の飲み会に参加していた。桜月は会社のフットサルサークル、律は同期との集まりだった。
フットサルサークルでは飲み会の2次会はキャバクラに行くのが定番だが、桜月は拒否して帰った。
同じくらいの時刻、同期の話のネタが家族か会社の愚痴になったころ、律のスマホに桜月からの連絡が来た。幸運にも会場は歩いて5分程度、ちょうど駅に向かう方面だったので桜月が迎えに行く形で合流できた。
急いで身支度を整えて出てきた律を見た桜月は、赤いちょうちんの揺れる出入口で「変だよ」とマフラーを直した。
濡れた地面を蹴りながら今日の飲み会でのバカげた話を交換して、なにそれ、と笑いあう。
午後9時の駅は残業終わりの会社員や塾帰りの高校生がちらほらいて、2人も擬態するように静かに電車を待った。
駅は閑散としていたが、電車は少し混んでいた。律の降りる駅はあと3駅、桜月は4駅だ。
車窓はビルや民家の灯りが流れては消えていく。ぼんやりと眺めながら、いつものラブホテルが見えて降りる意識を高める。
「今日は?」に「明日があるから」と返す律をムッとした顔で桜月は睨む。「お疲れさま」とポケットから出した長細いオレンジの包みを渡し目配せして王子様は電車を降りた。
無情にも閉じるドアから渡された包みに目を向ける。殺菌成分の入ったオレンジ味の「ヴィックス」というのど飴だった。包みの端っこを切りさみしさと共に1粒口に入れる。苦くて甘い。
暖かかった車内から放り出され、1人だと実感する。目を覚ますように大きく息を吸うと、メントールも相まって冬の空気が体を通り抜けていった。